萬葉集・万葉集コミュの磐媛皇后仮託歌の作者は山部赤人

【1】磐媛皇后仮託歌の作者は山部赤人

【上】

磐媛皇后の天皇を思ひて作りませる御歌四首(※①⑤)

君が行き日(け)長くなりぬ山たづね迎へか行かむ待ちにか待たむ
(君之行氣長成奴山多都祢迎加将行待尓可将待)
(あの人が旅立たれてから随分日が経った。山路を訪ねて迎えに行こうか、それともここでじっと待っていようか)
右の一首の歌は山上憶良臣の類聚歌林に載す
(巻二ー85)

かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根しまきて死なましものを
(如此許戀乍不有者高山之磐根四巻手死奈麻死物呼)
(これほどまでに恋い焦がれてなどいずに、お迎えに行って高山の岩を枕にして死んでしまいたいものだ)
(同86)

ありつつも君をば待たむうち靡く我が黒髪に霜の置くまでに
(在管裳君乎者将待打靡吾黒髪尓霜乃置萬代日)
(いや、やはりこのままずっとあの人をお待ちしていよう。この靡く長い黒髪が霜の置くように白髪で真っ白になるまでも)
(同87)

秋の田の穂の上(へ)に霧らふ朝霞いつへの方に我が恋やまむ
(秋田之穂上尓霧相朝霞何時邊乃方二我戀将息)
(秋の田の稲穂にかかる朝霞のように、いったいいつになればこの思いが消え去ってくれるのだろうか)
(同88)

上の四首は、以前投稿した「好きなうた2」の11頁【514】「磐媛皇后」にて
「題詞では磐媛皇后の作となっていますが、仁徳天皇の時代にこのような起承転結の構成と新しさを感じさせる歌があったなどということは考えられません。いうまでもなくこの四首は『伝誦歌を誰か隠れた詞人が磐媛に仮託した歌物語として作ったもの(但し一度に作ったものとは限らない(伊藤先生))で、これには以下の藤原氏の目的があったものと思われます………」

と述べたように藤原氏が不比等の娘で既に聖武天皇の夫人となっていた安宿媛(あすかべひめ)・光明子を皇后の位に就けるために利用したものに違いない。
それは光明子を入内させる時から既に不比等によって計画されていて不比等没後に不比等の子息四兄弟によって実行されたのだろう。
そういう訳で以下の拙文を読まれる前に、この辺の事情を詳しく説明した「好きなうた　巻二」の【514】の投稿を是非とも読んで頂きたいと思うのである。

この四首の歌群は、その隠れた詞人某が85番の歌から分かるように新旧さまざまな歌を組み合わせて、磐媛皇后が夫・仁徳天皇を偲ぶ歌として仮託したものに違いないだろう。85番はこれも以前に投稿した允恭天皇の子の軽太子と軽大郎女(衣通王)という絶世の美男美女兄妹の近親相姦というこの時代にしてもショッキングな悲恋を詠んだ古事記歌謡88番(万葉集では90番として記載)の
君が行き日長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ

に※②手を加えたものに違いない。また「86番には2693番など、87番には後の編者が或る本(古歌集)の歌として所載89番を引いている。が、四首目の88番には類歌は見当たらない」(伊藤先生)ということで、これはその某詞人の創作によるものであろう。

伊藤先生が「この四首は、おそらくは主として宮廷の女性たちに提供され、いたく持て囃されたであろう。四首を享受した人々は、これをあの磐媛皇后の一面と信じて感に耽ったのであり、そこに女心の模範を汲み取って心酔したことでもあろう」と指摘するように、民間出身の光明子立后に向けて磐媛の伝承を親しみ易い歌によって広く知らしめた藤原氏の戦略は見事に成功したようだ。
それと共に、嫉妬とは愛情の裏返しでありウワナリ妬みの権化のような異常に強い磐媛の嫉妬も夫への愛情が深いことの裏返しであったのだと人々に思わせる四連作を作った詞人某の腕も相当なものであったと思わざるを得ない。

【中】

では、その隠れた詞人とは誰かというと私は山部赤人ではないかと思うのである。
以下その根拠を述べると

根拠【１】赤人作378番歌　

山部宿祢赤人の故(なき)太上大臣藤原家の山池(しまのいけ)を詠める歌一首

いにしへの古き堤は年深み池の渚に水草(みぐさ)生ひにけり
(昔の古い堤は年を重ね、池の渚には水草が生い繁っているよ)

この歌の題詞からは赤人が誰か貴人、多分不比等の子息たちに伴われて平城京佐保の不比等旧邸を訪れたのではないかと思われる。(※③これについて土橋寛先生が藤原京の旧不比等邸としているが僭越ながら違うのではと思う。理由は注記で述べる)
歌からは赤人が以前にも藤原邸を訪れているらしきことが窺われ、赤人と藤原氏特に不比等との関係が※④ 親密であったであろうと推測されるが、詳しいことについては追って述べることとする。

題詞に「山部赤人の故太政大臣藤原家の……」とあることからは、赤人がおそらく不比等没後何回忌かの法要のために訪れたのではないか、そしてそれは下記の年表と光明子立后の時期を考えて三回忌か七回忌、タイミング的にはおそらく不比等没後六年後の七回忌ではないかと思うのだ。それならば光明子立后まで三年ある。作歌のための時間としては十分だろうと武智麻呂たちは考え光明子を皇后とするための根拠となりうる仮託歌を作るよう赤人に依頼(命令)したのではないだろうか。

また、その神亀三年の七回忌の時(726)の依頼だとすると不比等の邸は平城京遷都後既に十六年を経過しているわけで、池は神さびて汀に杜若や菖蒲などの水草が生い繁るには十分な時間であろう。しかしまた、荒れているとは書かれていないところをみるとそれほど長い年月も経ってはいないということなのではないだろうか。

そして三年後には【514】で述べたように、光明子立后の最大の障壁である皇親派の盟主・長屋王を除き、その半年後には※⑤藤原麻呂が背中に「天」と「平」を含む文字を記した瑞亀(瑞亀の登場はこれで三度目)を献上、「天平」と改元さらにその五日後には光明子を皇后に立てる下記※⑤の詔が宣せられたのである。瑞亀を出現させておいて「皇族以外の立后の前例はある。それは葛城氏の娘・磐媛でこの四首の歌がその証拠だ」などといった※⑤都合のよい作りごとを言って光明子立后の根拠(言い訳)としたのだろう。

上記及び下記については、次の年表を見れば納得して頂けるのでは、と思う。

平城京遷都　　　和銅三年(710)三月
藤原不比等没　　養老四年(720)八月
元明天皇　没　　養老五年(721)十二月
不比等三回忌　　養老六年(722)八月？
聖武天皇即位　　養老八年・神亀元年(724)二月
不比等七回忌　　神亀三年(726)八月？
長屋王の変　　　神亀六年(729)二月
瑞亀献上　　　　神亀六年(729)六月
天平改元　　　　天平元年(729)八月
光明子立后　　　同上

歴史学者・直木孝次郎氏は記紀の磐姫像と四首の磐姫のイメージの相違に着目し、その変容の理由を光明立后に結びつけて考えようとする新説を発表、連作成立の時期は和銅末から霊亀・養老にかけてに限定されるとした(学燈社・別冊万葉集必携)が、僭越ながらその時期に関しては早過ぎるように思えて賛成できない。
同様に元明女帝生存中に成立したとする伊藤先生の説も、その時点においては皇親派の盟主・長屋王という最大の障壁が健在であることからこれも時期早尚と思われ賛成できない。(これは直木氏の説についても言えることである)

