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ロジャー・クレメンスコミュの実績

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プロ入りまで 
テキサス州で幼年期の大半を過ごす。ヒューストン近郊のハイスクールに通い、テキサス大学の投手として1983年全米大学野球選手権で優勝する。ボストン・レッドソックスに19巡目で指名され、プロに入った。

ボストン時代
1984年5月5日、ボストン・レッドソックスでメジャーリーグにデビュー。以後、ボストンのエースとして大活躍を続けた。1986年には24勝を挙げ、ワールド・シリーズ進出に貢献したが、チームはワールド・シリーズに優勝することが出来なかった。ボストン在籍13年間で一度もワールド・シリーズ出場していないことだけが心残りだった。ま1996年のシーズンオフと共にボストン・レッドソックスからトロント・ブルージェイズへ。この時のGM(ゼネラルマネージャー)から「彼にはもはや先発投手としての働きは期待出来ない」と言われた。このGMは今でもボストンのファンの怒りを買っている。

トロント時代
1996年オフ、ワールドシリーズ出場の可能性を求めて、長年過ごしたボストンを離れることを決意し、積極的な補強を進めていたトロント・ブルージェイズへ移籍した。トロントでは2年連続20勝をあげる活躍を見せたが、皮肉なことにチーム成績は芳しくなく、プレーオフ進出もままならなかった。

ニューヨーク時代
1998年オフ、再度新天地を求め、こともあろうにボストンの最大のライバル、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍し、クレメンスを愛していたボストン野球ファンの激しい怒りを買った。それでも1999年、ニューヨークでついに念願のワールドチャンピオンに輝くことができた。

ヒューストン時代
そして通算300勝を達成した2003年、引退表明をしていたが、シーズンオフに撤回し故郷テキサスのヒューストンと契約した。そして2004年歴代最多(7度目)、最年長(42歳)、最多球団(4球団)でのサイ・ヤング賞受賞を達成した。


性格
強いプロ意識と厳しい鍛錬に裏打ちされたパワーと技術は高い評価を得ている。多くの投手がクレメンスに憧れ、手本としている。

クレメンスには、人間としてより投手としての本能が勝っていることを示すエピソードがある。妻と遊びの野球ゲームをしていたとき、クレメンスの投げた山なりボールを妻がジャストミートし、ボールは遙か遠くへ飛んでいった。そしてクレメンスが次に放ったボールは全力剛速球のビーンボールであった。クレメンスはバッターが誰であろうと、打たれることを絶対に許さないのである。

また、三振には特に強いこだわりがあり、3人の子供の名前の頭文字はいずれもスコアブックで三振を意味する「K」となっている。


主な投球、打撃について
クレメンスの持ち球は150キロ台の速球とよく落ちるスプリッター。たまにカーブも混ぜて投げる。
速球は42歳の今現在でさえ球威十分。さすがといえるだろう。
打撃は意外に得意で、大きい体を揺さぶりながら走る。


獲得タイトル
アメリカンリーグ・MVP:1回、1986年
アメリカンリーグ・サイ・ヤング賞:6回、1986年、1987年、1991年、1997年、1998年、2001年
ナショナルリーグ・サイ・ヤング賞:1回、2004年
最優秀防御率:6回、1986年、1990年、1991年、1992年、1997年、1998年
最多勝利:4回、1986年、1987年、1997年、1998年
最多奪三振:5回、1988年、1991年、1996年、1997年、1998年


すばらしい!!こんなすごい投手はいないねぇ

コメント(2)

日米野球で来日した際、11月の寒空の中MAX150km/h以上の速球を投げていた。大体日本人の速球派と呼ばれる投手たちが140km行けば良い位の中で、(他のメジャーリーガーも150km/h越えしていたが)さすがメジャー最高の速球派投手と思わせるピッチングだった。ほぼ年中休まずトレーニングをしているし、
故障も殆ど無く(レッドソックス時代の末期を除き)スピードだけでなくコントロールも悪くないし成績もこれだけの長期間一流の成績を残し続けていると言うのがすごい。
余談ながら日米野球の際にはサインを頂きました。
ファンサービスも一流です。

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