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アンチVS創価コミュのソーカが触りたくない人

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ソーカが触りたくない人、と、ソーカに誘われやすい人、ってのがいるみたいですね。同じところにいても、蚊に刺されやすい人と、そうでない人がいるみたいに。

私は、いまやソーカの人は地域の人からなにから、まるで触りに来ないですね。それはそれは平穏無事な日々を過ごさせていただいており、心安らかにしておりますが、ときどきは物足りなくなって、こちらから攻撃かけに行ったりしているわけですが(笑)。

ということで、ソーカの側から見た「誘いやすい人」と「そうでない人」ってのは、やっぱりあるんでしょうね。それをお聞きしたいですね。

コメント(76)

>35

futaroさん、もともと私は大学で心理学を学んだ人間なのですよ。
専門家ではありませんが…。教育関係、教育心理学、発達心理学です。


モラハラをモラハラと気付かずに、ただただ「自分が悪いのだろうか」と
自分を責め続け、苦しんでいる人がたくさんいます。
あるいは、そこから抜け出すために、自分が攻撃する側に転じてしまう
人もいます。ある意味自己防衛ですね。

モラルハラスメントは「サイレント・バイオレンス」と言ってよい
目には見えにくい暴力です。
直接的な暴力や、セクハラでさえ、立証が難しいのに、モラハラは
さらに
難しく、ほとんど立証することは不可能と言ってもよいくらいです。
多くは「あなたの気にし過ぎ」で終わってしまいます。
「これくらいのやりとりはふつう」「よくあること」そう片付けて
しまわれるから。

冗談でひどいことを言って傷つけておきながら、「冗談だよ、冗談も
通じないの?」とさらにバカにしたり、まるで被害者自信に問題があるかの
ように追いつめる。

そういう行為を繰り返し、執拗に行うのがモラハラなんですね。

ちなみにモラハラの加害者を「自己愛的な変質者」と紹介している
精神科医はアメリカではなく、フランスの精神科医の先生です。

自己愛的な変質者は自分が他人より偉いと思って発言しますから
相手のことは激しく非難しますが、自分に対することはいかなる
批判や反論も許さないということになります。
自分の欠点を指摘されることは嫌い、そうならないように相手の欠点を
暴き立てます。

周りの人にもターゲットにされた人を、欠点だらけの人間であるかに
見えるように仕立て上げるんです。

掲示板でそういう変質的なやりとりが行われないよう管理人さんとして
頑張って下さい。
ゆっこたんさんのご専門は心理学ですね。であれば、doriさんという方が、どの程度の「強さ」をお持ちの方であるか、ここまでのやりとりをして十分におわかりになるはずです。ここをご覧になっている方の多くも、doriさんが「なんとかハラスメント」程度で引き下がるような、ヤワな感性をお持ちではない、ということくらい、十分にわかるはずです。

また、ゆっこたんさんは、「性格異常」等の「心理学」ではなく、本来の病気をあらわす「精神医学」の用語と、「心理学」の用語をごっちゃにして使って、それらがみな同じものであるかの(もちろん、関係はありますが)ように書いている。ことばの持つ「印象」を利用して、自分の主張を誘導する、というのは、学問をしてきた人間としては感心できない、と私は思います。

このやりかたは、かつて、イケダ氏とソーカのことを、日本の右翼が叩いていた時代に、山本七平、イザヤ・ペンダサンといった人たちがソーカたたきのために、文芸春秋などの媒体で使っていたレトリックと、それは非常に似ています。その時代はおそらくご存知ではないでしょうが。

現代で言えば、最近ネットでよく流れている「ソーカのマスゲームは北朝鮮のマスゲームに似ている」だから「ソーカは北朝鮮と同類のとんでもないやつだ」「だからイケダと金正日は同じである」という言い方です。よく見られるとわかりますが、このコミュではそういう言い方で「印象付ける」という表現をする人はいないではありませんが、いてもここに長くはいられません。そういうように話を持っていっているからです。

当然のことながら、私もそういうレトリックは一切使わない、ということを自分の発言では気をつけています。

doriさんを相手に私が言っていることは、ソーカの人も必ずなにか言うときはその理由をちゃんと言っているし、みんな他の立場の人も納得できるように、書くべきことを書いていて、決して説明をすることから逃げていない。ゆっこたんさんも、そうですね。長い文章で自分の言いたいことをちゃんと説明している。それが完全にできなくても、できるだけ正確な表現で、相手に言いたいことが伝わるよう、努力をしている。

しかし、doriさんだけは、「それはだめだ」と言って、あとは「言ってもわからないから言わない」で逃げます。これは、この場では「反則」であるということです。説明できないことや説明したくないことは、言わないか、「反論が不十分になるかも知れないが」と断ったうえ、説明を自分の力の範囲で、ちゃんと言うべきでしょう。

ここでは「バイオレンス」が「サイレント」にならないようにするために、必ず「言うこと」が原則です。だからこそ、ソーカの人もそうでない人も、ある意味の納得の土壌ができている。

それから、私はdoriさんに対して彼の人格を攻撃したことはないです。大変に口調が強いので、そのように思われるかも知れませんが、doriさんはルールに従っていない、従ってくれ、ということだけを繰り返しています。彼の人格をぼくは非難できるほど深く知っているわけではないし、たとえ知っていたとしても、この場はそれをするところではありません。
>>36 ゆっこたん
>冗談が全部ダメだ、とまでは申しませんが、こういう宗教系はどこでも
>荒れがちですし、節度を持ってやりとりしたいものですね。


そうですね。
時々悪ふざけをしてしまうところがあるので、気をつけたいと思います。


ただ、
>私が今回、例えにだしたのは、何を言ってもその内容がねじ曲げられて
>解釈されたり、悪意のある個人攻撃に転じたりすることがないように
>してもらいたいと思ってのことです。

上記のようなことは*あまり*なかったと思いますし、モラルハラスメントとは、回避困難な状況で繰り返し行われる事が問題なのだと思うのですが。
>38

専門は教育です。まあ、以前にfutaroさんは私の子育てのことに
ついてなんだか何かご意見をおっしゃってましたが…。
教育についてはそれなりに学んでます。ご心配ありがとう。

doriさんがヤワな感性をお持ちでないから何を言ってもよい、という
ことにはなりませんからね、念のため。
もちろん、doriさんが精神的ダメージを受けてるとは私は思って
いません。
ただ、「あ〜レスするのは面倒だな」とは思ってるかもですが。

前にてこねさんかな?どなたかが「書き込み義務でもあるのか?」
という意味のことを書いてらっしゃったのですが、doriさんにも
書き込み義務はないと思いますよ。
つまり、説明の義務もないと思います。

