萬葉集・万葉集コミュの朝月日向

朝月の日向の山に【上】

朝月(あさつき)の日向(ひむか)の山に月立てり見ゆ遠妻を持ちたる人し見つつ偲はむ
原文; 朝月日向山月立所見遠妻持在人看乍偲

(柿本人麻呂歌集・巻七ー1294)
左注;右は柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ。

「朝月日向」とは「朝出ている月が昇る日に向かう」という意であるが、予備知識無しにいきなり原文から読まれた方も発句を「朝月の」と訓み、国の名である「日向」に掛かる枕詞だろうと考えるのが自然で普通ではないだろうか。
この「朝月の」について伊藤「釈注」では巻末補注で「『日向』の枕詞。※①西に傾いた朝方の月が朝日に向かい合う意。」とし「同じ人麻呂歌集歌の巻十一ー2500にも『朝月の日向黄楊櫛』とある」と結んでいる。

これに対し中西「万葉集」では、「朝づく日向かひの山に月立てり見ゆ遠妻を持ちたる人し見つ思はむ」という現代文で「朝日の、向こうの山に月の昇るのが見える。遠くの地に妻を持つ………)という意を述べている。

「朝づく日」は、※③④岩波古語辞典によると二つの意が記載されており、その一つは※④の、要するに「朝日」という意の名詞であり、他の一つは「『枕詞』。「向ひ」にかかる。朝のぼる日に向かう意からという。」という説明がなされ、例として同じ1294の「朝づく日向ひの山に月立てり見ゆ」の歌が載せられている。当然ながらこちらは同じである。

しかし、万葉集にある程度精通しているような人がこの原文を一読して、「朝月日(向)」をわざわざ「朝づく日」などと読んだり詠んだりするものだろうか。以下、浅学ではあるが私なりに「朝月の日向」の訓みが適していると思う理由を述べる。

(1)名詞は兎も角、枕詞であるならば一つの枕詞に二通りの訓みがあるということはおかしいのではないか。自分ではけっこう枕詞を大切にしているつもり(笑)の私も※②「真菅よし」を除いてはそういった例を知らない。
繰り返しになるが「朝月日向山月立所見遠妻持在人看乍偲」という原文を最初に見た場合、「朝月の日向の山に月立てる見え遠妻を持ちたる人は見つつ偲ばむ」というように読むのが自然で普通なのではないだろうか。
これを「朝づく日向ひの山に月立てる見え………」としてしまうと「日向」の「日」までを取り込んでしまい意味まで変わってしまううえに「向ひの山」などとという芸の無い句では凡庸に過ぎて逆に違和感を感じてしまう。勿論全ての歌など知っている筈もないが、私はこれまで集中においてこの「朝づく日」※④「夕づく日」「向かひの山」などという言葉を見たことも聞いたことも無い。

⑵ 集中の2500には同じく人麻呂歌集記載の
「朝月の日向黄楊櫛(ひむかつげくし) 古りぬれど何しか君が見れど飽かざらむ」
原文; 朝月日向黄楊櫛雖舊何然公見不飽
(人麻呂歌集・巻十一　ー2500)

があり、中西「万葉集」もここは「釈注」と同様に「朝月の日向黄楊櫛………」と同じ訓みにしている。やはり「朝月日向」という語がある場合には、「朝月(朝月の)」は「日向」に係る枕詞と考えるのが適当と思うのである。

⑶ 人麻呂は長田王(ながたのおほきみ)筑紫下向に随って日向に近い肥後の八代周辺にまで足を運び、その地で催された宴でこの1294歌を収集した可能性が高いのではないかと考えられること。
後に述べるように人麻呂は少なくとも一回は九州に下向したと思われ、その最初の下向の際に作られたと思われる著名な巻三249～256「柿本朝臣人麻呂の羈旅の歌の歌八首」歌群の配列位置の直前に上記長田王が※⑤筑紫下向の時に作られた245～248の歌群があること、及び人麻呂249歌の四、五句目「船なる君は宣る沼島にと」という句から人麻呂はこの「君」である長田王に随って肥後にまで足を運んだのだろうと考えられる。
何故なら長田王はこの時肥後の八代まで公用で足を伸ばしたと思われ球磨川河口にある水島で　「聞きしごとまこと尊くくすしくも神さびをるかこれの水島」(巻三ー245)

