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おもしろ歴史館-新裏太郎山通信コミュのマガジン二十六号 国という狭い枠に絡めとられない生き方をした人々

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新聞には連日「亡<なった方々」の氏名が、枠こそ小さくなっていますが連日掲載されています。復興への道もまだまだずっと続くのだなと実感させられます。
過日、小生20代の頃から親しくさえてもらっている音楽家で、最近ではコカリナという楽器の第一人者である黒坂黒太郎(正文)さんの「東日本大震災被災地支援チャリティー「復活の笛コカリナ」とうたでつむぐコンサート」に行ってきました。
 
先月あたりから様々な著名な芸能に携わる人々がそれぞれの得意とする分野で支援活動を行っています。しかし大手マスコミにはほとんど取り上げられていないのですが、素敵なコンサートに出会いました。
まず主催者が、普通のおばさん連でした。黒坂さんの、何とか少しでも被災者の力になりたいという思いと、おばさん遠の、自分たちにもできることはないかという身軽なフットワークとが見事に調和して実現したコンサートでした。また会場入りロで入場料とは別に募金を呼び掛けていたのは、近くの中学生2名でした。
彼は、震災のずっと前から今回被災地となった地域の方々ともコンサートを通じて交流を続けてきました。それ故、「人ごとではない」という切追想も伝わってきましたし、自分のできることを精―杯やろうという真摯な気持ちが出ていたコンサートでしたので、客席と一体感も生まれたのだと感じました。因みに、ステージと客席は、段差もない同じフロアーでした。
  (以下彼のホームページからの一部抜粋を掲載しました。チラシは別紙添付しました。
東日本大震災被災地支援コンサートのチラシができました。明日、4月12日より石巻、女川を訪問してきます。女川の避難所ではオムツが不足してるとのこと。大量に車に積み込みました。被災地を支援するための「黒坂黒太郎コカリナのコンサート」を開こう、という動きが広がっています。現在、計画中のところだけでも長野、新潟で25ヵ所。九州5ヵ所。そのほか茨城、三重、埼玉など。30ヵ所以上になります。皆さん、被災地の惨状を知り、「何かしなければ」と思ってくださっているようです。日程があきらかになっている支援コンサートは次のものです(予定も含めて。既に実施したものをのぞく)
5月28日 長野東御市
5月29日 長野市若穂
6月 3日 長野県安曇野市
6月17日 福岡県大川市
6月18日 福岡県甘木市
6月19日 熊本県荒尾市
7月16日 新潟県柏崎市
7月17日 長野県須坂市
8月14日 千葉県我孫子市(予定)
9月11日 新潟県佐渡市
16日〜18日長野県・ちくま市
10月9日 滋賀・草津
コンサートの収益は必要経費をのぞいたものをすべて被災地へ贈ります。


連絡先は、黒坂音楽工房 〒136-0072 東京都江東区大島5-34-17-2F

TEL.03-5626-1581 FAX.03-5626-1568 です。ホームページは、http://www.locarina.net/
 
先号で、岩波新書『津波災害』を紹介しました。早速先輩の歴史研究者の方から、誤りの指摘と御教示を受けました。有り難い限りです。まずは初歩的誤り、書名が『津波被害』となっていましたが、正しくは『津波災害』です。
 
もう一点は、同書はすぐれて時宜にかなった良書ではあるのですが、「P.144右から6行にわたっての文章とP.166右から3行にわたる文章」の2点は、今回の津波被害を想定していません。つまり、あの巨大防波堤ならば津波は起こりえないという前提で論を進めています。いかに被害を「想定」することが難しいかを示しています。さらには、縄文や弥生の人々が多少の生活の不便はあっても、生産の場と離れた高台に居住していたという考古学者の森浩一氏の説を教えてもらいました。森浩一氏は、人類の進歩とは何なのか、ということまで指摘されているようです。
 
 先号ではまた、「ニッポン」で一括りにされることの危うさを書きました。一人一人の様々な個を大切にすることが、総体としての住民や国民を大切にすることに繋がります。そんな折もおり、君が代条例案に「処分ルール化も」橋下知事 というニュースが飛び込んできました。大阪府知事の橋学徹氏が、府立学校の教員に君が代斉唱時の起立を義務づける条例案を5月府議会に提出するというのです.もし「違反」した場合はヽ誠首まで明言しています。空恐ろしいことです。もしこれが可決されれば、現代の慰安維持法とでもいうべき悪法であり、日本国憲法にも大きく違反するものであることは、論を待ちません。