これらの直木、伊藤説に対して稲岡耕二先生は※⑥磐媛作歌伝承に二段階を認め、左注をも考慮しつつ連作完成期を類聚歌林編纂(養老五年)以後としており(学燈社)私はその説に賛同する。この稲岡先生の「連作完成期は養老五年(721)以後説」というのは上の年表を見て頂くとお分かりと思うが実に適切なのではなかろうか。
遅くとも長屋王の変の前年(728)までには仕上がっていたのだろう。

なお、中西先生は次の379番「大伴坂上郎女の神を祭る歌」が天平五年(733)の作であることからこの378番も天平五年(733)前後の作かとしているが僭越ながら違うのではないかと思う。
というのは、伊藤先生は、「巻三の『雑歌』は378番をもって終わっていた形跡があり、379～389が巻三『雑歌』に補われたのが天平十七年(745)より下る桓武朝延暦初年(782年頃)の二十巻本万葉編纂の折か」と述べている。そして「巻八の配列は部立てごと『ほぼ』年代順」(中西先生・事典)とはいえ、これら追補の歌に関しては別の人から提供された資料で、この378番の歌の資料とは出処が異なっているのだろう、配列に少し疑わしい点があるのではと思うのである。

それは作歌した年の記載の無い381番の筑紫娘子・児島の歌
家思ふと心進むな風まもり好くしていませ荒しその道

が、前歌の379番が坂上郎女の歌であることなどから天平二年(730)の冬十一月、坂上郎女が当時の規定により海路を取って上京した際に児島から贈られた可能性が高いと考えられるからで、海路を取ったことは三句、四句から明らかである。
また郎女作の964番　
わが背子に恋ふれば苦し暇あらば拾ひて行かむ恋忘貝

の題詞に「同じく(963番の大伴坂上郎女の歌を指す)坂上郎女の京に向ふ海路に浜の貝を見て作れる歌一首」とあるところからも郎女もは旅人の傔従一行と共に海路によって帰郷したと考えられる。
さらに巻十七の冒頭3890～3896番歌群の題詞にも「天平二年(730)庚午の冬十一月に、太宰帥大伴卿、大納言に任けらえて京に上る時に、傔従等、別に海路を取りて京に入る」とある。この辺の事情を知っている家持はこの頃陸奥按察使鎮守府将軍、持節征東将軍として東国に滞在しており編纂に携わることができなかったのだろうと思われる。

これらに関して伊藤先生は「『延喜式』(民部下)に太宰大弐以上は陸路を取るべき規定があり、旅人たちは海路を取らなかったと察せられることや、前歌が坂上郎女の歌であることなどを勘案すれば、郎女たち一向への送別歌と見る方がむしろ穏当であろう」と述べている。

そうするとこの赤人作378番が詠まれたと思われる神亀三年(726)は、児島作381番の詠まれた天平二年(730)の四年前ということになり、乏しい私の経験からもこのくらいの間隔ならば年代順の歌の配列として十分あり得ること、というより寧ろ適当ではないかと思うのである。

【下】

根拠【 2 】　文芸的意欲、創作意欲

(上)で述べた
＞85番は古事記歌謡88番(万葉集では90番として記載)の
君が行き日長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ

に※②手を加えたものに違いあるまい。また「86番には2693番など、87番には古歌集所載89番の類歌があるが、88番には類歌は見当たらない」(伊藤先生)
ということから88番は当然その某詞人が作ったものと思われる。そして伊藤先生はさらに次のように解説する。
「四首は明らかに連作であり漢詩絶句の起承転結の構成の中に、煩悶→興奮→反省→嘆息の心情展開を託した組歌である」

また犬養先生は赤人作の巻八ー1431番歌
※⑦百済野の萩の※⑧古枝に春待つと居りし鴬鳴きにけむかも
(百済野の萩の古枝で、春の到来を待ってじっと留まっていた鶯。あの鶯はもう鳴きはじめただろうか(伊藤先生訳))

について「………文芸的な意欲が目立つだけにかつての実体験ではなかったと見る人もある」と「万葉の旅・上」で感想を述べている。
これはおそらくウグイスが「声はすれど姿は見えず」と言われるくらい警戒心が強く、人目に付かぬよう藪の中などで鳴いたり餌を摂る鳥で、晩秋や冬の※⑦枯れ枝にじっと留まって春を待つ………などという悠長で不用心な鳥ではないことから、多分赤人が嘗て屡々通った※⑥飛鳥百済野の風景を平城京で思い浮かべ、それに鶯を添えて想像で詠んだものであろうことをいっているのだろう。また、この鶯についての句から考えると、赤人は観察力という点では虫麻呂に及ばないと言わざるを得ない。

そして、これから思い出したのだが伊藤先生は更に
「第四首は、上三句の朝霞の情景が下二句の心情の譬喩となっており、「霧」を「嘆き」の象徴と見た輝きには他の三首にない個の閃きが感じられる」と述べている。
この「個の閃き」とは即ち文芸的意欲の一つである創作意欲が齎した賜物と言えるのではないか。

つまり他の歌を踏まえた歌の多い四連作中でただ一首、88番という新しさを感じさせる創作歌があるということは、犬養、伊藤先生が言う文芸的意欲や創作意欲の表れではないかと思うのだ。文芸的意欲や創作意欲が無い作者ならば85～87番のように他の歌を踏まえて詠めば済むことであって、その方が時間に制約のある作者にとっては比較的容易、しかも確実だろうと思えるからである。

根拠【 3 】用字法

四連作の用字法が赤人作の他の歌に使われている字と似ているものが割合に多いのではと思ったこと。特に、汎用句なのかもしれないが87番の「在菅裳(ありつつも)」と全く同じ用字の句が317番にも使われていることからその思いを強くした。

学者先生でも難しいと言われている原文の用字と編纂論であり、浅学の廃人の身には
特に面倒で疲れる作業なのだが(笑)。
まあ、そうは言ってもこの用字が決め手となるらしいので恥ずかしながら書いておく。

「而、尓、乎、者」や「乃、之、能、毛、奴、武、久、思」などの一般的なもの(とはいってもその範囲については各自見解が異なることをご了承願いたい)を除き他の赤人作歌と共通する字を挙げてみると

(85番)
無し

(86番)

戀乍(恋ひつつ)の「乍」…………358番　見乍

磐根四(磐根し)の「四」………325番　山四、河四　934番　船二四　943番　水鳥二四

巻手(枕きて)の「手」 …………317番　神左備手

(87番)

在菅裳(ありつつも)………………324番　在菅裳

在菅裳(ありつつも)の「菅」……917番　玉藻苅菅　1427番　雪波布利菅
この「菅」はそれほど珍しくないのでは？と思われる人も多いかもしれないが、ここでは赤人は上の「乍」と「菅」の両方を使っているということを覚えておいて頂きたいと思う。
また「香聞」と「香問」についても同様に両方を使っている。

(88番)

方二(方に)の「二」………………324番　旦雲二　372 番　片恋耳二　933番　伊久利二　934番　朝名寸二、船二四　　942番　作流舟二　　943番　水鳥二四
946番　淡路乃嶋二、生友奈重二　　1424番　一夜宿二来

一般的と思えるものを除くと思ったより少なくなってしまったが………^^;
まあ対象が四首では少ないのだろう、ある時は一首でも結構あるらしいのだが。

因みに赤人は歌によっては助詞に限らず「二」「三」「四」といった数字を頻繁に使うことや「菅(つつ)」「背匕(背向、ソガヒ)」が好きなように、また作った歌が多いことと活動時期が非略体表記から所謂万葉仮名表記へと移り変わってゆく時期と重なっていたためか用字には結構種類が多く「有猿尾(あらましを)」「瀲(ナギサ) 」「十六(シシ)」「蟻(アリ)」「天(テ)」「笶(ノ)」「婆(ば)」などの凝った用字、変わった用字も多く見られるように思う。
しかし竹取翁の歌のように好きな字を偏重して使っているわけではなく、バラエティ豊かにバランスよく使っている印象を受けるが、これも淡白、クールという印象の強い赤人の特徴なのではないだろうか。一方でそれが用字で判断することを難しくさせてもいるようにも感じる。
また数字を用いることは人麻呂の32番にも見られるが赤人のように頻繁ではなく、以前に述べた理由により人麻呂ではないと思うし、あの気位の高い人麻呂が仮託歌を作るとは私には思えない。

また、以上【1】【2】【3】に掲げた根拠及び用字から考えると巻七ー1218～1195の七首(左注に「藤原卿の作なり」とあるが藤原卿とは後に述べるように不比等だろう) も赤人の作(不比等の代作)である蓋然性が高いと思うのである。
なるほど、不比等と赤人の親密性は高い筈である。

【磐媛皇后仮託歌・注】

※①89番の「或る本の歌」は除く

※②………衣通王のやや狂恋的な、前向き、積極的かつ情熱的な思いが表現された歌が、磐姫皇后の歌では自制的で嫉妬に思い悩む歌になっている。

※③土橋寛先生の意見…………先生は「いつのことかは分からないが赤人が訪れたのは藤原京の不比等の旧宅である。だから園池にも水草が生い茂って荒廃していたのである」としておられるが、上記の通り378番の題詞には「不比等没後」と書かれており何回忌かの法事で佐保の旧不比等邸を子息たちと共に訪れたと考えるのが自然ではないだろうか。
何故なら、土橋先生が書かれていることだが、藤原京というのは地下水の水位が高く地下水は至るところで地表に湧出していて湿地帯になっていたらしく「京」を造成することは極めて困難な地勢だったのである。(何故そんなところに都を作ったのかは不明。先生もそれには触れていない)

つまり藤原京とは大伴御行他の4960、1の歌のように泥濘みの湿地帯に造られた都であり、藤原遷都から僅か十六年後に藤原宮を放棄して平城宮に遷ったのはこういった藤原京の地勢的悪条件が原因であったと考えざるを得ないと土橋先生は述べている。
(土橋寛・持統天皇と藤原不比等)

とすると、藤原遷都(694)後不比等没(720)まで26年、不比等七回忌までとなると32年を経た藤原京の旧不比等邸が存在しているか否かさえ分かったものではなく、例え残っていたとしても木材が腐ってボロボロになっていたのではないか。権勢を欲しいままにする藤原氏がそんなあばら家に人を呼んで法要などするだろうか。
またこの時代には家を解体して移動した後、再構築する技術は現代より発達していたらしく不比等も家を解体し水運によって平城京に移築したことも十分に考えられる。また、平城遷都(710)後不比等7回忌(726)までの16年間でも渚に植えられた菖蒲や杜若が繁茂するには十分過ぎる時間ではないか。
以上のことから考えると不比等没後に赤人が訪れたのはまず間違いなく平城京の不比等邸だろうと思うのである。

※④ 不比等と赤人の親密な関係…………その親密な関係の根拠については巻七ー1218～1195(錯簡により順序が乱れている)の「藤原卿覊旅歌」の投稿にて述べる

※⑤都合の良い作りごと、瑞亀………以前にも書いたが「即位してから六年も皇后を定めなかったのは、皇后の地位の重大さから慎重に選んでいたからである。先帝が亡くなる前に、聖武に対して光明子を愛し続けよと言われた」「また皇族でない女性が皇后に立てられた前例もないことはない。仁徳天皇の皇后は葛城曽豆比古の娘の伊波乃比売である。だから光明子が皇后の位につくことは大和朝廷の先例を破るものではない」(吉田先生、桜田氏)
という愉快？な宣命であり、これに関して歴史学者の吉田孝先生は「くまなく前例を探しても、はるか昔の説話しか見つからなかったのである。奈良時代の宣命の中でこれほど苦しい弁明に終始するものも珍しい」と述べている。

※⑥作歌伝承に二段階説…………これは伊藤、稲岡両先生も言っていることであるが、85番の左注にもあるように憶良の類聚歌林には85番のみが記載され86～88番歌は記載されていない。
ということは、磐媛作歌伝承に85番歌のみと四首構成との、少なくとも二段階が認められるとしているのが定説化しつつある。(学燈社・万葉集必携Ⅱ・久田先生)
しかし、久田先生はじめ諸先生方は言及していないが、私にはこの仮託四連作の企画は当然厳重な秘密であった筈と思われるのに、憶良はどのようにして85番の歌を知ったのだろうかという疑問が残るのだ。或いは憶良もこの企画に参加、依頼されていたのだろうか。

※ ⑦百済野…………赤人が公用で広陵郡の百済を訪れるとは考えにくい。ここでの「百済野」は多分壬申の乱で活躍した大伴吹負の邸のあった香具山北西部～大官大寺～飛鳥奥山辺りにかけての「飛鳥の百済野」、つまり高市皇子挽歌199番に出てくる「百済の原」のことを言っているのであって、おそらく赤人が何らかの公用で藤原古京を訪れた際に詠んだ歌であろう。
なお、鶯についての句から考えると、赤人の観察力は、少なくとも鳥に関しては虫麻呂に及ばないと思わざるを得ない。

※⑧枯れ枝………萩は落葉低木(wiki) 。また鶯は留鳥であり暖かければ晩秋にも鳴く。私は十一月中旬の暖かい日に石上神宮の近くで鶯の鳴き声を聞いたことがある。

コメント(9)

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[1] mixiユーザー 05月20日 04:56

【藤原卿覊旅歌】(上)

覊旅にして作れる歌九十首のうち

黒牛の海紅にほふももしきの大宮人しあさりすらしも
(黒牛乃海紅丹穂經百礒城乃大宮人四朝入為良霜)
(巻七ー1218)

若の浦に白波立ちて沖つ風寒き夕は大和し思ほゆ
(若浦尓白浪立而奥風寒暮者山跡之所念)
(巻七ー1219)

妹がため玉を拾ふと紀の国の由良の岬にこの日暮らしつ
(為妹玉乎拾跡木國之湯等乃三埼二此日鞍四通)
(巻七ー1220)

わが舟の楫はな引きそ大和より恋ひ来し心いまだ飽かなくに
(吾舟乃梶者莫引自山跡戀来之心未飽九二)
(巻七ー1221)

玉津島見れども飽かずいかにして包み持ち行かむ見ぬ人のため
(玉津嶋雖見不飽何為而褁持将去不見人之為)
(巻七ー1222)

紀の国の雑賀の浦に出で見れば海人の燈火波の間ゆ見ゆ
(木國之狭日鹿乃浦尓出見者海人之燎火浪間従所見)
※①(巻七ー1194)

麻衣着ればなつかし紀の国の妹背の山に麻蒔く我妹
(麻衣著者夏樫木國之妹背之山二麻蒔吾妹)
※①(巻七ー1195)

