ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

シュタイナー的生活を楽しむコミュの第29週 「7つの封印」を読み解く

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

10/21〜27
思考の輝きを強め
体験してきたことの意味を解きながら
宇宙の中に霊の故郷を求める。
それは私に与えられた夏の遣産であり
秋の平静であり
冬の希望である。
(Rudolf Steiner 高橋 巌訳)
----------

黙示録によると、

今後、未来において、

人間はますます「善なる人間」と「悪なる人間」に

大きく分かれていくという。

最近の海外での略奪破壊のニュース

国内での目と耳を覆いたくなるようなニュース

を目の当たりにすると、

人間はここまで「悪」になれるのかと思ってしまう。

では、なぜ、「善なる人間」と

「悪なる人間」に分かれるのか?

それは、『黙示録の秘密』を読むと次第に理解できる。

さて、これまで見てきたように、

第四文化期(ギリシア=ローマ期)から

中世、近世への時代の流れの中で

「思考」は、外なる自然から切り離され、

独自に働くようになった。

その過程の中で、今日、利己主義と功利主義とが全盛期を迎えている。

人々は個人の欲求の奥底にまで、

物質化された人格の根底まで下降したのである。

しかし、一度はそのような

利己主義的な功利主義があらわれなければならなかった。

なぜなら、それによって人類全体の進化の過程が、

上昇の方向をとることができるようになるからだと

シュタイナーは語っている。

では、未来において、地球はどのような方向に

進んでいくのか?
 