 国民をして戦争に総動員するために、治安維持法が恣意的に拡大解釈された時代、権力を傘に着た人間が個人の思想や感情レベルまでに立ち入り、無事の人々の命や財産が悲惨な形で奪われていきました。彼は苛も弁護士のはずです。日本弁護士連合会(日弁違)は、「弁護士職務理念基本規定」の第一章第一条で、「弁護士は、その使命が基本的人権の擁護と社会正義の実現にあることを自覚」と謳っています。尤も弁護士である以前に、一人の人間としても、自分の価値観に沿わないからといって権力を濫用して処分するなどということは到底許されないでしょう。大阪府は、彼の私物ではありません。

 教育公務員は、法律(教育公務員特例法)で、その職務を「教育を通じて国民全体に奉仕する」と定められています。君が代に対する対応の是非は、「国民全体に奉仕」とは全く無縁のものです。こうした一人の権力者の価値観や「道徳」が、大手を振って歩き始めると如何にそれが危険か、治安維持法はじめ、もっと歴史に学ぶべきでしょう。

 1682年以降、5代将軍綱吉は次々に儒学に基づ<忠孝や生類憐惘の高札を出し始めます。ご案内の通り、総称して生類憐れみの令といわれるものです。対象は犬をはじめ牛馬から魚介類などあらゆる生類にまで及んでいます。また、捨て子禁止など人も含まれていますので、一見肯定すべき点もあるかのようにも見えますが、(特に中高生は、授業最初のアンケートでは「生類憐れみの令」に賛成する傾向が強い)実際には、「一禽一獣のため処罰された者の家族で「流離散亡」した者は数十万人に及んだといわれる。そのため民衆の怨嵯の声は次第に大きく」(『国史大事典』吉川弘文館)なっていったとされています。権力者が個人の心情に立ち入ることの怖さを、マスコミはもっと警鐘を鳴らすべきだと思うのです。かつて、そのお先棒を担いだ責任もあるはずですし。

 もう一つ、危惧していたことが起こってしまいました。5月20日(土)の朝日に出ていた記事です。概要は「秋田県の中学校で、生徒会が200円以上の義損金寄附を決定したところ、締め切りまでに提出しなかった生徒がおり、担任が該生徒の氏名を張り出した。父母からの苦情があり撒回した」というものです。
  「善意のファシズム」とでもいうべき怖さです。もとより寄附は、するしないや金額など、全て自発的なものです。また、様々な家庭環境の生徒が来ているのが学校です。小生の勤務する学校でも、生徒会役員の生徒から義損金を集めたいということが出ました。生徒会としても何かしたい、しなければという発想でした。しかしその際、教師の立場としては、決して強制にならないよう、慎重に事を運ばせるように指導することを確認しました。そして、義損金以外にも、連帯する方法はいくらでもあり、それらを考えさせたり工夫させたりすることも大切なことだと思うのです。

 このことに限らず、学校現場では「善意のファシズム」とでもいうべき様々な事態がここ数年急速に進行している気がします。「活発なJPTA活動への教職員の協力、父母や地域に向けての「学校評価制度」でのポイントアップのための取り組みや「説明責任」、数値として見える「学力向上」への方針とそれに向けてのタイムスケジュール作成と努力。とりわけこの4月から小生が勤務している学校はその傾向が強く、逆にノルマをこなす感覚で疲れ切っている教師も少なくありません。さらに長野県教委は、この春から「家庭学習の時間が、全国平均より低い調査結果」を問題視し始め、そのことが文科省の学カテストにみる「低学
力」と因果関係があるとして、プロデェクトを立ち上げました。教員も、深<家庭学習に関わり、その「克服」のための「研究」が半ば義務づけられ始めました。「目の前の子どもたちの学力向上の一助にして頂ければ」(長野県教育委員会のホームページ)と低姿勢ですが、実際は上意下達です。そして現場に丸投げされています。教員は疲弊しきっていますが、一見「正しく」「いいこと」の様に見えますので、真っ向から反対しづらいのです。

