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仏教を楽しむ会(^^)コミュの出家して何かをする。

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俳優、保阪尚希さん(39)さいが出家すると少し話題に
成ってます。

保阪尚希が出家、来月熊本の寺で得度
http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20070323-173634.html

出家すると言っても得度(出家して僧侶になる儀式)を受
け、仏門入りするだけで仕事を辞めたりしませんが。

>理由について「子供が自殺する嫌な世の中を何とかし
>たい。仏門に入って成長しながら、悩む子供の相談に
>応じたい。発言力あるタレントの立場も利用して手助
>けしたい」と説明した。

彼が6歳のとき両親が自殺した事等が元にあるそうです。

コメント(16)

保阪さんなりの発心の表れなんでしょうね〜^^
私も出家したいです。
私の実家はお寺ですが(ロサンゼルスに近い浄土真宗の仏教会)日本におく出家の意味は今まで実家のお寺を次ぐというイメージがありますが、本来の意味は保坂さんの目的に近いんです。

出家は慈悲の心で人々の煩悩や悩みを聞き、菩薩のように人々を生きる道をさがす/救いを求めるのは僧侶の役目です。

アジアの佛教文化でも出家する人の原因も保坂さんと似ています。知ってる中国人の尼僧は元々会計の仕事をしていましたが、お金があっても心の中では逆だった。その原因で出家を決意し、自分の悩みの答えを見つけそれを人々に語るようになった。

では、出家をしないと人々を助ける事はできないという考え方は佛教にはありません。佛教の教えは生きる道のガイトブックのようなもので、ガイドブックの基本的なものは慈悲の心を持つ事は大事です。慈悲は自分なりに人々や生き物を助けこの世界を少しずつよくする。そのお返しは自分の徳です。

勿論、自分の家はお寺で見やすく出家の話をできると言えますが、私の父は普通の人でした。父は大学を卒業した後、自分が何をしたいのか解らなく悩んでいました。母の進めで、出家をしました (理由は佛教系の大学を卒業し専攻は仏教学だったから)。今はアメリカで浄土真宗の伝導をしながら、お寺ではいつも外の宗教や人々とどうやって共存共栄な世界を作る会議や大会をやっています。

自分はもう一生仏教信者ですが、やっぱり佛の教えはいつも私の支えとなっています。

(結局長いエッセーのようになりましてすみません@_@)
皆さんの書き込みを読んで感じましたが聖職者を
目指すだけではなく信仰に目覚める理由もこのよ
うなケースも多いようです。

出家しなければ何も出来ない。出家すれば問題は
解決するというものでも無いと思いますが。

画像は今日の朝の自宅の近くの桜です。
生まれはお寺じゃありません。

出家したわけでもありせん。がっつり在俗です。

けど考えの基本は仏教です。
私もお寺の生まれではありませんが
ずっと出家をしたいという気持ちが強くありました。

あるとき
「もしかして、私が出家を考えているのは、逃げなのでは?」
という考えに至りました。

そこから、初めて、お寺に少しでも通って、「自分にとっての真の意味での出家」を学んでみたい
と、思うようになりました。

あれから、2年と8ヶ月・・・
私は、少しでも、在家出家者として、自分の目指すものに近づいたかどうか・・・

それは、今の仕事を一生続けて、やっとわかるような・・・そんなところを歩いているような気が致します。

バッグボーンに仏教や禅の教えがあるというのは、とても有り難いと思うことが日々ありますね。

自殺防止の草の根活動や、限りある命を大切にしようという事を人にお伝えしている身としては、ちょっと考えさせられるトピでした。
40歳をすぎた頃から世間のしがらみが加速度的に多くなってきました。そんなわけで無性に「出家したいな」って思うことが多くなりましたね。

こんな風に書くと「出家は現実逃避の手段じゃない」ってお叱りを受けるかも知れませけど、自分自身の救いを求めることで結果的に利他行になるのが大乗仏教かと思いますので、そんなのもアリかなってね。
出家は現実逃避と言う話があります。
有る点、瞑想とか座禅、祈り、読経、
お寺やお墓にお参りするのも
有る点、現実逃避の一種だと思います。

