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シュタイナー的生活を楽しむコミュの第4週 第四領域に到達したニュートンとライプニッツ

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4/29〜5/5

 「私は自分の存在の本質を感じる。」
  そう語る感情は
  陽光の明るい世界の中で
  光の流れとひとつになる。

  そして思考の明るさに熱を贈り
  人間と世界を
  かたくひとつに結びつける。
     (Rudolf Steiner 高橋 巌訳)
………………………

霊界の第四領域までまとめていたら、

ふと以前にも取り上げた

ニュートンとライプニッツのことが思い出された。

そこで、霊界の第四領域との関連で再びまとめてみたいと思う。

シュタイナーがよく取り上げるように

プラトンは哲学を学ぶ前提として「数学」を学ぶことを課していた。

その理由は純粋思考に関わる訓練として

数学を学ぶことが効果的な手段と考えたからである。

ニュートンとライプニッツによって数学は一段上のレベルに到達できた。

彼らは「微分」という思考によって五感では見ることも

感じることもできない世界を純粋思考の中で見えるように導いたのである。

これは、シュタイナーの考え方からすると

ニュートンとライプニッツが地上に受肉する前

この第四領域で、創造的な力を汲み取っていたからである。

さらに、「微分」を発見したという地上生における成果は、

確実に宇宙に(第四領域に)さらに大きな

果実として実らすことができたのである。

自我が地上生において,

活発な思考などによって

霊の持つ意図を実現したならば、

それは、天(霊界)に宝を積んだことになるのである。

さて、ニュートン(1642〜1717)は、

1642年にイングランドの

東海岸に位置するリンカーンシャー州に生まれた。

父は37歳の時に近郊の農家の娘と結婚したが、

ニュートンが生まれる3ヶ月前に死去した。

生まれた時、彼は未熟児だった。

12歳の時伯父のすすめで、

いやいやながらキングス・スクールに行った。

成績は惨たんたるものだった。

しかしニュートンは何にでも興味を示す変わった少年だった。

体が小さく内向的で目立たぬ子であった。

ニュートンは友人たちのからかいの的であった。

だが、あるとき自分をいじめた少年と喧嘩をし、

それに勝つことが出来たことをきっかけに、

自分に対する自信を持つようになったとされる。

これがニュートンが頭角を表したきっかけだと言われている。

こうして、自分に自信を持ち勉強もできるようになったというエピソードがある。

そして、天才によく見られる徴候がニュートンにもあった。

それは、熱中すると放心状態になることだった。

このような放心状態はアルキメデスにも、

フランスの数学者ポアンカレにもあった。

独創的な仕事のためには並外れた集中力が必要なのかもしれない。

この理由は、後半で述べたいと思うが、

日常の感覚世界から完全に切り離された

純粋思考の中で彼らは高次の世界に入っていたのであろうと私には思われる。

いわゆる「霊界参入」をしていたのではなかろうか。

そしてニュートンは頭角を表して

1661年ケンブリッジ大学トリニティー・カレッジに入学した。

ここでもニュートンは最初まじめな生徒ではなかった。

しかし、ルーカス数学講座の初代教授に就任した

アイザック・バローとの出会いで、彼は勉強への意欲が生まれた。

そして、運命の「ペストの年」を迎える。

1665年〜1666年の2年間はペストが大流行した。

ロンドンでペストが大流行しており、

この影響でケンブリッジ大学も閉鎖された。

田舎の故郷のウールスソープへと戻ったニュートンは、

その後2年間この地で微分積分学と光学、

万有引力などの研究に没頭した。

この一年半ほどの間にニュートンは、

彼の主要な業績を発見および証明しており、

この期間は「創造的休暇」とも称されている。

こうして、この2年間に数学と物理学を書き替えるような

膨大な発見がほとんどおこなわれた。

一方ニュートンと同じ時期ドイツのライプチヒ出身の

ライプニッツ(1646〜1716)がいた。

彼は1675年に微分積分学の基本定理を示した。

ここから厄介な優先権(どっちが先か)争いが起こる。

ニュートンが発見したのは1666年、

しかし『プリンキピア』を書いたのは1687年。

ニュートンとライプニッツはそれぞれ独立に、

異なった視点から微分積分法を発見した。

優先権をめぐって熾烈な争いが展開された。

ニュートンの発表はライプニッツより遅いのだが

ライプニッツより早く発見していたと主張した。

ニュートンは病的に猜疑心が強い性格であり、

ライプニッツが盗んだと主張を続けて

25年間の長きに亘って法廷闘争を行った。

この同時発見は、天上界の時期が熟して一致したからであろう。

天上界(霊界)の過程の頂点に近いほうに、

あらゆる思考が生きている領域があるとされている。

いわゆる思考の池(領域)のようなものである。

これはまさに先回のトピックでまとめた霊界の第四領域の世界である。

これは、プラトンの「イデア界」にも通じるものであろう。

ニュートンとライプニッツは、同時期に高次の数学の思考の領域、

創造活動の領域である第四領域に、地上に受肉する以前に

そこから力を得ていたのである。

それだからこそ、地上生活において、

その第四領域と周波数が合ったのだろう。

これは、音楽の世界で、メロディーがひらめくということにも通じるであろう。

ニュートンとライプニッツは時代の熟しと共に

同時期にこの領域に到達したのではなかろうか。

これまでの多くの人の創造的な学問の成果の上に

時代の果実が熟していたからである。

「なぜ人間は思考することができるのか」という問題に、

シュタイナーは、

「それは宇宙に思考があり、その思考力にうながされて

人間のなかに思考力が育ったのだ」と考えた。
 
そして「人間がなぜ感情を持っているのか」

という問題に「宇宙に感情が働いているので、

その力に呼び起こされて人間が感情をもつようになった」と考えたのだ。
 
宇宙に宇宙魂や宇宙霊というものがあるので、

人間の中にも霊とか魂があり、同じように人体というものは、

巨大な生命のエネルギーが満ち満ちていて、

そのエネルギーにさそわれて

一人一人の人間に生命が宿ったのだと考えた。

そして、ありとあらゆる生命の形の中で、

宇宙にある生命体の最高の傑作であるのが

人間であり人体であるというのだ。
 
時代が成熟し、人間がこの純粋思考の高次の境地に到達したとする。 

すると、宇宙魂や宇宙霊からその到達した人に向かって、

創造の思考は流れてくるのである。
 
ちょうど『死後の生活』(シュタイナー著)にあるように

霊界に移し入れられるだけで、

叡智が私達の中に流れてくるのと同じである。

霊界の私達は、ちょうど物質界において周囲に自然があるのと同じように、

周囲に叡智があるという部分と通じるものがある。

ニュートンとライプニッツの場合も、同時期に

第四領域の高次世界の思考が流入したのではなかろうか。

「放心状態」になるほどの並外れた集中力を伴う純粋思考により、

高次の世界の思考が流れ込み、

その思考を地上において再び生み出したものであろう。

「さらに、今までの思考界にはなかった新しい思考を再創造したとき、

その人は、天上の思考界に寄与をなしたということになる」(シュタイナー)のだ。
 
まさに第四領域に果実を結び、天に宝を積むのである。

それは、後世への時代的な果実として受け継がれる。

若き頃、数学と自然科学の世界に没頭していたニュートンは

晩年、聖書研究に没頭し、後世の人に「神学者」と呼ばれることもあった。

これは、高次の世界に触れることによって

何か大きな神(霊)体験をしたからではなかろうかと

私は想像をふくらませている。

今日、二人が発見した微分積分は、カーナビ、化石年代の特定、

医学におけるCTスキャン、人工衛星の速度計算・・・と

数多くの実生活に応用されている

このような偉大な発見でなくても、

日々の小さな「気づき、ひらめき」は第四領域への果実になると

シュタイナーは述べている。

そしてそのような「気づき、ひらめき」が時代的な果実として、

後世に受け継がれ宇宙の進化に繋がるのである。

そのためにも地上生活の間に

たくさんの「気づき、ひらめき」をしたいものである。

このことが、未来の人間への精神の進化に繋がるのだ。

さらに、霊界の第四領域でどれくらい創造の力を汲み取れるかは,

地上生における成果,

つまり、いかに活発な思考をして

「創造的」な生き方をし第四領域に入るのにふさわしい成果を上げたか、

その如何にかかわっているのである。

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