左注 ; 右七首は藤原卿の作なり未だ年月を審(つばひ)らかにせず

ここで左注の「右七首は藤原卿の作なり未だ年月を審(つばひ)らかにせず」の藤原卿とは誰を指すかということであるが、上記藤原卿作の1218歌は以前投稿した美しい秀歌
黒牛潟潮干の浦を紅の玉裳裾引き行くは誰が妻
(黒牛方塩干乃浦乎紅玉裾須蘇延徃者誰妻)
(作者未詳・巻九ー1672)

に、また同じく1220歌は
妹がためわれ玉求む沖辺なる白玉寄せ来沖つ白波
(為妹我玉求於伎邊有白玉依来於伎都白浪)
(作者未詳・巻九ー1667)

に発想が似ている。

この二首を調べると同じ巻九の1667～1679番の歌群に属することが分かり、その題詞には「大宝元年(701)辛丑の冬十月に太上天皇大行天皇の紀伊國に幸しし時の歌十三首」とある。またこの歌群には藤原卿1220にある「由良の崎」が1670と1671との二首にも見られ、これらのことから二つの歌群は共に大宝元年の持統・文武紀伊行幸の時のものであろうことが推測できる。

一方、「卿(まへつきみ)」とは従三位以上の官人に対する尊称であって、藤原氏でそう呼ばれるに相応しい人物は鎌足、不比等、不比等の子息四人がいるが、鎌足は天智八年に没しているから作者の対象とはならないし「内大臣藤原卿」と記されたであろう(伊藤先生)。
不比等と武智麻呂の歌は万葉集には載せられていないと一般に考えられているから、これらの歌の作者はまず房前、麻呂、宇合の順で確率が高いかと普通は考えるだろう。

しかし、大宝元年(701)三月一日、新令である大宝令によって位階が定められ藤原不比等は直広壱(ほぼ正四位下相当)から正三位に叙せられる。一方、不比等の子息四人が従三位になったのは武智麻呂と房前とが養老五年(721)で、宇合と麻呂はもっと後であるから四人の子息たちも対象から除かれるのは間違いない。

また、この歌群は1246の左注に「右の件の歌は古集中に出づ」とあることから「右の件」がどれを指すかはハッキリしないものの、「羈旅歌を中心とした短歌のみが万葉集に採録されている」(学燈社・金沢先生)ことや「主に奈良朝以前の歌から成ると考えられる」(伊藤先生)ことから、どうやら人麻呂歌集以外の1130～1246の羈旅部117首を指すものと思われる。
そうするとこの歌群の「作者・藤原卿」とは不比等しか該当せず、不比等を指すことに他ならない。

[2] mixiユーザー 05月20日 04:58

【藤原卿覊旅歌】(下)

また、1673の左注に「山上臣憶良の類聚歌林に曰はく『長忌寸意吉麿、詔に応へてこの歌を作る』」とあることからこの歌の作者は宮廷歌人・長忌寸意吉麿であることが分かる。
持統太上天皇・文武大行天皇という二人の行幸ならば複数の宮廷歌人の従駕もありうることと考えられる。そしてこの歌群の1669、1675の用字を見ると種類は少ないものの赤人らしきものが見受けられる。

(1696)
見變来六(見て帰り来む)の「六」(「六」の字は他の赤人歌には無いものの赤人の好きで多用する数字の用字であり赤人の用字と看做して差し支えないだろう)

(1675)
「三坂」(み坂)の「三」…………934番「三食津國」

そして上の藤原卿作七首の用字を見ると同じく種類は乏しいものの赤人の用字と共通のものが多く見受けられる。これらのことから私は上記藤原卿(不比等)作七首の歌は赤人の代作に違いないと考える。

(1218)
大宮人四(大宮人し)の「四」…………325番　山四、河四　　934番　船二四、

(1219)
山跡之(倭し)の「跡」…………(1471)形見尓将為跡、(323)宜國跡

(1220)
拾跡 (拾ふと)の「跡」…………(1471)形見尓将為跡、(323)宜國跡

三崎二(み崎に)の「三」………934番「三食津國」　111の「三井(御井)」　113「三吉野」の「三」
「二」………324番　旦雲二　372 番　片恋耳二　934番　朝名寸二、船二四　
鞍四通(暮らしつ)の「四」………325番　山四、河四　　934番　船二四、

(1221)
自山跡(倭より)の「跡」
未飽九二(飽かなくに)の「九二」………「九」は上記(1696)の「六」と同じく数字の用字が好きで多用する赤人の用字と見做して差し支えないだろう

(1195)
山二(山に)の「二」………1220参照

以上が「磐媛皇后仮託歌・中」に掲げた赤人378歌について「この歌からは赤人と藤原氏特に不比等との関係が親密であったであろうと推測される」と述べた根拠の一つである。
すると不比等と赤人の親密な関係はこの701年の行幸の少し前から720年の不比等の没時までの少なくとも19年間は続いたものと考えられる。
また、以上のことや「好きなうた巻二」の【646】で述べたように藤の花が藤原家の象徴であり、家紋として使われていること等から1471の
恋しけば形見にせむとわが屋戸に植ゑし藤波今咲きにけり

は、赤人が女人を追憶したものではなく、亡くなった不比等を思って詠んだ歌と見て間違いないと思うのだ。

しかし歌の背景についてこれほど明白に、しかも持統や文武の行幸時の歌であることまでが分かっているにも関わらず、作者名が「藤原卿」としか書かれていないことには不自然さを感じざるを得ない。万葉集の編者たちは、たとえ形式的なものではあるにしろ作者が不比等であるということは分かっていた筈であり、私にはどうも編者たちが故意に、恰も作者が不比等の子息たちの某、特に房前であるかの如く印象誘導をしているように思えてならない。

「万葉集は※②鎌足の歌を僅かに載せるけれども不比等の歌を完全に拒否する。また忍壁皇子の歌を一首も載せてはいない。このことは彼等が歌を作らなかったということではなく、峻烈な意識が行なった拒否であると私は思う。…………(中略)…………鎮魂の書「万葉」はその人の前にその門をぴっしりと閉ざしたに違いないのであろう」(大濱厳比古・万葉幻視考)

大濱先生は万葉集が鎮魂、特に夭折した皇子たちへの鎮魂の書であると考えていることから、その死の原因が天皇家と血縁関係を結びたい藤原氏、特に不比等に帰するところが大であるということを言いたいのであろう。が、その考察の過程は難解で浅学の廃人には凡そのことしか理解できかねるし例え全て理解できたとしても説明することはさらに難しい。故にここでは内容は省略させて頂くが、その結論には共感できるものがあるとだけしておく。

※①………錯簡。書物の綴じ違いなどで、ページの順列が乱れていること。また、書物の中の文字や文章の順序が乱れていること。この頃は本を糸で綴じていたため切れて頁が乱れることがあった。

※②………94、95番。これもおそらく仮託だろう

[3] mixiユーザー 05月26日 12:47

【弓削皇子仮託四連作の作者は山部赤人】(上)

弓削皇子の紀皇女を思(しの)へる御歌四首

吉野川行く瀬の早みしましくも淀むことなく ※①ありこせぬかも
(芳野河逝瀬之早見須臾毛不通事無有巨勢<濃>香問)」
(吉野川の瀬が速いために淀むことが無いように、私たちの仲も一時も停滞することなくあって欲しいものだなあ)
(巻二ー119)

