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おもしろ歴史館-新裏太郎山通信コミュのマガジン第二十三号 「追悼 井上ひさし」その1

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春の遅いここ信州でも、お花見が話題に上るような季節なってきました。多くの読者の皆様方も、楽しまれたのではないでしょうか。そんな明るい話題とは裏腹に、昨日の井上ひさしの訃報は、そんな気持ちを一気に吹き飛ばすものでした。20代初めの頃から大好きな作家、ナンバーワンでした。いやもっといえば、小学生の頃のひょっこりひょうたん島以来のファンでした。どうしていいのかわからなくなりましたし、また自分に何ができるのかもわかりません。でも何かこの気持ちを伝えるべきだと考え、「通信」を井上ひさし追悼号(その1)として送信することにしました。一読下されば幸いです。かっちゃん

 
12日(日)朝、インターネットニュースをぼっーと見ていた私の目に、衝撃的な報道が飛び込んできました。私のもっとも敬愛している作家、井上ひさし(ファンの特権で、敬称なしです。)の突然の訃報です。彼の著作は全て集めようと意気込んできたのに、もう新作が書店に並べられることも、もちろんそれを読むこともできません。「こまつ座」の新しい芝居を見ることもかないません。もちろん死は誰にでも訪れるものですが、それにしてもまだまだ早すぎたといわざるを得ません。それ以上に本人にとって、志半ばという無念さはぬぐえないでしょう。本当に悔しい。偏狭な民族主義を看板に掲げてこの夏の参院選の票をかすめ取ろうとしている新党「立ちあがれ日本」に巣くう魑魅魍魎の様な連中の中には、井上ひさしよりも遙かに年上がいるというのに。
ちなみに、「立ち上がれ…」のメンバーなど足元にも及ばないくらいに日本という国を愛し、この国に住む人々の行く末を案じていたのも井上ひさしでした。例えば、ベストセラーとなった大作『吉里吉里人』以来の主要なテーマの一つである農業やコメの問題についての数々の発言もそうです。なぜ米自由化に絶対反対なのか、彼の論は、具体的な数字を駆使してのきわめて説得力のあるものですが、その背景にあるのは、「このままでは、日本の農村は破滅してしまう」?という危機感です。「愛国心」や「ニッポン」を声高に叫ぶ風潮がまたぞろ出てきそうな風潮もあるなか、彼は、実態のない「日本」を愛するという言葉に惑わされてはいけないと主張します。相当破壊されてきてはいますが、まだかろうじて残っているこの国の自然をどう守っていくのか、あるいは失業者や臨時雇いの増大などで日々の暮らしに困っている人々の暮らしをどう立て直していくのかといった、目に見える具体的な施策を真剣に考え実施していくことこそが「愛国心」であるということを、一連の著作で発言し続けてきました。
また最近では特に、『夢の痂』『夢の裂け目』『夢の泪』の三部作で、日本人の戦争責任という重いテーマを真正面から取り上げていました。しかしテーマは重くても、そこは当代一流の書き手である井上ひさし。
  
むずかしいことを やさしく
やさしいことを ふかく
ふかいことを ゆかいに
ゆかいなことを まじめに書くこと
という基本的な姿勢を崩すことなく、この問題にも取り組んできました。これらの作品についても、少しずつ触れていくつもりです。
もっともっと先であると、難の根拠もないのですが、そう信じていた井上ひさしの訃報に接し、昨日の午前中はただただ呆然としていました。でも時間が経つうち、それではいけない、そう思いなおし、自分の筆の力の及ぶところではないこと十分に自覚しつつも、本通信で、この先随時「追悼号」を出していくことにしました。基本的には彼の著作の紹介と書評という形態を取っていくつもりですが、それにしても膨大で深い内容に富む作品群、ほんの表面をなぞるだけかも知れません。また、この先何十年もかかる仕事でしょう。しかし、たとえわずかでも、自分のできることをできる範囲でやっていくことが使命のように思われ、着手することにしました。