今後は、人間は「知性」を霊化していく方向にあるという。

『黙示録の秘密』を読み進めながらみてみたい。

今回は第四講「七つの封印」を読みながら考察を深めてみよう。

この第四講を一通り読むと、

さらに『黙示録』の深遠な内容の一端に触れることができる。

これまでの内容から、

さまざまな民族が大洪水と呼び、

地質学者が氷河期と呼んでいる地球の根本的変動から、

第七文化期以降に起きる

「万人の万人に対する戦い」の時代までの人類の進化を、

ヨハネ黙示録は予言的に述べていることが

明らかになった。

ちなみに現在は第五文化期にあたると、

シュタイナーは述べている。

この大洪水から第七文化期までの時空のなかに、

「黙示録」が七つの手紙によって

予言的に示唆されている。

七つの手紙とは、七つの文化期のことであることが示された。

黙示録は過去の本質を私たちに示し、

私たちの意志と衝動を未来に向けて

燃えたたせるように導く内容である。

さて、今回は、現在の時代が経過したあと、

いかに人類が発展していくかを

7つの封印を読み解きながら考察してみたい。

今後、人類は二つの流れ、

つまり「善なる人種」と

「悪しき人種」に次第に分かれていくという。

このような未来の秘密が

ヨハネ黙示録の七つの封印を解明することによって

明らかにされるのである。

また、私たちの時代において人間の魂のなかで準備されるものが、

外的な「顔つき」のなかにあらわれてくるという。

これらについて、『黙示録の秘密』を要約しながら

考察してみたい。

私たちは、第五の手紙は第五文化期について書いているものであり、

その内容は、現代に生きる私たちの行為の要求であることがわかった。

そして、現代の第五文化期の後に

フィラデルフィアの教区によって代表される

第六文化期が用意されているのを知った。

ヨハネ福音書に書かれた、

地球全体への「友愛」という要求の言葉を理解した者たちによって、

第六文化期は統治されるとのことである。

そして、第七の文化期がそれにつづく。

さらにそれ以降の時代に起こるべきことが、

七つの封印の中に書かれている。

さて、ポスト・アトランティス期の時代の前、

アトランティス大陸で、

少数の魂がみずからにふさわしい方法で進化してきた。

それらの魂はアトランティス人の体のなかにとどまらなかった。

魂は進化したので、より進化した体のなかに

受肉することができるようになった。

進化から取り残された魂のみが、

低い段階にとどまった体のなかに受肉しなければならなかった。

つねに、進化から取り残された体に受肉しうる魂が存在するのである。

地上での使命を正しい方法で通過した魂が、

ある人種に受肉する。

この人種のなかで、この人種の能力を習得し、

つぎにはより進んだ人種に受肉しようとする。

ただ、「物質的生活」に満足し

そこから抜け出ようとしない人種のなかに下った魂は、

物質的執着心によってその人種のなかにとどまる。

そのような魂は二度、場合によっては三度、

おなじ人種の体のなかに受肉する。

いかなる魂もいわれなく古い体にとどまってはならない。

いかなる魂も現在の体にとどまったままであってはならない。

「自らを前進させよ」と叫ぶ声を聞く魂は、

万人の万人に対する戦いという大きな破壊の時期を乗り越え、

今日とはまったく違った新しい体のなかに現われるのである。

たとえば、アトランティス人の体を

今日の人間の体とおなじようなものだと考えてはならない。

何千年という時の流れのなかで、

人間の外的な体つきも変化するのであり、

万人の万人に対する戦いののちに現われる人間は、

今日の人間とはまったく違った形姿をとる。

今日、人間はある点で善悪を

隠すことができるように作られている。

たしかに人間の顔つきは多くの秘密を明かし、

顔だちから多くのことを読みとることができる。

しかし、悪党が無邪気な顔つきでやさしく微笑んだり、

立派な紳士だと思われたりすることが、今日ではまだ可能である。

魂の聡明さ、愚かさ、美しき、醜さを、

ふつうの顔つきの背後に隠すことが可能である。

このようなことは万人の万人に対する戦い

のあとにやってくる時代においてはない。

額、顔つきに、その人が善人か悪人かが書き込まれる。

魂の内奥が顔に現われる。

体全体が、魂のなかに生きるものの模像となる。

その人が内面でどのように進化したか、

良い衝動を発展きせたか、

悪しき衝動を発展させたかが、額に書きこまれる。

このように、眼に見える形で

万人の万人に対する戦いののちには、

二種類の人間が存在することになる。

「精神生活」へと呼びかける声に従い、

心的・精神的生活を高次にしようと努めた人々は、

その心的・精神的生活が顔に現われ、しぐさ、

手振りに現われる。

そして、「精神生活」に背を向けた人々は、

熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるい

ラオディキアの教区によって代表されるもののように、

