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文芸冬夏コミュの読み切り『緑の夢・前編』著:幽一

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■■■前編■■■


 そこは数十年くらい前まではそこには緑が広がっていたという。農業という生産活動がまだ人間の手で直接行われていた時代には田園と呼ばれた四角い区切りがあったそうだ。
 どこまでも平らに舗装された白い道路を歩きながら,かつて田園が広がっていたと思われる場所に視線を向ける。やはりそこも白く塗り固められていた。そういう規定になっている。だからここではどこまでも白く,平らな景色が延々と続いていた。
 日差しがとても強いので歩いていくことは認められなかった。それもそういう規定の一つだった。どれも破ることは許されていない。地面の上を走るパイプの中には生活に必要な水が流れている。もちろんこれに水源の分からないような水は使われていない。どこまでも管理されている完璧な整備だった。暗いパイプの中を流れる水を想像して,時々,水流のはいずり回るような低い音が耳に聞こえてくるように思えた。太陽の光を反射して地平線の先まで白く光っていた。
 一時間ほど進んで唐突に平らな景色に緑色の突起が姿を現した。四方三百メートルくらいに高さが十メートルくらいありそうな木々が青々と生い茂っていた。針葉樹が天に向かって鋭い頭を伸ばしている。その半分くらいの広葉樹が周りを覆っている。
 ここが目的の場所だった。
 地面にパイプが走っているだけで,後は何もない白い大地が延々と続いている中でそこだけは空間が違うような印象を受けた。そこだけは風の流れが分かる気がした。木々が風に揺られているのだ。今の時代にはすでに存在していないはずのものがそこにはたしかに存在した。
 私はそこで降りた。そうしてしばらくの間,緑色のその場所をじっと見上げた。
 たしか,これを森というのだったかしら…
 組み込まれた記憶の中からその情報と言葉を引き出す。今の時代では天然の森は存在しないということになっているはずだった。
 森に入ると,地面の白い地面は消えた。代わりに茶色い,柔らかい地面に変わった。たしかこれは腐葉土という。落ちた葉っぱが腐って降り積もったものだ。知識としては知っていたが,見たのは初めてだった。屈んで少しばかり手に握って見る。手の中でそれはざらざらとしてひんやりとした感触だった。手の中で腐葉土は崩れた。とても脆いものだった。
 森の中では太陽の日差しはそれほど強くなかった。涼しい風がどことなく吹いてきた。
 森の中を進んだ。
 しばらくしてすこし開けた場所に出た。庭だった。そしてその奥には家があった。小さな家だった。家の裏手はすっかりと林に埋まって木々と同化しつつあった。古い日本家屋だ。だがそれは今にも壊れそうな,年季の入った建物だった。瓦には緑色の苔がうっすらと生えて,柱には植物の蔓が巻き付いている。家全体がうっすらと緑色を帯びていた。
 小さな庭には,小さな池があった。水面にはやはり植物が浮かんでいた。魚がいる気配はなかった。わずかに水面近くを図鑑で見たことのあるような羽虫を見かけた。名前は記憶されていなかった。
 庭の端に,森から離れて木が立っていた。広葉樹だった。傘を広げるかのようにして枝を伸ばして葉を茂らせている。その下には影が出来ている。森の中ではそこだけ,日差しが外の日差しに近かった。庭に日の光がとどくようにと,木々が自ら大きな穴を作っているようだ,と感じた。
 その木陰のしたには白い椅子が置いてあった。椅子の上には老人が居た。後に束ねた長い髪は白く,服を通して見ても彼の手足は細く見えた。丸い眼鏡をかけていて,意外と皺が少ない顔はどうやらうたた寝をしているらしかった。口元の武将髭は,まだ黒々としていた。
 彼が,私の雇い主だ。
 彼に近づくと,どうやら気配を感じたのか老人は首だけ上げて私を見てきた。
「だれだね,君は?」
 老人はそのように私に聞いてきた。
「今日から,あなた様に仕えるために来たものです」


