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日記ロワイアルコミュの桃見の原

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夕刻の環状8号線は、車の流れが緩い。

ゆっくりとすれ違っていく対向車線のライトを見ながら、
(1時間くらいって言ってたけど…)
と私はぼんやり考えていた。

どこに行くのか知らされないまま、迎えに来た彼の車に乗ったのだが、
この調子ではあまり遠出は出来なそうに思えた。
私は、運転席の彼の横顔を覗き見た。

車は谷原交差点を左折して、関越自動車道の練馬ICに入った。

「上は、道すいてるみたいだよ。よかった」
と私のほうを見て言った後、回りの速度に合わせて、
彼はアクセルを踏み込んで、車をスムーズに加速させていった。

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「明日、一緒に行きたいところがあるんだ」

昨日の夜の電話で、彼は言った。
そして、「君の誕生日だしね」と照れくさそうに付け加えた。

「なに?いったい…」

「いや、それは明日になったら…」

「ねえ…。別に、すごいこと企画しなくていいんだからね」

「わかってるよ」と言ってから、
「でも…喜んでくれるといいな」と続けた。

とはいうものの、彼が何を企んでいるのかは楽しみだった。

もともと「ロマンティック」という言葉とは程遠いな人だ。
以前、私の誕生日プレゼントを何にしたらいいか悩んだ時も、
大学の教え子に相談したら、学生の女の子に
「3月ならアクアマリンをあげたらいいんじゃないですか?」
と言われ、それを魚と勘違いして、
「そんなものあげても、たぶん水槽を持ってないよ」
と答えて、学生に怪訝な顔をされたと言っていた。

「アクアマリンってのは、宝石で3月の誕生石なんだってね」
と苦笑する彼に、
「せっかく、大学で講師をしてるのなら、学生のみんなに、
 最近の流行りものとかでも教わってくれば?」
と私が茶化すと、「そうか…それもいいね」と真顔で答えていた。
その表情が可笑しくて、彼を見て大笑いしたことを思い出す。

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「なに笑ってるんだ?」

思い出し笑いを浮かべていたらしい私に、怪訝そうに彼が尋ねる。

「ううん。何でもないよ。」
と慌てて、手にしていたクッキーを彼の口に放り込んだ。


車に乗ってからの彼は、普段と少し違っていた。

いつもなら、講義中に起きた出来事や面白い学生の話を
身振り手振りで伝えてくれるのに、今日は何故か言葉少なに見える。
でも、不機嫌そうでもなければ疲れている訳でもなさそうだ。

「ねえ…今日、大学の講義はなかったの?」

「ん?あったよ。今日は『近世風俗史論』」

彼は運転をしながら、前を見たまま言った。

「じゃあ、何かイヤなこと、あった?」

彼は、「え…?」と一瞬私に視線を向けた後、
「何だい?その質問」と楽しそうに声を上げた。

「別に何もないよ。なんで?」

「ううん。ただ…」

「ただ…?」

「…何か変」

彼は、「何か変…って言われてもなぁ」と困ったように笑った。


車はいつの間にか埼玉県のはずれのICから関越自動車道を降りていた。

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「もうすぐ着くよ」

山道とまでは言わないが、くねくねと曲がった砂利道を進む。
住宅もまばらで、薄暗い一本道だ。
申し訳程度の明るさの外灯は、回りの木だけを照らしていた。

(こんなところには、ホテルもレストランもなさそうだし…)

そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?と言いかけた時、
体に感じていた震動が消えて、車が弧を描いて止まった。
砂利道から、舗装された駐車場に入ったのだ。

ちょっとだけ歩くから、と渡された彼のダッフルコートを羽織って、
私たちは遊歩道のような道を歩き始めた。

「いつになってもこっちの寒さには慣れないね」

彼の実家の新潟県は、冬になればこの何倍も冷え込むはずだが、
「寒さの質がどこか違うような気がするな」と呟いた。

早くに両親を亡くした彼にとって、「実家」とは姉夫婦の住処だ。
彼と9つ違いの姉は、彼が高校生の頃、婿を取って
実家の後を継いで旅館を営んでいた。

実家と言っても、感覚は殆んど『姉さんの家』だけどね、と
以前、彼は事もなげに言っていた。

姉夫婦に子供が生まれて、それがどんどん大きく育ってくれば、
どうしても「『その家族の住処』になっていくのは仕方ないことだよ。
まぁ、それでも姉さんは『気にするな』って言ってくれたけど、やっぱり
どこか居候っぽく思えちゃったんだよな…

そんなことをしかめっ面をして言っていた。
ただ、それは姉に対してではなく、そう考えた若い頃の自分に対して、
怒っているようだった。




「寒さの質?そういうものなの?」

去年のお正月に彼の実家に行った時の、体の底まで染み込むような、
表現出来ない寒さを思い出して、私は軽く身震いした。

私の微かな動きに呼応するように、彼の左手が私の右手をそっと包み込んだ。

こんな細やかでさりげない彼の優しさがたまらなく好きだ。

「さあ、この先だよ。悪いけど、ちょっと目をつぶって」

明るくなっている行く手が見えた時、彼が嬉しそうに言った。

ちゃんと手を繋いでゆっくり歩くからね、大丈夫、と諭すように彼が囁く。

目を閉じていたせいか、何十分も歩いているように思えたが、実際は
ものの数分だったろう。けれど、彼の手に引かれている暗闇は、何故だか
とても安心感があった。

「いいよ。目を開けてみて」






目の前には、溢れるほどの淡い桃色が広がっていた。
よく見ると所々に白い花も開いている。
何にせよ、眩しいほどの満開な花の木々がそこにあった。

「すごい……。これ、桜なの?」

「桃の花だよ」

「桃の花…」

これほどたくさんの桃の花を見るのは初めてだった。

桃の木々を囲むように、紐で吊るされた提灯たちが灯っている。
さほど面積もない広場のような場所に咲き誇る桃の花は圧巻だ。
まさに息を呑むような美しさだった。
桜のような妖艶さはないが、その代わり、柔らかいベールのような
肌触りを感じる風景だ。

