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愛(ai)コミュの連載小説: 哀愁のアクエレッロ 第7章

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連載の間隔がだいぶ開いてしまいましたね、すみません。
ここまで読んでくださっている方、ありがとうございます。
初めてこのトピをご覧になった方は、
お時間のあるときに第1章に戻って、
ササッと6章まで読んでみてくださいね。
そんなに長くないのでサラッとここまで辿り着けると思います。
私がフィレンツェで撮影した写真も毎回掲載しているので、
そちらもぜひお楽しみに♪

では、どうぞ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

七章  独り占め


 ジョットーの鐘楼を過ぎ、アルノ川を越え、ユースに辿り着いたときにはとうに夜中の一時をまわっていた。そしてドアの前まで来て愕然とした。アーチ型をした木製の扉がぴっちりと閉められていたからだ。扉を叩いてみても、空しい音が人影のない路地に響き渡るだけである。よく見ると扉の横に、

 門限は十二時です

 と書かれた貼り紙がしてあるのだった。こんなにも充実した一日でさえ、すんなりハッピーエンドとはいかないようだ。それもまた旅の面白さの一つでもあるのだが。
 仕方がないので僕は暗いフィレンツェの夜道をひとり、とぼとぼと歩き出した。野宿する場所を探すためである。もちろん別のホテルを探すという手もあるが、極貧をある種の美徳にまで高めてしまっているバックパッカーにとっては、すでに払ってあるユースホステル一泊分に、その何倍もするホテル代を重ねて払うことなど選択肢のうちに入らなかったのである。
 僕はできるだけ街の中心部から離れようと、アルノ川とは反対の方向に歩き続けた。狭い路地の間を風がときたま勢いよく通り抜けていく。思いのほか寒さが身に染みる。少し歩くと、市内と市外の境目を示すであろう門をくぐったが、その先の小さな区画に、ある彫刻が置かれているのを発見した。道の分かれ目にあたる部分が芝生の三角州のようになっており、その中心に高さ二メートルぐらいの彫刻がそびえているのだ。辺りに怪しい人影がないことを確認すると、芝生に寝そべって眠る覚悟を決め、リュックサックを枕に横になった。
 夜空には星が瞬いている。しかし、その星の輝きに心をなびかせ、しみじみと観察する余裕が、そのときの僕にはなかった。寒いだけでなく、襲われる危険をどうしても意識してしまうのだった。芝生に寝そべった僕の頭の中をかけめぐっていたのは、「イタリアで十万円もすられちゃったのよ・・・。」と半べそをかきながら旅先から帰国してきた姉の言葉や、「イタリアでは腕を切り落としてでも高級腕時計を奪い取ろうとする泥棒がいるらしい」という旅人たちの噂話なのであった。生来少なからず神経質にできている僕は、そうした不安や怖れを蹴散らして、大胆にスヤスヤと熟睡できるほど逞しい男ではなかった。ただ、そんな自分の情けなさを痛切に感じ、必死にもがき続けることで少しでも頼れる自分に育てあげたい、そう思って生きているのである。
 寒さや恐怖の他にも眠りを妨げている要素はあったように思う。そのとき手にしていたのは、カメラや現金といったいわゆる貴重品の他に、思い出の詰まったスケッチブックや、フランチェスコにもらった大切なワインのボトルである。何を奪われても、これらの品だけはなんとしてでも奪われたくないという気持ちもはたらき、その決意と緊張感が交感神経を不必要に刺激していたのも事実であろう。
 芝生に寝そべっていたのはどれくらいの時間だろうか。まだ辺りは真っ暗だったからおそらく夜中の三時ぐらいまでそこで横になっていただろう。寒さと恐怖と緊張感とで、そこで眠ることなどできやしないと判断した僕は、また市内へと抜ける門をくぐって路地を歩きだした。少しゆくと、小さなホテルらしき施設の扉が開いているのを発見した。受付には幸い誰も見当たらない。さすがに堂々と中に入ることはできなかったが、扉の裏に隠れるようにして座り込めば、誰にもみつからずに眠ることができるのではないかと思った。
 そっと扉の影に隠れ、リュックサックを抱えながら壁に寄り掛かると、予想以上に心地がよく、ひと眠りすることができそうだった。ここなら襲われる心配もないし、扉のおかげで寒さもある程度防げる。やっと落ち着いた体勢を整えることができた俺は、その長い一日の出来事を頭の中で整理しようとするうちに瞼が重くなり、いつのまにか眠りに落ちていった。
 目が覚めたのは、扉の下から吹きこんでくる隙間風のせいだった。かすかに光が差し込んでいたから、朝の五時ぐらいであったろう。まだまどろみを払いのけられないまま、眠い目をこすりながら外に出てみた。路地に人の気配はない。東の空に悠々と昇りつつある太陽のおかげで寒さも幾分やわらぎ、新しい一日の生まれたての空気が、街全体を包んでいるようであった。僕は突然、夜明けのフィレンツェを見るのも一興だと思いつき、街の中をぷらぷらと歩いてみることにした。
 まず、アルノ川の方へ向かってみる。川辺に着くと、そこに実在していたのはにわかには信じがたいほど洗練された風景であった。朝の時の流れと同じペースでゆったりと流れるアルノ川。その川面には夜明けの陽光がやわらかく降り注ぎ、時折小さな光の粒を煌めかせながら、無限の色と模様を溶け合わせて変化していく。ポンテ・ヴェッキオも朝の光に照らされて、夕暮れ時とはまた違った優しさで銀色に輝き、アルノの流れを静かに見守っている。対岸には、慎ましやかな家並みを見下ろすように、中世フィレンツェの栄華を髣髴とさせる甘美かつ壮麗な建築物が頭を出し、それらが淡いオレンジ色を風景に加えている。音は少なく、ただ川の上空で戯れる小鳥たちの羽音とアルノ川のせせらぎだけが、ときおり鼓膜に注ぎ込まれてくるのみ。僕は乾いた頬をなめるようになでていく風に吹かれながら、しばらく呆然とその美しすぎる風景に眺め入っていた。
 橋を渡り、ウフィッツィ美術館などのある対岸に着くと、今度は朝焼けに抱かれた絢爛たる建築物を間近に見物する番であった。フィレンツェの街を独占した気分になって、いつになくゆっくりとしたペースで街の中を歩いていく。石畳の地面をコツコツと打ちつける足音が、静まりかえった路地に響き渡るのを耳にするのもまた新鮮な快感である。そうして僕の体が突き破っていく景色は、フィレンツェという生きた都市が、日中はまったく見せない素顔を密かに浮き立たせてくれているようでもあった。すべてが近く、すべてが生に感じられるのである。貴重すぎる拾い物をしたようなほくほくした心持ちになり、貸切の博物館と化した街を、いつまでもいつまでも歩き続けたような気がする。


(つづく)

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