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おもしろ歴史館-新裏太郎山通信コミュのマガジン二十四号「追悼 井上ひさし」その2

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歴史の授業をしていますと、教えているはずのこちらが、何気ない生徒の質問から改めて考えさせられ、勉強し直すということがしょっちゅうあります。
つい先日も、ベルサイユ体制と国際連盟成立をテーマに授業したのですが、学習カードの質問の中に、国際連盟はアメリカ大統領ウィルソンが積極的に成立に関わったのに、なぜアメリカ自身は加盟しなかったのかというものがありました。比較的よく出る質問ですので、当時のアメリカ議会で多数を占めていた共和党議員の中にモンロー主義的な考えをとるものが多かったと、まあ「常識的」に答えました。一応はわかったという反応でしたが、しかし、十分に腑に落ちたという感じまでは見えませんでした。なぜだろう。どうも自分自身のモンロー主義への理解が浅いのではと、気づきました。帰宅して広辞苑を引いてみますと、
〈モンロー主義欧米両大陸の相互不干渉を主張する、アメリカ合衆国の外交政策の原則。1823年J.モンローが宣言を発したのが端緒。〉『広辞苑第6版 2007』
とあり、自分もほぼそれに近い説明をしたのですが。
 さてここで、戦争や平和、コメ問題などに積極的に発言してきた井上ひさしに教えを請いたいと思います。彼自身が、モンロー主義を直接定義づけている作品は知りません。しかし、彼の著作を読んでいるうちに、アメリカのモンロー主義は、単に欧州との相互不干渉という以上に、もっと自国中心主義的な意味合いの方が強いものと解釈した方がいいのではないか、そう気づかされました。
 〈アメリカは極度に自信を持ちすぎている。国家の主権を少しはあずけて、世界中のことを考えようとしている国際連合を無視している。世界の動きに背を向けて、いろいろな条約を総会で採択したり決めたりすることに関して、このところ一方的に離脱するか、無視するか、拒否する姿勢を示している。これは一国中心主義と言っていいと思います。
   アメリカとはどのくらいの大きさの国か、…世界の人口に占める割合は、4,5%です。そのアメリカは世界の国内総生産(GDP)の30%を占めている。人口4,5%の国が世界の富のほとんど三分の一を手に入れているのです。軍事費は、世界の36%をアメリカが使っている。二酸化炭素は、世界の排出量の4分の一、25%を一国で吐き出している。
   そんな国ですから、京都議定書に背を向けたり離脱するなぞは絶対に許されないです。…〉?
 もちろん、第一次世界大戦の終結した時点から90年以上経っているわけですので、今とは状況は大きく
違う点もあります。しかし、ベルサイユ体制こそは、アメリカの経済力が世界を制覇し始めた嚆矢でした。そのころから既に、自国中心主義は始まっていたと解釈すれば、すっきりします。モンロー主義も、単なる相互不干渉というより、アメリカが自国の勢力圏である新大陸で好き勝手な行動を取ることができるよう、ヨーロッパの干渉を遮断する側面が強かったのでは。
 それにしても、ブッシュ政権は、この傾向が露骨に強すぎた。オバマ大統領が、圧倒的な勝利を収めたのも、こうした一国中心主義的な軍事行動や環境行政に内外からの批判が高まったのも大きな要因でしょう。 それにしては、我が国の宰相は完全なイエスマンに堕していましたが。もっとも、日本のアメリカ追従から脱却できるかのどうかが問われている普天間基地の移転問題は、今こそ正念場を迎えていますが、現在のところ鳩山政権も大して差がありません。米軍基地は日本国内には必要ないからお引き取りを願うという、最も基本的な施策を選択肢から外しているわけですから。ただ、困ったことに普天間問題を、鳩山政権攻撃の絶好のチャンスとしてとらえていない勢力が跋扈しています。「迷走」として攻撃し、「アメリカとの信頼関係」や「アメリカに守ってもらっている日本」を盛んに吹聴している大マスコミがその最たるものでしょう。『週刊現代5月8・15合併号』の山内昌之と半藤一利の対談も、一見良識的が故に犯罪的な気がします。
 〈半藤 歴史的に見ても、政権が代わったからといって、前政権が対外的に約束したことを反故にすることはしてはいけないのではないですか。
