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ゴスペルハウスコミュの「宗教改革記念日」2026.10.31

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ゴスペルハウスメッセージ 2026.10.31
「宗教改革記念日」ピリピ2:5-11

5 キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。
6 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
7 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、
8 自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。
10 それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、
11 すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。

1517年10月31日、今から509年前、ルターが「95箇条の提題」を掲示したことが宗教改革の始まりとされています。
それに先駆けて、ルターは自分自身の信仰の改革、いわゆる「塔の体験」と言われるものをしています。
塔の体験とは、「神様の義は罪人を裁く義ではなく、信仰によって罪人を義とする義である」という発見です。

ルターから500年後に生きる今の私たちは、私たち人間が自分の力で神様に近づき、救いを獲得するのではないということを、しっかり心に刻んでおきたいものです。
「自分の力で神様に近づこう。自分の力で救いを獲得しよう。」という考え方には、創世記11章にあるバベルの塔と共通する、人間の思い上がりがあるのではないでしょうか。
「さあ、われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届く塔を建てて、名をあげよう。われわれが地の全面に散らされるといけないから。」(創世記11:4)

それでは、どうしたら救いを得られるのでしょうか?
そして、そのために神様は何をしてくださったのでしょうか?
今日はそれを、ピリピ人への手紙から開いていきましょう。

6-8節は、「キリストは」という言葉から始まる一つの内容です。
それは、どうしたら救いが得られるかということについて、私たちに教えてくれます。
9-11節は、「それゆえ神は」を主語とした内容です。
そのために神様は何をしてくださったのかが記されています。

まず、6-8節の「キリストは」という内容です。
神様のひとり子イエスさまは、徹底的に謙遜で従順であり、自分を捨てて、私たちのために死んでくださいました。
イエスさまは神様のひとり子であることをやめたわけではありません。
その神様のひとり子という立場のまま、徹底的にへりくだられたのです。
そして、私たち人間が弱いまま、罪深いまま、欠点だらけのままであることを知っていても、なお、その私たちのために十字架の死にまで従い、救いの道を開いてくださったのです。

さて、礼拝で何度も話したことがあります。
「勉強ができるようになるため、あるいはスポーツがうまくなるために、努力は必要なのでしょうか?」という問いです。
もちろん、努力は必要です。
皆さんもそう思うでしょう。
また、小学校の成績表に「がんばろう」と書かれていたら、頑張らなくてはいけないことは、皆さんも分かりますね。

では、誰が努力するのでしょうか?
誰が頑張るのでしょうか?
一般的には、生徒や選手自身、本人が頑張る、努力すると考えられがちです。
しかし、私は、むしろ努力するのは教師の側、コーチの側、指導者の側、そう、導き手の側だと信じています。
それはクリスチャンになる前からそうでした。
導き手に力量や努力がなければ、伸びる人も伸びないのです。

唐の時代、今から1200年ほど前の人ですが、韓愈が残した言葉があります。
「世に伯楽ありて、しかる後に千里の馬あり。千里の馬は常にあれども、伯楽は常にはあらず。」(「雑説」から)
世の中に名馬を見抜く名人がいてこそ、一日に千里を走るような名馬が存在するのです。
千里を走るような優れた素質を持った馬は、いつの時代にもいるのですが、その才能を見いだす伯楽は、いつでもいるわけではないという言葉です。
千里の馬も、見いだされることがなければ、駄馬として扱われてしまう。
導き手の重要性を示す言葉です。

あなたを神様の子とするために、あなたを義とするために、あなたが本当の価値を取り戻すために、あなたの導き手、史上最高の名伯楽であるイエスさまは、ご自身のすべてをかけて、あなたを愛してくださいました。
徹底的に謙遜で従順であり、自分を捨てて、死に至るまでです。
あなたが、イエスさまのその愛と恵みを信仰によって受け入れるなら、あなたは救われるのです。
それはちょうど、伯楽に見いだされる千里の馬のように、名コーチに育てられて才能の花が開く選手のように、素晴らしい先生に出会って、自分の能力や魅力を見つける生徒のようにです。

自力では決してたどり着くことのできなかった世界に、イエスさまは導いてくださいます。
ご自分を死に至るまで従順にし、そして、あなたを導いてくださるのです。
あなたは、それを受け入れるだけでいいのです。

「そんな先生がいるわけがない。」
「そんなうまい話は信じられない。」
「そんな方法はあり得ない。」
いや、あるのです。
イエスさまは、人間が作り出した空想上の人物ではありません。
歴史の中に実際に生きられた方なのです。

では、完全な救いの道、回復の道、あなたを取り戻す方法を示し、それを完成されたイエスさまに対して、神様は何をされたのでしょうか?
ここまで来れば、9-11節は説明不要でしょう。
読んでみましょう。
9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。
10 それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、
11 すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。

神様は、すべての人に救いの道を開いてくださるために、イエスさまを高く上げられたのです。
この手紙を書いたパウロだけではありません。
受け取り手であるピリピの人たちだけでもありません。
ユダヤ人だけでもなく、2000年前だけでもなく、500年前のルターだけでもありません。
イエスさまのために努力した人、迫害された人だけでもなく、もちろん牧師や伝道師だけでもありません。
すべての人、つまり、すべてのあなたに。
そして、あなたがどんな人であっても、どんな状況にあっても、救いが与えられるというのです。
それは、神様の愛する子とされるという約束です。
イエスさまの命がけの愛によって、あなたは大切な存在とされたのです。

あなたの努力は、あなたを救いません。
あなたの謙遜も、あなたを救いません。
あなたの従順も、あなたを救いません。
あなたが自分を投げ捨てても、たとえ死んだとしても、あなた自身の力であなたを救うことはできないのです。

そのすべてを成し遂げてくださったイエスさまを、その思いを、神様のひとり子の覚悟の愛を受け入れること。
それだけが道なのです。
「キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。」(5節)

宗教っぽいことは、もうやめましょう。
苦行のようなことも、救われるための謙遜も、もういらないのです。
頑張っているふりも、やめていいのです。
神様に愛されるために何かをするのではありません。
すでに愛されているから、神様とともに生きるのです。

ただ、愛されている者として生きる。
それが、神様があなたに求めておられる宗教改革なのです。
あなたのための宗教改革記念日を、今日、心から喜びましょう。

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