 生徒たちもまた、同じです。分刻みのスケジュールは仕方ないにしても、特に部活動の拘束時間は半端ではありません。朝は7:20の練習に遅刻は許されません。6時間、50分の授業をこなした後、今の季節だと6:30の最終下校まで放課後の活動です。しかしそれで終わりません。「社会体育」ということで、教員以外が指導者となり、その後7:30〜8:○○くらいまで活動します。土日もどちらかが学校の部活であれば、もう一日が社会体育の活動という部も少なくありません。生徒たちが、どちらか一方選択できればよいのですが、それは不可能なのです。例えばこのゴールデンウイークは、4月29日から5月8日まで7日間の休みがありましたが、実際のオフは1日か2日というところが多<ありました。指導に当たるのは、顧問の教員と外部の指導者ですが、顧問はいくら外部指導者主催・といっても生徒達がいますので、それに付きっきりになりますので大変な超過勤務です。指導者は双方ともほとんど無報酬ですので、これまた「善意のファシズム」です.県教組もこの事態を重く見て、アンケートを採ったりそれを元に県教委との交渉を重ねていますが、改善の見込みは立っていません。因みに長野県教組のアンケート集計では、一月の超過勤務時間数は、120時間になろうとしています。生徒も教員も、囲い込まれているという実態は、もっと知られてもいいような気がします。

 こうした傾向は、生徒や教師たちだけにとどまらず、様々な分野に見られ、社会全体の歪みだろうと思われます。先日精神科医の香山リカの講演を聴きに行きました。その中で、今日のそうした歪みが精神疾患の大きな要因になっていることを踏まえた上で「体むことは権利ではなく義務」と力説されており、聴衆一同
の大きな力になったように思えました。また彼女は、社会全体の許容範囲が狭<なっていることも問題視されておりました。


 さてここでやっと表題に辿り着きました。忙しい読者の皆さん、ここまでお付き合い下さってありがとうございます。前号に続いて歴史に学ぶことの大切さがテーマですが、ここから先は嬉しかった本との出会いです。

油井宏子『絵で学ぶ古文書講座』柏書房2011年5月1日 1900円十税
筆者はNHK学園の古文書講師として大活躍されていますので、ご存じの方も多いでしょう。本書もそうした古文書講座の一環として書かれたものなのですが、それ以上に表題の「国という枠に絡めとられな」かった人々の姿が、実に魅力的に描かれている上質のノンフィクションとして読むことができます。往々にして本の帯の惹句は、本文よりも大層なものも少なくないのですが、これは素直に読めました。

「鎖国下において、日本人22人の命を救ったアメリカ人たちは真の仲間だった。国境を越えた人間愛と感動の歴史ノンフィクション」です。

 題材に取り上げられているのは、千葉県の旧家から見つかった古文書です。それを筆者が懇切丁寧に解説してくれています。多少乱暴ですが、概要は以下の通りです。私見を交えたりしていますので、少々長いのですが、お付き合いを。

 ペリー来航に先立つ1845(弘化2)年12月21日、一隻の弁財船が江戸に向けて阿波の国を出帆します。舟の名は幸宝丸、船頭以下11人の乗りくんでいました。因みに弁財船とは、千石舟といわれ、一枚の帆を張っただけの舟ですが、江戸時代の日本の流通を支えていました。あの北前船などもこの舟です。

 出帆後直に大きな荒らしに遭遇、必死の立て直しにも拘わらず耐えきれず、やむを得ず次々に積み荷を海中に投じます。しかしその甲斐もなく、大海を漂流することになります。

 二十日間ほどの漂流後の翌年1月13日、ついに鳥影を発見上陸します。当時一般に走られていなかった鳥島です。鳥での生活も、まさにサバイバルの連続でした。この辺りの件、筆者もかなり感情移入し、よく小さな子どもがピンチにさしかかったヒーローに、我を忘れて声援を送る姿を見かけますが、ちょうどあん
な感じですごく好感が持てます。

 鳥の食材で自給したりして食いつないでいる彼らですが、2月8日ついにアメリカの捕鯨船マンハッタン号により発見、救助されることになります。救助された翌日、さらに漂流中の南部釜石の船を発見します。
これもまた救助され、都合2隻の乗員22人を乗せてマンハッタン号はー路日本を目指します。

 しかしこの先も難問は山積していました。異国船打ち払い令は廃止されてはいたものの、正式の外交ルートを全<持たないアメリカの船ですので、下手をするとマンハッタン号の乗員も救助された日本人にも危害が及ぶわけです。しかしそこは慎重にかつ大胆な方法で切り抜け、漂流民達はやがて浦賀の港に入港、よう
やく故国の土を踏むことができます。