  山内 当然です。…政権が代わったときに対外的な約束を反故にするのは革命の論理です。…鳩山さんはそれに近い約束破りを、よりによって最大の同盟国アメリカ相手にしたということです。…
 半藤一利は、比較的よく読んで評価している部分が大きかっただけに、少しがっかりした気がしましたが、
いずれにせよ、どうしてそこまでアメリカに忠義面するのか不思議です。
 言うまでもなく、普天間問題の根底にあるのは日米安保体制です。前政権の約束を云々すれば、半永久的
にアメリカ軍基地は日本に、特に沖縄に残ることになります。こんなばかげた話はないでしょう。そもそも
国民が民主党政権を選択したのは、米軍基地の撤去に向けて動き出すことを期待した人々が多くいたからで
しょう。政権が代わるというのは、そういったことでしょうに。
 2000年6月、初めて沖縄を訪れた井上ひさしは、
〈憲法や戦争、指導者たちの情けない判断力、すべての日本の問題が沖縄に集中している実感がひとしお強くなった。…(平和憲法を)守ろうとするだけでなく、平和をつくる渦の中で積極的にそれを武器にしながら、将来的に確固たる存在にしていく方法が絶対にある。…戦争か平和かという二者択一ばかり迫られ、平和は追いつめられてきたが、必ず第三の道はある…世界の中で別の生き方があるはずだ。アメリカとくっついていないと生きられないという選択だけではない。アメリカの世界戦略とは別の戦略を立てればよい〉?と、明確に道を指し示していました。
井上ひさしから少し話がずれますが、安保といえば、是非紹介したい本があります。
『青年たちの六〇年安保』新津新生  川辺書林
 同社のホームページより、惹句を引きます。
〈安保闘争を支えた地域共闘は全国で約2000、そのうち長野県は約170余を占めて全国2位。国会請願の地方代表は全国1位。長野県が60年安保の一大拠点となった要因は町村における青年団の活躍と、労働組合・農民の提携にあった。
  飯山・下水内や上伊那・下伊那などの先進地のみならず、高校生・信大生・労組・農民・青年婦人を巻き込んだ60年安保という国民運動はいったい何だったのか──。
  「安保闘争は負けたわけでもないし、挫折もしていない! 今も生きて、続いている!」と当時と現代の青年に呼び掛ける著者(信州現代史研究所主宰)が、県内外から蒐集した膨大な史料と自らの闘争体験をもとに、普天間基地問題に揺れる現在に問う安保の原点。象徴的な40枚の写真と80点の新聞・通達・報告書・個人資料を掲載。安保を総括しない限り、日本の戦後は終わらない!〉
 筆者の新津先生は、私の先輩の歴史研究者でもあります。正直言いますと、この原稿を書いている今現在、まだ
実物は手元になく、読んではいません。しかし執筆されている途中から大変に興味を引かれていましたし、刊行直前にメールで送られてきた「まえがき」「あとがき」を読んだ時点でも、これは地域の視点で安保を捉えた大変な労作だと直感しました。そして今、最も喫緊の課題である普天間基地の問題を考える上でも示唆に富んでいるはずです。章立てなどの詳しい内容は、川辺書林のホームページ http://www.kawabe.jp/ をご覧下さい。

さて、 今朝のインターネットニュースで、自民党の改憲勢力は、会見の必要な条件を現行の三分の二から過半数に引き下げることを画策し始めたと出ていました。こうした動きに対し、井上ひさしははるか前から「言葉の達人」に相応しく、道理と事実に基づいて、きちんと論破していました。本当に亡くなられたことが残念です。
 改憲勢力が一定の力と影響力を持っている今日、どうそれに対応すべきか、井上ひさしはこう提言します。
 〈私は「平和を守ろう」「憲法を守ろう」という時何か言葉が空転するような気がして仕方ありません。そこで、「平和」という言葉を「日常」に言い換えたらどうかと考えています。…つまり、「平和を守る」「憲法を守る」というのは、「私たちの今続いている日常を守ることだ」と言い直すようにしています。
   友達と会う。会ってビールを飲む。家族と旅行に出かける。いろいろお喋りして楽しく過ごす。勉強する。これすべて日常ですが、これができなくなる。そういうことを防ぐために、私たちは自分たちの日常生活を守るためにがんばっていく。その日常の先に子供たちや孫たちがいて、その人たちが次の時代を受け取っていくのだ、…〉?
