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真実を伝えよう!(旧館)コミュの通州虐殺の惨状を語る2

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からの続き


■日本人を皆殺しにしろ!!

森脇:僕は六月末迄、今度殺された○○君の塀の中の一間を借りて厄介になっていたのですが、大連に置いてあった家内を呼び寄せることになってので、一間では不便だと言うので○○君のボーイに頼んでおいた所が○○大街粮桟(だいがいリヤンツアン)(雑穀問屋)の院内にある手頃な三間房子(さんげんぼうし)(一間幅の部屋三つ)を探してくれたので寝室兼居間、と台所と風呂、もう一つを応接間兼書斎としたのです。そして家内を呼んだ処が大連と違って日本人が近所にいないのと買物に行くのが遠くて困ると愚痴るので涼しくなったら又、いゝ処に移ろうと言っていたのです。

 僕の使っていたボーイはこの家を探してくれた○○君のボーイの弟で十七歳で性質もよく何でも安心してさせることの出来る子供でした。その兄弟は二人でやはりこの塀の中の一室を借りて棲んでいたのですが、名前は劉ですから兄の方を大劉、弟の方を小劉と呼んでいました。

 あの日、パンパンと銃声を聴いたのは三時十五分頃だったのですが、寝間の背面に窓を作って置くのは不用心だと思ってつぶして了まったので、さっぱり様子が判らなかったのです。其処で起きると直(す)ぐ服装を整えて小劉を呼んで様子を見て来いと言ってやったのです。妻も吃驚(びっくり)して着物を来て蒲団をたゝんだりしていましたが、僕は二十九軍が襲撃して来たのを保安隊が守護隊と協力して防護の当っているのだなと思ったのです。

 妻に色々と注意の言葉を与えていると小劉が血相を変えて大変です保安隊が“日本人を殺せ”と言って暴れ狂っています。○街の角の韓国人(半島人)の家に侵入して皆殺しにした、と言うのです。それで僕もこれは大変だ保安隊の叛乱ではうかうか出来ないと思って粮桟の帳房(帳場)に行って電話をかけようとすると電流が来ていないのです。故障か切断したのか判らないが電話で連絡がとれなければ自分で避難場所を探がさなければならないと思って、自分の家にもどって妻に持って出る大切なものの用意をいいつけていると小劉は屋根から日の丸を降ろして来たのです。日の丸を立てゝいてはいけないというのです。よく気がつくでしょう。

 すると大劉が呼吸(いき)せききって帰って来て『もう街は戦争の様だ。日本人の家は片っぱしから保安隊が乱入して誰彼の見極めなく皆殺している。○○さんのご主人も奥さんも子供さんも酷い殺され方をしています。それから裏の○○さん、××さん、△△さんの家も全部やられて日本人は全滅です』−−愈々(いよいよ)本当だなの覚悟をしていると小劉と粮桟の番頭が来て『この支那服を着て、一番隅の倉庫を開けてあげるから、かくれていなさい』−−と言うので万策尽きて困っていた時なのですからすぐその話にのって、大劉小劉にフトンや大事な物の包を倉庫に運ばせました。

 そして若(も)しこの中にいるのを密告でもされるといけないと言うので粮桟の男達四人と大劉小劉に五円宛(ずつ)、番頭に十円の札をくれてやりました。倉庫には三、四十坪もあり、天井も高く一杯に雑穀の俵が積んでありました。その隅にフトンを布(し)いて落ち着いたのです。銃声は益々劇(はげ)しく、砲声さえ交ざって聞こえるので一大事が突発したなと思いました。

 倉庫の背面には上の方に明りとりの小さな窓が一つあるきりでとても暗いのです。道路の方を見てやろうと思って俵を下から段々積み上げて台をこしらえて、それに上って窓から外を見ました。すると西門の方向に黒煙が二条(ふたすじ)昇っているのです。守護隊もやられているなと思いました。すると下の道路を保安隊が十五、六名で竜刀や銃床で叩きながら何処やらへ連れて行くのです。“走罷(ツオオバ)(歩ケッ)”“起来罷(チーライバ)(起きろ)”と罵声怒叫して引き立てゝいます。それに女や子供の泣き声が聴こえてまるでこの世の地獄です。