まじめにここに参加されてる方もいれば、もしかしたらヒマつぶしで
来てるだけの人もいるかもしれないではないですか。
「説明すべき」「責任を負うべき」というようなことを言い出す人も
いますが、それは必要ないと思います。


>当然のことながら、私もそういうレトリックは一切使わない、ということを自分の発言では気をつけています。
>私はdoriさんに対して彼の人格を攻撃したことはないです。

とのことですが…過去の書き込みを見ますとですね…。

>doriさんの書き込みは、困ったことに、いつもこんなふうに「中途半端」
>意味不明の「言いっぱなし」は、場を乱すだけ
>doriさんの書き込みは「ひとりよがり」「独善」ということを絵に描いたような書き込
>doriさんの悪い癖は、自分の考えていることを否定するような人に対しての誠実さがない

こういうことが書かれていると、私の印象としては、doriさんという人は
困った中途半端な人で、意味不明で場を乱す人。
ひとりよがりで独善的で、自分の考えを否定する人に対しての誠実さが
無い、悪い癖を持った人。
というふうに言ってるように見えるのですが。

個人攻撃というか人格攻撃というのは何も「おまえは○○だ!」とか
いう言い方だけではないと思うので。

私に関しても
>学問をしてきた人間としては感心できない、と私は思います。

つまり、私という人間は「感心できない人間」と言ってるように見えるん
ですね。

別にモラルハラスメントやセクシャルハラスメントに関して専門家で
なければ話ができないとは思いませんので、自分自身で感心できない
人間とは思ってません。現実に多くの人がモラハラの被害に気付いて
行動を起こしてます。
多くは専門家以外の人の間でモラハラは起こっているものですしね。

とにかく、doriさんに説明してほしいならば上のような書き方をせずに、
もっとふつうに「doriさんの考えが聞きたいので説明してくれませんか?」
とか、「わかりずらいので、もう少し丁寧に説明してください」と、
言えばいいのでは?という気がしますね。

書き込み義務がないので、doriさんがお返事くれるのかどうなのかは
わかりませんが。

doriさんの書き込みが何かfutaroさんの気にさわるような書き方なのかも
しれませんが、冷静に話せるなら、攻撃的な表現を避けて、よけいに
ふつうに書けばいいと思いますよ。
>39てこねずしさん

てこねさんの悪ふざけは誰か個人を傷つけるものでもないし、
「ちょっっ…そんなこと言って大丈夫なの?」とハラハラすることは
あっても私は個人的に許せる範囲です(笑)
アンチの人にはウケもいいみたいですし、わかりやすいらしいですしね。


>上記のようなことは*あまり*なかったと思いますし、モラルハラスメントとは、回避困難な状況で繰り返し行われる事が問題なのだと思うのですが。

あまりなかった…でしょうかね??(笑)
まあ、攻撃されたことがある本人以外にはわかりにくいものなんですよ、
モラハラはw

私も職場でモラハラの現場に遭遇したことがありましたけど、
加害者が「自分こそ被害者です」と被害者面をするので、上司として
どう話をつけていいかわからず、本当の被害者の人には気の毒なことを
しました。
あのときにもっと今のようなモラハラの知識があればねぇ…。

掲示板ではもちろんすぐに回避できますともw
コミュやmixiから退会してもいいし、パソコンの電源をOFFにして
しまえばもう関係ありませんからね。

逃げられないことが問題なのではなく、そういうことを誰かがしてしまう
ことが問題なのだと思います。

モラハラは誰でもやってしまう可能性があります。ただ、ふつうの
人間(自分の人格の中に良心というものができあがっている人間)
は、あとから「あんなことをしなければ良かった」「悪いことを
してしまった」と反省できるものですし、それを繰り返さないように
しようという気持ちになるものだと思います。

池田先生も「良い事は自分の手柄にし、悪い事は他人のせいにしようと
する醜い面も誰もが持っている。その醜い部分に打ち勝つことが、
最大の勇気と言える」と言っていますね。

自分の中にいかに良心を築いていくか…その究極の方法が仏法なのかも
しれないと思います。

私はまだまだ修行が足りませんが…せめて並の人格者になりたいです
ね、死ぬまでに(笑)
doriさんに関してはですね。


正直、futaroさんはdoriさんに何でこんなに絡むんだろう、と思っています。


僕だったら、レスも何も返さず、全スルーしますけどね、絡むだけ時間の無駄。
最初のうち絡んだのは、一応、創価の同志だったし、初期に仏法に関して面白い視点を披露していたので、得る物があるかもしれないと思っていたからです。

もしアンチ側の人だったら、一絡みもしなかったかもしれないですね。

絡む価値があると思えば議論するし、その価値無と思えばスルーする、というのがネットの作法だと思っています。実際、このコミュで議論させていただいた方々からは、創価・アンチを問わず、色んな事を学びました。
それも、議論を通じて皆さんが考えている事をきちんと説明してくれているからなのです。そんな事をしても皆さんの得にはならないはずなのに。感情的に議論したりしたこともありましたしw、論戦に敗北して悔しかったこともありますがwww、その点には本当に感謝しています。


それを考えると、futaroさんは親切というかおせっかいというかww。doriさんから得るものがある、と考えてらっしゃるのかどうか知りませんが。
管理人さんは大変だな、と思います。
なんでもかんでもモラルハラスメントそのものがよくないこと、という価値観そのものが問題かも知れませんね。

実際の社会においては、この種の「ハラスメント=いやがらせ」は、実際にそうだ、とはっきり言えるものから、そうでないもの、そしてその中間的なものなど、様々な場合が存在しているはずです。ですから、「これはモラルハラスメントである」と、言ってしまうと、それが錦の御旗のようにはたらいて、ボーダーラインにあるような行動でさえ、問題にされかねない。

今回のゆっこたんさんの指摘は、そういう危険も多くはらんでいます。

問題は、「これはモラルハラスメントである」と誰が判断することになるのでしょうか?ということです。ゆっこたんさんではありませんよね。私でもないと思います。

つまり、こういう「モラルハラスメント」という言葉を持ち出すときは、それがなぜ「モラルハラスメントということばで表現されなければならないか?」ということを、みんなに認めてもらう必要があります。また、モラルハラスメントの定義をちゃんとしないと、それこそいい加減な話になります。

このあたりのことを学問として勉強しているゆっこたんさんには、この程度のことは自明と思いますが。

私の場合は引用されている部分でもわかりますが、強い口調ではあるけれども、事実を述べて、その事実にもとずいて、行動の是正を求めているだけです。これもモラルハラスメントだということばでくくるのであれば、その行為こそ「モラルハラスメント」ではないでしょうか?

となれば、モラルハラスメントということばは、実は学術用語としてはまぁ、ありかもしれないけれども、言論の泥仕合がごく普通である一般社会においては、おそらく、プロパガンダによる印象操作のためのキーワードとして、相手を攻撃するときに使われるものになっている、という面もあるのじゃないでしょうか?

