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Meditation 『 瞑想 』コミュの ”あるがまま”に、自らのこころを知る

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 あるがままに自らの心を知る--------『如実知自心』

 
 弘法大師は、”悟りとはなにか”という点について、このように説き明かしています。

 経典である「大日経」の中には『云何(いかん)が菩提とならば、いわく、実の如く自心を知るなり』と記されており、『悟りとは何であるかというならば、”あるがまま”に自分の心を知ることである』と説いています。

  私たちは、”悟り”といえば、 ごく限られた者だけが到達することのできる遠い彼方を想像しがちですが、弘法大師は、自らの心をあるがままに知ることであると教えているのです。

 人は、ともすると弱者を思いやることを忘れ、自らを戒めることもなく、耐え忍ぶことを知らず、怠惰に過ごし、その結果として悩み、迷っています。

 弘法大師は、自らの心に目を向け、汚れた心を知り、省みることが大切であるといっているのです。

 これが、真言密教の『如実知自心』という教えです。因みに「如」という字は大日如来の「如」と同じ意味であり、”如来”とは、『あるがままに、あるが如く、 世の中を見る仏の世界から来る』仏様という意味です。
 
              ☆ ☆ ☆
 
 弘法大師は、「六大」すなわち「地大」「水大」「火大」「風大」「空大」「識大」という、六つの根源的なものが宇宙の万物を構成しており、仏も人間も本質的な差はないと説いています。

また私たちが眼にしている現実の世界は、法身である大日如来の現れであるから、現実はそのまま絶対であるとも説いています。

 つまり、仏も人間も根源的なものは同じであり分かちがたいものであるから、大日如来の慈悲を固く信じ、悟りを求める心をもって仏と一体化できるよう努力をすれば、迷いから脱して真理を知ることができると教えています。


コメント(8)


 身体・言葉・心を仏と一体化する--------三密加持
 
 真言密教の修行を「三密」の行といい、修行が目指すものを「加持」といいます。

 この「三密」についてですが、仏教では、生命現象はすべて身(身体)、口(言葉)、意(心)という三つのはたらきで成り立っていると説いています。

 顕教では、人間のこれら三つのはたらきは、煩悩に覆われ汚れているということで三業(ごう)と呼んでいます。

 ところが、法身である大日如来を宇宙の根源的な生命力とみなし、森羅万象を大日如来の現れと説く密教では、人間の三つのはたらきも大日如来の現れであるから、本質的には人間も大日如来と同じであるとしています。

 ただ、大日如来のはたらきは通常の人間の思考では計り知れないということから、密なるものという意味で「三密」と呼んでいます。

 また、「加持」については『即身成仏義』の中で、次のように記されています。「加持とは如来の大悲と衆生の信心とをあらわす。

 仏日の影、衆生の心水に現ずるを加といい、行者の心水、よく仏日を感ずるを持と名づく」つまり、「加持」とは、人々の苦を憐れみ救おうとする大日如来の慈悲と、人々の信心とを表しており、あたかも太陽の光のような仏の力が、人々の心の水に映じ現れるのを「加」といい、 修行者の心の水が、その仏の日を感じ取ることを「持」といっています。

 このことから「三密加持」とは、自らの身体、言葉、心という三つのはたらきを、仏様の三密に合致させ、大日如来と一体になることであり、具体的には、手に仏の象徴である印を結び(身密)、口に仏の言葉である真言を唱え(口密)、心を仏の境地に置くこと(意密)によって、仏様と一体になる努力をしていくことをいいます。

  弘法大師は、 この修行によって授かる功徳の力と、大日如来の加護の力(加持力)が同時にはたらいて互いに応じ合う時、即身成仏が可能になると説いています。



 この身このままで仏になる--------即身成仏
 
 私たちは死者に対して「迷わず成仏してください」と祈ります。

 この「成仏」とは文字どおり「仏に成る」ことです。

 では、「仏に成る」とはどういうことかといえば、迷いのない心で真理を知ること、つまり悟りの境地に達することであり、その境地に達した仏がいるという安楽の世界、即ち極楽浄土に往くことをいいます。

 弘法大師は、全ての人間がもともと仏と同じように悟りの境地に達する資質を内に秘めており、 修行によって本来の姿にたち返るなら、肉身のまま即時に成仏することができると説いています。

 これが真言密教の根幹ともいえる「即身成仏」説です。


弘法大師の言葉はあまり知りませんでしたが、
いい言葉ですね。
興味がわいてきました。
子牛さん!

ありがとうございます!

 お役に立てれば幸いです。

 オン サン マ ヤ サトバン

 遍吉菩薩

普賢(ふげん)とは
「さとりを求める心から起こる、成仏しようとする願いと行い、
  それを実践する者をつねに守護するほとけ」であるそうです。


はじめまして。
コミュに参加したばかりで、このトピに出会いました。
『あるがままに自分の心を知る』
つい昨日、ある本で『ありのままの自分、良いところも悪いところも、すべてをありのまま認める』という文章を読みました。
自分を知り、その自分をありのまま受け入れることが、大切なんですね。
自分自身に嘘をつくも多いかも…
これからもトピを読ませていただきながら、ありのままの自分が受け入れられ、そしてそれが、周りすべての人を受け入れていける自分になれたらいいな、と思っています。
kei. さん!

 コメントしていただき、ありがとうございます!

行雲流水(こううんりゅうすい)という言葉があります。

行雲流水(こううんりゅうすい)は、
 <普勧坐禅儀>という教典の中に説かれている一節です。

雲は 悠然として浮かび、とどまることなく、水は 絶えることなく
 さらさらとして流れて、また 一処に とどまることがありません。
 
雲の表情は、一瞬一瞬ごとに変わり、
 湧きては消え、消えてはまた生じてきます。

また流れる水も、つねに変化して 様々な表情があるように、
 この 「 行雲流水 」 という言葉は、世の無常を表わしたものです。

「 行雲流水 」 は、自然現象のことですが、
 それは、そのまま私達の人生にも通じることでもあります。

雲には、やさしい風ばかりではなく、吹きちぎり吹き飛ばす風もあります。

水の流れにも、瀬があり
 曲がりくねる淵があり 一様な流ればかりではありません。

 長い人生も また然りであるといえます。

人生、順風満帆ばかり なんてことはありません。

「行雲流水」とは、
 そんな 人生におきる 雨風や 嵐、どんな 苦楽も 嫌悪も 取捨せず、
 ありのままに受け入れて 人生の成長の糧としていくような
 おおらかな心ではなかろうか・・・と、感じております。

この 無心にして 無碍自在(むげじざい)であることが、
 とても 大切なことだと 日々 感じております。


> ひろみちさん
ありがとうございます!
『行雲流水』とても勉強になりました。自然は、ただそこにあるだけでなく、色々なことを教えてくれているんですね。
度々、辛い、悲しいと思うこともありますが、そう感じるからこそ、嬉しいことや幸せなことも感じられるのかな…
またいろいろトピ読ませていただきます。
本当にありがとうございます。

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