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日本の生命線・台湾防衛運動コミュの梁思成は「恩人」かー奈良県は「銅像」受入れ再考を 

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奈良県庁に「梁思成の銅像」受け入れ拒否を求めよう! 
 代表電話番号: 0742-22-1101
 広報広聴課 koho-hp@office.pref.nara.lg.jp

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梁思成は「恩人」かー奈良県は「銅像」受入れ再考を 


ブログ「台湾は日本の生命線!」より
ブログでは関連写真も↓
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1231.html

■中国で語られる戦時中の対日「美談」  

産経新聞(七月十七日)に掲載した石川水穂論説委員の論説「不確かな“中国の恩人”顕彰」は「先の戦争で同県の文化財を米軍の空襲から守ったとされる中国の建築家、梁思成氏(1901〜72年)の銅像を奈良市内に建てる計画が中国と同県の間で進められている」が、「不確かな歴史を独り歩きさせないためにも、奈良県に再考を求めたい」と訴えた。

ところで、その梁思成なる人物や、日本への「恩」とはいかなるものなのか。それについては中国の王昇遠と言う学者の書いた一文に詳しい。〇六年八月から人民日報など複数の中国メディアのサイトに掲載されたものだが、一種の「美談」である。

内容を簡単に紹介すると、

―――梁思成氏は我が国の著名な建築家だが、言うまでもなく清末期の改革主義者で国学大師、梁啓超の子息である。一九〇一年、東京の生まれ。変法自強運動で敗れて亡命した父とともに日本で暮らしていた。

――― 一九四四年、太平洋戦線での「絨毯爆撃専門家」である米国のカーチス・ルメイ将軍は日本本土で大規模空襲を指揮していたが、当時中国の戦区文物保護委員会の副主任として重慶にいた梁思成氏も特殊任務を担うことになった。

―――つまり占領区における文化建築のリストを作成し、さらにその位置を軍用地図の上に記すと言うものだ。建築家としてはこれほど興奮するものはなかっただろう。彼は学生である羅哲文氏と昼夜を分かたず地図の作製に取り組んだ。

―――そして彼が作った地図のなかには特殊なものも一枚あった。そこには大きな二つの丸が描かれており、そこが日本の古都である京都と奈良だった。

■「美談」を「不確か」と指摘する産経論説

「美談」は続く。

―――それを連合軍司令部に提出しようとすると、ブロンソン大佐は訝しがった。なぜ中国の学者が敵国の古建築を守ろうとするのかと。梁思成氏は「個人の感情では日本を爆破したい。しかし建築は一民族のものではなく、全人類の文明の結晶だ。奈良の唐招提寺などは世界で最も古い木造建築の一つ。一度爆破すれば取り返しがつかない」と説明した。

―――梁思成氏の提議は最終的には採用され、京都と奈良は猛烈な爆撃から奇跡的に守られた。

―――なぜ古都は守られたのか。日本人が抱くこの謎が解かれたのは一九八六年、羅哲文氏の日本訪問によってだ。

――― 一九四六年、梁思成氏は公務で日本に立ち寄ったが、米兵の横暴を目撃し、日本への恨みは同情に変わった。そして徐々に「自分は日本の人民と美しい自然、そしてその優秀な文化、伝統を熱愛している。憎むべきは日本の軍国主義と帝国主義だ」と意識するようになった。

どうも羅哲文氏が八六年(八五年か)に日本で行った歴史証言により、梁思成氏の「功績」は広く知られるようになったようだ。ちなみに羅哲文氏は現在「中華社会文化発展基金会顧問」を務めている。

しかし産経の論説はそれを「不確か」だと言うのである。

■日本の歴史学者たちは否定的

それによると、歴史学者らは「この“恩人”話に重大な疑問を投げかけ」ている。

たとえば麻田貞雄・同志社大名誉教授は「梁氏がいつ、どこで、米軍のどの航空部隊の指揮官に空爆中止を進言したのか、明確にされていない」「仮に、梁氏が奈良・京都の空爆中止を進言したとしても、その歴史的意義は限りなくゼロに近い」と指摘する。

そもそも「京都は当初、原爆投下の目標になっていたが、スティムソン米陸軍長官の決定で対象から外されたことがはっきりしている。奈良は空襲するだけの戦略的価値がなく、もともと米軍の空襲リストになかった」のだそうだ。

スティムソン氏が京都を原爆の対象から外したことは、「同志社大教授だった故オーティス・ケーリ氏らの研究で明らかにされ」ていると言う。

また現代史家の秦郁彦氏も「当時、日本の文化財を空襲から守りたいと考えていた海外の専門家は何人かいたはずだ。梁氏が中国の米軍航空部隊に進言したとしても、それが日本空爆の最終決定権者であるスティムソンにどんな形で伝わったかが分からなければ、ほとんど意味はない」と話している。

