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坐禅コミュの「舌を齶にかけるべし」道元・瑩山紹瑾・智��

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当コミュニティ冒頭には、

「右の足を、左の腿のうえにおく。左の足を、右の腿のうえにおく。右手を左足のうえにおく。左手を右手の上におく。ふたつの親指を、さきをあわせてささえる。息は鼻から通じさせる。口は閉じる。目は開いて、見開きすぎても、つむりすぎてもいけない。」

実は坐禅の"調身"面ではこれだけでは足りません。
「舌を齶(あざと)に掛けるべし」と、これは道元禅師『普勧坐禅儀』、瑩山禅師『坐禅用心記』、更には天台大師智�據覆舛�)の『小止観』にも出て参ります。

齶(あざと)とは、上顎の歯ぐきの付け根です。略して「舌を上顎に付くべし」と書くものも非常に多いです。

では何故「舌を齶に掛け」なければならないのでしょうか?
それは人体の経絡で、前面の正中線を流れる経絡を「任脈」、背面の正中線を流れる経絡を「督脈」といいます。これを結ぶと丁度円環状になり、気功の世界ではこれを「小周天」といい、「小周天が通じれば百病が癒える」とまで言われています。

さて、その任脈と督脈は口の中で途切れています。ですから頭に上がった"氣"が下がらなくなってしまいます。氣は上がりやすく下がりにくいものです。

坐禅で下腹部の前で法界定印を組み、「意識は掌に置く」と書いてあるのも、"氣"というものは「意の至る所に氣が至る」性格があり、氣を下げる効用があるからです。

ですから古典に記述されている通り、坐禅は特に厳格に行わねばなりません。
坐禅のことを脳波のアルファ波を出す為の手法だと思っている人は多いですが、坐禅中に脳波のことを考えていると、意識に引っ張られて氣が首から上に行ってしまいます。だから坐禅を組む際には脳波のことは考えず、あくまで法界定印の掌の上に意識を置くべきなのです。勝手な行為は禁物なのです。

これをキチンと気をつけないと、所謂禅病、若い頃の臨済宗の方ですが白隠禅師が廃人になりかかりましたね?(いや、なったというべきか?)この方の場合は、「軟酥の法」を後世に伝えるためにその失敗が起こったのだろうとは思いますけど。ヘーゲルのいう「理性の狡智」ですね。

ともあれ、気功修練者の目から見ても、坐禅の作法は古典に忠実に行わねばならないことが良く分かります。皆さんも特にこの点(舌を齶に掛けること)に注意して、参禅に励んでください。

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