瞑想を例にすると四六時中入ってくる情報を遮断して
自分の内面に向き合います。

これも一種の「一時出家」かも知れません。

私もやりたくても出来ないですが。
しっかり心を閉めて安らぐことが出来たら
しっかり心を開いて現実を受け入れる事が
出来るかも知れません。
LOUD7さんのあたりから少し流れが変わってきたので、遠慮せずに書くことにしますが…。(ズルイw)

ウチは浄土真宗ですから僧侶であっても100%在家です。
皆さんが「出家」をどのような意味で使ってるのか、人それぞれ違うのでしょうけど、出家とは何かの基本的なところが間違っているように思えます。

根本的に申して、家族が居たり個人資産を所有する出家なんぞありえません。これは血縁者が居るとか住職をしているとかと別の話です。
そもそも出家でないと比丘(≒僧侶)になれない理由とは、比丘になる目的が成仏であるからです。仏果を説明する言葉に「一子地」というのがありまして、一切衆生(すべての命)を我が一人子のように慈しむという覚りです。
普通の親であれば「うちの子よその子」の違いは絶対にありますし、よほど強い理性がないと他人の子供と我が子を等価に扱う事などまずできません。しかしそんなことでは一切衆生に慈愛をそそぐ仏には到底なれませんので、とりあえず家族を捨てて修行の第一歩とするのです。

この頃テレビなどで芸能人が在家出家なんて言葉を使ってるのを聞くと、「左に右折する」見たいな感じにしか聞こえませんね。
維摩居士のように出家でなくとも仏道をたしなみ道を究めた方だっていらっしゃるのです。ましてや末法の世であれば、在家でありながら仏法を求める生き方ですら尊いと思えます。
手前ごとで恐縮ですが、我が宗祖の親鸞様だって最初は出家でしたが、還俗させられて在家になりましたし、それ以前に破戒僧になったとも言われております。それだけの苦悩の中にどっぷり身をおきながら、衆生が救われていく道を求めて立てられたのが浄土真宗ですので、我が宗門の人間は胸を張って「私は出家ではありません」と言います。
正直なことを言えば「在家の僧侶」だって、かなり異常な話ですけどね。とりあえず僧侶と言う言葉については「僧伽(サンガ=教団)の侶(ともがら)」と言う語源の意味を取っていますので、出家である必要は無いという言い訳をしてます。
お悩み相談です涙

得度を得て数十年経過し、定年退職後やっと在宅僧侶として歩き始めましたが、女であるためか、裏の土地神様の草取りをしていると、物好きな信仰宗教のオバサンうれしい顔

系列のお寺のお不動さんの護摩焚きに行くと、熱心な何処ぞの家庭の奥さん…と、そこの住職に言われうれしい顔

親寺の住職は何も言わないのですが

何か、自分って何?と、思ってしまいます涙
朝夕のお勤め、早朝の庭掃き掃除はしていますが

いったいどうしたら、何をすべきか分かりません涙
私の知る出家とは、本当に家族から離れ
剃髪しお寺でご奉公しながら信心修行する人です。

今の世間一般的なお坊さんは本当の僧侶では
ありません。
単なる職業の一種です。
それで、本当に僧道を全うできるのでしょうか?

私の知るところは
家から得度試験を受け受かったならば
家を完全に離れる。
父が僧侶ならそこからは兄弟子である
父が在家ならば父は子を仏教上では
師匠として立場を弁えて接する。

そして、お寺から中学高校と通う
そして、大学生の時代に学校法人の大学で
学ぶと同じようにお寺で学ぶ
その集大成とし仏教での論文を発表し
認められて初めて僧侶としてスタートを切る
そこからは日々勉強、日々修行
そして何より檀家さん達が幸せになるために
自らが何ができるか求め続けることで
自らも信仰心を深める。
良く言われるのは信徒によって御僧侶は
育てられる。そんな関係が成り立つほどに
信徒に尽くせる、そして世界平和に
皆が仏になれるよう少しでも自らが
修行する人が本当の僧道を全うしている人

私はそんな御僧侶に守られて日々仏道修行を
根本に生活を営めることに幸せを感じます。
やること無いから輪袈裟でも作りましょうかね
リサイクル(..) 。

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