昔「魔女狩り」ということばが言論界で流行りました。ゆっこたんのされていることは、ひょっとすると「モラルハラスメント」というどこかで聞いたような、権威のありそうに聞こえることばを使った「魔女狩り」ではないでしょうか?

と、いうように、こういうことばは使うのですがおわかりですか?(笑)。ここではゆっこたんさんのお使いになった「モラルハラスメント」ということばに、「魔女狩り」ということばを対置させてみただけなんですが。

つまり、感情的な印象操作をするために「キーワード」を使うのはもうやめましょうよ、ということです。

お互いが自分の言論に自分で責任を持つ、という当たり前の原則がある限り、ここで喋っていた人が黙る、ということは「負けた」であり、言い続けることは「たたかう」あるいは「理解してもらおうと努力する」ことです。それだけでいいのじゃないですか?

教育学とか心理学というのは、その詳細の分野では非常にあいまいなことがされていても平気なところがあって、今ひとつ信用できない研究結果を出されている「先生」もゴロゴロいるところですよね。だからこそ、こういう言葉の使い方にも慎重な態度が望まれますし、キーワードによる印象操作は、やはりレトリックだけの議論になってしまう。

私は実際に問題のある行動を取っている人のことをそのまま言っているだけですが、それまでも規制されてしまっては、極端な話、文句のひとつも言うことができない、という恐怖政治のようなことになる可能性もある。

(ほら、ここにも「恐怖政治」という、印象操作のためのキーワードを入れました。おわかりですか?こういうように使われるのです)

だから、実質的な話をちゃんとして、印象操作のやりとりにならないよう、私がここの管理人になってからは、どんな発言でも、一度も消していません。消さずに、その一部始終を、ちゃんと「解説」することにしています。これが私の「芸」の1つですけれどね。

また、ソーカでも、良心的な方、ちゃんと外部とまともにつきあえる方がいることは承知しています。逆に、一切の外部との話をこじらせてしまう人もいます。doriさんは、どちらかといえば、まだ外部の人間とつきあえる方なのだとは思いますが、ここでの、そのやり方がやはりまずいことに変わりはない、と、私は思います。

---

実際、doriさんに、ゆっこたんさんの言う「仏法で培われる良心」というものがあるのであれば、「言いっぱなしで逃げる」という行為も、きっと、良心から出ているものなのでしょうね、としか思うほかはありませんが(笑)。

doriさん、ゆっこたんさんのように、ソーカの人のほとんどが、きっと人格者には死ぬまでにはなりえない、修業中の人ばかりだと思うのですが、かといって、私もまた人格者であるとは全然思っていません。また、人格者のみが唯一この世の人間の理想像である、とも思っていません。

つまり、どいつもこいつも不完全なやつばかりで議論していてもしょうがない、と言えば言えるわけです。ですが、それを言ってしまうと、「じゃ、話すのはやめたら?」ということになりますから、この場自身が成り立たない。

結局のところ、「モラルハラスメント」「人格異常」などのレッテル張りのことばを多く使って「印象操作」をしようとするような言論は、やはり問題があると思うのですね。もっと、自分の気持ちに素直に、そして論理的に、説得力のある話を重ねていきたいのです。

そして、きっと求めても得られないだろうことはわかっているけれども、あらゆる虚飾を剥ぎ取った「本当のこと」を知りたいと思うのです。
>42

ふむふむ…。私もそう思いますよ。
doriさんは教学もあると思うし、面白い書き方するな〜と思うんです。
私には難しすぎる話もありますけど。

doriさんの個性でもあると思いますし…futaroさんには気に食わない
ところがあるのでしょうかね。

まあ、頭の良い人同士で仲良く議論されて下さいw

>43

お忙しいでしょうに、たくさんお返事下さってありがとうございます。

>なんでもかんでもモラルハラスメントそのものがよくないこと、という価値観そのものが問題かも知れませんね。


そうでしょうか?モラルハラスメントは暴力です。良くないに決まって
います。

モラハラを誰が判断するのか?と言われれば、被害者がそう感じたら
でしょうね。
セクハラも同じです。
セクハラの加害者は、「合意の上だった」とか、「嫌がってるふうには
見えなかった」などと言うそうですね。
しかし、被害者がセクハラを受けたと感じればそれはセクハラになると
思います。いい加減に見えるかもしれませんけれどね。
セクハラが立証されなかったら、受けた被害はセクハラとは言えない、と
いう考えには賛成しません。

モラハラは周りにはわかりにくく、立証されにくい暴力です。
加害者は周囲の人からは良い人間と思われていたりしますからね。
ですから、周囲の人全てに認めてもらう必要なないと思います。
唯一、会話の録音や、話のやりとりの記録を専門の精神科医に見せた
場合、専門医は判断し、認定できると思いますが、同じように証拠がなく
立証されなかったからといって、被害がなかったことにはならないと
思います。
まぁ、見えない暴力ですからね。

それから、モラルハラスメントの加害者は、しばしば、「自分こそが
モラハラの被害者である」というようなことを言い出します。
あまりそういう発言はしないほうが誤解されなくていいと思いますよ。

別にfutaroさんをモラハラの加害者と断定してるわけではありませんよ。
モラハラまがいのことは誰でもしてしまうものなんです、と書きました。
「相手のためを思って」厳しい口調で言ってあげることもあると思いますが
あまり度が過ぎると「変質者」に認定されちゃいますよ、という話です。
しつこかったり、同じことを繰り返したり、精神的苦痛を与えたりと
いうことですね。

この掲示板でモラハラが起こった場合、futaroさんは管理人として
排除しようと思うのか思わないのか。
それくらいは聞きたいですけどね。
> いい加減に見えるかもしれませんけれどね。

明らかにいい加減です。1つ1つの事例について、やはり専門の先生に問うことをしないと、被害妄想であった場合と区別がつきません。いや、ごく単純な場合は、素人でもつくことなんでしょうが、そういう場合ばかりとは限りません。

1.> 同じことを繰り返したり、
2.> 精神的苦痛を与えたり

「1.」は行為ですが、「2.」は行為の結果、被害者と称される人に生じる感情です。やはり並立して語るのは無理があると思います。学問として、こういうことを勉強されている方なのですから、不正確な表現でこれらの「印象への誘導」を行うのは、やはり問題があります。

前提としての「モラハラ」そのものの存在を言うのであれば、まず、その「モラハラ」について、きちんとした定義をお願いしたいです。その上で、「だからこれはモラハラである」という認定を、まぁ、ゆっこたんご自身の独断でも、この場合に限ってはかまいませんので、してください。