今私の手元にある井上作品のうち、もっとも奥付が新しいのが『ムサシ』という戯曲です。第一刷りが2009年5月10日です。この時点では、まだ肺ガンは見つかっていない時期だと思われます。
井上戯曲の魅力は、まず凡人が思いつきもしない奇想天外な着想と、予想もつかないどんでん返しや展開、さらには日本語のおもしろさを十分に引き出す言葉遊び、それに細部にまでこだわった背景描写等々です。もちろん、戯曲は戯曲として独立しているのではなく、あくまでも芝居という、上演されて初めて成り立つ立体的な芸術なのですが、台詞やト書きを読んでいるだけでも十分に楽しめるというのも大きな特徴です。

『ムサシ』とは、宮本武蔵のことですが、主人公は彼一人ではありません。むしろ狂言回しといった方がよいかも知れません。場面は、あの巌流島の決闘から始まります。ご案内の通り、実際には武蔵が佐々木小次郎を倒して決着するのですが、『ムサシ』では、虫の息となった小次郎が助けられるところから物語は展開します。
助かった小次郎は、ムサシと再び邂逅して、かの巌流島での戦いの復讐を果たすことのみを、生涯の全ての目標として生きてきたことが語られます。そしてついに、鎌倉の小さな禅寺の開山式の場で、武蔵との再会を果たします。そこで念願を果たそうとするのですが、開山式に集った面々、沢庵和尚や柳生宗矩といった当代一流の人々ですが、必死に無益な争いを止めさせるべく説得や工作を繰り広げます。しかし、復讐こそが人生と歩んできた小次郎は、聞く耳を持ちません。やがて武蔵も今一度の果たし合いに望む決心を強めていきます。決闘を止めさせるための様々な工夫がなされるのですが、事態は悪化するばかりです。万策尽きたたかと思われたその時、急転直下の事態が生じていきます。
未読の方々のために、これ以上の紹介はやめます。さてこの戯曲には、もう一つの決闘が出てきます。理不尽な理由で父親を殺害された娘の仇討ちです。誰しもこの娘に感情移入し、仇討ちに加勢したくなるのですが、すんでの所で娘は悟ります。
…恨みの三文字を細筆で書いたのは父でした。その文字を甚兵衛殿が小筆で荒く書き、いまわたくしは中筆で殴り書き使用としている。やがて甚兵衛殿のゆかりの方々が太筆で暴れ書きすることになるはず……。そうなると、恨み、恨まれ、また恨み、恨みの文字の連鎖が鎖になってこの世を黒く塗り上げていってしまう。恨みから恨みへと続くこの鎖がこの世を雁字搦めに縛り上げてしまう前に、たとえ今はどんなに口惜しくとも、私はこの鎖を断ち切ります。
報復の連鎖とでもいうべきパレスチナの地やロシアでの紛争は、もはや「雁字搦め」の様相です。もちろん、イスラエルの不当な占拠や、その矛盾の根本原因を作ったアメリカやイギリスの責任は厳しく糾弾されるべきです。ロシアや中国の、拡大主義もしかりです。しかしそれを承知の上で、何よりも「生きる」事の大切さを井上ひさしは訴えています。作品の終わりの部分で、亡霊の口から「命」が語られます。
生きていたころの、どんなにつまらない一日でも、
どんなに辛い一日でも、
どんなに悲しい一日でも
どんなに寂しい一日でも
とにかくどんな一日でも
まばゆく、輝いて見える。
もっともっと生きて、多くの作品を書きたかったはずの井上ひさしが、病に倒れる直前に書き残した作品のテーマは、実に「命」でした。
まだ一読しかしていませんので、読みが浅いのかもしれませんが、報復の連鎖を断ち切る妙案は、この『ムサシ』でも、示されてはいません。もっともそんなものがあれば、とっくに世界は平和になっているはずですが。
しかし、井上作品のもう一つの魅力は、描かれる人物たちが、決して絶望しないということです。このメッセージもまた、私たちがしっかりと受け継ぎ、次代に伝えていくべきことでしょう。合掌。
―新聞休刊日で井上ひさしの訃報を新聞で読めない日に。―

?井上ひさし『コメの話』p303 1992年 新潮文庫版 

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