私はただ言葉を失って、目の前の花に見入っていた。

「ここは、『桃見の原』ってところだよ」

「ももみのはら…」

「と言っても、地元の人くらいしか来ない小さな広場だけどね」

と彼は静かに言った。

「去年、学生たちとこの辺りに来て見つけてね」

『近世庶民の花見を辿る』という計画で、小旅行がてらの散策をした時、
偶然、この場所に足を踏み入れたんだ、と笑った。

「これって、鑑賞用に町で植えたの?」

「いや、植樹は2割もないらしいよ。ほとんどが自然群生。
 そういう意味では珍しいかもしれないね」

この時期にこの辺でこんなに咲くこと自体も珍しいしね、と言いながら、
彼は手際よくビニールシートを敷くと、荷物を横に置いて、
私を並んで座らせた。


確かにこの風景はとても綺麗だった。

(でも……)と思う。

花を見るなら桜でも構わなかったのではないか?
彼が、特に桃の花が好きだという話は聞いたことがない。

問いかけると、彼は「うん」と小さく頷いて、微笑みながら私を見た。

「昔の日本人はね、3つの花見をしていたんだよ」

「…3つの花見?」

「そう。まず最初は梅の花見でね」

「うん…」

「梅の花見は、春の訪れを喜んで、友人たちと歌を詠んだりしながら
 花を見て過ごすものだったんだよ」

「へえ…」と言った後、「先生。もしかして、講義ですか?」と笑うと
彼は小さく笑い返して、私の頭を軽くポンッと叩いて続けた。
私は黙って彼の話に耳を傾けることにした。

「その後が桜の花見。これは今も変わらないけど、
 新しい奉公人が入ったりするのを歓迎しながら花を見るっていう
 『歓送迎会』のような趣旨があったと言われてるんだ」

「そうなんだ…」

「で…最後は、桃の花見」

「うん」

こういう話をしている時の彼は素敵だな、と頭をよぎる。

「桃の花は、家族で無事に春を迎えられたことを喜びながら、
 日帰りや1泊の旅行をして愛でたとされてるんだよ」

そう言うと、彼はいとおしげに桃の花を見て、目をしばたかせた。

「だから…」とポツリと言って私の方に向き直って、

「君と一緒に見たかったんだ。今年だけじゃなく、来年もその次も…」




「あ……」

たぶん今の私は、さっきこの桃見の原に立って、初めて桃の花々を
見た時よりもずっとポカンとしていたはずだ。


彼は自分の「家族」というものをずっと探していたのかもしれない。
探していたというよりも、渇望していたのかもしれない。
彼自身が本当に寛げる「家族」という場を。。。


来年もその次も一緒に桃の花を見たい…って…。

困ったように、手の甲で額をゴシゴシこすっている姿に、
例えようのない愛しさを感じた。

うん、と答えようとしてあまりに場違いに思えて言葉を飲み込んだ。


そして、黙っている私に向けて、改めてはっきりと
「結婚しよう」と言われた時、私は噛みしめるように答えた。

「はい」

彼は、心から安心したように、「よかった…」と言って、
「何せ生まれて初めて言うことだから、車の中から緊張しちゃって…」


だからぎこちない様子だったのか、と思い出しながら、
(初めて言う…って。何度もプロポーズをする人はあまりいないわ。)
と、心の中で苦笑した。

「これ、食べようか?僕が作ってきたんだ」と言って、
持って来た大きなバッグからカップを2つ取り出した。

「なに、これ?あなたが作ったの?」

「バースディーケーキは作れそうもないからさ」

誕生日おめでとう、と控えめな言い方と一緒にカップを渡された。

カップには、透明なゼリーが入っていた。
その真ん中には、白桃と黄桃が並んで閉じ込められている。

「学生に作り方を訊いて、初めてやってみたんだ。面白かったよ」

悪戯に成功した子供のようにクスクス笑いながら、そう告げる顔と
カップの中で小さく並ぶ桃を交互に見ていたら、何だか急に
彼を抱き締めたくなった。

カップを透かして向こう側の桃の花たちが見える。
真ん中に寄り添う2つの桃を、たくさんの淡い桃色が包んでいた。
私たちは、こんな風に暖かげで華やかな家族になっていくのだろうか。

チラッとよぎった想像に自分で照れて、急いで桃の花に顔を向けた。

その時、フワリと柔らかい風が吹いて、桃見の原の花々が揺れた。

サワサワと揺らぐ音が、小さな拍手に聞こえた。

コメント(187)

素敵なプロポーズですね!
うるっとしました。

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