ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

天田愚庵コミュのいわき民報 (その3の1)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
いわき民報 昭和40年1月19日号より

「愚庵の家を訪ねて」
 青木淳

 過日いわき民報に愚庵が住んでいた伏見桃山の草菴を、平の城山に移築の記事が出ていた。まことに結構なことで、該草菴の所有者伏見の名望家木村喜一郎氏が無償で譲られるとのことであり、荻原井泉水氏を通じて、泉の斎藤昌平氏がこれまた奉仕的に運搬のことを引き受けられたとのことであった。そのうち必ず私の方にも。或いは話があるかもしれないと思っていた矢先、去る12月6日の夕方電話があり、出てみると京都に来られた斎藤昌平氏が、ホテルから電話されたので非常に驚きました。
 私は毎年のように帰郷するたび斎藤さんにお世話になっており、一度は京都に来てくださいといっても仲々来られなかったのでびっくりしたわけ。今回丸通の各地方の代表者の会合が京都であるので出て来たとのこと。その夜、親しく語り、必然的に愚庵の家移築の件が中心となり、種々話し合い、とにかく至急その草菴を見て置いてくれとのことであり、翌七日私は坂本竜馬が襲われた例の寺田屋の近所で、同町の木村喜一郎氏を訪問したところ不在で夫人に面接 斎藤氏も京都に来られたことや自分も愚庵和尚とは同藩同郷の者であることなど話をし、夫人から種々と指示を受け、愚庵の家を訪ねることにした。
 木村夫人から言われた家の管理人の吉村徳次郎氏を訪ねたところ、幸いにも在宅、大変喜ばれて詳細に和尚の生前中のことなど語ってくれたので、大変参考になりました。草菴は吉村家と道をへだてた向かい側になっている。自分の名徳次郎というのも和尚がつけられたので、自分の祖母(うの)が和尚の身の回りの世話、即ち炊事や洗濯のことまで万端面倒を見てあげたが、和尚は大変こわい人であったが、非常に親切な人であり、その頃普通の人が食べられない洋菓子など、手に入れると徳次郎ら来いと大きな声で呼ばれ、姉のヨネと二人でその菓子を貰って食べたりした。
 町内のもめごとなどあると、町の人が和尚に仲裁に入って貰い、鶴の一声で和尚が裁断すると、眞に円満に片付いたもので、町の者(当時は村であろう)はこの鉄眼和尚を心から尊敬していた。とくに和尚が、金持ち連中に寄付を命じ、当時としては珍しい消防ポンプを購入して、町の消防に尽され、その徳を永く敬慕したもので、この点いまなお古老たちがその威徳を偲んでいる有様で、この辺の人々は鉄眼和尚と言っている。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

天田愚庵 更新情報

天田愚庵のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング