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我が愛しのアスリート図鑑コミュの武 豊(ジョッキー)

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金勝小学校、栗東中学校、競馬学校(3期生)を経て1987年にデビュー。 1988年に菊花賞で優勝したのを皮切りに、19年連続で、つまりデビュー初年度(1987年)を除く全ての年でGI競走を制覇している。デビュー以来「競馬の祭典」と言われる東京優駿(日本ダービー)に勝つことができず、競馬界の七不思議の一つと言われたが、10年目の1998年にスペシャルウィークで初勝利し、同時に史上2人目の八大競走完全制覇を達成。翌年(1999年)もアドマイヤベガで制し、史上初の連覇を達成した。2005年までにタニノギムレットとディープインパクトで勝利し、通算4勝は中央競馬最多である(従前の東京優駿(日本ダービー)2勝ジョッキーは武以外に5人いた)。

また、デビューした1987年と1991年、並びにフランスへ長期海外遠征を行った2001年を除き毎年コンスタントに年間100勝以上のペースで勝ち続け、2003年から年間200勝を3年連続で記録した。

2002年2月24日の中山競馬第3競走で落馬し、骨盤を骨折して全治3ヶ月〜6ヶ月といわれた重傷を負ったが、わずか2ヵ月後の4月20日に復帰。その回復力は関係者やファンを驚かせた。それから1ヶ月後の5月26日には、この年の東京優駿(日本ダービー)をタニノギムレットで制して史上初の東京優駿(日本ダービー)3勝目を飾っている。

2006年12月24日現在で、JRAGI競走通算57勝。50勝目はディープインパクトが無敗でクラシック三冠を達成した2005年の菊花賞である。他に、地方交流GI競走を13勝、海外GI競走を6勝(いずれも2006年5月7日現在)。未勝利の国内平地GIは、ヴィクトリアマイル(2006年に新設)、マイルチャンピオンシップ、朝日杯フューチュリティステークス(以上JRA主催分)、かしわ記念(2005年より統一GI昇格、船橋競馬場で開催)の4競走である。ただし、かしわ記念については統一GIII時代の1997年にバトルラインで優勝している。

●1988年
菊花賞(スーパークリーク)
●1989年
桜花賞(シャダイカグラ)
天皇賞(春)(イナリワン)
宝塚記念(イナリワン)
天皇賞(秋)(スーパークリーク)
●1990年
天皇賞(春)(スーパークリーク)
安田記念(オグリキャップ)
スプリンターズステークス(バンブーメモリー)
有馬記念(オグリキャップ)
●1991年
天皇賞(春)(メジロマックイーン)
●1992年
天皇賞(春)(メジロマックイーン)
●1993年
桜花賞(ベガ)
皐月賞(ナリタタイシン)
優駿牝馬(ベガ)
宝塚記念(メジロマックイーン)
●1994年
桜花賞(オグリローマン)
ムーラン・ド・ロンシャン賞(スキーパラダイス)
阪神3歳牝馬ステークス(ヤマニンパラダイス)
●1995年
安田記念(ハートレイク)
優駿牝馬(ダンスパートナー)
●1996年
優駿牝馬(エアグルーヴ)
菊花賞(ダンスインザダーク)
●1997年
NHKマイルカップ(シーキングザパール)
宝塚記念(マーベラスサンデー)
天皇賞(秋)(エアグルーヴ)
●1998年
桜花賞(ファレノプシス)
東京優駿(スペシャルウィーク)
秋華賞(ファレノプシス)
モーリス・ド・ギース賞(シーキングザパール)
●1999年
天皇賞(春・秋)(スペシャルウィーク)
東京優駿(アドマイヤベガ)
アベイユ・ド・ロンシャン賞(アグネスワールド)
マイルチャンピオンシップ南部杯(ニホンピロジュピタ)
ジャパンカップ(スペシャルウィーク)
●2000年
皐月賞(エアシャカール)
ジュライカップ(アグネスワールド)
菊花賞(エアシャカール)
●2001年
NHKマイルカップ(クロフネ)
アベイユ・ド・ロンシャン賞(インペリアルビューティ)
エリザベス女王杯(トゥザヴィクトリー)
ジャパンカップダート(クロフネ)
香港ヴァーズ(ステイゴールド)
●2002年
東京優駿(タニノギムレット)
ジャパンダートダービー(ゴールドアリュール)
スプリンターズステークス(ビリーヴ)
秋華賞(ファインモーション)
エリザベス女王杯(ファインモーション)
ダービーグランプリ(ゴールドアリュール)
東京大賞典(ゴールドアリュール)
●2003年
フェブラリーステークス(ゴールドアリュール)
ジャパンダートダービー(ビッグウルフ)
エリザベス女王杯(アドマイヤグルーヴ)
全日本2歳優駿(アドマイヤホープ)
東京大賞典(スターキングマン)
●2004年
桜花賞(ダンスインザムード)
JBCスプリント(マイネルセレクト)
エリザベス女王杯(アドマイヤグルーヴ)
ジャパンカップダート(タイムパラドックス)
●2005年
川崎記念(タイムパラドックス)
高松宮記念(アドマイヤマックス)
皐月賞(ディープインパクト)
東京優駿(ディープインパクト)
ジャパンダートダービー(カネヒキリ)
帝王賞(タイムパラドックス)
秋華賞(エアメサイア)
菊花賞(ディープインパクト)
ダービーグランプリ(カネヒキリ)
JBCクラシック(タイムパラドックス)
ジャパンカップダート(カネヒキリ)
●2006年
フェブラリーステークス(カネヒキリ)
天皇賞(春)(ディープインパクト)
NHKマイルカップ(ロジック)
宝塚記念(ディープインパクト)
ジャパンカップ(ディープインパクト)
有馬記念(ディープインパクト)



