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中国「残留日本人孤児」問題コミュのー知られざる戦争ー

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管理人様、大切なスペースをお借りします。私の祖母は残留婦人であり、残留孤児と少し違いますが、ほぼ同じ経験をしてきています。この場を借りて、私の祖母の話を皆さんとシェアできたら幸いに思い、書くことにしました。もし不適切でしたら、ご削除頂ければと思います。

下記の文章は私が高校生の時に弁論大会に出た際の原稿であり、洗練された文章ではないですが、そこに書かれた思いを伝えられればと思います。また皆さんのご経験やご意見もお聞かせ頂ければと思います。


ー知られざる"戦争”ー

1945年8月15日に第二次世界大戦が終戦したことを皆さんご存知だと思います。しかし、その日にもう一つの"戦争”がちょうど開戦されたことをあなたはご存知ですか。この新たな"戦争”とそれに巻き込まれた人々のことについてお話したいと思います。"残留婦人”という言葉を聞いたことがありますでしょうか。これは第二次世界大戦後中国や朝鮮に残された日本人女性を称するものです。彼女たちの多くは戦中、日本の植民地であった中国の満州に住んでいました。戦中彼女たちは中国語を話す必要はなく、そして優遇されていました。しかし、終戦と同時に中国に残された日本人の立場は逆転し、敵視されるようになり、終戦は彼女たちにとって正しく新たな"戦争”の始まりでした。


私は昨年の夏に第二次世界大戦について調べていた時に、偶然この"戦争”のことを知ることとなりました。私は祖母が第二次世界大戦を経験していることを知っていたので、彼女に「おばあちゃん、戦中のの生活について話をきかせてる?その時の生活はやっぱりすごく辛くて、大変だった?」と聞きました。祖母はそれを聞いてしばらく沈黙を続けてから、静かにこう言いました。「私にとって戦中の生活より戦後の生活の方がずっとずっと辛くて大変だったよ!」 その回答はまったく予想されないものであったので、私は自分の耳を疑いました。


「戦後の生活の方が戦中のよりも辛かったってこと?」

私は思わず祖母に聞き返しました。そしたら、祖母は少しずつ彼女に起こったことについて少しずつ話してくれました。それを聞いた私はとても悲しく、涙が止まりませんでした。

私の祖母は残留婦人の一人です。戦中、彼女には関東軍の夫と小さな息子が一人いました。しかし、不幸にも彼女の旦那さんは戦死してしまい、戦後、彼女は1歳の息子とともに強制収容所に入れられました。そこでは十分な食料が与えられず、小さな赤ん坊は強制収容所を出てすぐに栄養失調で無くなりました。どれだけの苦痛をこの第二次世界大戦は彼女に与えたでしょうか!最愛の夫を殺され、さらにたった一人の息子までも彼女から奪い去ってしまいました。さらに悪いことに、日本への帰国船は少なく、その上ほとんどは男性あるいは男性とその家族しか乗せませんでした。彼女は余儀なく中国に残されました。まったく中国語の知識をもたず、さらに日本人というだけで憎まれる毎日を送りざる終えませんでした。日本で撮った写真を持つことを許されず、家族との大切な写真も捨てるしかありませんでした。たくさんの苦しみを経てから、祖母はは中国人である祖父と結婚することになりました。


1978年日中平和友好条約が結ばれてから、ようやく残留婦人の帰国が容易になってきました。しかしながら、未だに中国や朝鮮にも残されている人々もいます。私たち世代は第二次世界大戦の表面的歴史しか学んでいないように思います。その戦争によって苦しめられている多くの人々の話はほとんど知らされていません。今回の私の祖母の話のような、戦争によって実際に苦しめられている人々のことについても学び、理解していく必要があるように思います。21世紀に同じ過ちを起こさず、平和な世界を築いていくのは私たちの責任です。

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