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東アジア歴史文化研究会コミュの合気道と禅(仏教学者 鎌田茂雄氏に聞く)

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「合気道と禅」


第3回東アジア歴史文化研究会、鎌田茂雄先生に講演をしていただいてから、はや12年以上が過ぎました。懐かしさのあまり鎌田先生のインタビューを掲載いたします。毎日夕方合気道の道場に通って、身体を鍛えておられました。駒澤大学の駅を通る時、先生の自宅に伺った頃のことをときどき思い出します。数年前尋ねてみたら、自宅はお嬢さんのご主人の歯科医院になっていました。


宇宙との一体感を自覚する道

仏教学者 鎌田茂雄氏に聞く
【かまた しげお】 1927(昭和2年)〜2001年5月。神奈川県出身。東大名誉教授。学士院賞受賞。著書に『中国仏教史』『朝鮮仏教史』『仏のきた道』『禅と合気道』ほか多数。天道流合気道6段。


古来、武道と禅は深い関わりを持ってきた。特に合気道は「動く禅」とも言われ、熱心な合気道修行者は、禅に道を求めてきた。合気道を長年研鑽すると共に、禅の研究では斯界の権威である鎌田茂雄氏にお話をうかがった。


●己に勝つ道

鎌田:合気道も、術から道になると、闘う相手が外敵ではなく、自己との闘いになるのです。武道により自分自身を究明する。もっと簡単にいえば自分に打ち勝つ。禅もやはり自分に打ち勝つという意味で同じなのです。
 武道の武という字は、戈(ほこ)を止めると書きます。相手を殺すものではなく、生かす道にならないといけない。武術だけなら勝てばいいが、道という字が入って武道となると、自分自身を鍛える道ということになる。禅を求めることでも同様です。
 宮本武蔵も晩年は、剣を捨てて、一生懸命坐禅を組んだり『五輪書』を書いているでしょう。山岡鉄舟もご存知のように、禅を究め、剣を極めて、最後はやはり無刀流となって、刀を捨てるという境地にまで達したのです。それは、やはり禅の修練が大きく働いていると思います。
 山岡鉄舟は江戸から馬で、三島の瀧澤寺という由緒ある禅寺に頻繁に通い、禅を究めようと努力していました。そして、前の晩にどんなに酒を飲んでも、早朝3時頃には必ず起きて、剣を毎日振っていたそうです。その基本は、宮本武蔵が『五輪書』で「朝鍛夕練」と言っているでしょう。「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬」としたとあります。つまり、鍛は3年間、錬は30年間。30年間、毎日剣を振るうというのは大変ですが、合気道でも同じじゃないですか。3年ぐらいやったのでは、ちょっと格好がわかるくらいでしょう。10年でもまだまだ。呼吸と動きはだいぶ一致してくるでしょうが、合気道は奥が深いので、なかなか極められない。やはり宮本武蔵が言うように、30年かかるのじゃないですか。

●禅と合気道の共通点

 先生ご自身の禅の体験というのは、どういうようなものだったのでしょうか。

鎌田:私は兵隊から帰ってきて、5年間坐禅の真似事をしました。本当は職業軍人になるつもりで、少年時代から軍人の修行だけをしていました。ボロ飛行機で突っ込まなければいけない。みんな20歳ぐらいで死ぬのが当たり前の世の中だったので、自然と禅の本などを読むようになったのです。その延長で昭和20年から25年まで、鎌倉の円覚寺で坐禅をしたのです。
 合気道では、下半身の力を抜いて、下半身をしっかりとさせなくてはいけない。禅も同じです。坐禅の姿勢は、下をしっかりして上は力を抜かないと、長い時間続けることができません。ところが、上半身の力を抜くというのがまた難しい。それがだんだんわかれば、合気道も少しはわかったことになるのでしょう。でも、どうしても力を入れちゃう。
 特に極め技では、肩に力が入ったら一切かかりません。でも初心のうちは、ウワッと力任せに押しつけてしまう。それでは効かないのです。完全に力を抜いて、相手を自分の中に包み込むようにしなくては効かない。だから合気によって一体になるわけでしょう。禅というものが自分を究めて宇宙の力と一つになるのと同じなのです。
 開祖の植芝先生は、大本教でした。しかし、書かれたものを読んでみると、同じことなのです。自分を超えた大きな存在――神と呼んでもいいですが――とやはり一つになっていくわけでしょう。だから禅であっても神道であっても、何でもいい。それはね、ただ表現が違うだけで、言っていることは同じことなんですね。