吾妹子に恋ひつつあらずは秋萩の咲きて散りぬる花にあら※②ましを
(吾妹兒尓戀乍不有者秋芽之咲而散去流花尓有※②猿尾)
(彼女に恋い焦がれ鬱々悶々としているくらいなら、いっそ秋萩の花のようにいっときでも美しく咲いて散る花になりたいものだ)
(巻二ー120)

夕さらば ※③潮満ち来なむ住吉の浅香の浦に ※④玉藻刈りてな
(暮去者塩満来奈武住吉乃淺鹿乃浦尓玉藻苅手名)
(夕方になると、潮が満ちて来るであろう住吉の浅香の浦。今のうちに玉藻を刈り取りたいものだ)
(巻二ー121)

大船の泊つる泊りのたゆたひに物思ひ痩せぬ人の子ゆゑに
(大船之泊流登麻里能絶多日二物念痩奴人能兒故尓)
(港に泊まった船が波に揺られる様に私は物思いに耽る日々を過ごすうちに痩せてしまったことだ……あなたが人妻でどうにもならない故に)
(巻二ー122)

《仮託と考える根拠》

磐姫仮託四連作の記事を書いていて思ったことだが、こういった形式の歌には他に上記119～122の弓削皇子の四連作、114～115の物語性の強い但馬皇女三連作がある。
物語性が強いということは即ち仮託の可能性が強いということであり、特に但馬三連作はその長い説明調の題詞からも但馬の恋物語を知っている後世の某詞人が但馬に仮託したものと考えられる。しかもその前にはやはり仮託の可能性の強い大津皇子関連の歌群、弓削と額田との贈答歌がある。とすればこれらの歌のすぐ近くに配列されている弓削皇子四連作も仮託である可能性が大きいのではないか。
そういう思いを持ちながらこの四連作を見ているとこの四連作が明らかに磐姫仮託歌と似ていることに気付く。

それはまず四連作であって起承転結という構成をなしていること、なかでも二首目の120番
吾妹子に恋ひつつあらずは秋萩の咲きて散りぬる花にあらましを　
(吾妹兒尓戀乍不有者秋芽之咲而散去流花尓有※②猿尾)

は、磐姫仮託歌のやはりニ首目の86番
かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根しまきて死なましものを
(如此許戀乍不有者高山之磐根四巻手死奈麻死物乎)

に非常によく似ている…というよりそっくりだと言ってもよいだろう。
しかもそれは構成のみならず二句目の「戀乍不有者」は字もが全く同じである。
さらにこの二つの歌群は歌のみならず、見比べて頂ければ一目瞭然なのだが題詞までもがよく似ている。
これではこの弓削皇子四連作も赤人の作ではないのかと思わない方がおかしいだろう。
ただ、この歌群は※①磐姫皇后仮託歌のような一つの目的のために一本に貫かれた思想、歌同士の連携といったものが感じられず、歌群にも纏まりが感じられない。

私は先に磐姫仮託歌の作者は山部赤人ではないかとする拙文を投稿したが、それが正しいのならばこの弓削皇子四連作も山部赤人の作ではないのかと思うのである。少なくとも某詞人による仮託歌だということは間違いないだろう。
「同一の作者があまりにも前作に似た四連作など作らないだろう、これは誰か他の詞人が赤人の真似をして作ったものではないか」といったサスペンス風の逆転の発想？もできるかもしれないが、この四連作、特に三首目の121は比喩を効かしてなかなかに凝った歌であり、他の歌も結構凝った難しい歌で、これだけの歌を作れる人物はそうそういないだろうと思えるのだ。また二首目の「猿尾(ましを)」などの凝った珍しい用字も如何にも赤人らしい様に思うのである。

[4] mixiユーザー 05月26日 12:48

【弓削皇子仮託四連作の作者は山部赤人】(下)

この歌群には磐姫仮託四連作のような仮託についての明確な動機が不明である。
私は最初、早世した弓削が紀皇女を思っていたことを知っていた兄弟愛の強い長皇子が弟を憐れんで作ったものかと思っていたが、上記の「戀乍不有者」の句からそれよりも磐姫仮託歌によって創作に自信を持った赤人が興に乗って作ったと考える方が可能性が高いのではないかと思うようになった。

そのためかこの歌群には磐姫皇后仮託歌のような一つの目的のために一本に貫かれた意思とか思想といったものが感じられず、各歌それぞれは凝った歌ではあるものの、121と122が海辺で詠んだらしいということ以外に各歌間の関連、連携といったものが感じられず歌群としての纏まりがないように思うのである。

伊藤先生はこの点について「例えば119は大和の吉野を、第三首は摂津の浅香の浦を持ち込むかと思えば、119、120は陸に、121、122は海に関していて統一性がない。別々の歌を集めて組み立てて楽しんだのがこの四首なのであろう」と述べている。
この伊藤先生の言葉は上記の「磐姫仮託歌によって創作に自信を持った赤人が興に乗って作ったと考える方が可能性が高いのではないか」とする私の感想に通ずるものがあるのではないかと思っているのだが。

《用字法》

全く同じ用字の「戀乍不有者」を始め、下記の一般的と思えるもの(120番の「流(る)も除いた)を除けば用字が似ていると思ったことである。
85～88の磐姫仮託歌を含めた他の赤人作歌と共通する字を挙げてみると

(119番)
有巨勢濃香問(ありこせぬかも)の「香問」………(類似918番　所念武香聞)
※赤人は「香聞」と「香問」の両方を使っていると思われる

(120番)
戀乍不有者(こひつつあらずは)………86番　戀乍不有者

(121番)
刈手名(刈りてな)の「手」………86番　磐根四巻手、　318番　神左備手

(122番)
絶多日二(たゆたひに)の「二」………324番　旦雲二、　372 番　片恋耳二、
933番　伊久利二、　934番　朝名寸二、船二四、　942番　作流舟二　
943番　水鳥二四、　946番　淡路乃嶋二、生友奈重二、　1424番　一夜宿二来、　

少ないではないか？と思われる方もおられると思うが(笑)、同じ用字というものは「而、尓、乎、者」や「乃、之、能、毛、奴、武、久、思」など一般的と思えるものを除くと特徴のある用字が共通することは意外に少いものであるように思う。用字で同一作家か否かの判断をすることはなかなか難しい。
ただ、この弓削皇子仮託歌に関しては「戀乍不有者」という磐姫仮託歌と全く同一の特徴的な句があり、四連作、起承転結の構成、特徴的な二首目同士の酷似、題詞の酷似と他の要素も揃っている。従って私は弓削皇子仮託四連作が赤人の仮託と考えるには十分だろうと思うのだ。
また二首目の「猿尾(ましを)は特に凝った用字で珍しい赤人らしい用字と思う。これは他の仮託歌にも出てくるので覚えておいて頂きたい。

※① ありこせぬ………ラ変動詞「あり」の連用形＋上代の希望の助動詞「こす」の連語「ありこす」の連用形に完了の助詞「ぬ」が添ったもの。《コセはよこすなどの意のオコセの最初の母音が脱落した形》　(こちらに対して)そうあってくれる意でこの119の歌が例として載せられている。(岩波古語辞典他)

※②ましを………反実仮想(モシ……トシタラ……ダロウ)の助動詞「まし」に強調の意の間投助詞「を」が添ったもの。原文「猿(まし)尾」で猿を「マシラ」とも訓むことからだろう、非常に凝った珍しい用字である。

なお「まし」は動かし難い事実に直面してそれを受け入れ肯定しながら、その事実が無かった場面を想定してその場合起こるであろう気分や状況を心の中に描いて述べるもの(岩波古語辞典)