□□□ □□□


 老人は目の前に現れた女性に最初は驚いた。そしてすぐに納得した。だが,すぐには思いつく言葉が見つからず,ふうっ,とどういった意味合いが含まれているか自分でも分からないような吐息を漏らした。
「どうかなされましたか?」
 目の前の女性…いや,見た目は女性,もしくは少女といっていいくらいの年頃だ。肩をすこし超えるくらいの長さの黒いしなやかな髪に,太陽を知らないような白い肌。
「いや,そうか。そう言えば,もう届く頃だと聞いた気がした」
 まさかここまで精巧な物だとは,老人はそちらの意味でも驚いていた。
「動くのかね?」
「はい」
 少女は庭の中程まで歩いて行き,そしてまた戻ってきた。そして今度は,老人の側に置いてある丸い机の上の本を手にとって何ページか捲って見せた。
「納得,いただけたでしょうか?」
 老人は無言で頷いた。
「まるで人間みたいだ」
 そう言って,老人は彼女に側に来るようにと言った。少女が彼の側に行くと,彼は眼鏡を直して彼女の細い首筋から,細い手首や指先までを観察するかのように眺めた。
「つなぎ目もないのかね。ふん,たしかに気味が悪いくらいに精巧だね」
 老人は彼女の手を取って,もう片方の手で彼女の手の甲をさする。
「ゴムか?何を使っているのだろうな,触った感触も人間のようだ」
 彼女は無表情で,なにも答えなかった。
「この体温も,人工的なものか,ふん」
 老人は彼女を手を放して,再び長椅子に身を沈めた。目を瞑って,疲れたようなため息をしてしばらく何も喋らなかった。少女も何も喋らなかった。
 寝てしまったのだろうかと,少女はすこし不安そうな顔になった。老人は眼を開け,彼女を一瞥すると再び身体を持ち上げた。
「なるほど,もうそんな時代になったのか」
「そうです」
「ふん」老人はつまらなそうに視線を家の方へと移した。少女も同じ方向に視線を持って行く。
「あれが僕の家だ」
 老人はそう言って,今度は池の方へと顔を動かした。
「あれが池だ」
 そうして正面に向き直り,その先の庭を見た。
「あれが僕の庭だ」
「分かりました。正確に認識しました。掃除も,手入れもすべてお任せください」
 そう答えると,老人はさらにつまらなそうに鼻を鳴らし,それからすこし苦笑を顔に浮かべた。
「今言ったものを君は触らなくていい」
「なぜですか?」
「口答えするのかね?君は」
「申し訳ありません」
 彼女は頭を下げた。老人は不機嫌そうに眼鏡を外した。
「しかし,触らなくては仕事は出来ません」
「しかし触らなくていい」
「なぜですか?」
 老人は眼鏡を拭きながら,眼を細めて彼女を見上げて吐き捨てるように言った。
「おまえに触られたくないからだ」
「……………」
 そこで彼女は何も言えなくなった。動揺していたが,面にはそれが現れなかった。そのように定められているからだ。あくまでも彼には無表情に見えたのだろう。老人はとても不快そうに腰を上げて,椅子を畳んだ。
「私がやります」
「結構だ」
 老人は彼女の手を振り払ってしばらく考えるように動きを止めた。
「…なら,君の仕事は,僕の身の身の回りの世話だ。ただそれだけだ」
 そう言って老人は椅子を抱えたままよろよろと家へと戻っていった。


■■■ ■■■


 老人はまず私を家の中の部屋に連れて行った。
 小さな家だが,中は思ったよりは広い。外から見ただけでは分からなかったが,奥行きはかなりあるようだ。埃の積もった廊下を歩きながら,老人が急に立ち止まったので,私も止まった。
「おまえは,一階を掃除してくれればいい」
 そう言って,彼は変色して薄汚れた段ボール箱の山を指さした。それから,長い間手のつけられていないちらかった部屋を示した。
「わかりました」
 次に彼は台所に向かった。
「ここで食事をつくってくれ,分かるな」
「はい」と答えたものの,そこである一つの問題が生じた。
「あの一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
 私は台所の設備をちらりと見て,どうした,と怪訝そうな表情を浮かべる老人と向かい合った。「料理は出来ますが,私にはこの設備の使い方がわかりません」
「なんだと?」
 老人は眉間に皺をよせて,呆れたような声音を漏らした。
「おまえは,コンロの使い方もしならいのか?ちゃんと情報を入れているのではないのか?」
「調理器具の使い方や調理法の情報は入っていますが,この調理器具は古すぎます。私は始めて見ました。なので使い方が分かりません」
 実際に,今の時代にこのような設備が残っているとは予想外のことだった。コンロ。その言葉は,とても昔な響きを連想させる。
「一度しか言わんぞ」
 老人は不機嫌そうに,コンロの使い方を教えてくれた。つまみを捻るだけで,ガスに火がつく,とは何とも単純な型式で出来ているのだと思った。ただそれを言うと,この老人はさらに不機嫌になるのだろうと予測が出来たので,黙っておいた。
 家の事を一通り私に教えると,老人は疲れたようなため息を漏らした。
「では私は家の掃除と,あなた様の食事と身の回りの世話をすればよいのですね」
 そうだ,と彼は興味がなさそうに頷いた。
「あの,まだ二階の部屋について教えてもらっていません」
 二階はたしか彼の部屋のはずだ。しかし老人はそれを言った途端,もの凄い不機嫌な顔になった。
「僕の部屋には来なくていい!」
 彼はそう怒鳴ると,どすどすと階段を上って部屋に戻ってしまった。彼がなぜ怒ったのか理解できない私はしばらく呆然としていた。
 やがて,彼のために夕食の支度をしなければならないと思い,台所に行き,コンロのつまみを捻った。