 こだわりやとどまる心を取り去る修行が禅の修行で、合気道もそういうことが言えるのですね。

鎌田:そうです。禅もやはり一ヶ所に心を留めてはいけない。一つに留めるというのは、執着する心です。執着すると、それがだんだん大きくな る。それが自分を苦しめていくようになる。合気道も同じで、流れでしょう。流れの中で技をかける。流れであり、円であり、停滞しない、無限に回っている、そういう武道なのです。

 それは他の武道と比較しても特筆すべきことと言っても良いのでしょうか。

鎌田:特に合気道は、円、流れという点で、よく似ています。勝てばいいという、勝負の武道になるとね、勝てばそこで終わってしまう。合気道はそうではなく、無限の連続の中で相手をとらえていくのです。

●相手と一体となる

 仏教でいう諸行無常というようなことと、合気道とは関係がありますか。

鎌田:諸行無常というのは、時間的には一切のものが変化していくこと。空間的には全てのものがいろいろな縁、つまり因縁によって成り立って いるということ。それは仏教の基本的な考え方です。合気道も自分1人ではできないので、必ず相手がいる。そして相手と一体になるというようなことが必要 で、仏教の考え方と似ているのです。もちろん、まったく違った文化で、合気道は日本で発展し、仏教はインド、中国などから来たものです。けれども、東洋人 には何か通じるものがあるのではないでしょうか。

 全てのものが移り行くから、そこに執着しようとしても、とらえられるものではないのですね。

鎌田:とらえられるものではない。まあ、今の日本を見ると、あれだけ繁栄したのが、あっと言う間に崩れているでしょう。いかにもろいか。政治でも経済でも本当にもろい。人間もやはりもろい。仏教では人間は必ず死ぬ。死を見つめて生きることが大切だと、教えるのです。
 『五輪書』などを見ると、人間はいつ切られるかわからない。だから常に死と直面して生きている。そういう意味で、武道は仏教と似ているのです。仏教で は、それを精神的に覚悟するのですが、武道の場合はそれを体で体得していく。でも、本来心とか体といっても、別なものではありません。みんな相関関係があ ります。
 心といっても目に見えない。したがって、心を表すものは形ということになる。合気道は、型の武道。だから、形が乱れるというのは、心が乱れている結果で す。投げ技をやって、その後きちんと体が安定するというのは、なかなか難しいことでしょう。そういうことができるというのは、精神面も大いに関係があるの です。

 先生のお書きになった『禅と合気道』(人文書院)で面白く感じたことの一つが、達磨が梁の武帝に質問をされて、仏教は、無功徳であると答えたことを引用されて、合気道も同様に無功徳であるとおっしゃっています。

鎌田:効果を簡単に求めてはいけないのですね。禅をやれば、悟りを開くことができるということではないのです。ところが普通の人は、利益を 生まないとやらない。合気道をやれば、いいことがありますかと、すぐ聞く。それは、少しは体にいいかもしれないし、少しは敏捷になるかもしれないけれど、 取り立てて、これがいいということは、何にもないのですよ。
 梁の武帝は、普通の王様でしょう。やはり効果があるとか、政治に利用できるかとか、それによって長生きできるかとか、パワーを得られるかとか思った。達 磨は何にもないと言った。それは当たり前ですが、本当に何にも効果がないよと言われると、かえって惹かれるものです。合気道も目に見えてこういう効果が出 ますというのは、あんまりないのではないですかね。他の道場なんかどうしているのでしょう。

