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環境思想、環境哲学コミュの”環境思想”で博士論文を書きました

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こんにちは。
コミュニティ管理人をやらせていただいております、
”ぱしもん”、と申します。


先日”環境思想”で書いた博論が認められ
正式に学位(学術)の授与がきまりました。

”環境”をいろいろと研究している人は多いのですが、
そこであえて、”環境思想”というタームを掲げる研究者は
ごくわずかです。

実際には案外いるところにはいるのかもしれません。
しかし、皆あまりに分散しているため、
それぞれが孤立して取り組んでいる可能性があります。

私はこの学問の必要性を強く感じていますが、
”環境思想”を掲げる研究者もまた、
ネットワークを構築していく必要があると思います。

分散してやっているのは、もったいない。
分散してやっている人たちの知恵やアイデアを共有して
”環境思想”という学問をみなで作っていけたらいいな、
と思います。

私も”環境思想”をやっているが、周りから孤立して困ってる
という方、ぜひ、ご連絡ください。


また、実際の博論もダウンロードできるようにアップしましたので
(誤字脱字修正前でちょっと見苦しいところがありますが)
こちらのご意見・ご感想などもいただけると嬉しいです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

近代批判の環境思想
(The Environmental Thought of Modernity Criticism)

※字数は註を入れて32万ですので、分量は原稿用紙800枚ぐらい。

http://www.geocities.jp/persypersimmon/study/sutudy-Dron.htm
からPDFでダウンロードできます

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

はじめに 7
 ○ アメリカ環境主義と環境思想 7
 ○ 環境思想の“失敗”? 8
 ○ 本論における目的と課題設定 10
 ○ 本論の見取り図 12


第一章 環境主義と現代環境思想の誕生 14

 1 「環境の時代」と環境主義 14
  (1)「環境の時代」の幕開け 15
  (2)環境主義の精神 16
    ? 環境主義の前史としての「自然保護主義」 16
    ? 環境主義の前史と自然観の「牧歌主義的伝統」、「帝国主義的伝統」 18
    ? 環境主義の自己理解 19

  (3)環境主義の変遷 19
    ? 環境主義の「四つの波」 20
    ? 「第四の波」は希望なのか 21

 2 現代環境思想の「思想状況」 24
  ? 「テクノセントリズム」と「エコセントリズム」、あるいは<環境主義>と<エコロジズム> 25
  ? 「人間中心主義」と「非人間中心主義」 27
  ? 「シャロー・エコロジー」と「ディープ・エコロジー」 28


第二章 「倫理的エコロジズム」の躍進と衰退 33

 1 「倫理的エコロジズム」のラディカルさ 33
 (1) 「ディープ・エコロジー」の世界観 34
 (2) 全体論、土地倫理、ガイア 36
   ? 全体論 36
   ? 土地倫理 37
   ? ガイア 38
 (3) 自己変革と神秘主義 40
   ? 自己実現 41
   ? トランス・パーソナル・エコロジー 42
   ? 神秘主義 44

 2 「ディープ・エコロジー」への批判と「環境改良主義」 46
 (1) 「ディープ・エコロジー」への批判 46
   ? 「ディープ・エコロジー」の曖昧さ 47
   ? エコファシズム 47
   ? 「ディープ・エコロジー」による、過度の一般化 48
   ? 「ディープ・エコロジー」の「精神主義」 48

 (2) 「ディープ・エコロジー」の果たした役割 49
   ? 批判意識の浸透 49
   ? 「草の根環境主義」の実践―生命地域主義 50
   ? 「世界像」に対する問題提起 51

 (3) 環境経済学から「エコロジー的近代化論」へ 51
   ? 環境経済学の潮流 52
   ? エコロジー的近代化論 53
   ? <エコロジズム>の敗退 54

 3 <エコロジズム>の根本的な敗因 55
  ? オーソドックスなシナリオ―「倫理的アプローチの限界」 55
  ? 群集生態学の変容 56
  ? 背後にある「自然保護主義」 58
  ? 「現代環境思想」がアメリカで成立した、ということ 59


