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藤沢周平と池波正太郎コミュの海坂藩は庄内藩がモデル、では粟野藩って、、、

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短編集「冤罪」に収録されている『十四人目の男』の舞台となっているのは、粟野藩6万3千石、時の藩主は遠江守光辰。 

大坂夏の陣において、真田左衛門佐に茶臼山で猛攻を受けた家康が命からがら逃げ出した際に家康の危機を救ったのが(当時下総2万5千石の)粟野主計頭行辰。 その功によって、羽前の地に6万3千石に加増され遠江守となって移封されたのが羽前・粟野藩の始まり、とされています。 譜代の粟野藩が羽前に移封されたのは、庄内・酒井藩とともに(外様の)秋田・佐竹藩に対する備えとして、との設定になっています。

それだけであればどうと言うことも無かったのですが、、、「冤罪」の直ぐ後に書かれた短編集「竹光始末」に収録の『乱心』の舞台がやはり粟野藩でその時の藩主が粟野近江守辰興と知って、「マニアック」なう@湘は俄然興味が沸きました。(笑) なんとなれば、「十四人目の男」の中に、嫡男辰興が行辰の死後跡目をついだとあります。 (「遠」江守と「近」江守、洒落なんでしょうか、、、それとも単なる思い違い??)

『暗殺の年輪』以来”海坂藩”が登場する作品も多く、短編集「冤罪」にも”海坂藩”を舞台とする作品が収録されていますが、ひょっとして”粟野藩”も同様に、第二の架空の藩として考えられていたのではないのでは??と思ったりもしましたが、、、しかし、この2作以外に”粟野藩”が登場する作品は見当たりませんでした。 残念。

「十四人目の男」の舞台となった幕末の粟野藩では、どこの藩とも同じように勤皇・佐幕の対立があった訳ですが、 奥州鎮撫総督・九条道考の密使を斬って粟野藩を奥羽越列藩同盟に加盟させるところは、仙台藩が奥州鎮撫総督の参謀・世良修蔵を斬って奥羽越列藩同盟設立へと動き出すのを彷彿させて興味深いところです。 「冤罪」の前に「小説・雲井龍雄」を書いているので、この頃の興味は幕末の頃にあったんでしょうかね。 ちなみに、当時の羽前には、この”粟野藩”のモデルになったと思われる藩は見あたりませんでした。

今も生きておられて、幕末の頃を舞台とした(例えば、庄内藩家老の菅実秀、など)作品をもっと書いていただければ良かったんですが。。。  ほんとに惜しいことです。 (合掌)

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