 すると粮桟の門を叩き始めたのですが誰も出ないので保安隊員が登って内側に入りとうとう開けました。どやどやと二、三十名もが浸入って来る様です。そうかと思うと直ぐ銃声がしました。僕は直ぐ妻に、万一の場合はこの拳銃でお前を撃ち殺ろし、自分も死ぬから、と言って決心をさせたのです。賊徒は僕の家に侵入して器物をこわしたり、叩いて我々の姿を探しているのです。

 その時、大変なことにはこの倉庫に鍵がかかっていないのです。いかんと思うと匍(は)う様にして麻袋の穀物を重ねて体の見えない様にして妻と二人で中から渾身の力をこめておさえたのです。この戸は力のある男ならば一人でもいゝが普通二人掛かりで開閉する様な大戸なのです。散々荒らした賊徒は今度、倉庫に来たのです。二、三人が戸の中央にある金網と鉄柵の間から覗き込んでいました。僕ら夫婦はこゝを最後とばかりにおさえたのです。外の奴等(やつら)の呼吸は蒸気のように劇しくハッハッと吐き込んでいました。ところが覗き込んでもいないと思ってか直ぐ立ち去って了いました。この時の嬉しさは何とも言えませんでした。そして絶えず銃声におどかされ乍ら恐怖の中にも必ず来るであろう、救護の手を待っていました。

 そのまゝ夜となり、持ち込んだ懐中電灯をつけてパイナップルの缶詰で飢を凌ぎ夜明を待ちました。そして翌(あく)る朝、銃声鎮った頃に道路の彼方に日本語と足音をきいたのです。その時、二人は愕然として僕は去るの様に俵の山を馳け登りましたが、既に過ぎ去っていて判りませんでした。それから降りて、日本軍が来たに違いないと思って倉庫にあった棒切れに小劉の降ろした日の丸をつけて再び窓の所に出て硝子そ破り、金網に棒の通る位の穴をあけて時機が来るのを待ちました。この時位待つということの苦しさを味わった事はありません。

 それから二時間位して日本兵が一個分隊位通るのを見て力一杯旗を出し、日本人だ万歳ッ、日本人だッ、と腹一杯叫びました。これでやっと救われたのです。外に出て太陽を見た時は実に嬉しかったです。こんなわけですから外(ほか)の方々の様に兜弾や兜刃の下はくぐらなかったのです。守護隊に収容されてから意外な大事件になっているのを知って愕然としました。


■糞壷の中にかくれて助かる

竹原:僕の家は○○館と背中合わせの支房家屋で塀の中には僕が一人だけ日本人なのです。三間房子を借りていましたが、一番塀よりの部屋を便所にしていたのです。甚(はなは)だ、尾籠(びろう)な話ですが僕は痔が悪いので便所が永く、この塀の中に共同用のものがあるのですが、支那人が使って不潔なのでわざわざ一と部屋を掘り下げて、縦五尺幅三尺深さ四尺位の穴を掘って三年位、かえなくてもいい様な大きなのをこしらえこれに枕木を左右日本ずつ並らべて、中央に五寸くらいのあきを作って用を便ずる様な作りになっていたのです。部屋より便所の方が奇麗だと言われた位です。

 銃声を聴いて眼を醒ましたとき、裏の○○館に女の悲鳴や断末魔の叫びが聴こえ、器物を破壊する音が日本人は皆殺(みなごろし)だという言葉の間から洩れるのです。二十九軍だなとすぐ思いました。保安隊なぞとは少しも思わなかったです。

 遁げなくてはいけないと思いましたがさて何処に遁げて良いやら判らないのです。速く速くと自分をせき立てましたがどうも適当な場所がないのです。するとふと僕の頭をかすめたのは、僕の友人が嘗て満州の吉敦(きつとん)線で匪族の襲撃に遭って列車を転覆されたのです。その時、便所に遁げて助かったことを思い出しましたので、外へ出るのは危険だと思って直ぐポプリンのパジャマを着たまゝ拳銃と蟇口(がまぐち)を持って便所に行き、枕木を二本あげてさっと中に入り足場をよくしてそっとしゃがみました。こゝでちょっとお断りしておきますが、クソ壷ではありますが未だ三ヶ月にしかならないのです。人間一人の三ヶ月分の排泄量をこんな大きな穴に入れてあるのですから、足をクソの中に浸ける様な事はないのです。