つぎの時代に移行したときに、

人類進化を遅滞させ、

進化に対する反動的な力を保持する者になる。

そのような人々は、霊的なものに敵対する悪しき情熱、

衝動や本能、醜い、知性のない、

悪人らしい顔として明確に表れる。

さらに身振りや手振りに、

魂のなかに生きる醜悪なもののすべてが現われる。

人間がさまざまな人種、文化共同体に区分されてきたように、

将来、人間は善人と悪人の二つの流れに区分される。

こうして、魂がその人をどのような状態にもたらしたかが

はっきりと見て取れるようになる。

ここで、進化の段階について考察してみよう。

低級な動物は待つことができず、

あまりに早く霊的な母体から離れ、

そのために、以前の進化段階にとどまった。

このように、低級動物たちは、進化のさまざまな段階にとどまった。

人間は最後まで待つことができた。

人間は最後に霊的・神的な母体から離れて、

濃密な塊として肉体形姿のなかに下った。

動物は早く地上に下り、その段階にとどまった。

なぜそのようなことが生じたかはあとで考察することに

して、いまは、動物は早く地上に下り、

進化の以前の段階にとどまったという事実に注目しよう。

では、動物の形態とは何なのか。

動物は、霊的な母体と結びついたままでいれば、

今日の人類にまで進化していたはずである。

人間は古代には獣性をみずからのうちに担っていたが、

その獣性は枝分かれして、分離した。

動物の形姿はすべて、

あまりに早く凝固した個々の人間的な情熱を

表わしているものに他ならない。

人間が今日、まだ霊的にアストラル体のなかに有しているものを、

動物の形姿はそれぞれ物質的に表わしている。

人間はその情熱を、地球存在ののちの時空のために、

アストラル体のなかに保存したのである。

それゆえ、人間は最高の段階にまで上昇できた。

いまや、人間はみずからの内に、

ほかの動物の形姿のように、枯れていく枝として、

一般の進化から外に放り出さねばならないものを有している。

人間が自分のなかに、善いもの、悪いもの、

利口さ、愚かさ、美しさ、醜さへの性向として有しているものが、

上昇の歩みと残留との可能性を示している。

動物形姿が現われてきたように、

霊化にむかつて進み、

のちの時代の人類の目標に達する進化した人類から

醜い顔をした悪人種が分離して、現われてくる。

将来、人間の情熱の模像たる動物の形姿だけではなく、

人間が今日まだ、

内面に悪の部分として隠すことができているものが、

のちには悪人種のなかにはっきり現われることになる。

動物形姿の分離が、

人間のためには必要であったことを明らかにしなければならない。

これまでに全般的な流れから

分離していった動物の形姿はそれぞれ、

人間が一歩進化したことを意味している。

獣性のなかに分散された特性のすべてが、

人間のなかにあったと考えてみよう。

人間はそれらの獣性から純化されてきたのである。

そうして、人間は進化を遂げていくことができた。

濁った液体を自のまえに置き、

濁りが沈澱するのを待つと、

きれいな部分が上に残る。

同じように、人間が今日の進化段階に

必要としなかった濁りの部分が、

動物の形姿のなかに沈澱した。

人間は動物の形姿を、

年長の兄たちとして進化の歩みから投げ出すことによって、

今日の高みにいたった。

自分を純化するために低次の形姿を分離することによって、

人類は上昇するのである。

人類はふたたびある自然界、

悪人種の領域を分離することによってさらに上昇する。

今日人間が有する特性は、

動物形姿を放り出したことに負っている。

霊視者のまなざしをもってさまざまの動物を見る人は、

私たちが動物に負っているものを知っている。

ライオンの形姿を見て、

私たちは「ライオンがいなかったなら、

人間はあれこれの特性を持っていなかったであろう。

ライオンを放り出すことによって、

人間はこれこれの特性を獲得したのだから」と、いう。

動物界のそのほかの形姿すべてについて、

そういうことができる。

古インド文化期から現在にいたるまでの、

五つの文化期全体は、

本来、知性、理性、およびこの二つの能力に関する

すべてのことがらの進化のためにある。

知性、理性はアトランティス時代にはなかった。

アトランティス人には、記憶力などの能力はあったが、

知性を発展させること、

目を外界に向けること、

それはアトランティス以後の時代の課題なのである。

今日の段階に達するために、

人間はこの形姿から離れた。

かつて、人類が今日の状態にいたるために生じたことが、

将来、より高次の段階で繰り返される。

人間は知性を霊化していく。

今日、単に悟性、利口さであるものを、

人間は万人の万人に対する戦いののち、

叡智、霊性へと高める。

人間の未来を見る霊視者には何がみえるのか?。

いままでの文化期をとおして人間が準備してきたもの、

これからの文化期に受肉し、

万人の万人に対する戦いを経て

霊的な時代に生きていくものすべてが見える。

この霊視者の魂はこれまでの文化期に受肉し、