私は、「モラハラ」というレッテルを貼り、発言者の印象を悪いほうに誘導しよう、というそのやりかたや、行為そのものに疑問を感じている、という立場です。

ですから、まず、「モラハラ」ということば自身を排除します。ただ、排除する、というのは、メッセージを消す、ということではありません。これまでも書いてきた通り、一切のメッセージ削除を行っていません。そういうやり方はしません。すべてを白日の下にさらし、できるだけわかりやすい解説をし、ウソや隠し事、そしてできれば感情的なものをなくした、素直で論理的な言論で、ここを埋めたいと思っています。それが真実に至る道である、と私は信じるからです。

ですから「モラハラ」ということばで特定されるものが、本来の意味でのそれであるのか、はたまた、前に書いた通りに「ただの印象誘導」であるのかどうか、それを明らかにしたうえ、個々に対処するつもりです。

これがまともで厳正な対処だと、私は思っています。

---

ゆっこたんさんのメッセージを読むと、最初は「性格異常」などの精神病理関連のことばを使っている。次に、これはそこまでではないな、ということになるとこんどは「モラハラ」ということばを前面に持ち出し、今度は「性格異常」ということばは隠れる。

最後には「変質者」ということばを使って、やはり「問題」を煽る。いずれも、全く違う分野の、意味も違うことばです。いっしょくたにして、いったいなにをしようとしているのでしょうか?

つまり、どういうことばを使ってもいいから、なんとかして、この場での自分の主張をしたい、ということに読めます。

これが、ゆっこたんさんがやろうとしていることですね。

意識的か、無意識なのかはわかりませんが、レトリックとしては、まだまだ初級です。

---

ちょうど、いまテレビで国策として発表された「メタボリックシンドローム」ということばの問題について、似たようなことをやっています。面白いですよ。
>45

ふつうは「モラルハラスメント」の話を聞くと、「自分も誰かにモラハラ
まがいの行為をしていなかっただろうか?」と一瞬、自分の行動を
振り返ってみたり、「そういえば私もそういうことをされた覚えが…」と
思い当たったり、最終的には「モラハラは良くない。そういう行為を
排除するために協力しましょう」となるものなんですけどね。


モラハラの定義ですね。
まず、被害者の定義ですけど、精神科医によると、
・ひとり、あるいは複数の人間から、敵意のある態度を示され、比較的
長期にわたって人間性を踏みつけにされて、誇りを傷つけられていると感じた場合はモラルハラスメントである。

らしいです。

モラハラの加害者の定義については昨日の書き込みの中で書いたので
繰り返しません。

「性格異常者」「変質者」はいずれも精神科医、心理療法の専門の先生が
使っている言葉で、特別に私が使用している言葉ではありません。
モラハラ関連や、被害者の会話ではよく使用されます。

>「これはそこまでではないな、ととなると今度は」?
まるで関係ありません。

私は一般的な話として、モラハラのお話をしてきました。
ところが、futaroさんはそうではなく、私個人に対する感情でもって
お話されていますね。
そこが噛み合ないですね。

>「レトリックとしては、まだまだ初級です」

私は何かの検定試験でも受けたのでしょうか??
まったく興味深い書き込みです。参考にさせていただきます。

モラハラ、モラハラまがいを撲滅する意識がなければそれでもけっこう
です。
別に強制はしていません。
モラハラはわかりにくいかもしれないけれど、暴力なんですよ、と書きました。
暴力を排除しようとする意識のない人とお話しても仕方ありません。

私の中では、暴力を排除しようとしない=暴力を容認する人、という
図式ができあがってしまっているだけです。
ついでに、こういうのがありました。
どうぞ参考になさって下さい。

http://allabout.co.jp/health/stressmanage/closeup/CU20040415A/index3.htm
「モラルハラスメント」そのものを否定する話をしているのではない、ということがおわかりいただいていませんね。もうちょっと、私の書いていることをちゃんと読んでいただけないと、議論になりません。
追加いたしますと、「All about」に書いてある内容では、非常に興味深いものを感じました。つまり、「モラルハラスメント」のやり方として

・政治的な意見や趣味など、相手の考えを嘲弄し、確信を揺るがせる

という項目があるからです。今この名所というのは、まさにそれをお互いにしあうために、ここにいるようなものですよね。

「モラルハラスメント」という「否定的用語」を使う限りにおいては、

「政治的な意見や趣味など、相手の考えを翻弄し、確信をゆるがせる」

ことは「悪」である、という印象を受けることになります。

しかしながら、議論というのは、これを積極的にすることではなかったのでしょうか?であれば、それを「してはいけないこと」とすれば、当然のことながら「議論」はできませんよね。

つまり、ゆっこたんの言われていること(の一部と思いますが)は、

「ソーカの方々の確信を揺るがすような議論はしないでくれ」

ということと、ひょっとして同義なのかも知れません。つまり、

「議論の場で議論をするな」

と言っていることと同じです。これは、昨日、てこねずしさんが書いたように

> 戦場に来たら銃で撃たれた。暴力はいけない、と言っているようなもの

ということですよね。

---

モラルハラスメントというのは、本来、会社の中とか、家族とか、なにかの組織の中で、みんなが同じ方向を向いてなにかをしなければならない、という大前提になるものがあり、その上に立って、その組織なり人の集まりなりをスムーズに動かすにあたり、その障害となる問題行動の一部を抽出したものです。

しかしながら、ここは家族でもなければ、同じ考え方をしている人を集めたところでもない。

むしろ、違う考え方や違う前提に立った人を集めて、「戦場」にする場所です。ですから、この「戦場」にあっては、ゆっこたんがおそらく善意で「doriさんをなんとかしてあげたい」と思って「モラルハラスメント」「性格異常」「変質者」という負の意味を持つと思われる用語を使ってなにかを言おうとしている、という、その行為そのものが、「たたかいの一部」として、認識されます。

そういう意味ではゆっこたんはこの場所の議論において、私の敵です。

ですから、「doriさんの援軍」としてゆっこたんは出てきたのだな、という理解がされることになります。

論の戦いの場においては、当然ですが、「相手を不快な気分にさせる」こととか「モラルハラスメント」をすることとか、「モラルハラスメントということばを否定すること」もまた、議論であり、たたかいのうちです。

つまり、この場においては、「誰にも自明な権威」とか「誰もが認めるべき価値観」というのは、あまり言っても意味がありません。

つまり、この場で「モラルハラスメント」という単語を持ち出すことは、極端な例になりますが、てこねずしさんの言い方を借りれば、

戦場で人殺しをするな

と言っているのと同じです。

ましてや価値観の違う者どうしがここでやりあっているのですから「モラルハラスメント」のやりあいこそが、この場の議論そのものなのではないでしょうか?

