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国際評論家 小野寺光一コミュの1月18日必着で訴状を(訴額、郵券無しでも)提出すべし‏ その2

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<『民事訴訟法』日本評論社刊の川嶋四郎教授の憲法第31条の解釈>
1000ページ以上ある大著の「民事訴訟法」日本評論社刊の川嶋四郎教授も憲法第31条が刑法に限らず、行政の手続きに適用されるべきであることを述べている。
(以下は『民事訴訟法』川嶋四郎著 日本評論社 19ページ、20ページより引用)
「日本では、憲法第31条が「何人も、
法律の定める手続きによらなければ、その生命若しく
は自由を奪われ、又はその他の刑罰を科されない。」と規定し、すでに適正手続き(デユープロセス dueProcess)(アメリカ合衆国憲法修正14条一項等を参照)を明示   的に保障していることから、そのような実体的法規範の解釈の可能性を探求する方向性を採用することのほうが、むしろ、日本法内在的であり示唆的かつ説得的ではないかと考えられる。そこで本書ではB説(注憲法第31条を刑事手続きだけにとどまらず、一定の行政手続き、民事訴訟法手続きなどにも適用すべきであるという説)

その根拠は以下の通りである。
1 適正手続き(デユープロセス)の保障は、多くの近代国家における自明の憲法上の手続き原理であり、社会権まで周到に規定する日本国憲法が、民事裁判の局面に関するその規定を欠くとは考えられないこと。

2 憲法第31条の規定は、特に戦前における不幸な刑事裁判の歴史に鑑みて(注 に照らして)そのような文言に仕上げられたと推測されること。

3 憲法第32条(注裁判を受ける権利)が刑事訴訟だけではなく、民事訴訟にも適用があることには異論がないが、憲法第31条の規定の位置から、立法者が、憲法第32条の前に刑事手続きにしか適用のない規定を置いたとは体系的に見て考えられないこと。

4 憲法第31条が行政手続き等をも射程にいれたものであることは、すでに判例(例最大判
昭和37年11月28日刑集16巻11号1593ページ(第三者所有物没収事件) 
最大判平成4年7月1日民集46巻5号 437ページ)でも肯定されているが、民事訴訟でも 自由権や財産権の侵害可能性は十分にあること等の理由をあげることができる。
(以上 引用)

もし選挙の過程が公明正大なものでなく手続きが保障されていないものであれば、違憲違法な国会議員による立法によって憲法を改悪されてしまうことが想定できる。
そして国民が願っている政治とは全く正反対の政治がなされ、専制政治となり、おそらく戦争に至り、大量の戦死者を出し不幸を繰り返すであろう。
 
たとえば憲法第31条には
「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命、もしくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」
※この「法律」は、適正な「正義にのっとった」法律であることを含意している。

とあるが、適正な手続きをとらない、恣意的な選挙で違憲違法な国会議員が多数選ばれる事態になれば、その違憲違法な国会議員が多数派を占めて、憲法を無視した立法を行うことが可能となる。
具体的には憲法の人権規定を撤廃してしまう。(例 最近の憲法改悪法案)また憲法を
無視した条約を結ぶこともできる。(例 TPPのISD条項という一国の憲法よりも
外国企業の利益を優先させる条項。裁判は国外で行われる。)

また、「戦争を行う」という内閣の意思決定によって「憲法第9条」を撤廃してしまい、国民を強制的に徴兵できるようにできる。このことは、国民の「その生命、もしくは自由を奪う」ことに他ならない。また、違憲違法な選挙によって選ばれた国会議員によって罪刑法定主義に違反している刑法を定めることもできる。(例 ネット選挙法は、ペンネームやハンドルネーム、ニックネームで○○さんの投票に行こうというメールを友人に出しただけで二年以下の懲役刑に処すと定めており、これは憲法違反であり罪刑法定主義に違反する。)

選挙において適正な手続き保障がないとすれば、権力者が恣意的に国民の「生命、自由、またはその他の刑罰を科す」ことが可能になることを示している。

したがって憲法第31条の趣旨から選挙は「適正な手続き保障」がなされるべきであると解すべきである。

<宮沢俊義著 芦部信喜補訂『全訂日本国憲法』(日本評論社)によれば>
また、宮沢俊義著 芦部信喜補訂「全訂日本国憲法」(日本評論社)によれば37ページにこう書いてある。

日本国憲法の前文については「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は、国民の代表者がこれを行使し、その福利は、国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理にもとづくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令および詔勅を排除する。

「国政は、国民の厳粛な信託によるもの」とは国の政治は、元来、国民のものであり、(国民主権)国民によって信託されたものであり、けっして政治にたずさわる人たち自身のものではないから、つねに国民に対する責任を忘れてはならない、という意味であろう。