 そしてマンハッタン号の船長以下乗員に幕府から食料他土産物が贈られ、感動的な見送りを受けながらマ
ンハッタン号もまた故国を目指すという話です。

 救助されてから送り届けられるまでの一月ほどの内に、漂流民達とマンハッタン号乗員との間には、確か
な友情がきずかれていました。それ故、別れのシーンはジーンと来ます。

 もう―つ本書の魅力は、文書から採られた多くの絵です。
 「その描き手の人柄も、描かれた人物たちの温かさも伝わってくるからこそ、人間味あふれた素朴な味わい」(p4)の絵なのですねえ。

 さてこの冒険譚であり友情譚に登場し、活躍する人物は当事者達だけではありません。幕府の出先の役人が、自分の職責を果たしつつも、如何に人道的な立場を貫<かをも視野に入れて行動しています。歴史に学ぶということは、こうした名もない庶民の生き様を追体験することかも知れません。

 筆者は著名な古文書学習のオーソリティーであることは先途しました。他の著作にも、例えば『江戸が大好きになる古文書』『古文書はこんなにおもしろい』等々、長通するものがあります。ヽそれは、「学びたい生徒がいて、自分のできることであれば、その学ぶ楽しさを教えてあげたいと願う教師がいて、両者の響き合いが教育という営み」というような趣旨のE話を、我が師小宮山量平先生から伺ったことがありますが、まさにそれを地でいっているのですね。教育の原点だと思うのです。

 本書に戻ります。ここで紹介された物語は、ネットでもいくつか原典が紹介されていることがわかりました。『撫養天野量敵甫部敵外敵二被肋間書』もその一つで、本書にも紹介されています。ただネットにアップされたものは、画像が粗すぎてかなり読みづらいのが難です。

 本書の元になった文書は、所蔵者への配慮だと思われますが、所蔵者や文書名はもちろん、文書自体も全文掲載されていないのが残念です。しかしそうした点は、本書の魅力を些かでも損なうものではありません。

原発被害の深刻さを日ましに感じています。東電や政府の無策と無責任、長年に亘って推進してきた中曽根以降の自民党政権の厚顔ぷり、それらへ厳しい監視と批判をすべき、社会の木鐸としての大マスコミなども責任を果たしているようには見えません。学生時代からの友人のジャーナリスト高世仁君が、自らの職責
と同時に、「自分と守るべき家族の問題」というスタンスで今回の東電福島の原発事故をウオッチしています。通常のマスコミでは知り得ない情報もあり、読み応えがあります。http://d.hatena.nejp/takase22/


そんな中、次の日曜日には青森県知事選の投票です。原子力発電が争点かとマスコミは伝えていますが、果たしてそう簡単に白黒つけられるのか、危惧する点も多々あります。なぜなら、原子力発電収入が県税の13%をしめるという県財政です。これまで、札びらを切ることによって原発を推進してきた力はそうそう侮れないでしょう。実際、今回の福島原発事故でも、「これまで原発によって経済的恩恵を受けてきたので、そうそう批判はできない」という南相馬市周辺の住民は少なくありません。しかし、どんなに「恩恵」を受けてきたとしても、決然と手を切るべきものは切るしかないでしょう。

 5月15日は、灰谷健次郎の「卯の花忌」と、小宮山量平先生の95才の誕生会がありました。会場はもちろん、上田駅前のエディターズミュージアムです。相変わらず蔓錬たる小宮山先生には、いつも励まされます。呆けないで(失礼)社会に発信し続ける姿には、いつもあこがれます。お客様として、永六輔さんも来てくれていました。小沢正一さんのお陰で呂律が回るようになったとのことで、確かに饒舌でいつものように会場の参加者を沸かしてくれました。                         ・

 さてその永六輔さんから聞いたのですが、彼のラジオ番組でさえもスポンサーヘの配慮から、原発反対の姿勢は打ち出せないのだそうです。もしそれをやれば、番組が続けられないとのことでした。人気者で、長年マスコミの世界に力を持っていると見られている彼でもそうなのか。

 管総理おろしが与野党双方から出てきたとマスコミは伝えています。解散総選挙という線もありそうです。こういう時はややもすると、「日本は−つ」のために、「力がある」「頼りがいのある」「決断力」というキャラで押していく政治家が重宝されそうですが、敗戦という犠牲の上にようやく手にした平和や自由、民主主義という価値観こそが大切という候補者を、有権者の一人として育てていきたいと思うのです。

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