という歌を詠んでいるからで、この水島のある八代の東方が日向の地である。このことから歌集歌1294はこの※⑦球磨地方での宴で披露された伝誦歌を人麻呂が収集、手を加えたものである可能性が高いのではないだろうか。そう考えるとやはり「朝月」は「日向」の枕詞であって「向かいの山」を修飾する名詞ではないと思うのだ。

上記2500歌は1294より更に巧みで民謡的ではなく日向名産の黄楊櫛とはいえ日向以外の、例えば大和で使っていた可能性も考え得るため必ずしも九州で収集したとは言えないのかもしれない。が、この2500も1294もともに「朝月の日向」という枕詞を持つこと、ともに人麻呂歌集歌であることを思うと「朝月の日向黄楊櫛」「朝月の日向の山に」等に詠まれた「朝月日向」という言葉は球磨地方を訪れた都人意識が強く九州の歌を詠まない人麻呂にもなんらかの強い印象を与えたのではないだろうか。

⑷残念ながら私は読んでいないのだが「2500の上二句『朝月日向黄楊櫛』を『評釈』は通説に従って『朝づく日向ふ黄楊櫛」』と訓んでいるがこの訓は認め難」い」(橋本四郎・朝月日向黄楊櫛」万葉第三十一号」。釈注より) とする説があるらしい。
この橋本先生の説は伊藤先生も屡々引用するが納得、信頼できる内容が多いと思えることは述べておきたい。が、何分この本は専門的でしかも出典が古く私どもには目にする機会が無い。したがってここでは私が賛成する伊藤(橋本)説に添った訓みの現代文としておく。

コメント(4)

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[1] mixiユーザー 04月04日 23:36

朝月の日向の山に【下】

人麻呂は実際に九州に下向したのかと言う人がいる。人麻呂は都人意識が強く日常生活の殆どを大和で過ごし、歌に詠まれた地名も持統従駕歌や石見相聞歌など一部を除いてはその殆どが大和を中心とした畿内や近江など畿内の近辺であることが疑問を持たれる原因の一つとなっているのだろう。
私は、以前【463】に投稿したように人麻呂は九州に実際に下向したことは間違いないと思う。巻三249～256歌群(以下「九州下向第一歌群」と呼ぶ)の題詞には「柿本朝臣人麻呂の覊旅の歌八首」とあって、その歌群の255の「天離る夷の長道ゆ恋ひ来れば」という句が人麻呂が九州から上ってきた時のものと考えられるからであり、また他の歌も瀬戸内海の旅を詠んだものであり、この著名な第一歌群及び303、4(以下人麻呂九州下向第二歌群と呼ぶ)の歌群を以て九州下向の根拠と見る人が多いように思う。また歌集歌には糸島郡引津周辺か太宰府でかは不明だが九州で収集したと思しき旋頭歌の
梓弓引津の辺なるなのりその花摘むまでに逢はずあらめやもなのりその花
(巻七ー1279)