暴力を使わずに議論する以上、こういった「モラルハラスメント」的な価値観のぶつかりによって出てくる状況は、この場に限っては、やはりあって然るべきものだと思います。
ということで、このトピックの最初に戻ります。

ゆっこたんさんとの議論で面白かったのは、そういえば、ソーカの人と直に会って話すとき、同じような議論があったなぁ、と思い出したことでした。

つまり、ソーカの人は自分の持つ価値観を、強引な勧誘などによって「押し付けてくる」のですが、そのときに「強引に(=確信を持って)」それを行うわけです。

自分と同じ前提を持て、と、脅迫(=モラル・ハラスメント)してくる。価値観が違うのだから、これもモラルハラスメントになりますよね。

でも、自分も含めた世界をながめる価値観と、それを客観的に意識している自分という存在の位置をわかっている人間にとっては、「それはできない」となる。

結果として、そういう人をたとえ無理やりソーカに入れても、内部でソーカらしくないことを始めるか、あるいは、簡単に休むことになる。極端な場合は、内部告発のタネを作ってしまう。

つまり、ソーカから見ても、決定的に違う価値観を持っている人間には、やはり触りにくい。そして、人間である以上、けっこう簡単にそのことは、肌でわかる。こういう人には勧誘はできないわけですね。やはり。
宗教に対する確信を揺るがす議論をするなということではありません。
被害者の考えや意見をあざ笑うこと、人間性を踏みつけにして誇りを
傷つけることを継続して行うことがモラハラでしょう。

宗教だろうが政治だろうが、あざ笑ったり人間性を踏み付けなければ
できないという議論はありません。
それらに配慮しながら議論することは十分可能だと考えます。

それにfutaroさんは確か、別の書き込みでここは「戦場」ではないと
書いていましたしね。

futaroさんが他の学会員さんとどういうやりとりをして、どんな強引な
勧誘を受けたのかはわかりませんが、モラハラには「他人の気持ちに
共感し、心を通いあわせようという気持ちがない」「他人をほめることや
尊敬することをしない、欠点をあげつらい、常に悪口を言う」という
特徴があります。

確認したわけではありませんが、そのような特徴があれば、モラハラ的な
勧誘ということになるかと思います。
そういう勧誘の仕方が行われている可能性について否定しません。
むしろ、そういったことは、学会としても学会員としても排除して
いくべきだと思います。

futaroさんは私を敵扱いしますが、私はfutaroさんもどなたも敵とは
思っていません。

宗教を持つ持たない、あるいは宗派に関わらず、相手の人格や人間性に
配慮し、議論することは十分可能で、そういったまともなやりとりが
行われることを希望します。
戦場ではない、というのはやはり撤回せざるを得ません。

ここは戦場です。ですが、暴力はなどは一切ありませんし、ぬけようと思えばいつでも抜けられる。そういう意味では本当の意味での戦場ではないでしょう。

戦場、といってわるければ、価値観のぶつかり合いの場であり、また融合の場であり、妥協の場であると思います。

であるから、まぁ、いろいろなことがありますね、というだけです。が、それを言ってしまっては、管理者ではなくなてtしまいます。

---

ところで、ゆっこたんさんが書かれたALL Aboutをよく読んでみると、モラスハラスメントの方法の1つに、

・釈明する機会を奪う
・不愉快なほのめかしをしておいて、それがどういうことか説明しない

という2点があります。
私は、doriさんがそれをしていると思います。ドリさん以外の方は、それをしていません。ゆっこたんさんも、ここまでの議論で、ちゃんと理由を書いています。

長い議論になりましたが、doriさんがそういうやり方をする以上、私もまた、その行動に対して、なんらかの対策をしなければなりません。doriさんはそうやって、まさにゆっこたんさんが言われているところの「モラスハラスメント」的方法を使って、この場で、あばれている。doriさんのやり方は、議論する者に対して、「議論をしない」というやりかたで、この場を支配しようとしています。

これを問題にしたのは、やはり「理由を言わない言い合い」は、お互いの理解も、また、正面切ったまともな価値観のぶつかりあいも、どちらも反故にしてしまい、議論を悪口の言い合い、という次元の低いものにしてしまうからです。

つまり、doriさんのやりかたは、ゆっこたんさんの言うところの、

> 宗教を持つ持たない、あるいは宗派に関わらず、相手の
> 人格や人間性に配慮し、議論することは十分可能で、
> そういったまともなやりとりが行われることを希望し
> ます。

ということができないところに、この場を持っていってしまう危険を、管理者として感じたのです。

つまり、doriさんはその発言において「議論を拒否する」のに「罵声はかける」、ということをしています。さらに、その発言の内容のみならず、短いメッセージを多く個々に書き込み、他の人がしているまともな議論の筋を切ろうとしている。「ヤメロ、ヤメロ」とでも言うように。

doriさんがソーカであろうがあるまいが、こういうやりかたをしてまともな議論を分散させ、中断させるようなことは、やはり腹が立つことであり、不快なものです。つまり、ちゃんとした議論をしているところに、執拗に飛ばされるヤジのようなものです。

こういうものは、普通は無視することではありますが、私はここでは「意見がこの場に反映されるよう」、「すべての関係あるメッセージは消さない」と宣言しています。

である以上、その「ヤジ」の不当性を、ここでちゃんと示しておきたい。そういうことです。

また、doriさんにあっては、ヤジを飛ばすのではなく、どんなに面倒でも、人がしている会話にちゃんと入ることを望んでいる、というメッセージでもあります。ソーカの方々に聞けば、「doriさんの教学はたいしたものだ」ということですから、なおさら、この議論で稔りあるやりとりをしていただきたい。doriさんの意見をちゃんと聞き、矛盾や間違いがあれば、指摘もしたい、ということです。

どんなに優れている人でも、ヤジを言っているだけでは、その人の意見はどこにも反映されず、結果として「タダの迷惑な人」で終わる。doriさんがそれなりに「教学」を修めた、という人であるのであれば、その力をちゃんと見てみたい、ということでもあります。
「モラルハラスメント的勧誘」は、ソーカでは日常的に行われています。これは他の「アンチ」のトピックでの、その勧誘を受けた多くの人たちの「怒りの声」が示している通りです。

参考:
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=550808&comm_id=76651&page=all

私もまた、そういう勧誘を受けたことが、大きなトラウマとなっています。おそらく、このことだけのために、私はソーカに対しては、一生同じ態度をとり続けることになると思います。
↓二人とも、まずこれを見て、和みなさいw
http://mixi.jp/view_community.pl?id=50900
うさこ、かわいいですねー。



そして、ゆっこたんはこちらを読んでみます?
↓ネットの論客とはこんな感じです。特にfutaroさんのようなGEEKは。そして私も少なからず。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%e2%a5%d2%a5%ab%a5%f3%c2%b2
そして、ゆっこたんのようなリアル社会から直接mixiに来てしまった人というのは、上記ページにあるムラ社会の人ですね。

つまり、現在の議論は文化摩擦みたいなものです。別にどっちが良いとかはないです。


さて、今までの結論をまとめますよ。

?futaroさんはモラハラをしていない。
?ゆっこたんは、「ムラ社会」的なものを本コミュに求め、futaroさんは本コミュは議論コミュだから、それは出来ないと答えている。





って、これだけ議論して、結論これだけ?
お前ら、効率悪すぎ。
はは、てこねずしさんの言う通りですね。
とりあえず、私はこの話はお休みします。
>52

昨日も書きましたが、futaroさんもdoriさんも自分達のやりとりを
ごくまともな議論である、とお互いが感じているのでしたら、何の
問題もないのではないでしょうか?