これからも受肉していく。

それぞれの文化期において、

受け取るべきものを受け取る。

ここで見えるものが「七つの封印」である。

この七つの封印を簡単にまとめてみたい。

?第一の封印は、インド文化期の体験を通して、

万人に対する万人の戦いの後の最初の時期に、

物質に打ち勝つ者を示す。

?第二の封印には、ペルシア文化期の体験を通して、

人類の上昇にとって無価値なものを滅する剣を持つ者が描かれている。

?第三の封印には、エジプトーカルディア文化期の体験を通して、

公平に測ることから得られる実りが秤で表されている。

?第四の封印には、キリストの叫びを聞かずに

悪の人種に落ちたものが落下するのが、

知性の象徴である4匹の馬で表されている。

?第五の封印では、知性が霊化され、

永遠の生命を得た心魂が白い衣で表れる。

?第六の封印では、人間を構築した太陽と月の

霊的な力が現れる。

?は記述がない。
七つの封印は、宇宙のなかに、人間の魂の中に記録され、

地球期の第五の時代(現在)の後に、封印が解かれる。

第六根幹時代に、転生した時には、

これまで封印されていたものが、

はっきりと目に見える形で生じるのである。

すなわち、古インド文化期に学んだこと、

ペルシア文化期、エジプト文化期、ギリシア・ロ−マ文化期の

それぞれの時代に学んだことが

いま私たちの魂のなかに生きている。

今日、それらはまだ外的に表現されてはいない。

私たちが過去において古インド文化期に受け取ったものは、

万人の万人に対する戦いのあとの時代の、

最初の時空において、転生した私たちの顔つきのなかに現われる。

古ペルシア文化期に習得したものは、

第二の時空において、顔つきに現われる。

このように、段階をおって、かつて学んだものが

顔つきに現われてくる。

私たちの魂が受け取る今日の霊的な教えすべてが、

万人の万人に対する戦いのあとの時代に実を結ぶ。

今日、人智学を学び高次への認識へと到るとする。

しかし、だれもそれを皆様の顔のなかに読むことはない。

数百年後にも、それが読まれることはない。

しかし、万人の万人に対する戦いののちには、

それが皆様の顔に現われてくる。

皆様の額に、皆様が今日習得していること、

いまの皆様の思考と感情が書き込まれている。

このように、万人の万人に対する戦いののち、

いまは魂のなかに隠れているものすべてが、

だんだんあらわになってくる。

地球期の第五の時代であるポスト・アトランティス期の時代の後の

即ち、万人の万人に対する戦いの後の

第六の時代(第六根幹時代)に起こるべきことについて、

『黙示録の秘密』を引用しておきたい。

「万人の万人に対する戦いの発端を考えてみましょう。

時代を貫いて響く、

キリスト原則の呼び声を聞いた魂は、

七つの教区への書簡に暗示されたことすべて

を超えて生きていきます。

七つの文化期が与えるものが魂のなかに据えられます。

七度、魂は封印されています。

それぞれの文化期が魂に封印を押しているのです。

インド人が魂のなかに書き込んだもの、

ペルシア人、エジプト人、ギリシア人、

ローマ人が魂のなかに書き込んだもの、

そして、現在の文化期が私たちの魂のなかに書き込むものが、

皆様のなかに封印されています。

封印を解くというのは、

万人の万人に対する戦いののちに、

魂のなかに書き込まれたことを外的に明らかにすることです。

私たちの文化期の果実が顔に現われるように

人間を導く原則、力を、

私たちはキリスト・イエスのなかに見ます。

ある本によって、七つの封印が解かれねばなりません。

この本とは、どの本のことなのでしょうか。

その本はどこにあるのでしょうか。

・・・中略・・・

ほぼ、年代記とか、歴史とかいう意味で、

本という言葉は使われたのです。

いま人類のなかに置かれ、

文化期から文化期へと人間の自我のなかに書き込まれ、

人間の魂のなかに書き込まれ、

万人の万人に対する戦いののちに封印を解かれるこの生命の本のことを、

黙示録はいっているのです。

この本のなかには、諸文化期が記入されています。

昔の本に系図が書きこまれていたように、

黙示録には人間が

霊的に到達したものが書き込まれています。

私たちの時空のなかで獲得すべきものを理知によって獲得するなら、

この進化の歩みは理知に適った象徴によって、

イマジネーション的に示されます。

インド文化期に、物質界から目をそらし、

まなざしを霊的なものに向けたことをとおして、

人間は万人の万人に対する戦いののちの最初の時空において、

物質的・感覚的なものに打ち勝ちます。

第一文化期に私たちの魂のなかに

書き込まれたものを自分のものにしていればいるほど、

勝者となります。

第二文化期における、

原ペルシア人による物質の克服が、

万人の万人に対する戦いののちの第二の時空に現われます。

剣は外界に対する勝利のための道具を意味します。

バビロニア・エジプト文化期に習得した計量法、

正確な測量が、万人の万人に対する戦いののちの第三の時空に現われ、

