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シュタイナー的生活を楽しむコミュの苦しむことは何かを成し遂げること 32週

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11/15〜21 32週

 私は力の充実を感じて
  自分を世界のために
   役立たせたいと願う。

 自分の存在が力づけられて
  この世の運命の中で
   明晰な自己を保ちたいと感じる。
       (シュタイナー 高橋 巌訳)
……………………………

「自由の哲学」を深く理解する上で、『夜と霧』(V・E・フランクル 池田香代子訳)を
補助となる著書として読んでいる。

この本は、シュタイナーのいう「高次の認識」に到達していると、あらゆる箇所で読み取れた。

特に『夜と霧』の以下の部分に深く感銘を受けたのでメモしておこう。

この部分も「高次の認識」に到達した開悟の境地であると理解している。

私も、これまで2回ほど、限界状況に直面したことがあり、

これと似た境地を体験したことがあるので、以下の部分にはとても共感している。

これからも悩んだとき、苦しんだとき、この部分を読み返そうと思う。 
 
「具体的な運命が人間を苦しめるなら、人はこの苦しみを責務と、

たった一度だけ課される責務としなければならないだろう。

人間は苦しみと向き合い、この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、

そして、二つとないあり方で存在しているのだという意識にまで到達しなければならない。

だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。

だれもその人の身代わりになって、苦しみをとことん苦しむことはできない。

この運命を引き当てたその人自身が、この苦しみを引き受けることに、

ふたつとない何かを成し遂げるたった一度の可能性はあるのだ。

強制収容所にいた私たちにとって、こうした全ては決して現実離れした思弁ではなかった。

私たちにとってこのように考えることは、たった一つ残された頼みの綱だった。

それは、生き延びる見込みなど皆無の時に私たちを絶望から踏みとどまらせる、
唯一の考えだったのだ。

私たちは生きる意味というような素朴な問題からすでに遠く、

なにか創造的なことをして何らかの目的を実現させようなどとは一切考えていなかった。

私たちにとって生きる意味とは、死もまた含む全体としての生きることの意味であって、

「生きること」の意味だけに限定されない、

苦しむこと、死ぬことの意味にも裏づけされた、

総体的な生きることの意味だった。この意味を求めて私たちはもがいていた。」
(『夜と霧』より)