があることから少なくとも一度は九州に下向したことは間違いないと考える。

人麻呂の九州下向がこの一回かということについては意見が別れており不明としか言えない。第二歌群303、304の題詞には「柿本朝臣人麻呂の筑紫国に下りし時に海路にて作れる歌二首」とあり、さらにもう一つの304歌には「大君の遠の朝廷(みかど)」という句があってこれは明らかに太宰府を指すと思われる。
しかし、また次に配列されている黒人作305までが文武朝の歌で、その次の306からは奈良朝の歌となっており(伊藤先生) 、持統の死後急速に活躍の場を失い最大のパトロンであった忍壁皇子の没後に宮廷を去ったと思える人麻呂が、果たしてこの配列の位置に僅か二首の歌群を残すような二回目の筑紫下向をしたのだろうか。この配列位置の頃には655年生かと言われる(伊藤、神野志)人麻呂も五十歳を超えていて没している可能性もあると思えるし、だいいち最大のパトロンの持統や忍壁もいないその頃にはもう人麻呂も宮廷にはいないだろう。
中西「万葉集」も303、4歌について、その脚注に「年次不明。※⑤あるいは丹比笠麻呂の同作と混同あり、実際には下向しなかったか。はっきりしたことは不明。」と述べている。
但し「歌群が一度の旅で作られたという保証もない」という意見(井出至・柿本人麻呂の羈旅歌八首を巡って・学燈社万葉集必携ⅱ )もあって結局のところ不明と言わざるを得ない。

私的には中西先生の言うように結局人麻呂の九州下向は一回だけで、この第二歌群は第一歌群成立時に漏れていた歌をここに配置させたものではないかと思う。
或いはこの第二群には、例えば帰京後旅を思い出して新たに歌を作りそれを追加した等で第一歌群とは成立した時期が異なる……といった補填の可能性は無いのだろうか。

その何時とは書かれていない人麻呂筑紫下向の時期を探ってみると…まず第一歌群は【上】の⑶に述べたように長田王に随行した可能性が強いと考えられる。が、残念ながらその長田王筑紫下向の年代も記載されてはいない。

但し、長田王筑紫下向歌群の前にある242弓削皇子吉野遊行の歌は文武三年(699)に三十歳位で没した弓削の死の数年前の作だろうと考えられる。また第一歌群の直後に配列されている鴨君足人作の257～9歌群(260は奈良朝での推敲と思われるため除く)は歌の内容から高市皇子の没した持統十年の翌持統十一年作(文武元年・697)と考えられる。以下は一つの考え方で少々ざっくりとした大雑把なものだが………242歌を仮に弓削が没した六年前の作として弓削二十四歳位の時(持統七年(693))と高市が没した翌年の持統十一年(697)との『中間値』である持統九年(695)頃の年の作で、季節は250の「夏草の野島」の句から夏であろうと思うのである。

この1294(1279も)歌は略体旋頭歌であり略体旋頭歌は人麻呂の前期のものとする稲岡先生の意見(学燈社・万葉集必携)とは相容れないことになる。ただ、この稲岡説には批判もあるらしいしまた下注※⑦のように別の見方もある。
人麻呂の九州下向第一、第二歌群は全て非略体書式であることを思うと、上の時代考察はざっくりしたものではあるもののそう大きく間違ってはいないだろうと思うのだが。

[2] mixiユーザー 04月04日 23:38

朝月の日向の山に【注】

※①但し、伊藤先生は此処の意を「月が更(あらた)まって日向の山に新月が立ち昇っている」としているが枕詞の意に忠実な訳にしようとするのならばこれは誤りではないだろうか。何故なら新月とは月齢零か一日の月であって目では見えず、普通月齢二日か三日の二日月を言うのであるがこれは夕方西の空に昇るものである。が、これでは朝昇る日に向かい合う月とはならない。故に私は此処では普通に「月が立ち昇っている」でよいのではないかと思うのだ。

※②「真菅よし」………「ますがよし」(中西先生)と「ますげよし」(犬養、伊藤先生)。「蘇我」の枕詞だから「ますがよし」が本来の訓みだろう。しかし「菅」は植物の「スゲ」のことであるから、「ますげよし」も誤りではなく寧ろ意味という点からはこちらが正しいのかもしれない。犬養先生の「万葉の旅・上」の旧版では「ますがよし」としていたが、新刊では「ますげよし」としている。→(巻十二ー3087)

※③岩波古語辞典………勿論数はごく少ないがやはり人間のすることで、いつもは頼りっぱなしのこの辞典にも誤りはある。最も分かりやすい典型例は「二八蕎麦」についてで
【二八蕎麦】そば粉二、うどん粉八の割合で作ったそば。後、一杯十六文のそばの意にも言った。とある。これは前の持ち主(講座の先輩)も疑問を持ったようで上に〇を付けている^^;

