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ミイラ・ミイラ・ミイラコミュの西アジア

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トンデ(・∀・)イスタンブール!!

西アジアの範囲としては、東はアフガニスタン、イランから、北はトルコ、西はイスラエル、南はアラビア半島という広さなのですが、ミイラに関しては、イラン、トルコ、レバノンぐらいしか情報がありませんな。

コメント(70)

アクサライ博物館のミイラ その3

バラバラになってるミイラなど。
これらはニュースの画像ではなく通常の展示の様子かもしれません。
アクサライ博物館のミイラ その4

これらも通常の展示の模様。
>32の、下の一枚、人間ですかぁ?

すごく、犬歯が立派ですよね。

やっぱヌコ♪かしら?
>>30の3枚目の画像と同じミイラなのでネコ(mummy of a cat)ですね(・∀・)
少女のミイラ

イランで見つかった少女のミイラで、ササン朝ペルシャの王族か?とのこと。続報などは不明。


盗掘団、ペルシャ王族?のミイラ発見 イラン警察が押収 2011年5月17日
http://web.archive.org/web/20110520210713/http://www.asahi.com/international/update/0517/TKY201105160672.html

少女のミイラが、イラン南部の山中で見つかり、文化財当局は、ササン朝ペルシャ(226〜651年)の王族だった可能性が高いとみている。

イラン文化遺産観光庁によると、身長105センチ、推定6〜8歳。背中まで伸びた豊かな黒髪も、そのまま残っている。イランには、古代エジプトのように遺体に防腐処理を施してミイラをつくった歴史はない。この少女も自然に乾燥してミイラになったとみられる。

同庁シラーズ事務所によると、南部シラーズの北約240キロの乾燥地帯にある山の中で2008年8月に発掘された。金織りの衣装をまとい、宝石や刀などと一緒に木のひつぎに納められていた。「ササン朝の王の娘か親族の娘といった、かなり高貴な人物だったとみられる」という。

正確な年代を特定するため、同庁は英国の専門家に毛髪と爪の一部を送付。結果が届き次第、一般に公開する予定だ。

実はこのミイラを発見したのは、文化財を掘り起こしては海外に売りさばく盗掘団。自宅に保存していたところを警察が発見し押収、30人ほどが逮捕された。現在、非公開で裁判が進められているが、この山に目をつけた理由については黙秘しているという。
ソルトマン No.4 その3

全身の様子というか、ポーズがよくわかる感じの画像。

ソルトマン No.4はイランのザンジャーン州のChehrabad(Chehr-Ābād)岩塩鉱で4番目に見つかったミイラ。
ソルトマン No.4 その4

埋まっている様子。
金髪の尼僧のミイラ その3

>>21、>>23の女性ミイラ。顔と手のアップなど。

こどもミイラ

ニーデ県の博物館で展示してるミイラ。
>>24の1枚目と同じミイラ。
ニーデ県の博物館の名称は「ニーデ博物館(Nigde Museum)」というそう。
ミイラの展示室は案外狭いですな。
こどもミイラ

ニーデ博物館のこどもミイラの展示のようす。
金髪の尼僧のミイラ その4

顔のアップ。
こどもミイラ

ニーデ博物館のこどもミイラ。
アクサライ博物館のミイラ その5

>>32の片目を閉じたミイラのアップ。
アクサライ博物館のミイラ その6

>>30の子供ミイラ。
アクサライ博物館のミイラ その7

猫など。
ソルトマン No.2?

イランのザンジャーン州のChehrabad(Chehr-Ābād)岩塩鉱で見つかったミイラ。
画像のキャプションではNo.2となっていたのですが、>>1のソルトマンがNo.2という話もあり、ソルトマンno.4以外はどうもはっきりしない感じ…(・∀・;)
ソルトマン No.2

別のトピックに貼った画像ですが、このミイラがNo.2で間違いなさそうですな(・∀・)
ソルトマン No.3

こちらはソルトマンNo..3とのことですが、まあ骨ですな(・∀・)
パルミラ遺跡のミイラ その2

シリアの世界遺産パルミラ遺跡で見つかったミイラ。
2,000年前のミイラとのこと。
>>8でも紹介しています。

ちなみに「イスラム国」がパルミラ遺跡を占拠した際に、このミイラは破壊された模様…(・∀・;)
パルミラ遺跡のミイラ その3

1枚目の画像は、破壊するために並べられたミイラらしいのですが、一番上のミイラがパルミラのミイラ(3枚目の画像)と酷似しています…(・∀・;)

「イスラム国」、殺しのアイデア尽きて“古代のミイラ”まで処刑し始める!
http://tocana.jp/2016/07/post_10295.html
「今月7日付の英紙「The Daily Mail」によると、なんと彼らが“ミイラの処刑”に乗りだしたというのだ。同日、動画共有サイト「LiveLeak」上に投稿された映像を見てみよう」
「道路に並べられたミイラたちを映し出すカメラワークは、これまでの人質処刑動画のそれとまったく同じだ。やがて巨大なトラックのタイヤがミイラたちを手荒に押し潰すと、その体から吹き出したのは血液ならぬ砂埃だった――」
サヌア大学のミイラ