「その権威は国民に由来し」以下の言葉は、誰にも有名なリンカーンのゲテイスバーグの演説の言葉を思い出させる。リンカーンは、「国民の、国民による、国民のための政治」といった。
ここの国政の「権威は国民に由来し」は「国民の政治」を意味し、「その権力は国民の代表者がこれを行使し」は「国民による政治」を意味し、「その福利は国民がこれを享受する」は「国民のための政治」を意味する、と解してよかろう。(中略)

人類普遍の原理とは、ある時代のある国家だけで通用する原理ではなくてすべての人類を通じて、普遍的に通用すべき原理を意味する。

日本国憲法は、リンカーンの「国民の、国民による、国民のための政治」の原理、すなわち、民主主義の原理をもって、かように人類そのものの本質から論理的必然的に出てくる原理、すなわち、ひとつの自然法的原理とみているのである。

「かかる原理」とは「人類普遍の原理」とされた原理、すなわちリンカーンの「国民の国民による国民のための政治」の原理を意味する。

日本国憲法は、そういう人類そのものに本質的に伴う原理

─あるとき、あるところにおいてのみ妥当する原理ではなくて─

に立脚する、というのである。「これ」とは日本国憲法が立脚するところの「人類普遍の原理」の意である。(中略)

「これに反する一切の憲法、法令および詔勅を排除する」とは従来の日本にあった憲法以下のすべての成文法だけでなく、将来成立する、であろうあらゆる成文法を、上に述べた「人類普遍の原理」に反する限り、みとめない意である。

(憲法、法令、および詔勅とあるのは、その名称のなんであるかを問わず、いっさいの成文法を(正確にいえば、成文の形式を有する法律的意味をもつ行為)を意味する。

日本国憲法に反する法令が効力を有しないことは第98条の定めるところであるが、ここでのねらいは、それとはちがい、「国民の国民による国民のための政治」という「人類普遍の原理」に反する法令はいっさい認めないとする意図を言明するにある。

したがって別に定められる憲法改正の手続きをもってしてもこの原理に反する規定を設けることができないことが、ここで明らかにされていると解される。
(以上 引用)


<どこが憲法第31条に違反しているのか?>
国政選挙において、もっとも重要なのは、「正当な選挙」が行われることである。これは適正な手続きが保障されていることによってはじめて、なされる。
しかし、選挙過程において、全く選挙管理委員会が管理していない部分(PCソフトによる選挙集計システム)があり、それが異常動作をしていると思われても一切、「実際の票」と「PC集計ソフトが公表した票数」を一致しているかどうかを検証できないことは、憲法第31条にさだめる「適正手続きの保障」に違反する。

日本国憲法 第三十一条条文
何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。本条はいわゆる適正手続の保障を定めたものである。


本条は、アメリカ合衆国憲法修正第5条および第14条の「何人も、法の適正な手続き(due process of law)によらずに、生命、自由、または財産を奪われることはない」というデュー・プロセス条項に由来する。デュー・プロセス条項は、古くはイギリス中世のマグナ・カルタにまで遡るものであり、政府・国家の権力が恣意的に行使されるのを防止するため手続的制約を課すものである。

行政手続における適用
「憲法31条の定める法定手続の保障は、直接には刑事手続に関するものであるが、行政手続については、それが刑事手続ではないとの理由のみで、そのすべてが当然に同条による保障の枠外にあると判断することは相当ではない。」
(最高裁判所大法廷判決1992年(平成4年)7月1日民集46巻5号437頁)。

憲法第31条は行政全般にも適用されるというものが通説である。

<条文のどこに違反しているのか>
「法律のさだめる手続きによらなければ」という部分に違反する。国政選挙という非常に重要な主権者国民の意思を反映させる過程に、「完全に民間企業の集計するPC集計ソフト」が途中に入っていて、なんらそれを、選挙管理委員会は管理もしていない。
異常動作が起こったとされる多数の、合理的には説明できない事象が起こっても、一切、選管も検証できないいわばブラックボックスのような過程が存在するのである。これは当然法律の定める手続きによっていない。

この民間企業のPC集計ソフトが、誤作動、ハッキング、コンピューターウイルスの混入、またはプログラムのミスなどあった場合でも国民はその「適正手続きのない」選挙結果をうけいれなければならない。これほど不合理なことはない。これは明らかに憲法違反である。