好きなようにおやり下さいw

ひとつだけ、、私は別にdoriさんがfutaroさんの人格をつぶそうと
しているようには見えなかったのですが…。futaroさんはdoriさんからの
書き込みで、精神的苦痛を被っていたのでしょうか??だからdoriさんを
モラハラだと言うのでしょうか。

確かにお互いに「共感しよう」というような雰囲気ではありませんでしたが…。


>53

そのコミュを拝見しましても、アンチの方が創価学会をつぶそうとしている、
つぶしたい、という書き込みは見られますが、創価学会が非学会員を
つぶしたいというような書き込みは見られませんでした。
強引な勧誘をしているのも創価学会ではなくて、顕正会だと書いて
ありましたが。

もう少し、「これはモラルハラスメントである」というような、具体的な
お話はありますか?

特定の個人に対し、折伏を目的として「人前であざ笑った」とか
「欠点をあげつらって人格を否定した」とか。
doriさんに関することはとりあえず言い尽くしました。
書いてあることを、もう一度全部読み返してみていただくのが、理解の早道だと思います。

ソーカの「強引で執拗な勧誘」「特定政党への執拗な投票の強要」についてはここにも沢山書いてあります。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=831879&comm_id=76651&page=all

これらに書かれているソーカの人たちが行った行為は、ゆっこたんさんの言う「モラルハラスメント」そのもの、と言って良いものがたくさんあります。特に親族内でのソーカに関する争いごとは大変に多く、これでは、ソーカが眼の敵にされても仕方ない、というものです。

他にもまだまだmixiにはこの種の書き込みがありますから、ご自分で探されると良いでしょう。

私は、ここでは管理者として適当である、ということしているだけです。感情的なものは、好きも嫌いもありません。自分が不快であっても、まともなことを言う人の議論は聞く必要がある。自分がたとえ贔屓にしていても、その人の言うことがおかしなことであれば、やはりおかしい、と言うし、攻撃もする。

それだけのこです。

私は小さな子供の頃からムラ社会で育っていないですから、共感とか愛情だけで物事を判断しません。倫理として、論理として、あっているかどうか。それも私の行動の判断基準なのです。
>54

ムラ社会の人っていうのは私にはあてはまらないと感じました。
他の人からはそう見えるんでしょうかね?

ちなみに夫にご紹介の文章を読んでもらい、確認してみましたが、
やはり私にはあてはまらないということを言いました。

例として

『間違いを指摘することはその人の人格を攻撃することである。また、真に誤りを犯した場合、どんな謝罪を行っても許されるものではない』

間違いを指摘するだけなら、「間違ってますよ」「間違ってると思います」
で済みますね。人格を攻撃することとは別です、と何度も申し上げた
はずなんですが。

それに、謝罪があれば許さないことはないでしょう。
かーつさんでしたっけ、いつだか謝って下さったときに、「謝って
下されば、全然OKです」とお返事した記録が残ってると思いますし。


『偉い人の発言は大目にみる』

偉い人って誰??futaroさんですかね?
池田先生が「立派な人と立派そうに見える人は違う。偉大な人はどこまでも
偉大であるが、偉大そうに見えるだけの人はどこかで必ずぼろが出るもの
だ」と言ってました。
私は周囲の人に敬意を払って生活していますが、間違ったことを言っている
人物に対して大目にみるような性格ではないし、そういう人に尊敬は
しません。


まぁ効率は良くないのかもしれませんが、もともと皆さんとは現実社会では
接点がない、まったく違う分野で生きている人間ですからね。
掲示板上でしかやりとりしてませんし、相手の考えを理解するのには
時間がかかるんじゃないですか。
>57

わかりました。

>特に親族内でのソーカに関する争いごとは大変に多く、これでは、ソーカが眼の敵にされても仕方ない、というものです。

そうですねぇ…。
正直言って、うちの夫の実家などは児童虐待、モラルハラスメント、
DVが日常的にあったようです。

夫本人が、創価学会を嫌う理由もそのへんに原因があるでしょう。
実家には結婚してから4年、一度も自分から電話すらしません。
私もお義母さんやお義父さんとお話して、これはちょっと仲良く
できる人たちではないな…と感じているので、妊娠したことすら
連絡していません。
彼等には彼等のいい分があるのでしょうけど。

もし私が学会員でなかったら、もちろん嫌っていたと思いますよ。
義父と義母がああいう人たちなのは、創価学会のせいだと思ったかも
しれません。
が、実際には創価学会のせいなのではなく、本人たちがもともとそういう
人間なのだと思います。
「本人たちがもともとそう」であれば、その人たちの比率が、一般社会よりも高すぎる、ということはあるのではないでしょうか?

さらに参考:
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=4379917&comment_count=149&comm_id=76651
>60

さあ、どうでしょう。私は学会員の中で良い人もたくさん見て来ています
ので…。

「南無妙法蓮華経」を唱えることによって、現実に願いが叶うという
教えが問題なのでしょうか。
「お給料が上がりますように」と祈れば上がるって言いますしね。

アンチ創価学会のコミュは拝見しましてもちょっと見苦しい感じなので
頭に入りません。
まともにまともな批判してる人が少ないように感じるので…。
それにしても参加人数は増えているようですね。
ソーカから「シャクブク」という名の勧誘を受ける体験というのは、もちろん、それを受ける側、する側の状況やいろいろなやりかたにもよるのでしょうが、大変に不快極まりなく、一度でもそれを受けたのであれば、一生そのためだけにソーカそのものを嫌悪する、というものになる人が、私の周りではとても多いです。私もまたそうです。

当然ですが、人間は他人を判断するとき、その人がなにを考えているか、ということではなく、その人の姿かたち、行為、というものが、最初に見える。長くつきあううちに、その内面がやっと見えてくる。つまり第一印象というのが、非常に大事です。

その第一印象を、ソーカの人たちの一部はその勧誘という行為でぶち壊して、そこから先のコミュニケーションを拒否させてしまう。そういう場合がとても多いのです。

また、人間というのは面白いもので、自分のやっていることや考えていることを否定されると、ソーカであるとないとにかかわらず、頭の中でその記憶を意識的にも、無意識的にも、「なかったこと」にするか、あるいは自らのその考えを守るために反対の意見に「攻撃」をしかけて、亡き者にしようと考えます。