 なかなかそこまで自覚できる方は少ないと思います。やればいつかは強くなるだろうと、思いたいのではないでしょうか。

鎌田:強さというのは内面性の問題です。喧嘩をして相手に勝つのが強いのではない。合気道をやって、喧嘩で一発で仕留めてやろうというもの ではないでしょう。自己との戦いで、合気道を続けるというならいいでしょうが、ただ強くなって、喧嘩に役立てるというのでは、寂しいですね。喧嘩などする ものじゃありません。

 入り身投げだとか四方投げだとか、毎日繰り返し稽古をしても、その結果ロシアの大男に勝てるようになるかといっても、ならないわけですね。

鎌田:もう体が違えばね。でもそれを反復して、習練していく。たとえば、四方投げを毎回、毎回やらなくてもいいじゃないか。そんなことを考 えることがあるでしょう。しかし、清水健二先生は、そういう疑問は間違いであるとよくおっしゃいます。何度も何度もやるうちに、四方投げがきちんとできる ようになる。そうすると、いろいろな技が、ふいの時にバッとやれるようになる。その基本が四方投げだと言うのです。
 四方投げは意外と難しい。10年やってもよくわからない。これをやっているうちに、腰を中心に動かすのが体でわかってくる。人間を動かしているのは腰だというのがわかってくるのです。
 僕のように文章を書く仕事でも、全部腰で書くのです。原稿は頭で書くのではなく、腰で書く。腰で書くと疲れない。文章に力が出てくる。

●禅を武道に活かす

 禅と武道の結びつきというのは、いつ頃から始まったのでしょうか。

鎌田:武術は、相手を切り殺す技術だった。武術が武道になってから、禅と結び付いたのです。古くは塚原ト伝ぐらいからでしょう。その後は、宮本武蔵などが典型的で、柳生宗矩あたりも同じです。柳生宗矩は沢庵という禅のお坊さんの影響を色濃く受けています。
 そして、殺人刀から活人剣へと、万人を活かす剣をつくるのが柳生流というふうになっていったわけです。そういう伝統をずっと江戸時代に継承していって、近代では山岡鉄舟がそれを上手にまとめたと思います。

 山岡鉄舟はどういう考え方で、禅と剣というものをとらえていたんでしょうか。

鎌田:最初は、剣一筋で生きようと思ってやっていたのです。それが江戸で一番という名人と立ち合って手も足もでなかった。相手の剣が無限に 大きくなって、吸い込まれるようになってしまう。でも、どうしても勝とうと思って精神的な戦いをしたのが10年間。夜でも急に目が覚め起き上がって、木剣 を持ち幻と立ち合う。でも幻にさえ勝てない。ところが、ある日、剣を持ったら、その幻が忽然と消えた。びっくりして、その人の道場のところに飛んで、試合 を申し込んで立ち合いをしたのです。すると、その人が「お前はよくやった」と、山岡鉄舟に印可を与えたのです。
 どうしても強い相手に出会うと、意識をする。どこを狙ったら勝てるのかとか、前に座っただけで、自分の10の力が1になってしまう。
 それを克服するのに10年かかった。その間に禅をやって、自分の前に何もない無の境地を求め、究めた。その結果、相手の幻影が消えたのです。面白いでしょう。
 人間というのは、どんな職業でも、勝負を争っているうちは、相手を意識する。本当に人間が強くなると相手が消えてしまうのです。会社の競争相手でも相撲でも同じだと思います。相手を意識しすぎると負けてしまいます。無心に立ち合うと案外勝ったりする。
 山岡鉄舟は、宇宙と一緒になり、全てはその中に包まれている。だから、どんなに強い相手でも消えてしまっているから、別にどうということはないのです。 簡単に言えば、自分が大きくなったということでしょう。小さな自分の殻を破って、大きな自分に転換した。合気道はまさに相手を包み込む術です。相手と対立 しない、相手を自分の中へ取り込むという道です。底が深いということです。

●我執を捨てる

 植芝先生が京都の綾部で、井戸端で汗をふいている時に、忽然と宗教体験のようなことをされたのはやはり一種の悟りなのでしょうか。

鎌田:禅でいうと見性といいます。自己の本性を見た、宇宙の本体を見た、ということと同じことなのです。あそこで、自分が忽然となくなった。今までの自分じゃなくなったのです。