論説によれば、「ウォーナー伝説」と言うものもあると言う。「米ハーバード大で東洋美術を教えていたラングドン・ウォーナー博士(1881〜1955年)が奈良・京都を空襲から外すよう米当局に進言した」と言うものだ。次のような経緯があるらしい。

―――終戦直後の昭和20年11月11日付朝日新聞は「京都・奈良無疵(むきず)の裏」「『人類の宝』を守る」「米軍の陰に日本美術通」との見出しで、GHQ(連合国軍総司令部)の高官が伝えた話として、ウォーナー氏が米の「戦争地域における美術および歴史遺蹟(いせき)の保護救済に関する委員会」で、京都と奈良を空爆の目標から除外しようと献身的な努力を尽くした、と報じた。

実はこの「伝説」も確証は得られていないらしい。しかし論説は「今回の“中国の恩人”話よりは信憑性が高い」とする。秦氏によれば「ウォーナー氏がスティムソンに働きかけたことはあり得たかもしれないが、梁氏にその可能性はほとんど考えられない」と言っているし、麻田氏もほぼ同意見だそうだ。

■話持ち込んだ日中友好協会も「確証なし」と

論説によれば、梁思成氏を「恩人」とする話は奈良県が調べたものではなく、「平成20年末、中国側から日中友好協会と薬師寺を通じて奈良県に持ち込まれ」たものだ。

そしてその銅像作りについては日中友好協会の前会長である平山郁夫氏と中国側との間で話し合われたのだそうだ。

これについて同協会は、「確証はないが、日中の交流を進めるうえで悪い話ではなく、平城遷都1300年記念事業が行われる奈良県に相談した」と話している。

これは聞き捨てならないことだ。事実かどうかは「確証はないが、日中の交流を進めるうえで悪い話ではない」との理由で、銅像の寄贈話を進めてきたと言うのか。

■「友好人士」が中国に感謝したい理由とは

「日中友好」と言えば、それの前提となるのが歴史問題に関する日本側の謝罪姿勢と、それに対する中国側の寛大姿勢だ。だから日本の所謂「友好人士」には、贖罪意識に染まって位負けするあまり、中国人から寛大さを示されると、たちまち感謝感激してしまうような心理状態が目立つ。

あるいはそのように感謝感激することを贖罪の証とし、自らの「道徳的」な行為に酔い痴れるのである。

だからこうした人々にとり、「中国の恩人」の話が事実であるかどうかは必ずしも重要ではない。それを顕彰し、それに感謝すると言う行為こそが重要なのである。

そしてそのようにして「友好人士」としての名を挙げ、中国側から褒められ、さらにそれを国内で自慢することが無上の喜びなのかも知れない。

■この銅像は日本人を平伏させる

こうした「恩人」顕彰は、中国側にとっても重要なこととなる。日本人が梁思成氏の「恩」を仰ぐことで、中国に対する精神的従属性を強めてくれるのだから、願ってもないことだろう。

梁思成の銅像は清華大学美術学院の李象群教授工作室で制作された。そして四月二十四日には、中華社会文化発展基金会の「梁思成銅像建立組織委員会」などが北京で開催した「古都の恩人・梁思成」と題する講演会の会場で初披露された。この日は駐中国大使館の川上文博参事官が銅像前で献花している。

六月十二日には北京の国家博物館で、銅像の披露式典が行われた。中国政協の孫家正副主席、清華大学の顧秉林学長が出席し、日本側からは阿南惟茂元中国大使のほか、奈良県の窪田修副知事が参列した。

窪田副知事は「梁先生は奈良を守ってくれた恩人。日中友好の歴史をあらためて確認できて大変感謝している」と挨拶している。

このように梁思成氏の銅像は、すでに日本人たちを平伏させている。

■子供たちの教育と日中友好のどちらが重要か

かつて日本の保守派が蒋介石の「以徳報怨」伝説に感激し、その銅像を国内に建てたことを思い出す。戦後の「日華関係」を根底で支えた一つに、そうした伝説に浮かされた日本人たちがいたわけだが、そもそもその伝説内容もまた「不確か」なものばかりだった。

そもそも日中間の戦争は蒋介石が勝手に始めたものである。それを批判することもなく、敵の「徳」に感謝するなど、やはり多くの日本人は敗戦ショックでおかしくなった。

そして梁思成氏の銅像だが、それはやがて奈良県庁の近くに設置される予定だ。十月三十一日には「平城遷都一三〇〇年祭」のイベントの一環として銅像建立開幕式が行われる。

今や「中国の恩人」話は日中友好協会ですら「確証はない」と認めている。それでも奈良県はなお、銅像を恭しく受け入れ、公の場に備え付けるつもりなのか。

産経の論説は「奈良は多くの修学旅行生が訪れる」こともあるので「再考を」と言っているが、その通りだ。日本の子供たちへの歴史教育と、対日弱体化工作を繰り返す国との「友好」のどちらが大切かを考えるべきだ。

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