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シュタイナー的生活を楽しむコミュの第41週 霊学の観点からの子どもの教育

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1/13〜1/19
  
魂の創造する力が
心の奥底から流れ出ようとする。

その力は人生の中で
神々の力を正しく働かせようと
燃え上がり
 
人間の愛と仕事を通して
自分自身を鍛え上げる。
         (Rudolf Steiner  高橋 巌訳)
--------------

更新が大変遅くなりましたが、

新年おめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

実は、昨年秋頃から肩こりと首の痛みがひどく、

パソコンから少し遠のいていたのです。

今はすっかり回復しましたが、

今年もできる限り無理のない程度に

トピックを更新したいと思っています。

さて『黙示録の秘密』は、ほぼ読み終えたので、

新年は、肩がこらず、とっても読みやすい『霊学の観点からみた子どもの教育』を

トピックでとりあげながら、読書の行をすすめていきたいと思っている。

今の子ども達は、私たちが子どもの頃より

色んな意味で「閉塞感」に陥っているように思う。

そうした中で、新年早々に本当に痛ましいニュースが入ってきた。

大阪市立桜宮高校2年の男子生徒が昨年12月、自殺した。

この生徒は強豪で知られる同校バスケットボール部で主将を務めており、

顧問の男性教諭から体罰を受けたと手紙に書き残していた。

亡くなる前日、男子生徒は母親に

「今日も30〜40発殴られた」と話し、

遺体の顔面は腫れ、唇は切れていたという。

平成23年にバスケ部顧問の体罰についても市への通報があったが、

市教委と同校は顧問への聞き取りだけで、生徒に事情を聞くことなく

「体罰はなかった」と結論づけていた。

この時に、なぜ早急に問題解決に切りださなかったのか。

「一つの現象から学ぶ」ということができなかったのかと残念だ。

その時に対処していたなら防げたはずの悲劇であった。

このニュースを取り上げていたテレビ番組をたまたま見ていたら、

この事件とは別で、

学校の『指導』が原因で自殺した生徒の父親が出演していて、

『指導死』について語っていた。

この言葉を私は初めて聞いた。

教師の指導をきっかけに、命を絶つ子どもがいるのだそうで、

それが原因の自殺を遺族たちは『指導死』と名付けているという。

遺族たちは、多くの場合、学校は『指導』が原因とは認めようとせず、

国の調査でも実態が明らかにされたことはないと憤って、

教師の指導のあり方を問う動きが広がり、

シンホジウムが開催されるとのことである。

テレビに出演した父親の息子である当時中学二年生の

男子生徒の場合は、以下のような経緯で自殺したというのである。

この話をきいて私は本当にびっくりした。

本当に現実にこんなことがあったのかと耳を疑った。

給食時間に友達からもらった菓子を昼休みに学校で食べたことをとがめられ、

教師12人から1時間半にわたって、

菓子を食べた友達の名前をすべて明かすよう問い詰められた。

菓子を昼休みに学校で食べた程度で、中学校の教師たちが12人も集まり、

この男子生徒を取り囲んで詰問したというのだ。

これは、特殊な例だと思いたい。

12人の教師の中に一人でも

これはやりすぎだと訴える先生はいなかったのか?

集合魂の怖さを思い知らされる。

その翌日の夜、教師から自宅の母親に

『反省文を書き、臨時学年集会で決意表明するよう伝えてほしい』

と担任から電話があったという。

母親から話を聞いたこの生徒は40分後に

『たくさんバカなことをして もうたえきれません』

などと記された遺書を残してマンションから飛び下りたという。

これら一連の内容をみていて思うのは、

教育委員会や学校、教師達に

生徒一人ひとりへの「個への尊厳性」、「愛のかけら」も

見出せないということである。

シュタイナー教育とは、対極にあるこの一連の事件に

新年早々心が重くなる。

さて、気を取り直して、

今年の最初は、

『霊学の観点からの子どもの教育』(ルドルフ・シュタイナー 松浦賢訳 イザラ書房)