 鳥のさえずりの意味がわかったというようなことをおっしゃっていますね。

鎌田:それは禅に限らず、他の宗教の人でも、悟りを開いた人の体験と、まったく同じですね。
 やはり自分自身の我欲がなくなった。我欲がなくなると、いろいろなものが見え、聞こえてくるのです。我欲があるうちは、自分の目で見、自分の頭で考える でしょう。だから自分の眼鏡を通した世界しか見えない。ところが、植芝先生はそれを超えて、宇宙の本当の姿が、そのまま見えたのです。それは優れた宗教者 でも武道者でも、そういう世界をみんな体験しています。

●釈迦の悟りとは

 仏教の予備知識がないと、なかなかわからないことも多いと思うのですが、これはお釈迦様の悟りの体験と比べて、どういう点が共通するのか、また、お釈迦様の体験というのはどういうものだったのか教えていただけますか。

鎌田:お釈迦様の体験というのは簡単で、人生というのは苦であると感じた。苦は、人間生まれてから死ぬまでつきまとう。それは、自分の我執があるからで、そういうものをなくして宇宙の実相が見えるような目を持つことが大切だということをお釈迦様は悟られたのです。
 もう少し難しくいうと、全ては一瞬もとどまることがない、無常である。そして、人間は必ず死ぬものだということをよく理解する。そうなると、人間という のはあんまりいい加減に生きてちゃいけないんで、毎日毎日を大事にしていかなくちゃいけない。1日1日を充実させていかないと、いつ死ぬかもしれない。そ の時その時を大切に生きなさいと、こう説いたのです。だから仏教というのは、あの世をあんまり説くわけでもないし、神様にすがれというわけでもない。ただ、正しい見方を説いただけなのです。
 キリスト教やイスラム教の場合には、人間を支配する絶対的な神がいるので、それにおすがりしなくてはいけない。仏教は、無神論ですから、自分自身で見極めなさいということなのです。

 自覚をするということにポイントがあるのでしょうか。

鎌田:そうです。皆さん、仏教は難しいというけれども、原理はあまり難しいものではないのです。頭でわかっても体得するのは難しいということです。
 植芝先生も、同じことです。合気道を本当に極めようとして、極めぬくでしょう。ひとつのことを極めぬくと、どこかで素晴らしい世界が開けるのです。別にそれは合気道じゃなくてもいい。どんなことでもいいから、一つのことを50年やっていると、だんだんわかってきます。ちょっとやってわかるということは、 世の中にはなかなかないのでしょうね。

●『五輪書』を読む

 一般の人間が、別に仕事を持ちながら、合気道を修行していく時にどういう心がけでいたらいいのでしょうか。

鎌田:一番簡単なのは、宮本武蔵の『五輪書』をわからなくても読み続けることです。それが一番いいと思います。講談社から出ているのは現代語訳と解説がついています。それを時々開いてみる。それは武道者として必要なことだと思います。どこにでも売っているのですから、電車の中ででも眺めていると、違ってきます。それが一番簡単です。禅の指導者につくなんていうことはそう簡単にできませんしね。
 そして、1年か2年で強くなれるなんて思わないで、淡々と道場に行って淡々とやる。大切なのは続けること。続けていると、1年経った時3年経った時、何か違ってきます。

 坐禅という修行法というのは、結局自分の内面に向かっていくひとつの手段ですよね。そうすると、合気道もある意味でそういうことが言えると思うんですが。

鎌田:結局どちらも自己に勝つ道ですね。自分を究める道でもあるし、自己に打ち勝つということが非常に重要なのですね。

 貴重なお話をありがとうございました。

コメント(3)

林泉寺で寒中座禅会、たいへんでしたね。
林泉寺といえば、ドキュメンタりー映画『東京裁判』を実質的にプロデュースされた
故江田和雄前住職を思い出してしまいます。

先日、拓殖大学の日本文化研究所主催の講演会に行ったとき
久しぶりに林泉寺の前を通りました。
入り口がとてもきれいに整備されていましたね。
行かなくなってもう7年以上が過ぎてしまいました。
前住職を懐かしく感じます。

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