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異聞しおひがりなつみかんコミュの最終話 思い出を火にくべて灯りに

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 「こんにちは」
 背後からの声に振り返ると、若葉色の作業着姿をしたシオくんが立っていた。
 「また『クレーター』見に来たの?」
 そう言って左手だけで器用に車椅子を動かし、『クレーター』がよく見えるベンチの先までシオくんは連れて行ってくれる。いつもの、午後三時過ぎの私たち。
 「前はよく柵を越えたよね」
 「……そうだね」
 「私はもう歩いて行けなくなっちゃったけど、シオくんは行けるね」
 「……行かないけどね」
 シオくんはいつも少し遅れて返事をする。しかも簡単な返事ばかり。
 「今日はちょっと暑いね」
 「……夏が近いからかな」
 「お姉ちゃん、ソファーでグッタリしてるかな?」
 「……」
 シオくんは答えずにナイロンのベルトで吊るした工具箱を肩から下ろして、胸ポケットから煙草を取り出して火をつけた。病院の中は禁煙なので、煙草の臭いは一切しない。でもたまに煙の臭いがする時がある。噂では搬入された後に亡くなった身元不明の患者を火葬する施設が病院の敷地内にあるという話だったけど、誰も場所を知らなかったし、先生や看護士さんに聞いても「ありません」の一言だった。私はどうにも気になって一度探索しようとしたのだけれど、記念病院は広過ぎてとても見つけられなかった。怪我をしてから私もお姉ちゃんのように気圧の変化で体調を崩す事が多くなり、ますます非力になってしまったので、自分の力で車椅子を動かして移動できるのは、せいぜい2階の部屋から病院に隣接する記念公園の入り口くらいまでだった。ただ、この外出も大体は無断なのだけど。
 記念病院は昔から大きさの割りにお医者の先生も看護士さんも事務員さんも少なく、簡単に抜け出せた。そしていつも午後には公園にやってきて、今は公園内の管理事務所で働いているシオくんと話すのが今の私の日課だ。
 「また勝手に外に出てる!」
 シオくんが二本目の煙草を吸い終わる頃、背後でアキコちゃんの声がする。これもいつもの事。週に三回、アキコちゃんは家に帰る前に病院にお見舞いに来て私の身の回りの世話をしてくれる。アキコちゃんは従姉妹で、小さい頃から「ナツミちゃんとアキコちゃんは瓜二つだね」と親戚中で評判だった。
 「先生に怒られちゃうよ」
 一度私の病室に寄ってから来たのだろう。アキコちゃんは水色のエプロンをかけていた。だいぶ古くなってしまったナツミのお気に入りのエプロンを。確かお姉ちゃんが買ってくれた、そうナツミに似合うと思って誕生日にあげたエプロンだった。


 お姉ちゃんが自分を妹の私だと思い込むようになったのは、戦争が終わってもイージマさんが行方不明のまま帰ってこなかったからだ。イージマさんのマンションで帰りを待ち続けていたお姉ちゃんはある日、白い革張りのソファーから起き上がると窓辺に並べていた飛行機の模型をなぎ倒した後、ベランダから飛び降りた。
 奇跡的にも命は取り留めたのだけど、二度と歩けなくなり、さらに目が覚めるとお姉ちゃんである事を止めてしまった。そしてハルミはお姉ちゃんの中で交通事故にあったナツミになり、ナツミは小さい頃に本当に交通事故で亡くなった従姉妹のアキコちゃんになった。ハルミは、お姉ちゃんの中で何処かに行ってしまった。
 イージマさんの所に行ったんだ、最初は戸惑った私は、やがてそう思って納得する事にした。
 お姉ちゃんに対して、今の状況が幸せだという人もいたけど、大好きだった人に永遠に会えなくなってしまった事と、大好きだった人とその人との時間を忘れてしまう事の、どちらが悲しい事なのか、私には分からなかった。私に出来る事は、とりあえず現状を受け入れる事だけだった。そして私は、何でも納得する人間になってしまった。必要以上に老けてしまったんだと思う。
 そういえば誘われたコンパで戦争の話題が出た事があって、軍事オタクというわけでも元不良という感じでもないごくごく普通のお洒落な男の子が、ここ一、二年で特に激しくなったヤナギタさんとかいう偉い軍人さんのアジ気味なセリフを受け売りして「自分の国を守る為にはオレも銃を取るね、やっぱり。政治的な愛国心とかじゃなくて男の本能つーか、自分自身や愛する人の為?」と堂々としている割に何故か疑問系で話すので、
 「私の同級生は仕事が無くて国防軍に入ったんだけど、前の戦争で向こうに行って右腕無くなって帰ってきたよ。あの『高地事件』で。お姉ちゃんの婚約者は今も行方不明だし」
と答えてあげたら場が急に静かになってしまい、後でコンパに誘ってくれた友達のキミちゃんに怒られた。「ああいう言い方する男もウザいしアンタも大変だと思うけど、あんな返し方したらダメ」って。私はすぐに「ゴメン」と言ったけど、やはり本当の事は中々皆に納得してもらえないとつくづく思った。
 右腕が無いせいで少しバランスが悪いのか、前よりも猫背になったシオは黙って煙草を吸いながらそんな私の話を聞き終えると、少し疲れたような顔の口元を僅かに歪めて「イジワルだね」と呟いて微笑んだように見えた。作業着と同じ色をした制帽の下から見える髪には、白いものがチラホラ見えた。前は綺麗な黒一色だったのに。だから帽子をかぶっているの、シオ?
 「そろそろ行くよ」
 ベンチ横の錆びた鉄製の灰皿に吸殻を片付け、工具箱を吊るしたベルトを左肩にかけながらシオは立ち上がった。
 「それじゃ、また。気をつけて」
 「いつもお姉ちゃんの事、ありがとう」
 去っていく背中にかけた私の言葉に、シオは振り向かず左手を軽く上げただけだった。


