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邪馬台国コミュの福井で鉄の大量出土?

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2002年発表の拙稿によると弥生時代における各県別鉄製品出土点数は次の通り。

福岡県1700〜1800点
熊本県1700〜1800点
鳥取県800点以上
京都府500点以上
大分県400〜500点
岡山県400〜500点
(以上、「ポスト古代史ブームの新説・異説」『別冊歴史読本・教科書が教えない日本史素朴な疑問』より)

ところが、次の記事が本当だとすると私は大きな見落としをしていたようなのです。
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1999年福井市泉田町の弥生時代後期(西暦二〇〇年ごろ)の集落遺跡「林・藤島遺跡」から2千点を超える鉄製品が見つかりました。当時は貴重品だった鉄の工具も1100点と全国最多の出土数で、鉄を加工する鍛冶(かじ)の跡も見つっています。古くから越前が鉄の生産地だったことを示すものです。県内には玉造りの遺跡もあり、鉄と玉を中心とした交易の拠点で、大きな経済力が合ったことを示すものです。これが継体を擁する地域の力となったことが間違いありません。
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「越前の鉄と若狭の塩」より。
http://homepage1.nifty.com/saizou/ketetusio.htm

この情報の出典を確認する必要はありますが、
山陰地方や京都府(実際の出土地は北部の丹後地方)
からの鉄出土をも考慮するなら、十分ありうることです。
弥生時代、北部九州を介さない日本海ルートの鉄搬入が
さかんだった傍証といえるでしょう。
そして、それは邪馬台国問題とも無関係ではない、
と思われます。

コメント(7)

 福井県教育委員会に電話して確認。約2000点は実数だそうです。ただし、玉を加工するための小さな工具や、その破片を数えれば、ということで他県の遺跡のように鉄製武器や鉄挺が出ているわけではなく、重量にすれば小さなものだ、とのこと。

 しかし、工具用とはいえ、この地域の人々が鉄の入手ルートを確保していたことは間違いないことになります。
興味深いですな。

ところで、当時どのくらい日本海航路が開けていたんでしょうかね。
出雲とか北九州との関連がどのくらいあったかということなんですが。
福井となると、都怒我阿羅斯等や天日槍の伝承、そして八岐大蛇伝承と重なってきますね。

八岐大蛇は正確には「越の八岐大蛇」で、八岐大蛇自体が製鉄の鉄穴流し(かんながし)で赤く濁った川のイメージとも、溶けた鉄のイメージとも、諸説ありますね。

永久保貴一先生は、製鉄の民は生け贄を欲するという傾向(時代が下っても鍛冶屋では死体を製鉄場に置いたり、周囲を棺桶で回らせたりする)から、八岐大蛇伝承は稲作と製鉄の民の信仰に関わって、越の国から出雲地方への侵略や朝貢関係想定していますね(越の比定地については諸説あるようですが)。

継体天皇の存在とかも含めて、敦賀周辺の裏日本(諏訪まで含めて?)にかけて、半島・大陸との交易ルートと、それなりに大きなクニの存在を想定しても良さそうですね。
日本国家福井県発祥説のサイト
http://www.mikatagoko.com/origin/index.html#index
海流の関係で、結構敦賀あたりに流れてくるのではないでしょうかね。

そうでなければ、あんな気比神宮とかありえないし、継体擁立にしても当然大きな力をもった人間じゃないとありえないですもんね。

「砂の器」の日本海側のズーズー弁の関係もそのころからの影響じゃないですか。
最近参加させていただいたので数年前のトピックス参加をお許し下さい。
若狭湾の重要性を表すことかと、興味深いです。丹後半島の古墳にしても海洋民族の根拠地ではないでしょうか。若狭湾。黒潮に乗って日本海に入れば、婉曲する列島のゴールとして、若狭湾から福井、能登半島があると思います。若狭湾の沿海部として丹後や福井もある、さらに南下すれば尾張あ河内にもすぐ。
福井に鉄があったというのはそういう意味で面白いですね。
邪馬台国は、なぜ越前だったのか?

https://www.xhimiko.com/

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