 今回の改憲論も含めて、自主憲法を唱える勢力に共通しているのは、アメリカの押しつけに対する「自主」なんですが、彼らは安保については押しつけとは言わないのですね。また、朝鮮戦争の前から始まるレッドパージやいわゆる「逆コース」も、アメリカの押しつけそのものであったはずなのですが、そのことにも口を拭ったままです。それもそのはず、
〈今の憲法は自主的でないという前提に立って、根本のところに難癖をつけると言うところから出発しています。
これを素直に「改憲論」として位置づけることはできない。〉?からです。
 戦前の日本にも、ベルサイユ体制の頃のほんの一時でしたが、軍縮や民主的な諸権利を大切に考えていこうとした時期がありました。大正デモクラシーと括られる時期がそうです。この点についても、井上ひさしの論は、大いに説得力があります。
 〈日本国憲法は占領軍から、正しくはアメリカから押しつけられたものであるーという説があります。でも、私はこの説を信じない、とても卑怯な俗説だから。確かに、いくらかは押しつけられたところもあったでしょう。けれども、戦争直後の日本人、とりわけ当時30代後半から上の世代には、この新しい憲法は、どこか懐かしい古い子守歌のように聞こえたはず。なにしろ彼らと彼女らたちは、かつて、政府のやり方に不満を持った人々が日比谷公園で騒ぎしだして、ついには議事堂に火をつけようとしたことや、憲法を守れと叫んで内閣を倒した人々がいたことや、日本海側のおばさんたちの「米よこせ」という血を吐くような声があっという間に全国に広がったことや、輝かしい将来を約束された学生たちがその将来を捨てて、働く人たちと肩を組み合って「この国の仕組みを変えよ」と主張しながら獄中で息絶えていったことーそういう直近の事件群を、断片でとしてであれ頭のどこかに記憶していたに違いないからです。〉?
日本近代史への理解も感心させられます。
今朝の『朝日新聞』では、9条を変えるべきではないという意見が67%あるという世論調査が出ていました。この数字は、一時期の安部政権の頃よりは下がってはいるようですが、必ずしも安心はできないという気がします。一見わかりやすい、乱暴で元気のいい物言いをした者があっという間に権力を手中に収めた例を、私たちはいくつも知っています。ブッシュのポチといわれた男ですが、いまではその息子に人気が集まっていると言います。国民の生活向上のために、何かをしたわけでもないし何かをしてくれるという保証など全くないにもかかわらず。むしろ、その逆の可能性の方が大きいにも拘わらず、です。見極めるポイントは、「日常」を大切にしていくかどうか、でしょう。井上ひさしは、この日常を次のようにも言い換えています。
〈みんなの願い、三度のごはんきちんとたべて 火の用心 元気で生きよう きっとね 
作造「三度のごはん きちんとたべて」…みんなの願いは生活の保障にあるんだねえ、…私たち人間の本当の願いがここにあったんだな。
信次「火の用心」は、つまり、災難や災害に遭いませんように…という祈りですか
作造 誰もがそれを切実に願っている。そしてもしも運悪く、災難や災害が降りかかってくるようなことがあっても、それでもきちんとたべていけますように…〉?
? 井上ひさし「アメリカの『正義』とは」 岩波ブックレット561『暴力の連鎖を超えて』所収
? 『琉球新報』200年6月30日
? 井上ひさし「あんな時代に戻りたいのか」岩波ブックレット664『憲法九条、未来をひらく』所収
? 井上ひさし 樋口陽一『「日本国憲法」を読みなおす』講談社文庫 
また、「愛国心」についても、鋭い風刺で自称「愛国者」たちの皮相な中身を浮かび上がらせています。 井上ひさし「初めての外国語」『ふふふ』講談社所収
? 井上ひさし『兄おとうと』前口上
? 井上ひさし『兄おとうと』四 寝言くらべ 

64回目の憲法記念日に

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