また、国民主権を反映させる重要な手続きとしての選挙の過程が不備であればその選挙によって選ばれた国会議員が勝手に「刑法」や「民法」まして「憲法改悪」などもできるのであるから当然に「適正な手続きの保障」は最重要である選挙の過程に適用されるべきである。なぜなら憲法第31条を定めた精神は権力の横暴を阻止することを手続きの保障に求めた点にある。したがって刑法を作れる国会議員を選び出す選挙の過程にも適用されるべきである。

<具体的に起こったこと>
・選挙の過程において なんら選挙管理会が管理していない過程が存在している。
・その一つには、PC集計ソフトを使用して票数を集計している部分がある。
・そのPC集計ソフトの部分は、完全に民間企業の管理になっている。
・選挙管理会はなにもチェックしていない。

そのPC集計ソフトの出した票の集計結果が正しいものかどうかを選挙管理会は全く検証していないシステムを採用している。そして、そのPC集計ソフトが、合理的にはありえないような異常作動を行ったと思われる例が、多数全国の選挙区で起こった。そのPC集計ソフトの異常動作は、多数の選挙管理会の「開票速報」によって間接的に証明される。

<前回衆議院選挙における不正選挙疑惑は、国民の強い関心と一大社会問題化>
社会的に不正選挙がなされたと強い関心を国民から集めており、本屋では「12.16不正選挙」という本がベストセラーになっている。紀伊国屋書店では発売以来500冊以上の販売実数を記録している。しかし、いくら不合理な集計結果が見られても、一切、選挙管理会は「実際の票数」と「PCソフトが集計した票数」が一致しているのかの確認を拒否している。
この体制は前回衆院選挙でも見られたが、今回も同じ体制で行われた。

●各選挙区において 票の選別機械が党の「正式名称」と選管に提出した「略称」以外はすべて「無効票」としてはじくシステムを採用。そのいったん無効票とされた票を人の手で有効か無効かをチェックしなければならないが、それをやっていない。
●党の正式名称と選管届け出の略称以外はすべて票の機械は、無効票として排出。
各選挙区において機械が票の選別をするため、「正式名称」と「選管に届け出た略称」の2種類以外の名称は一律に「無効票」として排出するシステムを採用していた。

これは全国で行われている。

本来その「無効票」を人が選別して「有効票」にしないといけない。しかし、これをやっていない。ちなみに選挙管理会はそれをまったく管理していない。




・この選別をやるのは、選挙管理会はまったく管理をしていない。
・各政党が指名する開票立会人が行うことになっている。
ここでは、全選挙区に候補者を出して、開票立会人を指名できる自民党などの大政党ならくまなく出せるが、生活の党や社民党などは、立候補者を出していない選挙区では開票立会人を出していない。
したがってといったん機械によって無効票とされた票については、他政党が指名した人物で構成された開票立会人が、そのまま、「無効票」として処理してしまっている例が全国で多発している。

また、各選挙区において午後8時までの投票時間を選挙管理会の恣意的な決定によって繰り上げて、投票をさせない例が多数見られた。これは、選挙管理会の職権の濫用に該当する。また、公職選挙法では「特別な場合に限り」と書いてあるが、全国の投票所の30%以上になっている。あきらかに特別な場合に該当しないで投票時間を繰り上げているためこれは、選挙管理会による著しい投票妨害に該当する。


<4>日本国憲法前文の「正当に選挙された」に違反している
〜正当に選挙されていない当該選挙〜

当該選挙において選挙管理会の行動は日本国憲法の前文に違反している。




日本国憲法前文
日本国民は、正当に選挙された国会における
代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、
諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。


<違反している箇所はどこか?>
この前文に書かれている「正当に選挙された国会」 という部分に違反している。
なぜなら適正な手続きを欠いていることによって「正当に選挙」されていないからである。
また、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって」という「厳粛な信頼によるもの」という部分に違反している。 なぜなら、国民は多数が今回の選挙に不信感をもっておりこれでは、厳粛な信託によるものではない。選挙過程において完全に民間企業に丸投げしておいて不合理な結果があってもなんらその検証を拒否している選挙管理会は「国民からの信頼」をかちえない。

<選挙管理会のどこが違反しているのか?>
当該選挙において選挙管理会が、選挙における過程すべてを管理してはいないことが、「正当に選挙された国会」という日本国憲法前文に違反している。
具体的には、選挙の重要な過程をまったく選挙管理会が管理していない点である。
もっとも重要な選挙過程をあげれば最終的な選挙集計を、民間会社がつくった選挙集計ソフトに全面的に、依拠しており、なんら管理をしていない。
その選挙集計ソフトがおかしな動作をしていてもなんら、それを検証せずに「正しいもの」とみなして公表している点である。その選挙集計ソフトが多数の不合理と思われる結果を生んだにもかかわらず、その結果を正しいと一方的にみなして公表していることは国民主権にも反する。

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