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東アジア歴史文化研究会コミュの『日本人が知ってはならない歴史』?

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『日本人が知ってはならない歴史』?

7.日清戦争と三国干渉

 1894(明治二十七)年、いわゆる「東学党の乱」が起った。「東学」党は「人乃(すなわち)天」の平等主義を掲げ李朝の打倒を民衆に呼びかけた。鎮圧に派遣された政府軍は敗北し、全羅道は東学党の制圧するところとなった。狼狽した李朝は清に救援を求めた。清国の北洋軍が派遣され、日本も出兵した。日清戦争の勃発である。
 開戦前、清国は日本を完全に侮っていた。だが、結果は清国軍の連戦連敗、完敗であった。清国は意外な敗戦に呆然自失した。ある清国の軍人は敗因を、整然とした散兵線(戦)のできる日本軍と、それができない清国軍との差に求めたりしている。
 日本軍は国民軍だが、清国軍は王朝軍でしかなかった。拉夫という言葉は日本人は知らないが、清国兵の多数はこの拉夫から成っていた。兵士にするために若い男を「拉致」して、兵隊に仕立て上げるのである。支那の諺に「良い鉄は釘にならない」というのがあるが、兵に良民なしとも言った。
 散兵したら兵隊は文字通り散っていなくなるのである。だから、兵隊は常に団塊の状態で督戦隊の監視下で戦わされたのである。逃げる者は射殺である。砲撃には特に被害が大きい。だから散兵線なのにである。
 日本軍の「とっかーん」の掛け声は、清国軍には恐怖の声だったと諸書は伝えている。「とっかーん」は突貫だが、一方で日本兵は大陸の戦争文化に大きな衝撃を受けている。例になく頑強に抵抗する清国軍の陣地を攻略した日本の兵士は、足を鎖で縛られた清国兵士の戦死体を見て、思わず泣いたという。
 また捕らわれた日本兵が虐殺されているのを見て、捕虜の運命を知ったという。日本人には食人(カニバリズム)の習慣はないが、喰われた仲間の骸に激昂し捕虜にだけはなるまいと心に誓ったのである。精強な日本軍というのは、脅迫観念の産物という一面がある。
 日清戦争は日本人に大陸の生死の苛烈さを教えた。人を信じることは、死に直ちに結び付くことを学び、日本人は緊張した。日清戦争は日本人の大陸経験の始まりであった。
 日本人にとって、敵の死体の内臓をえぐり、喰うというのは埒外の所業でしかなかった。起床をともにしていた戦友が、むごたらしく殺され喰われたという事実は「生きて虜囚の・・・」という戒めを与えるものであった(この言葉は昭和のものである)。日本軍はどうしたかというと、国際法の優等生たらんとしていた時代の要請そのままに、清国兵士の処遇は実に懇切であった。十年後の日露戦争ではロシア軍の捕虜たちは、女性との交接まで求めて、さすがに拒否されている。日本軍の捕虜優遇は、当時から世界的に知れ渡った常識であったようだ。・・・・
 日清戦争は清国の敗北で終わり、下関条約の締結となった。
 列強諸国の多くは日本の勝利を予想してはいなかった。ただ英国を除いては、である。だが戦局が日本の圧勝のうちに展開するのを見て、列強は清の敗戦を自国の勝機(商機)と見切ったのである。諜報にたけたロシアは、敗北した清朝がロシアに日本への干渉を依頼することを承知していた。好機到来である。一方清朝では、島夷の日本との屈辱的な下関条約への反感が強く、列強諸国の干渉で島夷日本の災いを払うべしという、伝統的な以夷制夷・借刀殺人の術策を用いた。遼東半島を清国に返却せよという「三国干渉」の誘導である。(三国は露独仏)。
 日本では干渉に接して国論が沸騰したが、「臥薪嘗胆」を合言葉に干渉に屈した。・・・・
 朝鮮政府はロシア公使館に移り、朝鮮は完全にロシアの支配下に入った。朝鮮にはロシア軍が駐屯し、武器弾薬はウラジオストックから補給されるようになった。ロシアは鉱山の採掘権や森林の伐採権など多くの利権を手中にした。
 それだけではない。ロシアは清国の大官・李鴻章との間に密約を交わし、満州の「主権」を買収してしまうのである。露清密約については、別項でとりあげる。満州の地は、言うまでもなく清朝の故郷である。支那人は立ち入り禁止の措置がとられていたが、ロシアは鉄道敷設権や駐兵権を手に入れた。李鴻章は清朝を裏切った、というわけだ。
 明治三十年九月、朝鮮の国号は大韓帝国となり、国王は皇帝と称することになった。ロシア公使はウェーバーに代わってスペールが赴任してきた。彼の対韓国政策の根底は、明治二十九年に結ばれていた露韓密約であった。密約の要点は大韓帝国皇帝は希望すれば随時にロシア公使館内に移住することができること、軍事・財政の両面での顧問にロシア人を採用すること、そしてロシア以外の国が大韓帝国の独立を脅かすときはロシアが兵力をもって援助する、といった諸点である。
 これら諸点の意味するところは余りに判然としている。大韓帝国の国号には、哀しいものがある。
 ロシアは満洲を固めるとともに、旅順・大連を租借することに成功した。ロシア帝国は念願の不凍港をようやく手にしたわけだ。
 ウラジオストックは四ヶ月は氷結する。ロシア太平洋艦隊の根拠地は旅順となり、大連は満洲最大の商港となった。三国干渉で日本に返却させたのが、ほかならぬこの二港であり遼東半島であった。

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