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異聞しおひがりなつみかんコミュの第5話 ズレゆく太陽

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 「突っ立てないで、座ったら?」
 
 目が合った私に、まるで部屋の主であるかのように彼は言った。
 放課後の美術室。その日は朝の天気予報で夕方から雨と言われ
ていたが、私は傘を持たずに学校に来ていた。家を出る時に見やっ
た西の空は綺麗に晴れていたし、何となく予報が外れる気がしたか
ら、私はその確認をいち早くしたくて美術室の窓から西の山を見よう
とドアを開けたら、調度窓辺に彼が座っていた。籍を置いているだけ
の幽霊部員のくせに、彼はたまに顔を出す時はいつも誰よりも早く
部室の窓際に陣取って無表情な顔で窓から外を眺めていた。一学
年下のくせに先輩を先輩と思わない態度は他の部員たちからかなり
の不評を買っていたけれど、私にはその姿はふてぶてしいというより
他人に対してあまり興味が無いように見えた。皆が言うほど不良に
は見えなかったし、気難しいとも思えなかった。もっとも、私は彼とち
ゃんと話をした事が一度も無かったのだけれど。 
 その日も意外な先客に少し戸惑いつつその背後の山を見たくて入
り口で立ち尽くしていた私に彼が声をかけてからは、私が無言で頷
いて部室の中に入って描きかけの絵の制作に取り掛かると、その後
の会話は一切無かった。やがて別の部員がやってきて私は彼女た
ちと少し話をして気が付いたように窓辺に顔を向けると、いつの間に
か彼の姿は消えていた。部員たちは彼の悪口めいた言葉をいくつか
口にしたりもしていたけれど、私にとって彼は良くも悪くも周りが言う
ほど気になる人間ではなかったし、逆に目立つ人間と係わり合いを持
ちたくなかった私にとってはどうでも良い対象であった。また彼自身も
私に対して無関心であって欲しいと願っているように何故か見えた。う
まく言えないけど自信過剰な無意識というか、無意識過剰な自信みた
いなものが、彼には付いて回っているようだった。そういえば私の好き
な人が教室に持ってきて友達と回し読みしていた漫画で、臆病者の少
年が周囲のちょっとした勘違いと偶然の連続でいつの間にか無敵の
不良に奉られていく話があったのだけど、気になって漫画喫茶で読ん
だその作品の主人公に彼は少し雰囲気が似ている気がした。
 彼によってではなくて、彼以外のものによって、彼という存在が一人
歩きしている、そんな感じだった。


 「突っ立ってないで、座ったら?」

 勢いよく開かれたドアの向こうには、たまに見かける一つ年上の女子
部員がいた。
 いつもだったら僕も向こうも存在を認識する程度でそれ以上の干渉を
避け、僕は窓辺から外を見やる行動に、そして来訪者は部活動へと意
識と体を向けるはずだったのだが、彼女はドアを開けたまましばらくこち
らを見つめていた。
 逢魔が時。昔、人は薄暗闇で通りかがった相手に対し、「もしもし?」と
最初に尋ねたという。「もし」という言葉を繰り返したのは、物の怪や悪魔
は同じ言葉を繰り返し発音する事が出来なかったからで、見ず知らずの
者に対して敵か味方かを判別する方法だった。が、ドアを開けた女子は
間違いなく美術部の部員であったし、怪しいといえば夕陽の逆光で向こう
から顔がよく見えない僕の方だった。その間は時間的にはほんの数秒だ
ったと思うが、何とも気まずい妙な空気が美術室の中を流れ始めたような
気がして、それは声を出す事で少しは中和できると思った。また、ドアを開
いた勢いの良さから察して、いよいよマトモな部員が意を決して籍だけ置
いて何も活動しない部員に対して非難の口火を切るのかと僕は少し不安
になっていた。
 ココロにやましさや弱みを持つ者にとって、沈黙ほど嫌なものは無い。僕
はいつの間にか付いてしまったイメージとは違い、小さい頃から周囲の動
向に敏感で他人の目を気にする人間だった。無愛想に見えるのも他人と
コミュニケーションをとる事が苦手だった為で、孤高を気取るつもりはまるで
無かった。ただこちらが何も言わずとも皆がココロの内を察してくれれば良
いのにと、何の根拠もなく自分を特別なのだと思い込んでいた気持ちが無
かったといえば嘘になる。まあ、要は思春期だったのだ。
 腕っぷしが強いから世界一強いと思ってみたり、周りからチヤホヤされる
のでテレビ画面に映るタレントよりも美人だと思ってみたり、カラオケで高得
点を出しただけでプロ歌手にも負けないと思ってみたり、練習試合でハット
トリックを達成しただけでプロ球団のスカウトが尋ねてくると思ったり、ほとん
どの思春期は小魚が生暖かい養殖プールの中で安全でストレスなく気持ち
良く泳いでいるような時期であり、僕もまたその中の一人に過ぎなかった。 
 ただ、一気に水温の低い危険な外海へと放り出される瞬間が、僕の場合
は少しだけ早かった。安全に見える養殖プールにも小さな穴があり、そこか
ら何らかの弾みで放り出されるもの、自ら出て行くものがあるが、僕の場合
はそのどちらでもあると言えた。
 彼女が美術室のドアを開けた日、僕は一日を平穏無事にやり過ごす事だ
けを第一に考えて今にも雨が降りそうな空を気にして普段は通らない裏道を
使って帰路を急いだところ、そこでたむろしていた数人の『ジャンクス』メン
バーにからまれる事となり、緊急避難的に集団で一番強そうで偉そうな男の
金髪頭を懐中電灯でカチ割って赤と金のまだら模様に変えてやり混乱から
抜け出したのだが、結果としてその男がリーダー格の一人であった為に今
度は自分がとことんヒドい目に遭う事になるのだった。
 今にして思えば、あの日は朝から何故だか歯車が合っていないというか
調子が悪い感じがずっと続いていた。二十歳が美しかったとは誰にも言わせ
ないと誰かが言っていたけど、神様は十代だからといって誰にでも優しく甘い
わけではないと身をもって知った最初の日でもあった。
 春は暖かくてすぐ眠くなるし、夏は暑くて疲れるし、秋は枯れ葉の掃除に忙
しく、冬は寒くて夜になると音が響く。毎年毎年季節は同じように繰り返すの
に、西の山は美術室の窓からいつも見えるのに、太陽は東から昇って西に
沈んでいくのに、不変的な流れの中で人間の生活だけは僕を含めて少しづ
つ変動している。それが時間を経る事による成長というものなのか、僕のあ
の日のような歯車の少しのズレの連続なのか。
 仕事中、記念公園のベンチから夕陽を眺める時、懐かしい人や物に出会っ
た時、不意に過去を〜〜これはほとんど無いが思い出した時、忘れていた
宿題の提出を求められた時のように僕は一瞬ドキッとしながらあの日を振り
返るのだった。


 「突っ立ってないで、座ったら?」

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