第三章 「社会的エコロジズム」の射程 63

 (1) 「ソーシャリスト・エコロジー」と「体制論的アプローチ」 63
   ? エコ・ソーシャリズム 64
   ? マルクス主義理論のエコロジー的修正主義 66
   ? エコロジストとしてのマルクス 67
   ?「体制論的アプローチ」としての「ソーシャリスト・エコロジー」 69

 (2) 二つの「エコフェミニズム」 71
   ? カルチュラル・エコフェミニズム 71
   ? ソーシャリスト・エコフェミニズム 72
   ? 「ディープ・エコロジー」的エコフェミニズムと、「体制論」的エコフェミニズム 73

 (3) ソーシャル・エコロジー 75
   ? 「弁証法的自然主義」 75
   ? 「ヒエラルキー」の人類史 76
   ? 「リバタリアン的自治社会」 77

 (4) 「社会的エコロジズム」の“敗因” 78


第四章 「文化的近代」と「社会的近代」 84

 1 「文化的近代」と「近代的世界像」の諸前提 85
  (1) キリスト教と環境危機 85

  (2) 機械論と「近代的世界像」 87
    ? 機械論の誕生と近代科学 87
    ? 機械論とキリスト教 90
    ? 「近代的世界像」としての機械論 91
    ? 「文化的近代」と「近代的世界像」 94

  (3) 「近代的世界像」と経済学 94
    ? 社会科学の中の“物理学” 95
    ? 機械論としての経済学 95
    ? 経済学からの示唆―「プロクルステスの寝台」 97

  (4) 「文化的近代」から「社会的近代」へ 99

 2 「社会的近代」の諸特徴 100
  (1) 都市化と「国民国家化」 101
    ? 「伝統的共同体」と都市 101
    ? 市民と国民国家―「文化的近代」のもう一つの帰結 105
    ? 国民国家化の中の「社会的近代」 108

  (2) 貨幣経済の拡張と「商品化」 110
    ? 市場経済と自己調整市場 110
    ? 「社会に埋め込まれた経済」と「社会から突出した経済」 112
    ? 市場経済の展開過程 113
    ?「商品化」と市場経済の「フィクション性」 115
    ? 非貨幣的経済と「伝統的共同体」の解体 116
    ? 貨幣経済の拡張に関する補足 118

  (3)経済成長とエネルギー革命 119
    ? エネルギー革命とその近代的意味 119
    ? 「長い戦い」と進歩 122

  (4)近代とは何だったのか? 123


第五章 エコロジー経済学と「社会―生態システム」論 132 

 1 エコロジー経済学とは何か 132
  (1) 『成長の限界』と『スモール・イズ・ビューティフル』 132
    ? ローマ・クラブと『成長の限界』に書かれていたこと 133
    ? 『成長の限界』と成長主義 137
    ? 『スモール・イズ・ビューティフル』 138

  (2) 定常状態の経済学と環境収容力 139
    ○「均衡状態」から「定常状態」の経済学へ 140
    ○ エコシステムの“サブシステム”としての経済 140
    ○ 物質とエネルギーの“スループット” 140
    ○ 自然資本と環境収容力 141
    ○ エコロジー経済学的視点が提起するポイント 144

  (3) エントロピー経済学と物質循環 146
    ? “生きている系”と定常開放系 147
    ? エントロピー経済学における“物質循環” 150

  (4) 生命系の経済学 152
  (5) コモンズ論 155
  (6)「環境の持続不可能性」 160
    ○ 「環境の持続不可能性/持続可能性」という視点の限界 162

 2 「社会―生態システム論」とリジリアンス 162
  (1)「複雑適応系」とはなにか 164
  (2)「共進化」するシステム 168
  (3)「リジリアンス」と「記憶」 170
  (4)「社会システムの持続不可能性」 171
    ○ 社会システムと「リジリアンス」 172
    ○「リジリアンス」と“近代” 173