実社会で生きていく上で、人間関係に支障が生じると、これに支障が出る場合は、当然「なかったこと」に、意識的にしろ、無意識的にしろ、してしまうほうを選びます。

理系、特にプログラマ、研究者などの仕事を長年していると、相手が機械とか、動かざる自然なので「なかったことにしちゃう」という半ば無意識で行われる人間の行為で、いかに多くのしっぺ返しを自分が受けることになるか、ということを体で知ります。

無意識の自分を甘やかさないと同時に、他人にもそれを求めます。また、自分を甘やかさない唯一の方法である「論理」の大切さを体の奥底から身につけます。

だから、無意識で自分が起こしてしまう、こういった「見なかったことにしてしまうこと」に対して、非常に厳しい姿勢が身につきます。だから、自分にも他人にも厳しくなります。相手が「触って欲しくないこと」であるために「忘れたことにしていること」に対して、きちんと意識してほしい、とも思うわけです。

つまり、どんなに親しい相手でも、その人を甘やかすことがなく、相手を気持ちよくさせることよりも、論理の正しさを優先します。それこそが、相手への真の情である、と思うからです。ここのところが、科学もまた宗教、と言わせる部分の一部でもあります。

なぜ、アンチのコミュが「見苦しいまでに荒れる」のか、といえば、それは、いつもは言いにくいソーカへの怨念が渦巻いているからです。

もし、ソーカの方の一部の行為に「強引な勧誘」「特定政党への投票の強要」といったものがなかったのであれば、ここまで荒れることはまずなかったでしょう。逆に言えば、この二点を直したら、ソーカはもっと大きく、強力になるはずです。あのどこへも持っていきようのない多くの人の「怨念」を、なくすことができるわけですから。

私はアンチですから、ソーカは大きくならないで欲しいと思います。ですから、このままでいいんですけれどね。

などということを言うと、私の周りのソーカの人は、みんな納得します。反論が出ません。そして、その後、なにか相談事があれば、私のことろに来ますが、勧誘も投票のお願いも、通常はみんな来なくなりました。
結局、ここのコミュのトップにある「相互理解」というものはなく、
ただ、創価学会を排除したいだけってことですよね。

アンチ創価のコミュと変わりないようなら、このコミュ自体、無意味
ということになりませんか?
コミュ自体の相互理解はかなり進んでいるな、と自分では思います。相互理解とはお互いの立場の違いが鮮明になること、というのも、相互理解のうちだと思うからです。

相手に同意したり、相手と仲良くなる、ということだけが「相互理解」ではありません。

したがって、このコミュも出来る限り存続しようと考えています。
>>63 ゆっこたん
>結局、ここのコミュのトップにある「相互理解」というものはなく、
>ただ、創価学会を排除したいだけってことですよね。


すみません。
どこを読んでそう結論したか、お聞かせ頂きたいのですが。
>65 てこねずしさん

62、それ以前の書き込みを読んで…です。

>64 futaroさん

なるほど、立場の違いですか。

私が考える相互理解というのは、例えば
ア「学会は迷惑な折伏行為をしている。やめてほしい」
創「わかりました。望んでない人に対してのしつこい勧誘はひかえる
ようにします。」

創「創価学会が、人類の幸せのために貢献したいために存在している
ということを理解し、地域活動に共感してほしい」
ア「わかりました。幸せのために貢献活動しているのですね。それに
ついては共感します。」

こんな感じかな?

実際は、学会員側は、ネット上で出て来る人はほとんどの人が
迷惑になるような折伏は自分達はしていないと言いますよね。
こういう掲示板で出て来る学会員で「いや、折伏は正しい行為です。
今は迷惑と思っても将来は私に感謝するようになるのです。だから
嫌がられても続けます。」という発言をする人もいないじゃないですか。
皆さん、迷惑折伏については見つければ注意しあってると思うし。

それに対してアンチ側というのは、一切学会側の活動は認めようとしない
ですよね。

アンチ創価学会の掲示板見ても、「何を勉強してるんですかね?」
「お金の集め方じゃないですか?」こんなやりとりがあるだけでもう
先を読む気もしなくなっちゃうんですよね。ありえないことを勝手に
でっち上げてる。
うそをでっち上げるのをせめてやめてもらいたいですね。
「火のないところに煙はたたない」

いまは、そうでなくても、その過去において「ソーカの勧誘」といえば、とんでもない迷惑行為として、有名でしたし、今でも一部ではそれがあちこちで報告されています。

たとえゆっこたんさんやここに集うソーカの方々がそういうことをしていなくても、また「迷惑な勧誘」そのものを忌み嫌っていたとしても、「ソーカだから」と言われ、「ソーカである以上、みんな同じことをしている」と言われるゆえんはそこにあります。

つまり、それが現実であり、その現実を作ったのは、ソーカの先輩たちであり、その先輩のやりかたをそのまま受け継いだ現在の後継者たちです。

だからこそ、ソーカの中で、いま以上に積極的な運動として「迷惑な勧誘の禁止運動」を起こし、それがニュースになるくらいやらないと、誰も外部は納得をしないわけです。

悪いのはゆっこたんやここにいらっしゃるソーカの方々ではなく、ソーカの先輩たちです。ゆっこたんが「いやになる」のは、その人たちの尻拭いをせざるを得ない立場に、あなたがいるからです。

よく言われる「日本の過去の過ち」というのも、また似たようなもの、といえばわかりやすいでしょうか。
<blockquote>
>>63 ゆっこたん
>結局、ここのコミュのトップにある「相互理解」というものはなく、
>ただ、創価学会を排除したいだけってことですよね。


すみません。
どこを読んでそう結論したか、お聞かせ頂きたいのですが。


>65 てこねずしさん

62、それ以前の書き込みを読んで…です。
</blockquote>

それは分かっています。
*特にどの部分*を読んでそう結論したか、お聞かせ頂きたいのですが。


別に詰問しているわけではありませんよ。
私はfutaroさんの書き込みを見て、そのような結論に至らなかったので、どの辺りに差異があるのか知りたいだけです。

もちろん、ゆっこたんの負担になるようでしたら、お答え頂かなくとも問題ありません。大事な時期だと思いますので、ご自愛下さい。
>66

>ありえないことを勝手にでっち上げてる
>うそをでっちあげるのをやめてもらいたい

アンチが言っている事がウソかどうかのあなたの判断基準はなんなのでしょう?
もしそれがソーカ信者としてのあなたの主観、もしくは学会内で得ている情報のみによるものだったとしたら、

相互理解の邪魔になっているのは誰でもなくあなた自身だと僕は思う。

アンチである僕から見れば、あなたの発言は常にソーカとガッカイインは正しい、と言う前提での発言に終始しています。
つまりは相互理解を目指す人の発言には思えないのです。
自分自身はそんな事はないと思っているかもしれないけど、アンチ的な目から見ればそう見えます。

失礼な物言いかもしれないが、相互理解の形について先に答えを決めている時点でおかしくはないですか?