を読んでいきたい。

この著書には講演版と論文版が載っているが、

論文版から読んでいきたい。

この論文版は、講演録が多いなかで

シュタイナーがみずからペンをとって書き下ろした数少ない

教育論としてきわめて価値があるものである。

新しい年にあたって、

心を浄化するためにも、

以下最初の部分をよんでみたい。

「 現代の生活は、私たちが祖先から継承してきた、

さまざまな事柄に疑問を投げかけます。

そのために私たちは、

これほどまでに多くの「時事問題」や「時代の要請」に直面するこ

とになります。

現在、世界に生じている問題としては、

社会問題、女性の問題、教育や学校の問題、

法律の問題、健康の問題などがあります。

人びとはさまざまな手段をもちいて、

これらの問題を処理しようとします。

このような問題を「解決」するために

ーあるいは少なくとも、問題を解決するのになんらかの貢献をするためにー

解決策をたずさえて登場する人間の数は、

膨大なものになっています。

このような人びとの気分はさまざまに異なっています。

たとえば、いかにも自分が革新的であるかのように

見せようとする急進派の人がいます。

現在存在するものを尊重しながら、

そのなかから新しいものを

発注させていこうとする穏健派の人もいます。

昔ながらのやり方や伝統の一部分が傷つけられると、

すぐ に激昂して騒ぎ出す、保守主義の人もいます。

そしてさらに、

このような主要な気分のほかに、

可能な限りのあらゆる中間段階が姿を現します。

人生をより深く洞察するとき、

私たちは、このような現象に対して、

ある感情を抱かずにはいられません。

それは、「私たちの時代は、多くの場合、

人類に課せられた要請に対して

不十分な手段で対処している」という感情です。

たくさんの人びとが、

人間の生の基盤となっているものを実際に知らないまま、

人生を作り変えようとします。

しかし「未来には何が生じるべきか」という提案をするためには、

私たちは、人生の表向的な部分について知っておくだけではなく、

さらに人生の深みを探求する必要があるのです。

人生は、全体としてとらえると、植物に似ています。

目でとらえられる部分が植物のすべてではありません。

植物は、その隠された深みのなかに未来の状態を秘めています。

葉をつけたばかりの植物を前にするとき、

私たちは、時間の経過とともに、

葉をつけている茎から花や実が生じることを知っています。

すでにいま、この植物は隠された部分のなかに

花や実の素質を含んでいるのです。

植物のなかの、現在目の前に現れている部分だけを

研究しようとする人は、

「植物のさまざまな器官は、これから先、どのような姿になるのか」

ということを説明することはできません。

植物のさまざまな器官が将来どのような姿になるか、

ということを語ることができるのは、

植物の本質を認識した人だけなのです。

それと同じように、人間の生全体のなかにも、

未来の素質が含まれています。

しかし、このような人生の未来について語るためには、

私たちは、人間の隠された本質を探求しなくてはなりません。

ところが現代の人びとはこのような探求を好みません。

人びとは、表面に現れているものだけを研究の対象にしたがります。

人びとは、「外面的に観察できない領域に足を踏み入れると、

不確かなものにとらえられることになる」と信じています。

植物の研究は、本質的に、人間の生の探求よりも簡単です。

私たちは植物を前にするとき、

それと同じ種類の植物が、

過去にさまざまな花や実をつけてきたことを知っています。

ところが人生は、たった一度しか姿を現しません。

人生が未来において咲かせる花は、

過去に存在したことはありません。

にもかかわらず、将来咲かせることになる花は、

その人間のなかに素質として、すでに存在しています。

それは、ようやく葉をつけたばかりの植物が、

そのなかに、未来に咲かせる花を

素質として合んでいるのとまったく同じことなのです。

表面よりも、もっと奥深い部分に足を踏み入れ、

人間の本質にまで突き進むとき、

私たちは、このような人間の未来について

何らかの事柄を語ることができるようになります。

現代のさまざまな改革の理念は、

人間の生のより深い探求のなかから生み出されるとき、

初めて実り多い、実践的なものになります。

霊学は、その性質上、「人生の本質を包括的にとらえる、

実践的な世界観を提示する」という課題を

担わなくてはなりません。

「はたして現在霊学と呼ばれているものに、

このような主張をする権利があるのか」ということは重要ではありません。