第六章 総合考察―“近代批判”の環境思想 181

 1 環境思想はなぜ“失敗”し、彼らは何を残したのか 181
   ○ 環境主義の前史としての「自然保護主義」 181
   ○ 排他的な対抗軸によって形成される、「現代環境思想」の「思想状況」 182
   ○ 「倫理的エコロジズム」の「精神主義」と「神秘主義」 183
   ○ なぜアメリカ環境思想は“倫理的”なものとして成立してきたのか 184
   ○ 「社会的エコロジズム」の「体制論的アプローチ」 185
   ○ <エコロジズム>の“二重の失敗”―「環境プラグマティズム」と「エコロジー的近代化論」の登場186
   ○ <エコロジズム>の残したもの―「長期的なビジョン」の必要性 189

 2 「環境の持続不可能性」と「社会システムの持続不可能性」―近代のもたらしたもの 190
   ○「近代的世界像」と「文化的近代」 191
   ○「社会的近代」と「文化的近代」 193
   ○「環境の持続不可能性」と「社会システムの持続不可能性」 197

 3 “近代批判の環境思想”から見えるもの 200
   ○ “移行”の必要性 200
   ○ 「前近代主義」、「反近代主義」、「超近代主義」の罠 200
   ○ システムの階層的自立性の創出 201
   ○ “ビジョン”の連携 203
   ○ 残された課題としての“人間の問題” 203

<参考文献一覧> 206

コメント(11)

一応、論文の内容について簡単補足しておきます。

博士論文のタイトルは『近代批判の環境思想』です。
(The Environmental Though of Modernity Criticism )
ここから、”近代批判”が一つのキーワードになっていることが
分かるかと思います。

私は80年代から90年代において環境の言説は大きく、
「短期的ビジョン」と「長期的ビジョン」の対立から
ねじれた形での「短期的ビジョン」と「中期的ビジョン」の並列
という新しい図式へ移行したと見なしています(図1)。

かつての対立は「改良主義(Reformism)」と「エコロジズム」でしたが、
今日、「長期的ビジョン」としての「エコロジズム」は一端崩壊し、
「短期的ビジョン」としての「環境プラグマティズム
(Environmental Pragmatism:以下EP)」へトレンドが移り、
かつて「短期的ビジョン」と見られた「改良主義」は
「中期的ビジョン」として体系化された
「エコロジー的近代化論(ecological modernization:以下EM)」を
提起するに至った、との理解です(ここにねじれがあります)。

博論では、EPとEMが今日の
環境の言説=環境思想の枢軸となりつつある中、
かつてエコロジズムが持っていた「長期的ビジョン」の潜在力が
”ねじれ”の結果、このいずれの言説にも生かされていない、と理解し、
倫理的エコロジズムと 社会的エコロジズム
(エコソーシャリズムや エコフェミニズムなど)
の優れた点を”近代批判”を軸に再び再構成できないか、
という課題に取り組みました。

後半では 「エコロジー経済学」や「社会―生態システム論
(複雑適応システム)」いう二つのエコロジー理論を応用していますが、
「長期的ビジョン」としては不十分なEMが
”近代化”を掲げ、もっとも優れた言説として独走する今だからこそ、
再び”近代批判”なわけです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ちなみに今後は、環境思想の理論研究としての課題を引き続き追うとともに、
博論では批判の対象としたEPの可能性を
もう少し追求し、この間理論をやってきた人間として、
どうすれば、フィールドワークなどに基づく研究とのコネクションが
図れるのか、という課題にも取り組んでいこうかと思っています。

今回の論文は「長期的ビジョン」を引き出す理論研究の方法論の可能性
みたいなものを全面に押し出すためにEPを批判しましたが、
EPは今後まだまだ可能性があると思います。

それに、EPの戦略は、現在”役に立たない”という批判を浴びている
哲学や思想といった研究分野そのものの課題とオーバーラップしますので、
ここで成功モデルを作る事ができれば、研究として大きな成果を
出すことができると思います。