 『クレーター』はいつ見てもあの『高地』に良く似ている気がした。赤茶けた土、凸凹した地肌、緑の少なさ、そして有り余る静寂さ。もっとも徹底した爆撃を受けた後の『高地』と爆撃機が墜落して高性能爆弾が誘爆した後に出来た『クレーター』なら似ていてもおかしくは無いのだが、物理的にという意味よりもどこか同じ臭いがする気がした。決して硝煙ではない、記憶の臭いとでもいうのだろうか。しかし、それも僕のノスタルジーだと言えばそれまでなのだが。
 戦死者十一名、重傷者八名。
 制圧された後の『高地』に駐屯していた国防軍第十二旅団から派遣された第十三歩兵連隊第一大隊および第一施設大隊が被った部隊始まって以来の人的被害。そしてそれは国防軍創設以来一度の戦闘での最大の犠牲でもあった。
 国連軍の戦略爆撃機と近海に展開した大型空母から飛び立つ百機を越える戦闘機の絨毯爆撃によって、戦争は開戦から二十四時間で九割方決着した。確かに戦争は起きた。しかしそれはあまりに呆気なく終わろうとしていた。戦闘自体は国連軍の中核を担っていた合衆国軍および連合王国軍によって行われ、本来なら国防軍は実弾を一度も撃つ事なく済む予定であった。
 参戦はするが、戦闘はしない。それが事前に同盟国との政府間でかわされていた国防軍参戦の条件であったと後で知ったが、まあ今となっては後の祭りの一つだ。安全だと思われていた『高地』が実は半世紀以上前の独立戦争時に『聖地』として崇められていた場所だった事、死を賭しても『聖地』奪回を目指す敵の残存勢力がいた事、その『聖地』によりによってかつての仇敵国の軍隊が駐屯していた事、そしてその部隊が実戦経験に乏しかった事。
 いくつもの事象が重なり、犠牲は出た。
 国連軍の情報収集が甘かった為に部隊が脅威にさらされ人死にが出た。いや指揮官が適任ではなかった。そうではなく配備されていた装備が正常に作動しなかった。そもそも国防軍を海外へ派兵する事自体が誤りだ。などなど。
 様々な状況確認、検証、議論、責任追及が行われ、国内は大いに揺れた。およそ七十五日ほど。
 その間に、右腕を吹き飛ばされた僕は野戦病院から行きと同じ空軍の輸送機に乗って国内の軍病院に搬送され、傷が癒えた後に戦時負傷による名誉除隊となり、街に帰ってきた。退役伍長の階級とそれまでの給料、僅かな私物と記念公園管理事務所の職員という職をもらって。