※④ 朝づく日(名詞)………《「夕づく日」の対。ツクはその状態になってゆくということ》
朝日。「朝づく日さすや岡辺の草の葉に」(拾玉集一) (岩波)
また、この拾玉集とは鎌倉初期の歌人慈円の詠歌を南北朝時代に尊円法親王が編纂したものであり、「朝づく日」が平城京時代に使用されていたことに関しては甚だ疑問と言わざるを得ない。

※⑤「あるいは丹比笠麻呂の同作と混同あり、実際には下向しなかったか」
……私の浅学のためにはっきりしないのだが…………中西先生の言う(叙述の？)混同とは、人麻呂作303の「……沖つ波千重に隠りぬ大和島根は」と丹比笠麻呂作509「……家のあたりわが立ち見れば青旗の葛城山にたなびける白雲隠る……」を指すか。

※⑥筑紫………⑴九州の総称。⑵筑前・筑後の総称。ここでは前者

※⑦…………略体歌は人麻呂若年時の作や人麻呂が採集した非個性的な恋歌の歌群、非略体歌は皇子を中心とする宮廷周辺や旅先での宴席など宮廷生活に関わる歌群との見方が広く行われている(多田一臣・三省堂万葉集ハンドブック)

[3] mixiユーザー 04月05日 06:56

朝月の日向(ひむか)

朝月の日向の山に月立てり見ゆ遠妻を持ちたる人し見つつ偲はむ
朝月日向山月立※①所見遠妻持在人看乍偲
(朝に出ている月が昇る日に向かう)日向の山に月が立っているのが見える。遠くに妻を持つ人はその月を見つつ妻を偲ぶのだろう)

朝月日向山月立※①所見遠妻持在人看乍偲
左注;右は柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ。

(巻七ー1294)

既に述べたように人麻呂筑紫下向の際に肥後八代の辺りで収集した伝承歌に手を加えたものかと思う。
「朝月の」は「日向の枕詞で西に傾いた朝方の月が朝日に向かい合う」という意(伊藤先生)の枕詞で、実景と考えるならば朝方に残っている月だから下弦の、所謂有明の月で人麻呂作48番歌を思い浮かべて頂ければよいかと思う。これは冬で特に夜が明けるのが遅いから月は西に渡っていたのではないだろうか。

皆様は下弦の三日月？をご覧になったことがあるだろうか。三日月とは普通夕方に西の空に浮かぶが、これは夜遅く出てくる月齢25日から27日位の下弦の月で丁度三日月や二日月を逆にしたような形で消える少し前の月である。私は去年の秋深夜に初めて見たのだが、午前三時半頃に多分30度位の角度で東北東の空に昇っていた。これは太陽の光で昼までには見えないほど薄くなるから普通の生活を送っている人にはまず無縁のものだろう。
この「下弦の三日月」は極端な例だが、よく歌に出てくる※②十六夜の月は出るのが少し遅いので逢瀬に出かけようとする男や男の来訪を待っている女がジリジリするのだろう。

月齢零の晦(つごもり)や月齢1日の新月は目には見えないから歌中の「月立てり見ゆ」という第三句は月が変わった、新しい月になったという意味ではなく単に月が昇ってということだと思う。

だから枕詞に忠実に(1294歌を実景として捉えると)朝、南から西の日向の山に残っている※③有明の月を日向側から見ることになる。
一方、「朝月の」を単に日向の枕詞として(割り切って)考えると夕方の月でもよいことになり、夕方東の日向の山に昇ってきた上弦の月～十五夜の月を西の肥後側から見ることになる。上に述べたように人麻呂が八代辺りに足を運んだらしきことを考えるとこちらの方が適しているように思う。一方、早朝の清々しい大気の中で見た透明感のある美しい風景と考えたい人は枕詞に忠実に考えた方がよいということになる。

いずれにしろ上三句の叙景と遠くに置いてきた妻を偲び家を思う妻恋や郷愁を漂わせた下三句の抒情とが見事に調和した巧みで美しい歌である。早朝であれ夕暮れであれ原作者は澄んだ空に浮かんでいる月を見て妻や家を思い出したのだろう。勝手な想像だが遠い大和に妻を残してきた人麻呂は自分のことのように思ったのかもしれない ^^

旋頭歌は本来集団で歌われたものと言われているが、この歌など三句目と六句目が全く異なることもあり、あまり集団性は感じられず寧ろ個人の感性で詠まれた歌の様に感じる。
いずれにしろ人麻呂の手が加わったものと思われ、旋頭歌ながら洗練された雰囲気を持っていて地方の集団民衆歌といった雰囲気は感じられない。

「遠妻」という語は集中に僅か五例(伊藤先生)ということで妻に関する名称には他に「人妻」「新妻」「我妻」「幼妻」「隠し妻」「籠り妻」「通い妻」「現地妻?(笑)」などがあるが、「遠妻」というのは遠く離れた土地で家を守り夫の帰りを待っている妻を偲ぶ郷愁と愛情の籠ったまことに美しい言葉だと思う。こういう言葉を聞くと「言霊」というものを感じるのは私だけではないと思う。
最近では少子高齢化、人手不足が叫ばれ、結果外国人が多数流入して多様化、多文化共生などと囂しく言われているが、こういった美しい日本の言葉が失われることなくいつまでも残るような国と世であって欲しいと思わずにはいられない。

※①「所」………私の持つ万葉仮名一覧表(学燈社・万葉集必携)には「所」が載っていないのでよく分からないが先生方は「え」「ゆ」と訓んでいることが多い。

※②十六夜の月………十五夜の月より昇るのが約五十分遅れるというからたった一日で意外に遅く昇るものだと思うが、これは24時間を30日で割ることで納得できる。

※③………深夜に昇る下弦の三日月は夜明けにはまだ頭上辺りかと思う。夜明けに見る月は月齢20日～25日くらいの下弦の月だろう。

[4] mixiユーザー 04月05日 06:58

朝月の日向黄楊櫛

物に寄せて思を述べたる

朝月の ※①日向黄楊櫛(ひむかつげくし) 古りぬれど何しか君が見れど飽かざらむ
((朝の月が日に向かう日向、その)日向産の黄楊櫛（つげぐし）は使い込んで古くなりましたが私たちの間柄もその櫛のように長くなってしまいました。なのにどうしてあなたはいくらお会いしてもお会いしても飽きることがないのでしょうか)

原文; 朝月日向黄楊櫛雖舊何然公見不飽

(柿本人麻呂歌集・巻11十一ー2500)

長年連れ添った妻の歌と思われるが、通い婚の長所か夫の男振りや人柄が良いのか或いはよほど二人の相性が良いのか、つい「結構なことで」と皮肉の一つも言ってしまいたいほどの夫婦の仲の良さである。どうやら昨晩お熱い共寝を楽しんでその翌朝に戯れながら妻が夫に贈った愛を表わす歌と思われる。
昔から髪は女の命などと言われているが、その髪を梳る櫛もまた女の魂が乗り移った大切なものであったに違いなく、妻が女の心を櫛に託して詠んだ歌なのだろう。

『評釈』は「夫婦関係の既に久しくなっている妻が、朝、黄楊の櫛を扱いながらその夫に楽しさに微笑んで言っている歌である。梳っているのは自分の髪でなく夫の寝乱れした歌であろう……
(中略)………気分を主とした歌であるから作為にそうした境(心境か？)があったかと思われる。枕詞を持った序詞が複雑な気分を暗示している。巧みな歌である」と述べている(釈注)

確かに巧みな感じのする歌でこの歌も人麻呂の手が加わっているのは間違いないだろう。

※①日向黄楊櫛………黄楊は櫛の好適な材料で日向は黄楊櫛の名産地として有名であったらしい。後の『和漢三才図絵」には黄楊の産地の一つとして日向を挙げている(伊藤先生)

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