※③潮満ち来なむ………紀皇女が石田王(忍壁皇子の子息と思われる)の妻であることから噂が立ってくることの比喩

※④玉藻刈る…………紀皇女をわがものにすることの比喩。植物や藻は女性に例えられることが多い。私の好きな「名告藻」はその代表である ^^

[5] mixiユーザー 06月13日 23:31

【弓削皇子仮託歌・吉野】

弓削皇子の作とされる歌には他に

いにしへに恋ふる鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡り行く(巻二ー111)
(古尓戀流鳥鴨弓絃葉乃三井能上従鳴済遊久)

滝の上の三船の山に居る雲の常にあらむとわが思はなくに(巻二ー242)
(瀧上之三船乃山尓居雲乃常将有等和我不念久尓)

霍公鳥なかる国にも行きてしかその鳴く声を聞けば苦しも(巻八ー1467)
(霍公鳥無流國尓毛去而師香其鳴音手間者辛苦母)

秋萩の上に置きたる白露の消(け)かもしなまし恋ひつつあらずは(巻八ー1608)
(秋芽子之上尓置有白露乃消可毛思奈萬思戀管不有者)

があるが、242は以前書いたように人麻呂の244を踏まえて詠んだものだろう。それを含めて弓削自身が詠んだ集中の歌は242と1467だけではないかと思うのである。
1608も、その前の歌が仮託の可能性が強い例の額田王「風待つと」と鏡女王の「風をだに」(贈答歌ではない)であること、※①「戀管不有者」の句、歌の感じから見てどうも赤人の仮託ではないかと思うのだ。

111は、それに対する額田王の返歌
いにしへに恋ふらむ鳥は霍公鳥けだしや鳴きし我が念へるごと(巻二ー112)
(古尓戀良武鳥者霍公鳥盖哉鳴之吾念流碁騰)

み吉野の玉松が枝ははしきかも君が御言を持ちて通はく(巻三ー113)
(三吉野乃玉松之枝者波思吉香聞君之御言乎持而加欲波久)

との三首一組の歌群となっているが、「吉野より蘿生(こけむ)せる松が枝を折り取りて遣はしし時に額田王が奉り入れたる歌一首」という113の題詞からはどうも話が出来すぎている…というか、いかにも作りもののような不自然さを感じてしまうのだ(笑)

また112、113の額田王の返歌も知的で上品ではあるが私には額田らしい鉈で木を切るような男性的な強さ、張りといったものが感じられない。私は歌に込められた力というものは腕力、体力とは違ってそうそう落ちるものではないと考えるから、この112、113から受ける感じは到底額田のものとは思えず、寧ろ赤人や家持の歌に近いように感じられるのだ。
だから弓削の歌には違和感を感じないが額田の歌には違和感を感じてしまうのだろう。

私たちの知っている若き日の額田は三十～四十歳半ば位であることが多いがその頃の額田の歌には男性的で少し野性味さえ感じさせる凄み、力強さがあるように思う。
最後に少し触れる155番は集中における額田最後の歌であるが、なんと力強いことであろうか。

《用字法》

そして難しい用字については歌が二首と少ないために分かり難く、さらに難しいのだが

111の「三井(御井)」、113「三吉野」の「三」…………322「三湯(み湯)」　325「山高三」　1220 (藤原卿覊旅歌)「湯等乃三埼二」

113の「香聞(かも)」…………918「所念武香聞」　(類似119弓削「有巨勢濃香問」)
(※赤人は「香聞」と「香問」の両方を使っている)

また111、112の「流(る)」は弓削の120で使われているのと同じ字で、字自体はそう珍しくはないのだが私はこの二人が口ではなく書面で遣り取りをしているのが気になる。
何故なら、同一作者の仮託ならば書面に書かれている二人の文字はやはり同一の用字となるだろうと思えるからである。

以上のことから考えてこの111以下三首の弓削額田贈答歌群も赤人の仮託歌ではないかと思うのだ。
しかし例え仮託ではあっても111弓削皇子の歌は霍公鳥に父・天武の御代を思い浮かべて懐かしむ素直な感じの、良い歌だと思う。私には額田の返歌とされる112よりも出来が良いように思えるのだが。

これも製作の意図ははっきりとは分からないが、242の歌などから弓削が吉野へ行ったことがあるのを知っている赤人が弓削に仮託して作った創作意欲からの歌群なのではないかと思うのだ。勿論赤人も聖武天皇の行幸に従駕して吉野へ同行、歌を詠んでおり吉野のことはよく知っている筈である。
これは私の勝手な考えであるが、この歌群は創作意欲が強い(犬養先生)と言われる赤人が、天智天皇山科陵完成後に「……ももしきの大宮人は行き別れなむ」という壬申の乱を予言した155番歌を最後に歴史の舞台から姿を消した額田王への労いと惜別の気持ちを示すために弓削に仮託して詠んだ歌々なのではないだろうかと思うのである。

※① 「戀乍不有者」は「戀管不有者」と、「乍」「管」と一字異なるが両方とも赤人作と思える他の歌に使われている(磐姫仮託歌・下参照)字であり、同じ作者と考えてもよいのではないだろうか。これらはまだ他の歌にもある。

[6] mixiユーザー 06月29日 11:01

【天智・鏡王女贈答歌の作者は山部赤人】(1)

天皇、鏡王女に賜へる御歌一首

妹が家も継ぎて見ましを大和なる大島の嶺に家もあらましを
(妹之家毛継而見麻思乎山跡有大嶋嶺尓家母有猿尾)
(あなたの家をずっと見ていたいものだ。大和の、あの大島の嶺に私の家でもあったらなあ)
　
(天智天皇・巻二ー91)

鏡王女の和(こた)へ奉(まつ)る御歌一首

秋山の木の下隠り行く水のわれこそ益さめ御思ひよりは
(秋山之樹下隠逝水乃吾許曽益目御念従者)
(秋の山の木々の下を流れてゆく水のように、私の方こそ思いは勝っているでしょう。あなたが思ってくださるよりは)

(鏡王女・巻二ー92)

「万葉集の「いも・せ」が親族名称としては殆ど用いられず、即座に恋愛関係にある男女を表しうるのは、歌言葉としての蓄積と馴致による」(多田先生)ということからは、この91、92の贈答歌が恰も天智が鏡女王を娶ったように錯覚させ、ひいては488、489へと誘導する印象操作のように思えてくる。何故ならば歌が作られたのが蓄積と馴致による時期とするには早過ぎるように思えるからであり、「妹」は男から妻や恋人を呼ぶ馴れ馴れしい呼称であるからである。
おそらくこの91、92の贈答歌も磐媛皇后仮託歌と同じく後世の創作歌であろう。最近では天智天皇と鏡王女は舒明を父とする異母兄妹の可能性が強いと言われているようであるが、従来鏡王女は舒明の三親等位の皇族と考えられ、この贈答歌は明らかに恋愛関係にある男女を想像させうるもの、もしくはそう感じさせる恋愛関係を模した戯れの風流の歌とされてきた。

この贈答歌が仮託の可能性があると言われて驚く或いは首を傾げる人も多いと思うが、私はこの歌群も山部赤人の仮託ではないのかと思うのだ。
こちらは歌の作られた動機もさることながらそれよりも原文中の珍しい、凝った用字法「有猿尾」から思ったことで、これも赤人作と思える120番弓削皇子仮託歌の珍しい用字と全く同じであることから赤人の作ではないのか、同時に歌の雰囲気も上品で赤人に似た感じだなと思ったからである。
こちらは磐媛四連作ほどには仮託の動機(目的)が明確ではないのだが………まあダメ元ということで恥ずかしながら厚かましく投稿させて頂くこととする(笑)