 すると直ぐ十五、六名位の暴漢が物凄い叫びをあげて塀の中に這入って来ました。『日本人在那児』(イベンレンツアイナール)(日本人は何処にいるか)と言うのです。誰も答えません。すると誰かゞ知っているらしく僕の家に飛び込んでガラガラ家財道具をひっくりかえしながら探していましたが、そのうち外に出て他の五軒の支那人の家を起して一々中に入って調べていました。『那児去了摩』(アールチュイラマ)(何処へ行ったか)と聴くと『不知道』(プチドウ)(知らん)と答えるばかりです。その内に便所のドアーを開けましたが『厠房子』(マオファンズ)(便所だ)といって中をさぐりもしないで散々目ぼしいものをあさって出て行きました。

 やれやれ助かった、と思と、『失了火了』(シイラホワラ)(火事だッ)と言うのです。この声に塀の中の支那人たちも隣の火事を黙っていられないとばかりに夫々(それぞれ)の家から水を持って来てジャジャかけていました。暴漢が押しこんだとき、机の上の洋灯(ランプ)を倒したのでしょう。火事も消えたのでじっとしていると今度は軽機関銃の音が遠くに激しく聞こえるのです。このまゝクソ壷の中にいたのでは、外部との連絡はとれないしこのまゝ死んではウンの尽きだ(笑声)と思って、何処か遁(のが)れる場所を見つけたのです。すると僕らの塀と隣の支那家屋との間に幅二尺位の隙があるのです。何時か塀の中でキャッチボールをした時に、ボールを探しに這入ったことがあるのです。

 そうだ、あそこがいゝと思うと、外部の様子をうかがって、そっと枕木を押し上げて飛び出し、外に出ていきなり足場もない塀に爪を立てゝかけ登り無事中に入りました。こゝなら大丈夫だと思って高梁の茎なぞを敷いて坐ったのです。今度は大分楽です。体をのばすことも出来れば呼吸も充分に出来るのですから、銃弾の音はなおしきりだったのですが、いくらか心にゆとりが出来て拳銃を出し弾丸の勘定をしたりしました。挿弾子(そうだんし)に八個あったのです。いざという時は七発撃ちまくって残りの一発を自分の頭に撃ち込んでやるんだと独言をいいました。

 それから何時間たったか判りませんが空に飛行機の爆音をきゝました。二十九軍が襲撃して中央軍の爆撃機の空爆かと思ったのです。ところが何んと嬉しいことに日の丸をくっきり描いた日本軍の飛行機です。僕はその時声そ立てられなかったが二、三回撥ね上りました。大丈夫助かる、とその時初めて思いました。そうなると急に命が惜しくなってキチンと地上に端座して般若心経を口ずさみました。ところがあとの飛行機も来ないのです。だんだん空は暗くなり夜の帷(とば)りが降りて来ると西門方面の銃声は一層激(はげ)しくなりました。今夜は此処で籠城だと思うととても寂しくなって機械的に般若心経を暗誦しました。何百回繰り返したか判りません。

 真暗になってから、遁れられたらこの機にと思って塀を昇り隣の屋根を匍(は)って二棟ほど先きに進んで見ましたが、闇の中にも○○君の家の狼藉の跡と転がっている屍体が見える様なのです。そう思うと堪らなく、体にふるえが来て、拳銃を握って匍う手が屋根にあたってガタガタと小さい音をたてるのです。それから急いで又、もとの巣にもどってほっとしました。やられたな、血の臭いがした。夏の夜は短いとは誰もいうがそんな事は嘘だ。この時程、夜の長いことはなかった。

 夜があけきってから銃声は時々する暗いにとだえた時○○館の方に戛々(かつかつ)という足音と『こゝにもやられている』という力強い凛とした軍人らしい日本語が聞こえました。そら、日本軍だと思うと反射的に塀を馳け上って屋根を走り○○の庭にとび降りて救われたのです。僕の場合は襲来が速かったから森脇さんの様に奥さんを持っていたらとても駄目だったですね。

森脇:今の竹原君の便所なぞは計画的にやったのでなく、不意に気がついたらしいですが、いい思い付きだったんですね。それが倉庫などだったら、何かいゝ物が入っていないかと思ってあけて見るのが、人情ですが便所だと中身がわかりきってますからね。

