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ゴスペルハウスコミュの「I」2026.05.30

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ゴスペルハウスメッセージ 2026.05.30
「I」マルコ4:35-41

35 さてその日、夕方になって、イエスは弟子たちに「向こう岸へ渡ろう」と言われた。
36 そこで弟子たちは群衆を後に残して、イエスを舟に乗せたままお連れした。ほかの舟も一緒に行った。
37 すると、激しい突風が起こって波が舟の中にまで入り、舟は水でいっぱいになった。
38 ところがイエスは、船尾で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生。私たちが死んでも、かまわないのですか」と言った。
39 イエスは起き上がって風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、すっかり凪になった。
40 イエスは彼らに言われた。「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか。」
41 彼らは非常に恐れて、互いに言った。「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどなたなのだろうか。」

ゴスペルハウスの今年のテーマは、「FAITH」です。

F:Forgive(赦し)
A:Always(いつも)
I:Immanuel(ともにおられる主)
T:Trust(信頼)
H:Hand of God(神様の御手)

今日は、その3つ目、「I:Immanuel(ともにおられる主)」について、みなさんとご一緒に開いていきましょう。

「インマヌエル」とは、「神が私たちとともにおられる」という意味です。
神様が、いつも、どんな時も、私たちとともにいてくださる。
これは、私たち信仰者にとって、大きな慰めであり、信仰の土台となる約束です。

けれども私たちは、人生の中で、そのインマヌエルを見失ってしまうことがあります。
不安になり、おびえ、右往左往し、「神様はどこにいるの?」と思ってしまうのです。
そんな不完全で愚かな人間のために、イエスさまは繰り返し、自身の居場所を示してきました。
聖書クイズの形で、何度もお話したことがありますね。

問:イエスさまが地上で最初に話した言葉はなんでしょう。
答:「どうしてわたしを捜されたのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当然であることを、ご存じなかったのですか。」ルカ2:49(新約p.112)

問:イエスさまが十字架上で最後に人間と対話した言葉はなんでしょう。
答:「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」ルカ23:43(新約p.171)

問:イエスさまが復活した後、御使いが人間に最初に話した言葉はなんでしょう。
答:「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。」ルカ24:5-6(新約p.172)

大事な節目のときに、イエスさまは居場所を示してきたのです。
イエスさまの居場所だけではありません。
問:罪に堕ちた人間に、神様が最初に話した言葉はなんでしょう。
答:「あなたはどこにいるのか。」創世記3:9(旧約p.4)
あなたの居場所も、聖書は問うのです。

それは、イエスさまの居場所も、自分の居場所も、見失ってしまう人間の愚かさ、浅はかさ、視野の狭さの証拠でもあります。

今日の聖書箇所には、まさにそのような弟子たちの姿があります。

夕方、イエスさまは弟子たちに言いました。
「向こう岸へ渡ろう」(35節)
それで、弟子たちはイエスさまとともに舟に乗り込み、湖へ漕ぎ出していきました。
ところがその途中で、激しい突風が起こります。
波が舟に打ち込み、舟は水でいっぱいになり、沈みそうになります。
弟子たちは恐れました。

弟子たちの中には、元“プロの漁師”もいました。
ガリラヤ湖の怖さも、その対処法も、よく知っている人たちです。
ガリラヤ湖は、こうした突風が吹くことでも有名な場所でした。
そんな彼らでさえ、恐怖に支配されるほどの嵐だったのです。

ここで大切なのは、「弟子たちは勝手に舟を出したのではない」ということです。
イエスさまが、「向こう岸へ渡ろう」と言ったのです。
つまり彼らは、イエスさまに従っていたのに、嵐に遭ったのです。

私たちも時々、こう思うことがあります。
「神様に従っているのに、なぜこんなことが起こるのか。」
「信仰を持っているのに、なぜ苦しいのか。」
「なぜ嵐が来るのか。」

しかし聖書は、信仰者には嵐が来ない、とは教えていません。
現実には、イエスさまとともにいても、嵐は起こるのです。
自分の力ではどうにもならない、激しい嵐に出会うのです。

病気になることもあります。
人間関係で苦しむこともあります。
将来が見えなくなることもあります。
孤独や不安に押しつぶされそうになることもあります。
けれども、嵐があることと、神様がいないことは、同じではありません。

弟子たちは、恐れの中でイエスさまにこう言いました。
「先生。私たちが死んでも、かまわないのですか」(38節)

その時、イエスさまはどこにいたのでしょうか。
イエスさまは舟の後ろで眠っていました。

弟子たちは、イエスさまが沈黙しているように見えた時、「主は私たちを気にしておられない」と感じました。

私たちも同じです。
祈っても答えがない時、状況が変わらない時、心が重いままの時、「主はどこにおられるのか」「本当に神様はともにおられるのだろうか」と感じてしまうのです。

しかし、沈黙は“不在”ではありません。
イエスさまは、舟から降りてはいませんでした。
弟子たちと同じ舟に、眠ってはいましたが、ちゃんといたのです。
弟子たちはその事実を見失って、右往左往しましたが、インマヌエルは失われていなかったのです。

これは私たちにも大きな慰めです。
私たちが神様を見失うことはあっても、神様が私たちを見失うことはありません。

そしてイエスさまは立ち上がり、風を叱り、湖に命じました。
「黙れ、静まれ」(39節)
すると風はやみ、すっかり凪になったのです。
弟子たちは驚きます。
「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどなたなのだろうか。」(41節)

彼らは嵐の中で、イエスさまがだれなのかを、あらためて考えることになりました。
そして、知るのです。
イエスさまは、自然さえ従わせる方。
すべてを支配しておられる方。
そして何より、嵐の中でも、ともにいてくださる主です。

私たちは、できれば嵐を避けたいと思います。
けれども時に神様は、嵐の中でこそ、ご自身を深く現されることがあります。
「あの時、主が支えてくださっていた。」
「あの時、守られていた。」
「あの時、一人ではなかった。」
後になって、私たちは気づくことがあるのです。

イエスさまは弟子たちに言いました。
「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか。」(40節)

このイエスさまの言葉は、一見、冷たい責めの言葉のように聞こえるかもしれません。
しかし、これはイエスさまの深い愛からの、問いかけです。
イエスさまは、「なぜ嵐を怖がったのか」と言っているのではありません。
人間が嵐を怖がるのは当然です。
イエスさまが言いたいことは、「なぜ、わたしが一緒にいるのに、恐れているのか」ということなのです。

「あなたは一人ではない。」
「この舟には、わたしがいる。」
「だから恐れなくてよい。」
イエスさまは、そう語っているのです。

聖書クイズをもう一つ追加します。
問:イエスさまが地上で最後に話した言葉はなんでしょう。
答:「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」マタイ28:20(新約p.64)
十字架にかかり、三日目に復活して、天に上っていくイエスさまは、こう約束したのです。

イエスさまは、嵐がない人生を約束されたのではありません。
しかし、どんな嵐の中でも、ともにいてくれることを約束しました。
それがインマヌエルなのです。

今、もし人生の嵐の中にいる方がいるなら、覚えてください。
イエスさまは、舟から降りてはいません。
あなたと同じ舟に、ともにいてくれるのです。

あなたがすべきことは、嵐そのものに目を向けることではありません。
あなたの舟にともにおられる主・イエスさまに目を向けることです。

どんな激しい嵐が来ようとも、「イエスさまがあなたの舟にともにおられる」というインマヌエルの約束に立ちましょう。
その時、激しい嵐の中にも喜びと平安が与えられます。
そして、あなたはイエスさまとともに前へ進むことができるのです。

あなたのために、お祈りします。

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