というわけで根拠は用字、それもちょっと他には記憶が無い凝った用字の「猿尾(ましを)」であって、これは「申尾」(3033)や「益遠」(3299)位しか記憶にないのである。
それと人物や内容が、如何にも不比等は鏡王女が生んだ天智の子であるという(架空の)話を匂わせているように感じられること、根拠とはいえぬが仮託歌というのは単独の歌より磐姫皇后四連作や弓削皇子四連作、但馬皇女三連作などの歌物語の連作、111～113の弓削額田贈答歌、大津石川郎女贈答歌、この91、92の天智鏡王女贈答歌或いは488、489の額田王と鏡王女贈答歌のような相聞特に親愛、恋情を歌った恋物語風のものが多いように思ったことである。

また91は、その異文が
妹があたり継ぎても見むに大和なる大島の嶺に家居らましを
(妹之當継而毛見武尓山跡有大嶋嶺尓家居麻之乎)

であって、これは本文が異文系統に後から「継ぎて見ましを」「家もあらましを」と「ましを」の繰り返しを入れることによって同一の句を二句と結句で繰り返す古歌の雰囲気を出そうとしたのではないだろうか。

それでは何故こういう歌が歌われるようになったのかといえば、一言で言うなら後世における天皇、皇室の権威の低下がその因ではないだろうか。これも赤人作の歌であるが924の
み吉野の象山の際の木末にはここだも騒く鳥の声かも

について犬養先生は次のように述べている。
「行幸供奉に際してこうした純自然の歌を見るのも、人麻呂の頃とちがって、時代は変わった感が深い」………ここで人麻呂云々というのは「天皇は神である」という現人神思想をいうのだろう。
大津や高市の抹殺といった血腥く残虐にして醜悪な皇位継承争いに関与した或いは見聞きしたことで藤原氏を初めとした貴族層は次第に天皇という神の存在だったものをそうは見なくなってしまったのだろう。だから自身や一族の利益のためには容易に高市や安積皇子を殺害、もしくは殺害に加担したと思われる………悪くいえば天皇というものが神ではなく人間として、身近にではあるが軽く見られるようになってしまったからではないだろうか。政治的な目的の磐媛皇后仮託歌は別として、天智鏡王女贈答歌、額田と鏡女王の歌、赤人の923～5番歌などは大なり小なりこうした事情を示しているように思うのだ。

[7] mixiユーザー 06月29日 11:02

【天智天皇と鏡王女贈答歌】(2)

《用字法》

(91番)

「山跡(やまと)」の「跡」…………323番「宜國跡」　(藤原卿覊旅歌) 1219番「山跡」
(同)1220番「拾跡」

「家母(いへも)」の「母」…………317番「白雲母」

「有猿尾(あらましを)」の「猿尾」………(弓削皇子仮託歌)120番「有猿尾」

(92番)

「逝水乃(ゆくみずの)」の「逝」………(弓削皇子仮託歌) 119番「逝瀬之」

《後の経緯など》
「興福寺縁起」によれば※①鏡女王は藤原不比等の生母であり不比等は実は鎌足の子ではなく、天智天皇の御落胤であるという説があるらしい(梶川先生)
これは伊藤先生も興福寺縁起に記載されていると述べているし、Wikiを見ても「『興福寺縁起』『大鏡』『公卿補任』『尊卑文脈』では天智天皇の落胤と記されている」とある。
しかし中西先生の本などでも※②不比等の生母は車持国子の娘与志古媛(中西先生)であるとあって、それが通説、定説となっている。
興福寺縁起は藤原良世(ふじわらのよしよ)という平安時代初期から前期にかけての藤原北家の公卿が著したものであり、不比等が天智天皇のご落胤であるということについては、科学的には勿論、他にも根拠があるわけでもなく信頼性に欠けると言ってよいだろう。
当事者である藤原氏自身がこういうことを書いてもいわば我田引水、手前味噌のように思われて信用できないし良世も不比等の実母が車持氏の娘であるということくらいは知っていたのではないか。
また話は逸れるが、「薬師寺縁起」には『額田部姫王(額田姫王のことだろう)』が『采女』であったとする記述が見られるものの、それは著者・成立年代ともに不詳で信頼性に乏しい(梶川先生)」ということで薬師寺縁起に比べるとまだマシなようではあるが、下記の直木氏の記事からもこういった寺社の縁起というものはどうも信憑性に欠けるものが多いように思えてしまう。

以前にも書いたことだが※①歴史学者直木孝次郎氏の著書「額田王」によれば、当時明文法にはないが言うまでもない事実として、※③女王を娶ることができるのは王以上の皇族に限るという規則があり、そのためいくら鎌足が有力者であろうとも女王を娶れるわけがなく、後世の創作であろうとしている(→鎌足の妻とするのは興福寺縁起のみである)
さらに鏡女王の墓所が舒明天皇の陵域内にあることから以前は三親等くらいの王かと言われていた鏡女王が最近では※④舒明の皇女という説が有力となっており(多田一臣先生・三省堂万葉集ハンドブック)、これでは天武が鏡女王の死の直前に見舞いに訪れたというのも当然に納得できる話である。皇女ならば何故書紀で「鏡女王」ではなく「鏡皇女」と呼ばれなかったのかということだがこれは注記※④の最後を見て頂きたい。

そうなれば鏡女王はおそらく天智の異母兄弟ということになり、書紀にも二人が婚姻関係にあるとは書かれていないことから鏡女王が天智との間に子を成す……などということは考え難い。また梶川先生が額田は大海人皇子成人の際の添伏だったのではないかと言うように鏡女王が天智成人の際の添伏であったのではないかなどと考えることも無理だろう。私はもしかすると鏡女王は生涯独身なのではなかったかと思うのだ。

これらのことから良世の主張はおそらく藤原氏に尊貴性を持たせようとして皇族という最高の血統が藤原氏の血に流れているのだという錯覚を人々に持たせたいがために言いだしたことに違いないように思われる。それはおそらく、このちょうど都合のよい贈答歌から考えついたことだろう。その年代から見て良世が製作を依頼したものでないことは勿論だが、この贈答歌も歌の内容、雰囲気や用字、前の磐媛皇后四連作が赤人作の仮託と考えられることや赤人と不比等の親密な関係から赤人の仮託の可能性が相当に高いのではないかと思うのである。

上記⑴の「妹」について記したように、この贈答歌は天智と鏡女王の二人が如何にも親密な関係にあると思ってしまう趣きであるが、それを後世に良世が利用したというのが本当のところではないだろうか。
聖武天皇のように妃たちとの歌の贈答が見受けられぬ天智がただ一首、鏡女王とこのような親愛な情のやり取りを思わせる歌の贈答をしたというのもおかしな話だと思うのである。
或いは藤原氏特に※②の土橋先生の話を考えると、兄・定恵の出生に疑惑を知感じている不比等が話を自分に置き換え、自分たちが拡めずとも子孫の誰か歌を目にした者が話を創作して拡めてくれるかも、との持前の深謀遠慮から赤人に依頼したことかもしれない。が、それは推論であるから要するに分からないとしておく。

[8] mixiユーザー 06月29日 11:03

【天智天皇と鏡王女贈答歌】(3)