むしろここで重要な意味をもつのは、

霊学の本質そのものであり、

「その本質から見て、霊学とはどのようなものでありうるのか」

という点なのです。

霊学は、認識に対する単なる好奇心を満たすような

単調な理論となってはなりません。

また霊学は、利己的な欲求から

自分一人の高次の発展をめざそうとする、

一部の人びとの手段となってもなりません。

霊学は、現在の人類が重要な課題を果たすのに、

そして人類が幸福に向けた発展を遂げるのに、

実際に力を貸すことができるのです。

もちろん霊学は、このようなみずからの使命を認めるとき、

各方面からさまざまな反論や疑念を

投げかけられることを覚悟しておく必要があります。

人生のあらゆる領域における

急進派や穏健派や保守派の人びとは、

霊学に対して疑念を示すことでしょう。

なぜなら、少なくとも最初のうちは、

霊学はどんな党派を満足させることもできないからです。

というのも、霊学の前提は、

すべての党派の欲求を越えたところにあるからです。

霊学は、ほんとうの意味で人生を認識することだけを前提としています。

人生を認識しようとする人は、

人生のみを基礎として、自己の課題を作り上げます。

人生を認識している人は、

自分で勝手に計画を作り出したりはしません。

というのも、その人は、「現在支配しているのとは別の、

人生の基本法則が未来を支配することはありえない」ということを

知っているからです。

ですから霊的な事象の探求には、

必然的に、現在存在するものを

尊重する態度が求められることになります。

確かに霊学は、現在存在しているもののなかに

改善すべき点をたくさん見出すかもしれませんが、

それでもなお、霊学は現在存在しているもののなかに、

未来に向かって伸びていく萌芽を認識するのです。

霊学は、すべての生成のなかに、

成長と発展が含まれていることを知っています。

だからこそ霊学は、現在存在するもののなかに

変化や成長の萌芽を見出すのです。

霊学が、好きなように自分で計画

を作り出すことはありません。

霊学は存在しているもののなかから計画を読み取ります。

霊学が読み取るものは、ある意味において、

それ自体が計画なのです。

なぜならこのような計画のなかには、

成長の本質が含まれているからです。

ですから私たちは、

霊学をとおして人間の本質に深く入り込むことによって、

現代の重要な人生の問題を解決するための、

もっとも実り多く、

しかも実践的な手段を受け取るのです。

ここでは以上述べてきたような立場から、

現代の重要な人生の問題の一つである、

教育問題についてお話ししてみたいと思います。

私はここで、何らかの要求や計画を提示するつもりはありません。

私は、子どもの本質について

簡潔にお話しすることをめざそうと思います。

教育について考えるのに必要な観点は、

成長する人間の本質そのもののなかから、

おのずと生み出されるのです。

このような成長する人間の本質を認識しようとするならば、

私たちは、人間の隠された

本質を観察することから始めなくてはなりません。」(p40〜45)

このようにシュタイナーは、

目に見える 表面よりも、もっと奥深い部分に足を踏み入れ、

人間の本質にまで突き進むとき、

私たちは、人間の未来について

明確な解答が得られると語っている。

現代のさまざまな改革の理念は、

人間の生のより深い探求のなかから生み出されるとき、

初めて実り多い、実践的なものになるというのである。

今年も目に見えない本質にもっと目を向けて過ごしていきたい。

コメント(2)

あめじすとさん
コメントをいつもありがとうございます。

今日は、久しぶりに休みがとれたので、
「レ・ミゼラブル」(イギリス映画)を見てきました。

1985年の初演以来、

ロンドンで27年間にわたり上演されている

ミュージカルを映画化されたものとは、知らず

新聞の映画欄をみて、思いつきで行ったのですが、

とても感動しました。

ミュージカルにはなじみのない私でしたが、

スーザン・ボイルのカバーで有名になった

『夢やぶれて』の音楽が好きで良く聞いていたので、

すんなり入ってきました。

シュタイナーを学んだ上で見るとさらに深く

見ている内に、ジャン・バルジャンが自分と重なって見えました。

全ての人はジャン・バルジャンと同じように

誰も代わることのできない十字架(カルマ)を抱えて

生きているのだな〜と思いました。

後半部分では、涙ぼろぼろで、

一年分の涙を流してきました。

今年もよろしくお願い致します。

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