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日本の歴史を語るコミュの奈良時代

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平城京への遷都で幕を開けた奈良時代。7世紀になると近畿地方では天皇やその側近を除くと古墳が築かれなくなります。奈良盆地の南部に政治を行う宮都が営まれ、今まで以上に政治のしくみが整えられます。

コメント(14)

奈良時代の初期の
元明・元正天皇は女帝で
自然と太政官の発言力が強まります。

この時代
実質的に最上位の地位にあったのが
右大臣・藤原不比等でした。

不比等は
飛鳥時代に「大化の改新」を行った
中臣鎌足(のちの藤原鎌足)の
息子です。

奈良時代の基本路線は
彼によってつくられたといって
過言ではありません。

自分の娘を文武天皇と
結婚させるなどして
天皇との結び付きを深めます。

これが絶大な権力を握ることとなる
藤原家の基盤となります。
奈良時代は
鋳造された貨幣である
「和同開珎」が流通しはじめました。

それまでは物々交換が主流でしたが
国内で
銅が採れるようになったことで
和同開珎がたくさん
造られるようになりました。
お金が流通したことにより
身分によって
食事や服装に大きな違いが
出はじめました。

服装に関しては
「衣服令」という法ができ
身分や位ごとに
色が細かく決められていました。
貴族など上流階級の人は
絹の着物を着ることができましたが
庶民は麻の衣服が一般的でした。
奈良時代は
比較的短い期間であるものの
日本の歴史に欠かせない
重要な変化や発展があった時代です。

墾田永年私財法
和同開珎などによって
政治の仕組みが変わり
人々の生活も大きく変化しました。

歴史書や歌集が多く作られ
数多くの寺院が建てられるなどして
発展していきました。
奈良時代は天然痘の流行
政情不安、災害や飢饉など
世の中でたくさんの不安が
渦巻きました。

その頃
42代文武天皇の第1皇子として
誕生した子供が
45代聖武天皇に即位しました。

聖武天皇は
荒れた日本をみて
仏教による鎮護国家を目指しました。

各国に国分寺建立の詔を発します。

さらに
人臣の不安を取り除く方策として
「奈良の大仏」を作ります。
国を守ることを目的として
建設された東大寺。
そして、生きとし生けるものが
ともに栄えること願い
「大仏造立の詔」を発して
大仏様が造られたといいます。

大仏様の正式名称は
「廬舎那仏」と言われており
宇宙そのものを表す
絶対的な仏様として知られています。
大仏様完成後しばらくすると
聖武天皇は娘に譲位し
太上天皇となり出家してしまいます。
これは男性としては
初めてだったそうです。

そして46代孝謙天皇の
時代がやってきます。
孝謙天皇は
46代、第48代の天皇です。
一度
天皇の位を退きますが
再び即位するという
重祚をした女帝です。

二度目に即位した時は
称徳天皇と呼ばれています。
この時代
女帝の即位は認められていましたが
女帝は子を産むことができず
結婚も許されていなかったので
孝謙天皇は生涯独身となります。

しかし病で倒れた際
看病をしてもらった僧侶の道鏡を
寵愛するようになるのです。
好みドンピシャのタイプに
優しくされたら
恋してしまうでしょ〜。
孝謙天皇は
47代淳仁天皇に譲位します。

しかし
孝謙天皇と道鏡のイチャイチャぶりを
見ていられなかった藤原仲麻呂が
淳仁天皇を通して排除しようと計画。

計画が孝謙上皇に漏れていた為
負けてしまいます。

藤原仲麻呂は処刑。
淳仁天皇は流罪となります。

そして再び
天皇に即位するのです。

恋する乙女を怒らせたら
怖い。
称徳天皇が病気で亡くなった後

 光仁天皇が即位します。
60代のおじいちゃんです。

奈良時代には反乱が起きたり
権力闘争が起こったり
疫病がはやったりと
国が乱れたため
その原因を天武天皇が
大友皇子から皇位を奪ったことだと
考える人もいたのです。

そこで
天武系天皇の断絶に伴って
天智天皇の子孫である光仁天皇が
皇位に就くことになったそう。
このころ
政治の実権を握っていたのは
藤原百川と藤原種継です。

律令制の再建を目指していましたが
光仁天皇が
かなり年をとっていたこともあり
治世が長く続きませんでした。

これが奈良時代の終わりです。

次代の桓武天皇をたてて
本格的な改革が始まります。
めちゃくちゃ簡単に
奈良時代をまとめると
藤原不比等→長屋王→
藤原四氏→橘諸兄→
藤原仲麻呂→道鏡→
藤原百川と
交互に藤原家と皇族が
政権交代を
くり返していた時代。
日本に
初めて征夷大将軍が現れたのは
奈良時代です。

多治比縣守(たじひのあがたもり)が
歴史上初の征夷大将軍。
滋賀県の多賀大社とも
深い関わりがあるにも関わらず
なんとも影が薄ーーーい人物。

その後、
大伴弟麻呂も征夷大将軍になりますが
奈良時代は
あまり光るような資料がないのが
残念…。

もしかしたら
すごい人物たちだったかも
知れないのに〜。

平安時代末期に
武門の勢力が増長したことにより
征夷大将軍の職がキラキラ輝き
武家政権が成立したことで
天皇の軍事代行としての役割だけでなく
政権の代行も担っていくように。

その時に現れたのが
のちの将軍たちを虜にした
坂上田村麻呂ってワケ!!

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