別にあなたを攻撃したいわけじゃなく、アンチだって自分は間違っているとは思いたくないのでね。
自分の言ったことがわけもなくウソと断じられたのではやはり嫌な気分になりますからね。
>67

そうですね。創価学会をやめない限りはそうなのでしょうね。
仕方ないことです。

>69

あきらかなうそと、現実のこととは違います。
なんなら、私が現実に学会の中で、どんなことが起こっていたか、
暴露してさしあげてもいいですよ。
掲示板には書きませんが、アンチの皆さんが喜びそうなネタはたくさん
持ってます。しかもでっちあげではない、リアルな現実のね。
学会や学会員が常に正しいと思ってるわけないじゃないですか(笑)

わかってもらえなくてもいいですけど、私は、仏法や池田先生に関しては
間違ってないと思ってますが、学会員に関していつも常に正しいなんて
ありえないですよ。

>68

>ソーカから「シャクブク」という名の勧誘を受ける体験というのは、もちろん、それを受ける側、する側の状況やいろいろなやりかたにもよるのでしょうが、大変に不快極まりなく、一度でもそれを受けたのであれば、一生そのためだけにソーカそのものを嫌悪する、というものになる人が、私の周りではとても多いです。私もまたそうです。


創価学会そのものを一生嫌悪する…と書いてあったので、そう思ったん
ですが、間違った解釈でしたか?
理解するつもりがあるなら、「一生」とは書かないと思ったものですから。
>>70 ゆっこたん

なるほど、理解しました。

個人的には「共感」と「嫌悪」は相容れなさそうですが、「理解」と「嫌悪」は同時に出来ると思っています。


私の考える相互理解とは。

アンチ「あー、お前らの考えていることは何となく分かった。とても共感できないけどな、つかキモい。平和活動をしてるのも分かった。まあ、もうちょっと頑張れ」
創価「そりゃどうも。俺らもそれなりに真剣にやってるから、あんまり目の前でキモいとか言うな、さすがにムカツクから。迷惑な創価がいたら言ってくれ、手の届くところにいたら、しばくから。でも、遠くにいたら、そりゃ無理ってもんだ」

こんな感じで。
いーじゃないですか、共感できない人は共感しなくったって。好みはありますよ。どうせ、毒鼓の縁で、このコミュのアンチは逃げられないわけだしwww
嫌悪をしているものを理解する、ということをしてきたから、たとえば医学の発達なんかはあったと思うのですよね。病気はいやなものだから触らない、理解もしたくない、ということだったら、病気は治らないです。

嫌悪するからこそ「なぜそうなるのか?」「もっと良いことがなぜできないのか?」と考えるわけですから。

理解する。そのために研究する。研究するために資料を集め思索する。そこに共感は生まれなくてもいいけれども、生まれることもありますよ。

でも、ある部分には共感するけれど、ある部分には共感しない、ということもまたあるのだと思います。いずれも共感というものがあったとしても、100%ということはありえないし、また、共感の意味も違うことがある。共感した、と思ったそのことが、実は間違いであった、と後でわかることもある。「共感」というものは、それくらい、いい加減なものかも知れません。

たとえば、私はソーカの人たちすべてを、人間として哀れに思っています。これも共感という意味の1つかもしれない。共感といっても、いろいろなかたちがあるとも思います。
>てこねずしさん

なるほどなるほどなるほど。

うちは、まあまず夫の両親をなんとかしたい…けれども嫁の立場では
どうにもできません。
彼等は自分達はこれで良いと思ってるのかもしれませんけれどね。
本当は私だって、あの人たちに誰かエリアの上のほうの幹部の人に
注意してもらいたい。
それができないのが創価学会の今の組織なんですよね…。

私自身は誰かの悪口を言ったり書いたりするのは嫌だし、学会を傷つける
ことは本意ではないから、掲示板では書けないことも多い…。

そのうち、問題が解決するようにと、さらに祈る毎日なのです…。
>>74 ゆっこたん


そうですね。
僕も正直、隣の支部の勘違い幹部をどやしつけたいんですが、学会の中で孤立するのは怖いです。口ばっかりで、すみません。

煩悩即菩提、と言いきって、前に進むほど確信がある訳じゃなし。



ゆっこたんのトコは、学会の事をご主人さんに相談するわけにもいかないでしょうから、難しい立場ですよね。ただでさえ、学会×非学会の結婚は色々ありますからね〜。僕は失敗してしまいましたがww
非力ながら、僕も祈らせてください。

あ、きちんとご本尊様に向かって上げてますから、大丈夫ですw


>>73 futaro-X3.31さん

最近、バージョンの更新が留まっていますねw

共感とは、例えば「クマのぬいぐるみにナイフを突き刺したら、かわいそう」という様に、自分の感情を相手に投影する作業ですから、「パンヤとフェルトには中枢神経がありません」という様な分析からは到達しないところだと思いますし、議論には必要ないかと思います。
>てこねずしさん

私もいろんな迷惑学会員には、厳しい指導を望みます。
しかし…現実問題、組織が違えば無理ですよね。

うちは学会内で嫌なことがあったとき、旦那には相談してます。
旦那も私も学会2世、3世ですから、いろいろ子供の頃から見て来て
いるわけです。
旦那が「こういうところが嫌だった」と思うところは私も非常に納得
できますし、私が「こんなことがあったのよ〜」という話を旦那に
すれば、「だから学会はダメなんだよ」と言うし、二人の間では
とても話が合ってます。

だから、私はアンチの人と話が合わないとはまったく思えません。
むしろぴったり合うと思うんですが。

ただし、基本的に人の悪口を言いふらしたりすることは良くないこと
だと思っています。
ネットの掲示板に書けば、大勢の人に悪口を言いふらしていることに
なりますよね。
悪口は言わず、黙っていれば良いことですしね…。

うちの旦那もアンチですが、学会の嫌だと思うことを、誰かに言いふらし
たりはしないし、もちろん掲示板に書いたりもしません。
心の中だけにとどめておいています。

私はいけないことと思いつつも愚痴が出てしまうので、なんにも言わない
夫はえらいなーーと思います。

学会の中で不満がまったくない人のほうが少ないと思いますが…
皆さんそれぞれ、私と同じように「御本尊対自分」なのだから、と
自分に言い聞かせて信心していると思います。
私も他の学会員に煩わされず、信心をしていきたいです…。

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