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異聞しおひがりなつみかんコミュの第7話 土に還る

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 パンダ事件は世間を大いに騒がせたが、僕にとってはそれからしばらくして起きた『博士』の交通事故の方がより衝撃的だった。
 僕は仕事で軽トラックをよく運転していたのだが、あいにく免許を持っていなかった。全くもって違法な事をしていたのだが、当然それには理由があった。戦争で負傷した『博士』は右足が悪く、気圧が下がった時や寒い時は足が痛み車の運転に差し障るほどだった。今まではそれでも無理を通して運転していた『博士』だったが、僕という助手を雇った事や年齢的体力的にいよいよ限界がきた事もあり、運転を僕の仕事にした。
 僕は好奇心と不安の天秤に気持ちを揺らされながら、最初は免許を持っていない後ろめたさもあって街の外れから店までの短いほぼ無人の距離を少しビクビクしながら『博士』に代わって運転していたのだが、それに慣れてくるといつしか『博士』は常に助手席にしか乗らなくなった。かくして僕は必要に迫られてというかなし崩し的に無免許で車を乗り回す事になったのだが、長年の経験と警察無線の傍受によって警官や警察車両が巡回している箇所は『博士』が完全に把握していたし、僕は僕で安全運転に心掛けたおかけで警察に止められる事も無免許がばれる事も無かった。
 いっそのこと車の運転免許を取れば良かったのだが、僕に自家用車を持てるほどの金銭的余裕と行きたい場所が無かったので、いつか試験を受けに行こうと思いつつもそのままになっていた。
 今にして思えば、その慢心と怠惰のツケが回ってきたのかもしれなかった。僕と『博士』の。


 パンダ事件の数日後、夕立ちが降りそうな空の下で庭の洗濯物を取り込んでいた時、記念病院から電話があってお母さんの容体が急変したと告げられた。私はびっくりして記念病院の人がまだ電話で喋っているにも関わらず、残暑と湿気にやられて縁側でぐったりしているお姉ちゃんを大声で呼んだ。私は電話の内容を急いで上手く説明出来なかったが、お姉ちゃんは私の只ならぬ様子に何かを察したようだった。疲れて青白い顔に浮かんだ汗が、敷いてある寝ゴザの上に落ちてほんの小さな音がした気がした。
 私はお姉ちゃんと電話を替わり、急いで病院に行かねばと帽子を探しに自分の部屋に行った。でも帽子掛けに帽子は無くて、部屋中を探し回っても見つからなかった。
 「お母さん……、帽子……」
と交互に呟きながら部屋を出て縁側に戻ろうとすると、空が暗くなり窓ガラスに自分の姿が薄く映った。
 帽子は私の頭にあった。
 ふと縁側に目をやると、雨が降り出して暗くなった庭を背に、お姉ちゃんがじっと私の方を見つめていた。「バカね、ナツミ」とは言わず、「お父さんには連絡したから」と告げたお姉ちゃんの顔は、少し若返ったお母さんに見えた。
 取り込み忘れていた水色のエプロンが、雨に濡れて灰色に見えた。


 事故は僕が自分のアパートに戻ってから起きた。
 仕事を終えると店の電話には決して出ない『博士』が、何故かその日は出たという。かけた相手は古くから付き合いのある老婦人で、用件は急に動かなくなったパソコンの修理の依頼だった。彼女は少し前につれあいを亡くし、最近は『博士』がセッティングしたパソコンで都会に住む息子夫婦や幼い孫とメールのやりとりをする事を日々の楽しみにしていた。
 しかし営業時間は過ぎていたし、老婦人の住む家は店からかなり離れた距離にあったし、夕方から天気は悪く小雨が降り続いていたし、僕も帰った後だったのだから、明日の朝一に行くと答えれば良かったはずだ。実際『博士』は時間外の頼まれ事は僕の知る限り全て翌日に回していた。だから修理屋は流行らない上に次第に客を放していったのだが、その日に限って何故か『博士』は急いで向かう旨を彼女に伝えたという。
 そしてパソコンの動作不良を直した帰り道、店までもう少しの場所で『博士』はハンドル操作を誤ったのか、山壁にぶつかった。運が良かったのは反対側だったら錆び付いて老朽化したガードレールを突き破って丘の斜面を落ちていった事と、都合よく対向車が通りかかった事だった。
 以前から人を縛るものは嫌いだとシートベルトを装着していなかった『博士』は山壁に衝突した衝撃でフロントガラスに頭を強く打ちつけ、通りかかった対向車に乗っていたカップルが呼びかけても全く反応しなかったし、救急車が到着して救急隊員たちによる応急処置が施されても、生きてはいたが意識を回復する事はなかった。
 その日はもちろん、次の日も、その次の日も。
 奇しくも『博士』が運び込まれた病院は、ナツミの母親が入院していると聞いた記念病院だった。


