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潮谷義子(前熊本県知事)コミュの「水俣病問題」、足尾鉱毒事件と政治家・田中正造−

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「水俣病問題」、足尾鉱毒事件と政治家・田中正造−

 ここ数日、国道沿いでは参院選の選挙カーの声を聞くようになった。選挙の時だけは、政治家は一所懸命さを出して、国民、市民へ訴えるが、日頃は何をしているのやら、さっぱりわからない。地方議員も似たようなものを感じる。

・選挙が政治活動を思ってはならない
 今話題の阿久根市の市議会と市長の対立、裏を返せば、承認議事しかしてこなかった、地方議会の会議内容低さ、日常の民意の吸い上げに活動をほとんどせず、質問も行政職員に書かせるようでは、市長権限で市議の給料査定をされても仕方がないようにも思う。それでも、民主的な方法を取るべきとは思います。

・古河と足尾鉱毒事件(公害)
 さて、前置きが長くなりました。明治初期から戦前まで長く裁判を続けた、明治の公害問題があります。「古河」の創業者古河市兵衛が、足尾鉱山を開き、精錬した後の廃液(重金属を含む)を渡良瀬川に、垂れ流し続けた。住民の反対運動を、県も国も「富国」の名目を笠に、権力で「人権」踏みにじり続けた事件です。

・民衆の側に立った政治家「田中正造」
 このとき一人の政治家が立ち上がります。その人こそ、議員ではなく、民衆の側に立った政治活動を死ぬまでやり続けた田中正造です。田中正造は、足尾鉱毒事件解決のために、天皇直訴をしたことで、渡良瀬川の流域の被害が、大きく注目されのですが、企業と政治家が結託し、河川改修どころか、さらに被害は広がり、強制収用的な立ち退きを国家権力を使い、地域から住民を追い出した。

・古河は国家権力で、基本的人権を無視
 その強制執行に無抵抗で「基本的人権」を楯に、戦い続けた谷中村の人たちがいます。鉱山の廃液が河床に溜まり、夏の大雨の時、堤防を越え豊かな農地へ流れ込む用になりました。殖産興業の名の下に、山は上げ山になり、保水力がなくなり、益々洪水が大規模になり、農地の生産力は下がって行きました。水俣病の話を聞くようにかんじてなりません。
 天の恵みで生きた来た谷中村の農民は、「何も悪くないのに」、農地は荒れ、土地を二束三文で手放すように、国家が強要したのです。人間の尊厳、基本的人権とは何かを、田中正造は、初めは国会で、最後は村に入って、世に訴え続けたのでした。

・正造の訴え続けた「良識(良心)」とは
 田中正造は、「良識(良心)」を世に訴え続けて、そして国民主権の意味を人々に、行動で示して見せたのだと思います。田中正造は、問題可決を見ないまま、この世を去ります。その葬儀の行列には、数千人を越える人たちが集まったと言います。この行動に多くの人々が、賛同し協力していきます。

・無償で協力した弁護団
 その一つの例が、無償で裁判を引き受けた弁護団の弁護士たちです。田中正造が亡くなった後、打ち壊しに合い、掘った手小屋で生活する13軒家族の復権を訴える裁判に支えたのは、無償で懸命に仕事して中村弁護士でした。正造がが亡くなり、裁判を継続できるか不安がる住民に、中村弁護士は次にことを語りました。
 城山三郎著『辛酸』−田中正造と足尾鉱毒事件−、の一部を引用します。

(本文)
「ぼくは何もたのまれたという理由だけで弁護に立ったわけではありません。鉱毒問題には、学生の頃から関心を持っていました。一営利会社が巨富を積む傍らで、無辜(むこ)の農民が生命を奪われ生計を奪われ、盲目になる。これはとうてい許せぬことだと思いました。田中さんの演説を聞いたのがきっかけで、弟の久須美などは被害地に出かけれ行きましたが、その帰ってきた夜は二人とも昴奮して眠れぬぐらいでした。あのときの゛良心 ゛を、田中さんはもう一度呼びさまして下さったわけです。神の御手よって選ばれたと言えば言えるでしょう。田中さんが亡くなられたからといって退く理由はないのです。どうか、ぼくを信用して、いっしょに最後までやり抜こうじゃありませんか、『終りまで忍ものは救われん』と聖書にもありますね」(中略)
 (以上、『辛酸』より) 
 
・足尾鉱毒事件と水俣病
 これは、100年以上の前にことです。水俣病の国の対応によく似た感じを受けるのは私ばかりではありません。熊本市の「田中正造研究会」では、何度も水俣を見学・研修に行きました。皆、口々に、政府の国民に対する姿勢は、変わっていないとこぼしました。

・80年続いた裁判闘争
 足尾鉱毒事件の被害和解・権利回復の裁判は、太平洋戦争前までかかり結審したが、事件が起こって100年以上たった今での、足尾の山では、自然に食物が育つことができません。作家の故立松和平氏たちは、土を背負って山を登り、植林が今でも続けられています。田中正造の教示した「天産(自然の恵み)」を、踏みにじった付けは、まだ当分は回復することはないと言われています。

・水俣病の真の解決はあるのか
 企業の営利を後押し続けた政治の責任は問われないままに、和解という方法で結審をみたことは、現代の水俣病の政治決着を様子をみると、水俣病の結末は、足尾鉱毒事件のようになりはしないか、とても心配でなりません。

・「足尾鉱毒事件」を国民は忘れていけない
約100年前に、命を懸けて国民主権の意味を世に訴え続けた政治家が居たことを、私たちも、将来に世代も決して忘れてならないと思います。もし、今日のこの日記を読んで頂けた方は、一度「足尾鉱毒事件」のことを少し学んで頂けると幸いです。真の政治家は、何をすべきか一つの覚醒があるように思います。

・田中正造を多くの政治家・社会活動家が応援した
 この足尾鉱毒事件解決に、熊本出身の社会活動家の矢島楫子たち65名も奔走し、企業の悪を世に訴えています。
 また、田中正造の納骨式には、憲政の神様と言われれた尾崎行雄を始め、当時の国会議員が多数参列、1,000名を越える方は集まったそうです。
 
・水俣病の解決をマニフェストに掲げて欲しい
 今回の参議院選挙に田中正造が行きていたら、もっと水俣病解決のことをマニフェストに加えると思う。足尾鉱毒事件のように、政治決着でなく、真の解決を導くようになって欲しいと願うばかりです。
 
*参考資料:城山三郎著『辛酸』−田中正造と足尾鉱毒事件−
由井正臣・小松裕編「田中正造文集」(一)

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