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北アフリカ戦線異状なし!コミュのコンパス作戦

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今日から北アフリカ戦線の連合国側・ドイツ側の作戦をみなさんで色々議論をしてもらいたいと思います〜♪あそこがわるかった・こうしたらよかった・もし成功していたらなど議論の内容は制限しません。しかし相手を馬鹿にしたり非難したら銃殺です(笑)ということで今回は一番始めのイギリス軍とイタリア軍との戦闘からイギリス軍の作戦『コンパス作戦』について。
簡単な説明
1940年9月13日にイタリア軍はイタリア領リビアからエジプトへ侵攻を開始した。イタリア陸軍第10軍(5個師団基幹)は、イギリス軍が撤退を行ったこともあって、順調に進撃し国境より100kmほど東のシディ・バラニを占領した。しかし、補給の問題から、そこで進撃を停止した。
イタリア軍は、シディ・バラニに留まったままであったが、その間にイギリス西部砂漠軍(第7機甲師団、第4インド師団)は戦力を増強し、1940年12月9日より反攻としてコンパス作戦を開始した。緒戦において、イタリア軍は捕虜3万名を出す敗北を喫し、イギリス軍は勢いに乗じ、リビアに侵入する。1941年2月までにトブルクやバルディアなどキレナイカ地方はイギリス軍が占領するところとなり、この期間のイタリア軍の捕虜は13万名に上った。

コメント(5)

荒縄たろうさんへ
うちもwikiから拾ってきた説明です(笑)でもなぜイタリアは大敗北をしたんでしょうね〜??やっぱり兵や兵器の質でしょうか?
コンパス作戦時のイタリア軍機甲部隊の主力はM13/40やCVタンケッテシリーズでしたね。
それに対してイギリス軍機甲部隊はマチルダ?や巡航戦車Mk.?、?などの
装甲が厚く防御力が高い戦車が中心でした。
イタリア軍の装備する戦車砲では
イギリス軍戦車の装甲を貫徹するのは難しかったそうです。
他にも兵站や兵役のローテーションなども関係して
イタリア軍の士気が低かったのも敗因の一つだと思います。

捕虜の数が13万人なんて聞くと、
「次はイタリア抜きで」という気持ちも分からないわけでは・・・(汗)
ディーターさんへ
確かにドイツ軍には劣勢な戦車群でもイタリア戦車相手には優勢だったとうちも思いますね〜。確かイタリア軍の装甲車で『走る棺桶』とかって揶揄されたのもありましたよね。確か北アフリカもムッソリーニ以外ヤル気がなかったような・・・確かにドイツはイタリアに振り回された面もありましたしね〜。
ディーターさんも含めてみなさんへ
?指揮官や兵士の士気が高く人員面で優秀だった場合イタリアはこのような大敗北を喫したのか?
?もし戦車やその他兵器面でイギリス軍より優秀まではいかなくても同等だった場合やはり緒戦で大敗北を喫したのか(指揮官や兵士の士気などは史実と同様とします)
この2つの場合コンパス作戦期を含めて緒戦のイタリア軍はどうだったのでしょうか?
自分は、イタリア海軍の壊滅にも原因があるのでは無いかと考えております。
マルタ島を早期に攻略出来ず補給線が保てなかったのも原因があると考えております。

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