◆スーパークリーク(菊花賞、天皇賞(春・秋))
初GI勝利馬。菊花賞では同馬は賞金の関係で除外になる可能性もあったが、武は同馬での騎乗にこだわったという。オグリキャップとはライバルに当たる馬だった。

◆シャダイカグラ(桜花賞)
桜花賞では不利だとされる大外枠から出遅れて結果的に内を確保して勝利。『内に入るためわざと出遅れた』という逸話が広まった。

◆イナリワン
騎乗したのは2回のみだがそのうち2回ともがGIで、2回とも勝っている。1989年から1992年までの天皇賞(春)4連覇、1990年春までの天皇賞3連勝の最初のパートナーでもある。

◆バンブーメモリー(スプリンターズステークス、マイルチャンピオンシップ2着2回)
1989年マイルチャンピオンシップでのオグリキャップとのハナ差の敗戦が有名。
父・邦彦の管理馬で、スプリンターズステークス優勝は正に親孝行だった。

◆オグリキャップ(安田記念、有馬記念)
騎乗したのは2回のみだがそのうち2回ともがGIで、2回とも勝っている。マスコミからはこのときアイドルジョッキーだった武とアイドルホースのオグリキャップとのコンビは『ゴールデンコンビ』とまで言われた。引退レースとなった有馬記念での勝利は、奇跡の復活とまで言われ17万人の大歓声に答えた。

◆メジロマックイーン(天皇賞(春)2回、宝塚記念)
天皇賞(春)を勝ってメジロアサマ、メジロティターンに続く親子三代天皇賞制覇の偉業達成。天皇賞(秋)で1位入線したが、他馬への妨害で降着。その後天皇賞(春)を史上初の連覇と宝塚記念を勝つ。

◆ベガ(桜花賞・優駿牝馬)
春の二冠を制覇。皐月賞のナリタタイシンと合わせ春クラシック3連勝達成。

◆オグリローマン(桜花賞)
婚約発表の10日後に桜花賞を制覇。余談になるが2着馬がツィンクルブライド、3着馬がローブモンタント(婚礼で着飾る立襟の豪華ドレス)と結婚がキーワードの馬であった。

◆スキーパラダイス(ムーラン・ド・ロンシャン賞、京王杯スプリングカップ)
日本人初欧州GI制覇の快挙。

◆ホワイトマズル(“キングジョージ”2着)
キングジョージでは、直線でカラ馬に邪魔をされるハプニングがあり2着。また凱旋門賞では1番人気に推されたものの、後方から追い上げ及ばず6着に終わった。レース後、チャップルハイアム調教師は双眼鏡を叩き割り、「タケのようなジョッキーは、ニホンで乗ってればいいんだ」と悪態をついた。また、ヨーロッパのマスコミはここぞとばかりに武の騎乗振りを罵倒した。

◆ダンスパートナー(優駿牝馬)
1995年優駿牝馬に優勝。夏はフランス遠征を敢行した。結果はG3で2着、G1で6着。ちなみに敗れたものの菊花賞にも挑戦した。

◆エアグルーヴ(優駿牝馬、天皇賞(秋))
1996年優駿牝馬で親子2代での優駿牝馬制覇達成。1997年天皇賞(秋)も優勝し、グレード制導入後初の牝馬による牡馬混合中長距離GI勝利を達成。続くジャパンカップで2着。

◆ダンスインザダーク(菊花賞)
皐月賞回避、東京優駿(日本ダービー)はフサイチコンコルドに強襲され、惜しくも初の東京優駿(日本ダービー)制覇を逃す。しかし菊花賞では上がり3ハロン33秒8で差しきり優勝。ゴール後珍しく渾身のガッツポーズを見せた。

◆マーベラスサンデー(宝塚記念)
重賞4連勝など活躍しながらGIになかなか手が届かなかったが、1997年宝塚記念で戴冠。

◆シーキングザパール(NHKマイルカップ、モーリス・ド・ギース賞)
NHKマイルカップまで重賞4連勝。日本調教馬として初の海外G1制覇。

◆サイレンススズカ(中山記念、金鯱賞、毎日王冠、小倉大賞典)
旧5歳時に毎日王冠まで6連勝。ただし、当馬唯一のGI勝利である宝塚記念では武豊はエアグルーヴに騎乗し、鞍上は南井克巳。圧倒的一番人気を背に望んだ1998年天皇賞(秋)にて故障を発症、予後不良となる。これには武も相当落ち込んだようで、後輩の福永祐一も、「あんな落ち込んだ豊さんを今まで見たことがなかった」と証言しているほどだった。その日の夜はワインを煽るように飲み泥酔する武が目撃されている。わざわざ、オープン特別にもかかわらず東上して乗ったことから、相当思い入れが強かったようであり、宝塚記念の直前にも何度も調教師にこの馬の調子を伺っていたようである。

◆スペシャルウィーク(東京優駿(日本ダービー)、天皇賞(春・秋)、ジャパンカップ)
この馬で東京優駿(日本ダービー)初優勝。この時、あまりの興奮に鞭を落としてしまった。また、武豊のジャパンカップ初制覇をもたらした馬でもある。1999年有馬記念では武豊は「アタマ差は勝った」と感じたらしく、負けたのにウイニングランという珍事が発生。

◆アドマイヤベガ(東京優駿(日本ダービー))
前年のスペシャルウィークに続いてJRA史上初となる東京優駿(日本ダービー)連覇。親仔2代のGI制覇

◆アグネスワールド(アベイユ・ド・ロンシャン賞、ジュライカップ)
フランスのG1、アベイユ・ド・ロンシャン賞、ジュライカップを制覇。日本ではGIを勝てず。

◆エアシャカール(皐月賞、菊花賞)
菊花賞では内に斜行する癖を掌握して内から伸び、見事に二冠を達成した。

◆トゥザヴィクトリー(エリザベス女王杯)
2001年、世界最高峰のレースであるドバイワールドカップで、世界の強豪を相手に逃げ粘りキャプテンスティーヴの2着。同年のエリザベス女王杯では後方待機策で接戦の末に優勝(武は「勝つにはあれしかなかった」と勝利ジョッキーインタビューで語っている)。

◆クロフネ(NHKマイルカップ、ジャパンカップダート)
フランスから急遽帰国し跨った2001年NHKマイルカップでGI制覇。その後外国産馬で初のダービー参戦を果たすが惜敗。天皇賞(秋)を除外され出走した武蔵野ステークスでは1分33秒3の日本レコードで勝利。ジャパンカップダートでも2分5秒9の日本レコード勝ちをした。