イエメンの首都サヌアのサヌア大学のコレクションである紀元前400年ごろのミイラ12体が内戦による停電や物資不足によって危機に瀕している、という2017年5月ごろのニュース。

Yemen's Ancient Mummies Threatened by War
https://www.newsweek.com/yemen-war-threatens-ancient-mummies-preserved-millennia-607292


2015年3月にイスラム教シーア派武装組織のフーシがクーデターを起こしてイエメンで内戦が勃発。
ミイラは保存のために温度や湿度の管理、6ヶ月ごとに消毒などを行う必要があるが、サウジ主導の爆撃などにより頻繁に停電が発生、空港や港も閉鎖されているために防腐剤も入手できず、ミイラの腐敗が進行している。

ミイラは紀元前400年頃のサバア王国やアウサーン王国(宗教は月の神を頂点とする天体信仰だったそう)のもので、ミイラ化の技術は古代エジプトのものと関連する、だそうです。

現在どうなってるかは不明。
サヌア大学のミイラ その2

女性ミイラ。体は皮袋のようなものに入れられています。
キャプションには「女性ミイラ Noman山-Thulla墓地」とあります。
サヌア大学のミイラ その3

女性ミイラの顔のアップ。
サヌア大学のミイラ その4

女性ミイラ。
サヌア大学のミイラ その5

その他のミイラ。
サヌア大学のミイラ その6

その他のミイラ。
ミイラご本人達にはえらい迷惑ですが、将来的には完全に白骨化したのを洗浄して展示か、
以前他のトピックで紹介されていたミイラ動物園みたいに稚拙な修復で展示され続けるんでしょうかね。
http://tocana.jp/2015/04/post_6190_entry.html

いずれにせよ、貴重なミイラがこんな形で台無しになるのは悲しいですね。
ニュースでは国際的に支援を求めるような感じだったので何らかの対処はされるんじゃないかと思いますが続報は見当たらないですね。

まあミイラに構っていられないという状況ですよね。
内戦でイエメン国内で800万人が飢餓状態だけど、イランが反体制派に武器供与してるから国境封鎖するぞ、って政権側を支援するサウジアラビアによって国境が封鎖されてるせいで支援物資も届かない状況らしいので。

サヌアの旧市街地なんて世界遺産だったけどサウジによる空爆で被害が出てますし。
イランの前国王の遺体か?建設現場で発見されたミイラに注目が集まる(2018年4月27日)
https://switch-news.com/whole/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%89%8D%E5%9B%BD%E7%8E%8B%E3%81%AE%E9%81%BA%E4%BD%93%E3%81%8B%EF%BC%9F%E5%BB%BA%E8%A8%AD%E7%8F%BE%E5%A0%B4%E3%81%A7%E7%99%BA%E8%A6%8B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F/

ミイラが発見されたのはイランの首都テヘラン南部にある、シーア派の寺院とされている。

建設作業員は4月23日に現場で作業を行っていたところ、布のようなものにくるまれたミイラ化した遺体を発見。

それがイランを統治していたReza Shah Pahlavi前国王の遺体ではないかと議論になり、注目されているという。

ただし、まだ正式に確認されておらず、テヘラン遺産委員会のHassan Khalilabadi委員長も「遺体がイランの前リーダーであるというのは可能性にすぎない。今後、責任ある組織によって調査されるだろう」と語っている。



Reza Shah Pahlavi前国王(レザー・シャー・パフラヴィー)は、イラン革命で失脚したパーレビ国王(モハンマド・レザー・パフラヴィー)の父親。クーデターで実権を握り、イラン国軍の司令官、首相から皇帝に即位した。

第二次世界大戦時の1941年、親ドイツだったためイギリス・ソ連の侵攻を受け退位、息子のモハンマド・レザーに王位を譲って国外に退去した。
1944年に南アフリカで死去。


以下はwikipediaの「レザー・パフラヴィー」より。
死後、遺体はエジプトでミイラ加工を施された後、カイロにあるアッ=リファーイー・モスクに安置され、1950年にイランに運ばれシャフレ・レイにある霊廟に埋葬された。1979年のイラン革命の後にルーホッラー・ホメイニーの許可を得て霊廟は破壊された。その後、遺体は行方不明となったが、2018年4月にレイにあるアブドゥラジム陵墓の拡張活動の際に発見されたミイラがレザーの可能性があると報道された。しかし革命で打倒したパフラヴィー朝の影を気にする政府当局により、遺体は埋め戻された。


読売新聞によると「死後に保存処理されたミイラのように見えることや、付近に王家の墓があったことなどから、元国王の遺体である可能性が浮上した」とのこと。
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/emperor/1328072791/132