□□□ □□□


 食事を作っている時に,彼は再び下に降りてきた。手には古びた表紙の本が何冊か抱えられていた。老人は少女が料理を作っている後ろ姿を一瞥すると庭へと向かった。
 柔らかい日差しが緑色の庭に降り注いでいた。花はほとんど見かけることはない。ここは年中,夏なのか秋なのかよくよく分からない気候なのだ。小さな草むらがそこに出来ていて,そこは老人の膝くらいまでの高さの草が高さを揃えて生えていた。遠目にみたら小さな緑色の絨毯のようにも見える。
 丸机の上に持ってきた本を置いて,目を閉じる。風が木々や草むらを揺ららして擦れる音が聞こえてくる。鳥の鳴き声は聞こえない。かわりに,時々小さな羽虫が飛び立つ音が耳に届く。その静かな音楽にも似た音を聞きながら,老人は泣いていた。ほんのわずかに,目の縁に溜まった水滴が頬を伝っていた。
「泣かれておられるのですか?」
 ふと横から少女の声が聞こえたので,老人は涙を引っ込める。視線をそちらの方向に向けると,食事の載ったお盆を持った少女の姿があった。
「食事の用意が出来ました。こちらに持ってくるようにと言われたので…」
「そうか」
 老人は少女からお盆を受け取り,そこで食事を始めた。少女は彼の側に立ってじっと庭を眺めていた。
「ふん,まあいいだろう」
 そう言ってまだ半分以上残っているお盆を丸机の空いたスペースに置いた。それから本を手にとって開いて読み始めた。少女はお盆を片づけ始めた。
「先ほどはどうして泣いてらっしゃったのです?」
 お盆を持ち上げる時に少女は老人に聞いた。
「ああ泣いていた」
 老人はそう言うと,つまらなそうに鼻を鳴らした。
「どうしてですか?」
「おまえには,関係がない」
 彼女は頭を下げて,お盆を持って家の方へと歩いていった。しばらく,中で食器を洗う音がかちゃかちゃと聞こえてきた。老人はずっと黙読を続けていた。
 やがて家の中を掃除しているらしい物音が耳に届いた。そこで老人は本を閉じて,立ち上がって庭へと向かった。ちょうど,絨毯のような草むらの近くだった。そこには小さな,畑があった。彼はそこで,畑の手入れをし始めた。
「私も手伝います」
 ふり返ると,エプロンを巻いた少女がどこから持ち出したのか手持ちスコップを手に後に立っていた。
「余計なことはしなくていい」
 老人は不機嫌そうな顔で言う。
「しかし,仕事です」
「だったら掃除でもしていろ」
「わかりました…しかし掃除はもう,終わりました」
 少女はそう言うと,彼の横で屈むとしばらく小さな畑を眺めた。そこには,野菜がすこし植えられていた。
「これは,どうすればいいんですか?」
 そう言って彼女は大根の芽を引っこ抜いてしまった。
 老人は,口をなわなわとさせて何か言おうとしていたが,結局何も言わずに諦めたような嘆息をした。
「おまえはなにもしなくていい」
「しかし…」それでもなお,余計な事をしそうな少女に老人は「だったら,そこで何もせずに見ていろ」と言った。
 これ以上荒らされてはたまらなかった。