◆タニノギムレット(東京優駿(日本ダービー))
NHKマイルカップは3着。2002年東京優駿(日本ダービー)で後の年度代表馬シンボリクリスエス以下を差し切り、JRA初の東京優駿(日本ダービー)3勝目。

◆ゴールドアリュール(フェブラリーステークス、ジャパンダートダービー、ダービーグランプリ、東京大賞典)
ダートで開眼。地方を中心に快進撃を続けた。サンデーサイレンス産駒初のJRAダートGI制覇。JRA最優秀ダートホース。

◆ファインモーション(秋華賞、エリザベス女王杯)
3歳馬として初めてエリザベス女王杯を無敗で制覇。
ダンスインザムード(桜花賞)
2004年桜花賞優勝で、調教師の藤沢和雄に初のクラシックタイトルをプレゼントした。アメリカンオークス招待ステークスでは2着に敗れた。

◆アドマイヤグルーヴ(エリザベス女王杯2回)
牝馬三冠競走では相次いで出遅れて3、7、2着も、2003年、2004年のエリザベス女王杯連覇。
タイムパラドックス(ジャパンカップダート、川崎記念、帝王賞、JBCクラシック)
2004年JBCクラシックで初騎乗(3着)以降、取りこぼしは多いが、ここ一番のGIでは力の違いを見せ付ける。

◆ディープインパクト(クラシック三冠、天皇賞(春)、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念)
デビュー以来無傷の7連勝で、シンボリルドルフ以来の2頭目の無敗のクラシック三冠を達成。有馬記念では2着に敗れ、無敗での4冠達成はならず。2006年天皇賞(春)、宝塚記念にも優勝し、凱旋門賞へ出走するも3位入線後、失格。帰国後、ジャパンカップ、有馬記念に勝利した。日本ダービーに勝利した際に「過去の馬とは比べたくありません。すでにこの馬が名馬なのですから」と語る。

◆カネヒキリ(ジャパンダートダービー、ダービーグランプリ、ジャパンカップダート、フェブラリーステークス)
統一GI連勝の後、ジャパンカップダート、フェブラリーステークスも優勝。ドバイワールドカップに出走し5着(後に2着馬の違反が発覚、失格となり4着と訂正)。

◆ハルウララ(競走成績113戦0勝)
高知競馬の交流重賞・黒船賞の次のレースに騎乗。結果は大敗するものの、取材陣の多さに「ダービー勝ったときより、今日は取材陣が多いですね」とおどけた。