ただ私は、本当に不比等が天智の落胤ならば天智や鏡女王が亡くなった後に不比等自身が堂々と、自慢げにそれを吹聴するだろうと思うのだ。
色々と画策の多い藤原氏のこと、不比等から良世に至るまで藤原氏各人には藤原氏の尊貴性を高めたい、他には藤原氏族一門には皇族の血が入っている、という風に思わせたいという気持があったのは間違いないだろう。

伊藤先生は91、92の天智鏡王女贈答歌について以下のように述べている。
「※⑤古歌巻二の相聞歌を享受すれば、鏡王女がはじめ天智天皇に召されながら、のち藤原鎌足に降嫁させられたように読み取れることも重要である」

これを読むと、どうしても不比等と赤人の関与を疑わざるを得ないのである(笑)

《鏡女王に関する他の仮託歌》

また鏡王女が詠まれている93～95は詠むからに嘘っぽいが、歌の内容や品格、全体の用字からみて赤人の作とは思えず誰か他の歌人の作であろう。
以前にも書いたことだが、多田一臣先生の言うように舒明の皇女という可能性が高い鏡女王(集中では「鏡王女」)がいくら天智の信任が厚いとはいえ、新興貴族の鎌足と結婚するとは考えられない。もし百歩譲って結婚したとしても気位の高い高位の皇族である鏡女王が、当時の鎌足ごとき新興の貴族と寝室を共にし肌を許すなどとは考えられない。ましてや閨房での痴話喧嘩を夫が歌にするなどというはしたないことを到底許す筈がないと思うのである。

95にしても鏡女王と結婚出来なかった、或いは相手にして貰えなかった鎌足が腹いせに天智から美女の噂高い采女、安見児を賜わったというような設定で面白おかしく作られた戯れの仮託歌だろう。その無邪気そうな歌いぶりは抜気大首(ぬきのけたのおびと)作
豊国の香春は我家紐児にいつがり居れば香春は我家　(1767)

にそっくりで、おそらくこういった類の惚気歌を踏まえて作られたものだろう。
身分は低くとも宮廷歌人である赤人が仮託とはいえこんな品の無い歌群を作るとは思えず、某詞人の作り話であろうと思うのだ。

それと詳しい説明は省くが有名な489の「鏡王女の作れる歌」の「風をだに」の歌もおそらく鏡女王を鏡王女と記載して額田王の姉らしく見せかけ、額田の歌に応えたように作られた某詞人の鏡王女仮託歌でこういったことが出来るのはおそらく万葉の編纂者たちだろう。勿論488額田の「君待つと」の歌も仮託である可能性が強いのは言うまでもない。

玉台新詠などの漢籍の王朝閨怨情緒を漂わせた歌風は如何にも天平貴族が好みそうな新しい感じであるし「簾」なども白鳳よりは天平の時代に相応しいだろう。そんな新しさを感じさせる歌が「万葉集のごく初期の二人の女流歌人によって、しかも恰も贈答歌の如くに詠まれているという不思議は二首が二人の女王の実作ではなく奈良朝人によって仮託されたものと考えない限り解けないのではないか」(伊藤先生)

用字を見ると赤人らしくも思えるのだが歌の数が短歌二首と少ないこともあって他の赤人作の歌との共通の用字が殆ど見当たらず用字からの判断は困難である。

聖武天皇の周辺には奈良朝風流侍従と呼ばれる人々がいたが、その中に「淡海三船」という弘文天皇の曾孫という近江方の人物がおり、或いはこの辺が作ったのかもしれない。
想像の範囲ではあるが、私には488の歌にはどうも額田を「いい歳をなさって色ごとのお好きなお方」と思わせたい悪意を含んでいるようにも感じられてしまうからである。

或いは赤人を崇める編纂者某が作ったかと思ったが流石にそれは考え過ぎか(笑)

[9] mixiユーザー 06月29日 11:04

【天智天皇と鏡王女贈答歌】(注)

※①………また直木氏によると「『鏡王女』は、「『鏡女王』とは記載されない（舒明の皇女「鏡女王」は年代から別人）ことから『鏡王の娘』と読むのが正しく、額田王のことであろうとしている」ということだが、僭越ながら、私はそうではなく万葉編纂者もしくは歌の作者某が鏡女王を恰も額田王(額田女王、額田姫王)の姉の如く思わせたいがためになされた意図的な変名つまり印象操作であろうと思うのだ。講座の先生も同じ意見であったのだが…………。
何故なら「鏡王女」というのは上記のとおり「鏡王の女(むすめ)」という意味であって、これにより「鏡王女」と「額田王」とが恰も姉妹のように思えるからであり、これもやはり仮託の可能性が高いと考えられている488、489を本物らしく見せるためになされたことだろうと思うのである。また直木氏の言う「舒明の皇女『鏡女王』は年代から別人」というのも天智や大海人が舒明の皇子であることを思うとおかしな説明で意味不明と思うのだが………

※②………土橋寛先生の「持統天皇と藤原不比等」を見ても不比等の出生に関しては、不比等が鎌足の子で幼時には百済系の帰化人氏族田辺氏によって養育されていたということくらいしか書かれていない。
それどころか「不比等の十五才も年上の兄・定恵(じょうえ・本来の名は真人)は鎌足の実子ではなく、孝徳天皇が寵妃車持夫人に生ませたその皇子であったとする『多武峰略記』『多武峰縁起』の説があり、しかも鎌足がなぜこの真人に中臣＝藤原の氏を継がせずに出家させ、十一才の時に遣唐使の一行に加えて渡唐させたのかという問題が、この説によって初めて解けることである」と述べているのは何とも興味深い話であるように思うし、どうやら本当のことのように思われる。つまりこの91、92の贈答歌はやはり不比等が赤人に依頼して作らせたものであろうと思うのである。私は「多武峰縁起」に関しては「寺の縁起はどうも信用できない」という節を曲げなければならないようである (^^;)

※③………これは大伴旅人と丹生女王、大伴三依と賀茂女王といったカップルを考えれば納得できるかと思える。丹生女王は旅人とは結婚せずに石田王(忍壁の皇子)と結婚したと思われる。三依と賀茂女王も長屋王の変という特殊要因があったにしろ結局は結ばれていない。

※④鏡女王が舒明の皇女であって天智と婚姻関係にあるならば、天智は鏡女王を皇后にしなければならなかったであろう。そして古人大兄の娘である倭大后は、言葉は悪いが妃の身分に格下げとなってしまったのではないか。また日本書紀にも鏡女王が皇后という旨が記載されたであろう。
そのいずれもが無かった(天智紀七年二月二十三日条参照)ということは、やはり以前にも述べたように天智と鏡女王との間には少なくとも婚姻関係は無かったと思うのである。
だから私はこの91、92の贈答歌や488「君待つと」、489「風をだに」(贈答歌ではないことに注意)は虚構の仮託か、もしくは風流の宴席で詠まれた戯れの歌かだろうと思うのである。或いは91については異文系統があることから、本文は異文を基に赤人が修正を加えたものでは、と思うのだ。原作が本当に天智御製ならそこまではしないのではないだろうか。
また、舒明の皇女ならば何故書紀で「鏡女王、鏡姫王」ではなく「鏡皇女」と呼ばれなかったのかと思ったのだが、後世に後水尾天王の皇女に文智女王という円照寺を開山した皇女がいるという例があるため、それはそれで問題はないのだろう。

※⑤古歌巻………巻一、巻二をいう。つまりこの91、92の贈答歌のことである。

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