ただし、EPの課題は、あくまで哲学・思想の立場、あるいは理論研究の
強みをどういかすか、というところが相変わらずネックです。
とにかくフィールドワークをしても、環境社会学や環境経済学といった
既存の積み上げられた議論にはできない独自性を出せなければ
いけない、というところですね。
こんにちは。
興味深い論文ですね。
拝読させて頂きます。
(何故かPDFで文字化けしてますが、解決次第 笑)
文字化けの原因は良く分かりません。

変換ソフトはPDFZEROというフリーウェアなので
このソフトに原因があるかもしれません。

しかし、こちらのAdobe Reader ver.8 ではちゃんと開けますので、
フォント情報と同時に、セキュリティの設定を加えた関係上、
リーダーのバージョンも関係があるかもしれません。

他にも似た症状が出た方は、ご連絡ください。
 ぱしもんさん、皆さん、こんばんは。

 目次だけしか拝見していませんが、とても興味深い論文のようですね。正直、ああ、やられたなあ、という感じです(苦笑)。

 「環境思想」研究者のネットワーク形成の必要性…仰る通りだと思います。学会もありますが、新興だからか、未だ今一つ厚みが…。リサーチ系主体のような気もしますし。
こんにちは。エコロと申します。
ご高論の目次を拝謁させていただきました。

私が10年来追いかけてきた70年代以降の「政治的エコロジー」の
思想は欧州でも一大ブームを呼びましたが、それについての
言及がなされていないように見受けられます。
ご高論の中で「政治的エコロジー」の位置づけはどのように
なされているのか、お伺いできれば幸いです。

ぱしもんさん

大変興味深い論文です。僕も開発経済学の観点から“環境”はどのように位置づけられるかに興味を持っています。質問よろしいでしょうか。

僕は特に(開発)経済学において近年注目を集めているパラダイムの一つ、“持続的開発”について、そのパラダイム提起に至った背景には巨大な地政学的な理由があったと考えています。

国連ブルントラント委員会の最終報告書「われら共有の未来」は、持続的開発を次のように定義しました。

「将来世代が自らのニーズを充足する能力を損なうことなく、現在の世代のニーズを満たすような開発」

“開発”をめぐるパラダイム(ぱしもんさんの言葉では“思想”ということになるのでしょうか)には、悲しいかな、いつの時代も哲学的思想よりも現実の政治・経済の力学が優先して働いてきました。

簡単に下記しますが、戦後、各国の開発援助はかなり長い間、“東西冷戦”構造によって縛られていました。要するに先進各国は同じ陣営の途上国に多額のODAを供与するという構造ができました。

ほどなくして、もう一つの地政学的対立が開発援助において顕著となった。すなわち、“南北問題”あるいは“南北対立”と呼ばれる、「北」の先進国と「南」の途上国という対立構造で語られる開発援助です。

こういった地政学的背景がある中、“東西”と“南北”の枠組みによって身動きの取れなくなった学者や政治家達が、“やむにやまれず”、開発の全面に押し出すこととなったのが“持続可能な開発”だったという理解です。

上記国連ブルントラント委員会の定義からも明らかなように、“持続可能な開発”は、「南北―東西」の空間に、“時間軸”を導入するものです。すなわち焦点は、“東西陣営・南北陣営”が共通の問題として取り組むべき“開発”のパラダイムを打ち立て、行き詰まった現状を打開することにありました。“将来世代”という未来に生きる主体を導入することによって。従い、“持続可能な開発”の焦点は、全世界の人間が“問題として取り組むことのできる”、“環境”となっていくわけです。

勿論、ローマクラブの報告等に見られる警鐘も“持続可能な開発”のパラダイム生成に寄与したと思います。しかし現実は、上記のような地政学的背景や、経済のグローバル化等の経済的要因によって“やむにやまれず”、環境思想はその歩みを進めていったのではないかと思います。


上記の点、“環境思想”という哲学的思想樹立の意義を説くぱしもんさんは、どのようにお考えになりますか?
ばしもんさん

大変興味を持っております。

博士論文を読みたいのですが、その方法を教えてください。
私の学校の図書館から、インターライブラリー制度を使って、取り寄せ可能でしょうか。

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