秤で表示されます。

そして、第四の時空には、

もっとも重要なもの、キリスト・イエスおよびキリスト・

イエスの出現をとおして、

私たちが第四文化期に習得したもの、

つまり、霊的な生命、自我の不死が示されます。

不死に適さないもの、

死に捧げられたものすべてが、

この第四の時空に示されねばなりません。

このように、私たちの時代に準備したものがすべて、

つきつぎと現われてきます。

知性に適った象徴によって暗示されて、現われてきます。

・・・中略・・・

第四文化期には、キリスト・イエスが現われて、

死を克服しました。

その成果はこうです。

「そして、第四の封印が解かれた。

私は第四の動物が『来い」というのを聞いた。

そして、見よ、青白い馬が現われ、

その上には死という名の者が乗っており、

地獄が彼のあとについていた」。

「見よ、青白い馬を」。

落ちる者は、すべて悪の人種になるのです。

しかし、その声を聞き、死を克服した者は、

霊的な生命を共有します。

「我あり」と、その声を理解した者は、

死を克服した者たちです。

彼らは知性を霊化したのです。

そして、彼らがどのような者になったかは、

もはや馬によって象徴することはできません。

神の七つの霊と七つの星を持った者の声に従うことを理解した者のために、

新しい象徴が現われねばなりません。

彼らはいまや白い衣を着た、

不死の、永遠の霊的生命を受け取った者という象徴で現われます。

つづいて、善へと上昇するもの、

そして悪へと落ちていくものすべてが、

どのように現われてくるかが語られます。

そのことは、あからさまに表現されています。

「そして、第五の封印が解かれた。

神の言葉のために、

その証言のために殺された者たちの魂を、

私は祭壇の下に見た。

彼らは大声で『主よ、神聖で真実な主よ、

汝はいつまで裁かず、地上に住む者たちに私たちの

血の報復をなさらないのか』と、いった。

すると、彼らひとりひとりに白い衣が与えられ、

彼らとおなじように殺される僕仲間と兄弟たちの運命が満たされるまで、

もうしばらくの間、

静かにしてるようにといわれた」。

外的に殺され、霊において生きるのです。

それはどのように表現されているでしょうか。

正しい人智学的生活のなかで、

外的な感覚界から何が生じるかを思いうかべてみましょう。

七つの星を私たちはどのように叙述したでしょうか。

私たちは土星紀に戻り、人間の肉体がど

のように熱から発生したかを示しました。

私たちはどのように太陽紀が現われてきたかを見ました。

霊において、私たちはこの宇宙を透写しました。

太陽は私たちにとって、たんなる物質的な太陽ではありません。

太陽は生命をもたらしたものであり、

この生命は霊的な生命として

未来においてその最高の形態のなかに現われます。

月は生命の早駆けを止める要素であり、

必要であるかぎり人間の歩みを遅くします。

このように、私たちは太陽と月のなかに霊的なカを

見ます。

そして、私たちが人智学の叡智として習得するものは

未来において正しく象徴化されて現われます。

太陽と月は、私たち人間をつくりあげたものとして、

私たちの霊的なまなざしのまえに現われます。

外的な太陽球、外的な月は象徴的に消え去ります。

そして、元素的な形態で、一個の人間存在のようになります。

「そして、私は第六の封印が解かれるのを見た。

見よ、大きな地震があり、

太陽は毛織りの袋のように黒くなり、

月は血のようになった」。

このすべては、私たちが精神生活において

探究していることの象徴的な成就なのです。

つぎの時代のために、

この時代において準備されていることが

意味深いイメージで予言されているのが見られます。

物質的なものが霊的な要素に変化するなら、

私たちが太陽と月とともにおこなう変化を、

今日私たちは私たちのなかに不可視のままに担うことでしょう。

霊視的なまなざしを未来に向けるなら、

物質的なものは実際消えて、

人類の霊化の象徴が私たちのまえに現われてきます。

七つめの封印に関して黙示録のなかで語られていることについて、

いくらか大胆にお話ししました。

もちろん、私たちはもっと深く探究していかねばなりません。

そうすれば、今日では本当とは思えないことが明らかなものになります。

霊視者が人類進化の現在と未来について見た圧倒的なイメージが、

いかに内的に秩序あるものであるかがわかりました。

そのイメージは私たちに未来へと生きていく強い衝動を与え、

人間生活の霊化に着手する衝動を与えます。」(〜p83)

このようにして、第六の時代(第六根幹時代)において、

封印されていた巻物が開かれていくのである。

コメント(7)

二時間かけてじっくり読ませていただきました。とても参考になりました。
聖書「ヨハネ黙示録」は以前読んだことがありましたが、よくわかりませんでした。
今回、現在、未来と関わりのあることだと知りました。ありがとうございます。
あめじすとさん
コメントありがとうございます。