 お母さんは二日間意識不明の状態で、お父さんは会社を休んで病院に泊り込み、お姉ちゃんは親戚に連絡をしまくっていたけれど、三日目の昼に何とかもち直して目を開けてくれた。私はこの季節で体力を消耗しているお姉ちゃんに代わって家事を何とかこなした。親戚の伯母ちゃんも手伝ってくれたけど、やっぱり家族じゃないので勝手が違って何か落ち着かず、度々お母さんの心配を忘れてしまった。
 後で聞いた話だと、お母さんの容態が急変したのは病院で投与された新薬の副作用だったらしい。動物には効果があったけど、人間には初めてだったそうだ。
 「お母さん、ハツカネズミじゃないんだから、ひどいよね」とお姉ちゃんに言ったら無視され、代わりにお父さんが「そうだね。でも仕方ないんだよ」と疲れて脂の浮いた顔を手でこすりながら呟くように答えてくれた。その時にお姉ちゃんの口元が少し動いた気がしたけど、もしかしたら私の気のせいかもしれなかった。
 それから新しいお薬の効果なのか、お母さんは前より少し元気になったみたいで、晴れた日はよく車椅子で病院の隣にある記念公園を散歩した。茶色い絨毯のような落ち葉たっぷりの道を車椅子を押して歩くと枯れ葉の擦れ合う音がよく聞こえて、お母さんは「少し寂しいけど良い音ね」と嬉しそうだった。あと「そういえばゴキブリ退治のホウ酸ダンゴは取り替えた?」とお母さんはしきりにホウ酸ダンゴの事を気にしていた。 
 そしてゴキブリを見かけなくなる木枯らしが吹き始める頃、お母さんが死んだ。


 記念病院に収容された『博士』だったが、三日経っても一週間経っても意識は回復しなかった。
 僕は事故の翌日に店に行き、施錠された入り口と見当たらない軽トラックに不安というか不審を感じたが、軽トラックが前から調子が悪かった事もあって知り合いの修理工場に持っていったのだろうと思った。『博士』もそれに付いていき、そのうち代車でも借りて帰ってくるものだと煙草をふかして待っていたのだが、二時間経っても何の連絡も無く、いよいよ本気で何かあったのかと思い始めたところに警官がやってきて、そこで初めて『博士』が事故で重体になっている事を知った。ちなみにこの時僕の頭の中に最初によぎった事は、『博士』の容態ではなく、軽トラックのダッシュボードの上に置いていたクレーンゲームで獲ったお気に入りのヌイグルミの事だった。
 結局、『博士』の意識は戻らなかった。
 しかし『博士』にとって幸いだったのは、彼は戦争で負傷して名誉除隊となった軍人で、しかもその戦争が国内世論的にかなりの物議を醸したものだったので、当時派兵され負傷した傷痍軍人らは時の政府が制定した過剰なまでの保障制度の恩恵に与ることが出来、しばらくして『博士』は傷病軍人療養所という所へと転院していった。そこでは傷痍軍人〜〜作戦地域での訓練中や行動中に負傷した兵士は、除隊後に事故や病気になった場合一生無料で治療や保護を受ける事が出来るとの事だった。
 かくして『博士』は無意識のまま街を離れていった。店と僕を残して。


 「私、家を出るわ」
 お母さんの四十九日が済んだ日の夜、喪服を脱いでハンガーに吊るしながらお姉ちゃんが私に言った。また、雨の日のお母さんのような顔をして。
 「どこ行くの?」
と私が尋ねると、
 「イージマさんのところ」
 そう言ってお姉ちゃんは部屋を出て行った。
 居間ではお父さんが喪服を着たまま脂の浮いた顔を右手で擦っていた。サルみたいだった。


 二十歳の秋、僕は仕事を失った。
 当ては無く、途方に暮れた。


 二十一歳の冬、私は母を喪った。
 古い家からは、姉も出て行った。

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