そしてもがき苦しんでたどり着いたのが「苦しむことは何かをなしとげること」

という開悟の境地であった。

「苦しむことの意味が明らかになると、

わたしたちは収容所生活に横溢(おういつ)していた苦しみを、

『抑圧』したり、安手のぎこちない楽観によってごまかすことで軽視し、

高をくくることを拒否した。

わたしたちにとっては、苦しむことですら課題だったのであって、

その意味深さにもはや目を閉じようとは思わなかった。

私達にとって、苦しむことは何かを成し遂げるという性格を帯びていた。」
(『夜と霧』より)
・・・・。

この部分を読んだとき、『ヨハネ福音書講義』(高橋巌訳 春秋社)の以下の部分を思い出した。

この部分は、「自由の哲学」の第7章第8章と対応させて読むとさらに深く理解できる
ように思う。

「さて、秘儀に参入した人は、以前とはまったく異なります。

それまでは、物質界の諸事情と関わっていたのに、

今や霊界の諸事情と関わることができるようになるのです。

通常の抽象的で、散文的な意味での認識に比べて、はるかに生き生きとした現実認識を獲得し、

そして霊的認識はまったく異なる過程を辿ります

その認識の過程は、美しい格言『汝自身を知れ』に応えるものです。

しかしこの格言を誤解することは、認識の分野における、

もっとも危険な落とし穴を意味します。

現代人はあまりにも安易に、そこに落ち込んでしまいます。

多くの人はこの格言を次のように解釈しています。

すなわち、世間のことに気を使わずに、自分の内面に眼を向け、

そこに霊性を求めるべきだ、というのですが、これはこの格言を大変に誤解しています。

そういう意味ではなく、この場合の認識というのは、

これまでに達し得た立場からこれまで達し得なかった立場への進化を意味しているのです。

自分の中に抱え込んでいるいるだけの自己認識に終始していると、

これまでに経験してきたことしか見えません。

自分の低次の自我による認識だけしか持てません。

その場合の自己認識は、認識のために必要な一部分でしかないのです。

他の部分がこれに付け加わらなければなりません。

二つの部分がそろわなければならないのです。
・・・・・中略・・・・
ギリシア語の「汝自身を知れ」という格言も、汝の内面に眼を向けよ、ではなく、

霊界から汝の中に流れてくるもので汝自身を受胎させよ、と言っているのです。。

汝自身を霊界の内容で豊かにせよ、と言っているのです。

そのためには二つのことが必要になります。

第一に浄化と開悟による心の準備が、

第二に自分の内面を霊界に向けて自由に開くことです。

認識との関連で言えば、人間の内面は女性と、人間の外面は男性と比較することができます。

高次の自我を受容するためには、内面が開かれていなければなりません。

そうすれば、人間の高次の自我が、霊界から人間の中に流れ込んできます。

いったい高次の人間の自我はどこに存在しているのでしょうか。

人間個人の内部に存在しているのでしょうか。そんなことはありません。

土星紀、太陽紀、月紀に、高次の自我が宇宙全体に注ぎ込まれました。

そしてその宇宙自我が、人間に注ぎ込まれました。

この自我を、人は自分に作用させなければななりません。

すでに用意されていた内面に、この自我を作用させなければなりません。

言い換えれば、人間の内面、つまりアストラル体は、純化され、
浄化されなければなりません。

そうすれば、外なる霊的な働きが人間の中に流れ込み、

悟りに到ることが期待できるのです。

人間が自分のアストラル体を純化し、それによって内なる認識器官を開発するまでに到るなら、
このことが生じます。

こうしてアストラル体は、エーテル体と肉体の中に沈み、ついに開悟に到ります。

言い換えれば、周囲に霊界を知覚するようになります。

人間の内面であるアストラル体は、エーテル体の提供するものを、

エーテル体によって宇宙全体から、宇宙自我から吸収したものを、受け取るのです。」
(ヨハネ福音書講義p246〜248)

「自由の哲学」の第一部に書いてあったように私たちが日常生活をしているとき、

自分の思考内容を観察することはあまりない。

何かについて色々と考えている時、その思考内容と思考そのものは全く別のものなのである。

思考の本質を観察を通して理解することは難しい。

思考に注意を向ける魂にとって、思考はあまりにも安易な姿で正体を現しているからである。

しかも、その場合の思考は魂にとっては、死んだ抽象物、生きた思考の死体でしかない。

「生きた思考」の一つとは、宇宙自我から流れてくるものではなかろうか。

「 霊界から汝の中に流れてくるもので汝自身を受胎させよ」とは

宇宙自我から流れてくる「生きた思考を」吸収し受胎させよということではなかろうか。

思考内容と思考そのものが分離し、思考内容を観察している思考状態になる自分を見出す

ことが高次の認識への第一歩となるのであろう。

思考内容は「死んだ抽象物」「生きた思考の死体」となり概念となっている。

そして、宇宙自我から吸収した「生きた思考」「生きたロゴス」

が私の「概念世界」と結びつく。

ここに真の認識が生じるのではなかろうか。

「宇宙自我」と結びつくことが霊界参入であろう。

これが「生きた思考」を受胎させた霊界参入の境地ではなかろうか。

「夜と霧」の中にある「苦しむことは何かをなしとげること」という開悟の境地は、

まさに、宇宙自我から吸収した「生きた思考」をフランクルが「受胎」したものであると思った。

コメント(4)

実家の家業を継ぎ、父親との関係に悩んでいます。

とても励まされた気持ちです。苦しみから自分を見つめなおすことが足りないから、問題が解決していかないんだろうと思います。


謙虚さを忘れずに行きたいと思いました。ありがとうございました。
リトセアさま

コメントありがとうございました。

まさに今回のヨハネ福音書にある境地を体験されたのですね。

すばらしい体験だと深く感動しました。

私も20代の時、大きな交通事故に遭い、生死をさまよいました。

半身不随になったベットの上で、

もし誰かがこの苦しみを負わなければならないなら、

私にその苦しみを担当させてくださってありがとう、と

いう思いがこみ上げていたのです。

周りは皆、深刻に、なっていたのですが、

何故か私の内面は感謝で溢れていたのです。

それは、不思議な体験でした。

その後、医者も奇跡だと驚くほど、

ほぼ完全に回復したのです。

もう一回は、友人のボートで釣りに行き

ボートが転覆しそうになったときでした。

まさに、宇宙自我が自分に注いできて

大きな開悟の境地を体験しました。

このときも、あらゆる物への感謝の感情が

沸々と湧いてきたのです。

「自由の哲学」は本当に難解ですが、霊学との関係で

今後も読み進めてみたいと思っています。

ありがとうございました。
よしさま

コメントありがとうございました。

共感していただきとても嬉しく思います。

フランクルが語っている以下の部分

「だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。

だれもその人の身代わりになって、苦しみをとことん苦しむことはできない。

この運命を引き当てたその人自身が、この苦しみを引き受けることに、

ふたつとない何かを成し遂げるたった一度の可能性はあるのだ。」

という部分を何度読んでも私も勇気づけられます。

今後ともよろしくお願い致します。

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