> いま、自分が感覚的に捉えていることが、
>真実だなと確信を深められました。

シュタイナーの著作を読むと、
私もこのことをよく感じます。

黙示録を読んでいると
「壮大な宇宙の歴史の中にいる自分」を感じて
とても不思議な気分になります。

ありがとうございました。
かおりさん
コメントありがとうございます。

>今回、現在、未来と関わりのあることだと知りました。

まさにそうですね。

今の地上生をどのように過ごすかが魂の中に封印され、

後の時代に封印が解かれていくということなのですね。

ありがとうございました。
AKATSUKI さん
コメントをとても嬉しく思います。
>内容は難しく感じましたが、
>本来は誰もが平易な言葉で知るべきことなのではないかと感じました。

本当にそうですね。
難しく書いてありますが、
語られている内容は本当は、
とってもシンプルな内容で
誰もが知るべき内容なのだと私も思います。

シュタイナーの本はなかなか実感として
イメージがつかみづらいように思います。

なぜこのような文体になるのかを
『神智学』(高橋 巌訳 イザラ書房)
の付録二の以下の部分からまとめてみました。

「この書は、内的体験を通して受容されるように、意識的に書かれている。

そのように受容されるなら、一歩毎に、一種の理解が生じてくる。

この理解の度合いは非常に希薄なものであるかもしれない。

しかし、このことが存在するということ、

存在すべきであるということ、それが大切なのである。

このような場合にのみ、『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』

の中で記述した「行による深化」が可能になるのである。

そしてこの行による深化がこの理解を確固としたものにする。

霊的認識の道を前進するにはこのような過程が不可欠である。

正しく書かれた人智学の書は、

読者の中に霊的生命を喚起するためにあるのであって、

特定の量の情報を提供するためにあるのではない。

人智学の書を読む行為は、単なる読書というよりは、

内的震撼と緊張と解放感とを伴った体験であるべきなのである。

・・・私は自分の主観的感情生活を感知させるような文体を用いていない。

私は執筆中、感情の深みから発する情念を、乾燥した数学的文体によって静めた

しかしこのような文体こそが喚起者たりうる。

読者が冷たい熟慮に留まる限り、熱と感情とを著者から

自分の中へ安易に流し込ませることはできない。」(『神智学』p233〜234)

人智学を学ぶときに、一般の学問を学ぶようにではなく、

本当に自分の中に生かすように学ぶことの大切さを語っています。

霊学を理論的に研究して、その内容を単なる概念としても受け取ることもできます。
しかしそれを私たちの霊的な血液のようなものにして私たちの中に働かせ、

私たちの感情をも呼び覚まさなければならないというのです。

そして、超感覚的諸理念そのものを体験できた読者には以下のような

魂の営みがその心の中に生じるというのです。

「まず理念が生命を持ちはじめる。

理念そのものが魂の内部で活動し作用する。

その人は感覚を通して色や音や熱の印象を体験するように、理念を体験する。

そして色、音等において自然界が現れるように、

そのようにして体験された理念の中で、霊の世界が現れる。」(『神智学』p233)

この部分は、少しだけ実感できるような気がします。

さらに、理念が生命を持ち魂の内部で活動し作用するために、

シュタイナーはどのような手法を用いて書かれたのでしょうか。

『神智学』のあとがきにもあるように、シュタイナーの人智学の書は、

曼荼羅(まんだら)形式をもって書かれているのです。

曼荼羅(まんだら)は仏教(特に密教)において聖域、

仏の悟りの境地、世界観などを仏像、シンボル、

文字などを用いて視覚的・象徴的に表わしたもので「曼陀羅」と表記することもあります。

特に魂界、霊界という地上的現実の世界と全く異質世界を叙述する場合、

シュタイナーは全く徹底して、言葉による曼荼羅(まんだら)像を

七部形式を繰り返しながら、描いているとのことです。

それは、この形式がイメージを心中に確保し、

それが心中で生命を得て活動し成長することができる

最良の表現方式だからだというのです。

この新しい思考の力が目覚めることによって、

長い間眠っていた魂の知覚器官が育成されるというのです。

「人智学」を一つの情報として研究し理解することだけに専念しても、

なかなか「人智学」の真意をつかめないというところに、

シュタイナーを学ぶ難しさがあります。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

シュタイナー的生活を楽しむ 更新情報

シュタイナー的生活を楽しむのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング