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キリスト教(聖書)への素朴な疑問コミュのキリスト教文書翻訳・解釈

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キリスト教関係の文書の翻訳の学びをしたいと思います。
原典→日本語のほか、日本語→外国語も可ですが、英語、フランス語以外は今一です。ドイツ語になると、怪しい。一応、古典語も翻訳オンリー。
書き込まれる場合は対訳で、主語、動詞、修飾(SV M()//などつける))などの解説お願いします。中には、バイリンガルで文字を見るだけで浮かぶ方もいると思いますが、後付けお願いします。
レベル的には二つの官立総合大学院と二つの官立の外国語大学院をまず越えることです。
解説は学問的に、コトバンク、学術サイト、学術書や論文などからお願いします。
なお、短い呟きは禁止です。反論は自分で上記の受験英文解釈法のように主語、動詞、修飾(SV M()//などつけてお願いします。ファイルはいつ削除になっても良いように必ず保存しておいてください。

コメント(5)

聖書の話のコーナーにマルコ受難物語を書いてますが、それは十字架に向かっているとされてます(復活は一般に暗示で閉じられているとされる)。
それはパウロの十字架の神学と関係付けられます。

パウロは十字架の神学を重視するが、その関心は復活にあるのは確かです。
読書の一部に関係あることがあり、アップしておきます。
現代ポストモダン哲学者のみるパウロ
Saint Paul
La fondatiom de l'universalisme
Alain Badiou
CHAPITRE I
Contemporanéité de Paul
Pourquoi saint Paul ?
Pourquoi requérir cet « apôtre>>
d'autant plus suspect qu'il s'est, de toe évidence, autoproclamé tel, et que son nom est couramment associé auxdimensions les plus institutionnelles, et les moins ouvertesdu christianisme : l'Église, la discipline morale, le conservatisme social, la suspicion contre les Juifs? Comment inscrire ce nom dans le devenir de notre tentative: refonder une théorie du Sujet qui en subordonne l'existence à la dimension aléatoire de l'événement comme à la contingence pure de l'être-multiple, sans sacrifier le motif
de la vérité ?
On demandera aussi bien: Quel usage prétendons-nous faire du dispositif de la foi chrétienne, dont il semble proprement impossible de dissocier la figure et les textes de Paul ? Pourquoi invoquer et analyser cette fable?
Quela chose soit en effet bien claire: il s'agit pour nous, très
exactement, d'une fable.
Et singulièrement dans le cas de Paul, dont nous verrons que, pour des raisons cruciales, il réduit le christianisme à un seul énoncé: Jésus est ressuscité.
Or c'est bien le point fabuleux, puisque tout le reste,
naissance, prédication, mort, peut après tout se soutenir.
Est << fable»> ce qui d'un récit ne touche pour nous aucun
réel, sinon selon ce résidu invisible, et d'accès indirect,
qui colle à tout imaginaire patent.
「聖パウロ〜普遍主義の設立」
アラン・バディユ
1997年、Puf、Paris
第 1 章
パウロの同時代性
なぜ聖パウロなのか?
なぜこの「使徒」が必要とされるのだろうか?
彼は明らかに自分自身をそのように宣言しており、彼の名前は、一般的にキリスト教で最も制度的に最もオープンではない面、つまり教会、道徳的規律、社会保守主義、ユダヤ人に対する疑惑と関連付けられているため、さらに疑わしいのだが。
私たちの将来にこの名前をどのように刻んだら良いのだろう。
つまり、真実を失うことなく、そのパウロの存在を再発見できるか。それを行うのが多重で純粋な不測の事態において、不規則な次元に従属させる主体の理論である。

また、パウロの人物像と文章(テキスト)を切り離すことは厳密には不可能であると思われる。彼のキリスト教の信仰体系を、私たちはどのように利用できるのか。 なぜこの《寓話》を持ち出して分析するのか?

>> [1]
ひとつはっきりさせておきたいのは、私たちにとって《寓話》であることが非常に重要なことなのである。
そして特にパウロの場合は、重要な理由から、彼がキリスト教を「イエスは復活した」という一言に還元していることがわかる。
ここが素晴らしいところである。それで、他のすべてのことつまり誕生、説教、死が一つにつながる。

《寓話》は、この目に見えない残りの部分との間接的なつながりを除いて、私たちにとって現実に触れることができないものだ。それは明らかな想像力に適合するのである。
「Oxford Languagesの定義 · 詳細
ぐうわ
【寓話】
教訓的な内容を、他の事柄にかこつけて表した、たとえ話。例、イソップ物語。」
アラン・バディユ
ポストモダン哲学者で、政治・芸術家と云われる。アメリカブームでフランス最後の哲学者ともされる
 存命中。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A6
>>[3]
wiki引用したのはすぐ読める分かりやすいのは他にどこにも解説ない。
現代哲学のフランス語は難しい文が多い。バディユも日本語でいうと小林かなと。サガンなら吉本ばななだが(吉本父はサルトルくらい?)

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