エジプトでミイラ加工された経緯が気になります(・∀・)
2枚目の画像は棺の写真と顔の向きを合わせるために反転されてるようです。
ティムール

ティムール(1336 - 1405)はモンゴル帝国の後継国の一つチャガタイ・ハン国の武将。
中央アジアからイランまで及ぶティムール帝国を建設した。

明への遠征の途中で病没。遺体は帝国首都サマルカンドのグーリ・アミール廟に埋葬された。


ティムールの呪い…以下はwikipediaより。

1941年にソビエト連邦のミハイル・ゲラシモフらの調査隊によってグーリ・アミール廟のティムールの遺体の調査が行われた。

ティムールの棺には「私が死の眠りから起きた時、世界は恐怖に見舞われるだろう」という言葉が刻まれていたが、棺の蓋は開けられて調査が実施される。さらにゲラシモフは棺の内側に文章を発見し、解読した結果「墓を暴いた者は、私よりも恐ろしい侵略者を解き放つ」という言葉が現れた。調査から2日後、ナチス・ドイツがバルバロッサ作戦を開始し、ソ連に侵入した。1942年11月のスターリングラード攻防戦でのソ連軍の反撃の直前に、ティムールの遺体はイスラム教式の丁重な葬礼で再埋葬された。


ティムールの棺を開けた2日後にドイツが進入してモスクワの手前まで進撃されるが、ティムールの棺を鉛で封印した直後から反転攻勢という…(・∀・)
恐怖の洞窟の子どもミイラ

新たな死海文書が「恐怖の洞窟」から65年ぶりに発掘される、一体何が書かれていたのか?
https://gigazine.net/news/20210317-death-sea-rolls-experted/
新たな死海文書は、死海西岸に広がるユダヤ砂漠の岸壁にある洞窟から発掘されました。洞窟の存在自体は1960年代から知られており、内部に人骨が散在していることから「恐怖の洞窟」と呼ばれていました。なお、「恐怖の洞窟」の中に散らばる人骨の多くは、ローマ帝国に対するユダヤ人の反乱である「バル・コクバの乱」の犠牲者のものとみられています。

〜〜およそ6000年前の子どものミイラが発掘されました。
ミイラにはまだ髪の毛が残っていたそうで、保存状態は比較的良好だとのこと。
(6歳〜12歳の少女とのこと。)
AFPでは「死海文書」という表現は使われてないですな。

2千年前の聖書断片発掘 60年ぶりの大発見 イスラエル 2021年3月17日
https://www.afpbb.com/articles/-/3337085
イスラエル政府は16日、新たに発掘された約2000年前の聖書写本の断片を公開した。

断片は、イスラエル南部とパレスチナ自治区ヨルダン川西岸のイスラエル占領地にまたがり広がるユダヤ砂漠の「恐怖の洞窟(Cave of Horrors)」内で、イスラエル考古学庁(IAA)が発掘した。洞窟の名は、内部から多数の骸骨が見つかったことや、周辺の危険な地形にちなんでいる。

今回の発掘ではその他、貴重な硬貨の数々や、6000年前の子どもの遺骨、放射性炭素年代測定で1万500年前のものと判定された編みかごが見つかった。同庁はこのかごについて、「世界最古とみられる」としている。
恐怖の洞窟の入り口がある場所もすごい(・∀・)
マロン派教徒のミイラ その4

レバノンのカディーシャ渓谷にあるAsi-al Hadath洞穴で1990〜91年に見つかったキリスト教マロン派教徒のミイラ。1283年頃に埋葬されたとのこと。

この地域(トリポリ)の住民の大多数はキリスト教徒のマロン派で、トリポリは1289年にイスラム王朝のマムルーク朝によって破壊・略奪されており、マロン派教徒はカディシャ渓谷の多くの洞窟に避難していました。

最初に発見された生後4ヶ月の女の子のミイラは"Yasmine"と名付けられ、さらに7人の遺体(4人の幼児と3人の成人)と数人の骨が発見されました。
有機物を破壊できる生物が少なく、湿度が低かったため、遺体は自然にミイラ化しました。

画像は"Yasmine"のミイラ。1、2枚目はベイルート国立博物館で展示されたときのようす。
マロン派教徒のミイラ その5

こちらもAsi-al Hadath洞穴で1990〜91年に見つかったキリスト教マロン派教徒のミイラで、ベイルート国立博物館で展示されたときのようす。

"Maryam"と"Sadaka"と名付けられているのですが、どちらが"Maryam""Sadaka"なのかは不明。
マロン派教徒のミイラ その6

"Maryam"と"Sadaka"。
アクサライ博物館のミイラ その8

トルコ中央に位置し、カッパドキアの一部であるアクサライ県にあるアクサライ博物館の子ども?のミイラ。

ソルトマン

ソルトマン達が発見されたザンジャーンにあるソルトマン博物館によると、

>>1がソルトマンNo.1。

>>20、26、36、37がNo.2で、身長180cmぐらいの中年の男性。(画像1枚目のミイラ)

No.3はバラバラになった状態で発見とのことで、>>49の画像の骨がおそらくNo.3ではないかと。

No.4が画像2枚目のミイラで、16歳ぐらいの男性で身長は170〜175cm。

No.5は、頭部を除いた体の部分は大きな石の下敷きになって破壊されていた、とのことで、>>47-48がNo.5っぽいです。

No.6は画像3枚目ですが、布しか映ってないですな。


ソルトマン博物館
https://www.hipersia.com/en/post/1214

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