豊は4人兄弟の三男で、幸四郎以外に長男の伸と次男の克己がいる。
同志社大学ラグビー部出身の長男の伸は、スポーツライターだった当時、違法薬物所持で逮捕され、「武豊の実兄逮捕」と大きく報道された。
北海道で牧場を営んでいた武一族の親戚が何者かによって殺害された事件も起きていて、自宅を訪れた報道陣にインターホン越しに「驚いています」「よくわかりません」と答えてる場面が、当時のニュースなどで流れた。
デビュー当時「武邦彦の息子」と言われることに対しどう思うかと聞かれ、馬の血統の話を引き合いに出し「どんなに頑張って活躍しても、父が〜だから母が何々だからと言われるのは可哀想だと思う。僕も自分の名前の上には父の名前が付くので仕方がないが複雑」と率直に述べている。
弟の幸四郎が初勝利を重賞で挙げた時に「幸四郎の兄と呼ばれないように頑張りたいですね」と冗談半分で自身の勝利インタビューで答えていた
3月1日にデビューしたにも係らず、22日には父の管理する馬で、早くも中京開催にて重賞初騎乗を果たす。ちなみに、重賞初騎乗の力みからか強引な騎乗をしてしまい、検量室内で父に注意される場面が、関西テレビで放映されたドキュメンタリー内で放送された。
豊と同じ87年に調教師デビューした父に、6月21日中京第4Rにて、自らの騎乗で初勝利をプレゼントする。口取り写真には、父の弟弟子であり豊の兄弟子であった河内洋騎手(現調教師)や、兄の伸も駆けつけた。
最も多く勝った重賞は阪神大賞典の8勝(2007年3月18日現在)。
1989年から1990年に3強といわれたオグリキャップ、スーパークリーク、イナリワンの3頭全てに騎乗しGIを7勝している。
マイルチャンピオンシップととても相性が悪く、バンブーメモリー、ファインモーション、ダンスインザムードでの2着があるものの、地元関西のGIで唯一未勝利である。
有馬記念とも相性が悪く、デビュー4年目の1990年にこれが引退レースとなるオグリキャップで制し感動を呼んだが、同じくラストランとなった2006年のディープインパクトでの勝利まで16年間優勝できなかった。その前年も当時無敗のディープインパクトに騎乗し単勝1.3倍に支持されたが、ハーツクライに1/2馬身差の2着に敗れた。逆に2着が多く(1989年スーパークリーク、1991年メジロマックイーン、1996年・1997年マーベラスサンデー、1999年スペシャルウィーク、2003年リンカーン、2005年ディープインパクトの計7回)、珍記録にもなっている。
1987年のデビューから毎年中央競馬の重賞レースを制している。これは武豊の他には藤田伸二しか達成していない記録である。
競馬学校の2年先輩である石橋守を敬愛している。行動を共にすることがよくあり、石橋がメイショウサムソンでGI初制覇を成し遂げたとき、自分の事のように喜んでいた。
芸能人と交流があり、とんねるずや明石家さんま、SMAPの中居正広や木村拓哉や島田伸助等と親交が深い。
島田伸助に番組中、佐野量子と住んでる一戸建て住宅の隣は動物園だとバラされた。また、佐野量子の為に家を建てたエピソードも披露。
スマスマに出演した時、木村拓哉が、豊と食事を一緒にして熱く語り合ったエピソードを披露していた。
笑っていいとも!の名物コーナーであるテレフォンショッキング出演歴あり。1回目は1989年12月21日で早見優から紹介されて佐野量子を紹介し、2回目は2002年1月9日で小泉孝太郎から紹介されて陣内孝則を紹介した。
趣味はゴルフで、ゴルフ誌に登場したこともある。以前趣味だったスキーは、友人の岡潤一郎がレース中の落馬事故で亡くなってからは行かなくなった。
1991年、TBSの2時間ドラマ「拝啓オグリキャップ様」で本人役でドラマ初出演(友情出演)。賀来千香子などと共演した。
佐野量子と1995年に結婚した。
佐野量子との結婚式は1995年6月5日京都の教会で伊集院静・篠ひろ子夫妻を立会人に行われた。
佐野量子との披露宴は1995年11月20日京都府の都ホテルで行われたが「1000勝祝賀会」も兼ねたものだった。
この結婚式のために、SING LIKE TALKINGは「Split Of Love」を作曲した。
スポーツニッポン(スポニチ)を愛読しており、同紙・競馬ページにコラム「武豊のサタデー・サンデー物語」を執筆している。そのためかスポニチは彼の騎乗馬の印に甘いと言われる。ディープインパクトに「英雄」と名づけたのもスポニチが最初である。
阪神タイガースファンで、阪神の選手と親交も深い。甲子園で阪神−巨人戦の始球式を務めたこともある。始球式では通常山なりのボールを投げるが、見事なストレートを投げスタンドから歓声が上がった。また、2000年皐月賞前の水曜日に阪神-巨人戦のゲスト解説を務めた際に阪神のジャンバー姿で放送席に座り、皐月賞についてコメントを求められた際に騎乗馬のエアシャカールについて、自信を持っているコメントを残し、見事好騎乗で勝利。2006年に金子真人ホールディングス(ディープインパクトの馬主)の勝負服姿で、甲子園球場で始球式を行った。万年Bクラス時代は『監督になった気分で、オーダーを自分で組んで勝手にシミュレーションしていた』という。
1999年、「おごってジャンケン隊」(週刊ビッグコミックスピリッツ)にゲスト出演。最後にジャンケンに負けてしまい、食事代(40,162円)を支払った。
2003年、平井堅「LIFE is ...〜another story〜」のPVに出演。数秒、骨折していた骨盤部分も映っている。
「武豊TV!」(フジテレビ739)の司会を務めている(ナビゲーターは見栄晴)。
武豊TV!を作りたいと思ったのは、02年の落馬骨折で入院した際、病院内で競馬中継を見ていて、元騎手でもない解説者がレース解説で馬込みの話をしていて腹が立ったからだと番組内で発言していた。
2005年度上半期NHK朝の連続テレビ小説・「ファイト」に本人の役にて特別出演(9月放映)。
2005年、「ベスト・スマイル・オブ・ザ・イヤー賞」受賞。
2005年、雑誌「Number」が選ぶ2005年度MVP受賞。
読みは違うが字が同じという縁で、愛知県知多郡武豊町(たけとよちょう)には数回招かれ、一日町長を務めたこともある。また、同町にあるJR東海・武豊線の武豊駅の改札口上には、一時期サイン色紙が飾られていた。
現在の愛車は三菱アウトランダー。CM撮影時に気に入りその場で購入交渉、競馬場で納車。カラーはブラックマイカ。
2006年2月23日〜27日にタカシマヤ新宿店にてデビュー20周年記念展が開催され、優勝カップや馬具、プライベート写真などの展示、VTR上映等が行われた。また同年4月19日〜24日に高島屋京都店(四条河原町)で、8月30日〜9月4日に伊勢丹小倉店(北九州市)で、2007年2月7日〜15日に高島屋大阪店(なんば)で同様の展覧会が開催。
2006年10月、社会問題となった筑前町立三輪中学校に通ういじめを苦にして自殺したディープインパクトのファンの中学2年の生徒の両親に対し、「天国で応援して」と色紙を送った。
大阪税務署主催の「利きビールコンテスト」でも出場者の中で唯一人、全銘柄を的中させたことがある。
手首の太さで体重の増減が100g単位で分かる。
好みのブランドはヒューゴ・ボス、ジャンニ・ヴェルサーチ。また腕時計はタグホイヤーがお気に入り。
ジーパンのサイズは26インチ。
幼少期から厩舎に出入りしてた豊は「ニンジンは馬の餌で人間の食べるものではない」との認識が生まれ、嫌いな食べ物となった。
デビューした1987年にトウカイローマンでジャパンカップに出走した際には「デビューの年にジャパンカップに騎乗できるなんて、そうそうない」と語った(実際に菊花賞とジャパンカップの新人騎乗は武が史上初であった)。
海外に行ったとき、現地の人は「タケ」と発音ができないため「タキィ」と発音されてしまう。もっともこれでもよくなったほうで、海外参戦して日が浅かった頃は「テイク」と呼ばれていた(「たけ」のローマ字表記「TAKE」は英語の「TAKE(=得る、取るなど)」と同表記)。
とんねるず曰く、「焼鳥」のことを「YT」と言う。
普段はインタビューにも普通に答え、武の人柄の良さを感じさせるが、レースでのショックが大きいときは人が変わったように無愛想になるときもある。凱旋門賞でディープインパクトに騎乗し負けたときは、勝てると思っていたぶんショックが大きかったのか、敗戦後の駆け寄ってくるインタビューアを振り切るように憮然として引き上げていった。また、天皇賞(秋)でサイレンススズカに騎乗し、同レースで同馬が予後不良になったあとに故障の原因を聞かれたときも、まるで人が変わったように無愛想になっていた。
競馬をテーマとした漫画『じゃじゃ馬グルーミンUP!』の登場人物弓削 匠(ゆげ たくみ)のモデルは武である。(文庫本1巻のあとがきも書いている)

コメント(2)

私にとっての競馬は
武豊から始まりました
予想で悩んだら『まず豊から』です

まだ競馬を始めたばかりの頃には豊の乗る馬からチェックしていったりして覚えていきました
いつも中心にいる存在です


武豊とのパートナーというとアタシはやっぱり
スペシャルウィークです
ダービーの喜び方を見て豊もこんなアクションするんだーって驚きました
武豊の文章を読んでいると、色んな思い出が走馬灯のように思い出されました。

自分にとっての武豊の思い出深い馬はスーパークリークです。

自身初のG1レースを勝った菊花賞も圧巻でしたが、何と言っても大外から、オグリキャップを負かすために、常に前で競馬をして、当時最強といわれたオグリキャップを破って勝利した、秋の天皇賞が、一番の思い出です。

ユタカマジックって言葉の発祥もこの騎乗ぶりからでした。

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