■■■ ■■■


 老人がこの畑を手入れするのは,どうやら日課のようだった。私は最初手伝おうとしたが,やり方が分からず失態を犯してしまった。どうやらあの植物は抜いてはいけなかったようだ。彼はその後も不機嫌そうに黙り込むと,黙々と作業を続けていた。私はそれをずっと眺めていた。
「日よけ,持ってきます」
 日差しがすこし強くなってきたので日よけ様の大きな傘を部屋の中に積まれている段ボールの中から取りだした。それを持って庭に出ると老人の姿は無かった。
 辺りを見回して老人の姿を探す。
 一体どこにいったのだろう。私は再び不安になった。
 その時,草木を踏みしめる音が聞こえた。そちらの方を見ると林の隙間から老人が出てきた。
「どこに行っていたんですか?」
 私は彼に近づいて聞いた。
「君には関係ない」
 そう言って彼は木陰の元へ行き,長椅子に腰を下ろした。私も後を追って彼の側に立っていた。彼はしばらく本を読んでいたが,すぐに本を置いて私の方へと視線を向けてきた。
「…拍子抜けだ」
 彼は独り言を呟くようにそう言った。
「手塚治虫もさぞかし驚くだろう」
 手塚治虫とは誰のことだろう。私はその人物を知らなかった。
「君は,飛んだりできるのか?身体のどこかに武器でも仕込んでいるのか?それとも十万馬力かね?」
「……よく分かりませんが,私は空を飛んだりは出来ません。武器も携帯していません。馬力も普通の人間と同じくらいです」
「僕は未来からタイムマシンに乗ってやってくる猫型だと思ってた…」
 また彼は意味の分からないことを言う。私は困惑した。
「タイムマシンなどは開発はされていません」
「ふん」
 彼はそれから,すこし考えた後,手にした本を私につきだした。私は本を受け取って,どうすればいいのか少し迷った。片づけろと言うのだろうか。しかし私は本がどこから持ってこられたのか知らなかった。
「読んでみろ」
 そう言うと彼は他の本も手渡した。
「読めるのだろう」
「読めます」
 私は立ったまま,本を少し捲った。それは短編集だった。四つくらいの短編が収録されていた。最初の話をすこし読んでから,彼に本をどのようにすれば良いのか聞いた。
「もう,読んだのか」
「いえ,最初の話だけです」
 全部読め,と彼は言った。
「そこに座って,読んでみろ」
 彼の椅子の横に腰を下ろして,私はしばらくその本を読んだ。どの話しも幻想的で,結末が意外なものや切ないものや,時にはホラーな話しもあった。全部で三冊あったが, 文体が読みやすくすらすらと読めた。三冊ほど読み終わった時には,日が傾き,池の水面は茜色に染まっていた。
「読みました」
 私は彼に本を返した。
「とても面白い話でした」
「ふん」
 目を瞑っている。寝ているのではないかと思っていたが実は起きていたようだ。眼鏡のレンズが反射して彼の瞳は見えなかった。彼はゆっくりと身体お起こして私と向かい合う。
「嘘はつかんでもいい」
 彼はそう言って本を受け取った。
「おまえらに人間が書いた本の素晴らしさが分かるものか」
「わかります」
「分かるはずがない」
 彼は後に束ねていた髪を括り直しながら,ゆっくりと立ち上がった。私もそれに合わせて立ち上がる。暗い木々の奥からひんやりとした風が吹いてきた。彼は夕日の反射で光る池を背に,ぼんやりとそこに佇んだ。
「おまえなんかに分かるものか。機械なんぞに僕の書いた本の何が分かるっていうんだ」
 あの本の著者はこの老人だったのか。表紙が古すぎて読めなくなっていたので全然気がつかなかった。
「機械でも…わかるんです」
「馬鹿馬鹿しい」
 彼は吐き捨てるように呟くと,今度は口元に嘲笑うかのような笑みを浮かべた。
「もういい。おまえは帰れ」
「いいえ,私はあなたに仕えるためにここに来ました」
 そう言うと,彼は急に冷たい表情になり手にしていた本を地面へと叩き付けた。私はすぐに本を拾って土埃をはらって彼に手渡した。そうすると彼は再びそれを地面に投げる。今度はページがはずれて,本はバラバラになった。私はバラバラになった本を拾い集めた。
「だれが…おまえなどに仕えてほしいものか」
 それを聞いていて悲しくなった。
「それでも…私はあなたに仕えるようにと言われています」
「それだ。なら,おまえはなんで僕に仕えなければならないか知っているのか?」
「そういうふうに設定されているからです」
「違う。僕がおまえのような玩具を求めた理由だ」
 そう言った一瞬,彼の姿がぼんやりと薄くなった。しかしすぐにそれは気のせいだったということに気がついた。彼はいつの間にか池のほとりに移動していた。瞬く間のことで反応が遅れた。私はすぐに彼の後に駆け寄った。
「どうして,泣かれているのですか」
 彼は泣いてはいなかった。しかし,夕日を浴びて幻のように浮かび上がる彼の姿はとても悲しみに満ちているようだ。だから泣いているように見えた。
 彼は長椅子を折りたたみ,一人で家に戻っていった。


□後編に続く□

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