吉村:廣田さんも大橋さんも支那人の家に逃げこんだ組ですね。



■嗚呼名も知れぬ義人の死

廣田:前夜大橋君が僕の処に来て遅く迄北支事変の話をしたり、将棋をさしたりして、とうとう僕の部屋に寝たのです。ところが二人とも木綿の支那服を着たままグゥグゥと高鼾をかいていたので余程過ってから眼が醒めたのです。外は未だ小暗かったです。庭に寝ていた子牛大の犬は銃声に愕いたのか柄にもなく吠えるのです。二人は至って呑気にかまえて支那靴をひっかけたまゝ門の処に行ってみたのです。

 すると二、三百名の保安隊が暗灰色の学生服を着た学生風の一隊と凄い形相をして西の方へ行くのです。その学生隊の人達も武器を持っていて、持たない者は棒きれをさげていました。『敵襲で保安隊の出動だ、送ろう』と言って門を開けようとすると大橋君が『よせよせ』と言って止めるのです。『大丈夫だ』と言ってその手を振り切って出ようとすると、『子供は許してくださいッ、小輩不行(ショウハイプシン)』と狂気のように叫ぶ日本婦人が二、三人の保安隊員に引っ張られながら行くのです。日本語と支那語を交ぜてしきりに懇願しているのです。

 これを見ると僕の全身の血が湧き立つ程、義憤を感じたので拳を握って飛び出そうとすると、大橋君は『叛乱が起こったのだ』『どうして』『日本人がやられてるじゃあないか』…そうかと思っていると、急に又足音が聴こえてきたので呼吸をころしていると僕らの門が開くのです。二人はそっとそのまま門の影にかくれました。幅一間以上あるので楽々とかくれられたのです。すると七、八人の保安隊員が矢庭に二人の部屋に押し込んで盛んに我々を探すらしいのです。

 『大変だ、やはり叛乱だ』と思わずぞくっとしていよいよ戸にかくれる気がしました。すると散々に荒らして我々がいないので、そのまま出て行きましたが、大橋君の部屋から日本刀を、僕の部屋から南州(注・西郷隆盛)の額を持ち去られたのは残念だったです。

 これで危機一髪の難関は遁れたのですが、支那人の家には少しも入らないということが判ったので、門寄りの一番端の洋車夫の王(ワン)の家に遁げこみました。銃火は益々激しく砲弾の炸裂する音響は屋根をも動くかと思われた。その内に又、道路にドヤドヤと足音がした。すると鋭い声で『日本人はかくれろ!日本人はかくれろ!』と叫ぶのが聴こえました。叛徒に拉致されながら自分の身を省みず他人に注意しているのだ。

大橋:そうだ、あの声は今でも耳に残っているね、普通なら『助けてくれ』と叫ぶ処なんだがあれが日本人の真面目なんだね。内地の人によく伝えてください。どこの人だか判らないが偉い男でしたね。

廣田:それから『静かにしろ、だまれ』という支那語の叱声が聞こえたが尚も『日本人はかくれろ』…と言うものだからズドンと銃声がしたのです。多分殺されたのでしょう。

大橋:声をきいただけですが惜しい男を殺しましたね。

廣田:あの時、王は震えていたが、蒲団から顔を出して『あんた達は顔が白いから、若し此処へ土匪が来たときに大人と思われて危ないから、土間の隅にある釜のススを塗れ』と言われて二人はあわてて塗りましたっけね。

大橋:全く今じゃ笑っているけれどあの時は真剣だったですよ。
 それからこゝに頑張り通して、王の食いあましの焼餅(シャオピン)をかじって、夜を明かしたのですが、銃声のやんだ機を見て特務機関か守備隊に行こうと思って飛び出しましたが『日本人はかくれろ』という言葉が耳に残っていたので無謀なことを慎んで翌日助けられたのです。

記者:どの方も生死の紙一重の様な危機を突破せられたのですね。ありがとうございました。亡くなった同胞の為に黙祷をさゝげましょう。



…終わり…

以上、簡潔にまとめてあるサイトを最後に紹介して終わります。
ご訪問いただき有難うございます。
http://www6.atwiki.jp/kokubou/pages/13.html?PHPSESSID=7ea7d650b024e91fc2e4d1bfa6503a4a



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