 シオとの約束はすっかり忘れていた。それどころか私は別の男性と海を見に行き、しばらくして付き合うようになった。まさかシオが戦争に行ったとは知らなかったし、約束は単純に忘れられたものだと思っていた。私たちは若く、そして離れていたし。
 いや、元々シオは遠すぎたのだ。二十歳を過ぎて記念公園で再会した時が一番近づいた頃だと思う。あの頃より今の方が頻繁に会うし、シオの境遇も知っているけれど、シオはいつも私の左側で話を聞く。つまり無くした右腕側を私に向けているのだが、シオは右腕だけでなく右耳の聴力も弱くなっているので、私の言葉が本当に彼に届いているのか、自信は無い。私がシオの左側に回れば良いのだが、シオは無言でそれを拒否している。はっきりと言わないが、何となく分かる。まるで手を握られる事を嫌がっているかのように。
 何故だろう? 
 ああ、そうか。私はシオと手を繋ぎたいのだ。手を繋ぎ、シオとの間にある隔壁を取り除きたい、安心したいのだ。いつまで続くか分からない私になったお姉ちゃんの看護、かさむ治療費、離れていくのが分かる彼氏、老いていくお父さん。不安ばかり。変わっていくものばかり。
 そうかしら? だから変わらないシオに触れたいのだろうか? それとも、本当は変わり続けているシオに触れ、私も変わりたいのだろうか? 変わっていくもの、変わらないもの、変わって良いもの、変わって悪いもの、変わらざるをえないもの、変わりえないもの。何が正しいんだろう?


 除隊して街に帰ってきた時、映画やテレビドラマで見かけるような帰還兵を迎える熱烈な式典も聞くに堪えない罵詈雑言のシュプレヒコールも、僕には無かった。国防軍兵士十一名の戦死報道はあらゆる意味で国内を騒然とさせたが、その大きさの為に一応『生還』した負傷兵に関してはあまり話題にならなかった。街の人たちは僕を見ても、おそらく事故で片腕を無くしたであろう気の毒な若い男程度の認識しかなかった。軍に斡旋してもらった職場も似たような感じで、第三セクターの記念公園管理事務所と大層な名称の割りに、天下ってきた小役人の所長の下に定年間近の野心のくすぶりさえ尽きた社員が数名のみの組織で、互いに深く干渉せず、日々公園を見回って掃除をしたり電燈やベンチを直したりして、世間とは隔絶して平穏無事を楽しんでいるようだった。
 紆余曲折を経て、僕は『博士』との生活に戻った気がして、妙に安堵を感じていた。いや、あの頃以上に給料は支給され、軍から恩給も与えられ、大病をしても傷痍軍人療養所に行けば死ぬまで面倒をみてもらえる権利を持ち、右腕が無く右耳が少し聴こえにくい事を除けば、僕は若くしてかなりの安定した未来を手に入れたのだ。絶対的な安堵と言っても過言ではないだろう。羨ましいと思うかどうかは、人それぞれだけど。
 「失礼だけど、あなたは本当に中央政府と似てますね。ごく一部の独裁的な力によって敷かれたレールの上を進み続けている。いや、動かされている。そして長い目で見れば大した事のない僅かな報酬で安心している。与えているのはあなたにとってヤナギタ、中央政府にとって合衆国。その違いだけでしょう?」
 一度だけどこで嗅ぎつけてきたのか、フリージャーナリストの名刺を手にした壮年の男が仕事中の僕を訪ねてきた事があり、失礼ですがと断りつつも初対面の遠慮すらなくズケズケと『高地』での戦闘について証言を迫ってきた。
 「ヤナギタ中将、いや今は大将ですか。タカ派とはいえ戦闘経験の無い制服組が参謀総長となりましたが、ご感想は?」
 「……そうなんですか?」
 「四半世紀前に第一次海外派兵群の指揮を執ったクノ大将は実質閑職に追いやられましたよ。前回の派兵も、当時参謀総長だったクノ将軍は最後まで参戦に反対だったそうですが」
 「……あ、煙草は灰皿に捨ててもらえますか。この辺りは枯れ木が多いもので」
 「……ヤナギタはいずれ国政選挙に出馬する腹積もりのようですが、その際に武勲のように先の戦闘を誇るでしょうが、それに関し」
 「あ、事務所戻らなくちゃいけないんで」
 「……」
 気のない僕の返事に、男の目が据わったのが分かった。空気が張り詰め、芝居がかった動きで吸いかけの煙草が男の足元に捨てられ、汚れた靴で乱暴に踏みつけられた。
 「あんたさー」
 「煙草、灰皿に捨てて下さいね」
 ベンチを離れて去っていく僕の背中に、男は視線を刃物のように突きつけていただろう。振り返らずとも、何となく分かった。
 「あんたら傷痍軍人が軍からいくらもらってるか俺が知らないとでも思ってんのか? この国であんたらみたいな存在は特別なんだ。意味分かってるか?」
 「特別な人間なんていないよ。みんな似たようなものだよ、多分」 
 一回だけ立ち止まり、僕はそう答え、また歩き出した。
 そろそろ公園の入り口に、ナツミの姉さんが現れる頃だった。


 半年後、ミサイルが落ちた。

            了

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