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北陸戦国研究会コミュの越中・井波城(瑞泉寺跡)

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富山県内、ぼちぼちと城めぐりしています。
今日は、南砺市の井波城跡について少し。

案内板では
「周囲を土塁が囲み、北東側に深い谷が残る戦国末期の典型的な平山城である。
一向一揆の拠点になった瑞泉寺は、寺の周囲に土塁や外堀を築いて防御した。
しかし天正9年(1581)に佐々成政に攻められて町家とともに兵火にかかった。
その後、成政の家臣前野小兵衛が入って城として整備された。
阿弥陀堂跡が本丸となり、祖師堂跡が二の丸、太鼓堂跡が三の丸になったと記録にある。
まもなく、天正13年には前田利家に攻められて落城した。」
とあります。

現在の瑞泉寺はこの城跡の隣に存在します。
それにしても、井波城跡の周囲をとりまく土塁は非常に高いです。高いところでは10メートル程度あると思います。
一向一揆が非常に強い勢力を持っていたことがうかがえる城跡ですね。高岡市伏木の勝興寺も、劣らぬ土塁跡を持ちますが、その紹介はまた別途。

コメント(2)

京太郎山さま

トピたてありがとうございます。

越中は一向宗の勢力が強かったところです。
瑞泉寺へ行ってみるとわかりますが、寺を中心に街が開けており、
砦と同じ形成をしていると感じます。
またこの瑞泉寺には、「焼き餅ババア」伝説があり、
瑞泉寺門前で餅を売っている老婆から寺へ通じる抜け穴を佐々成政の家臣が
聞き出し、成政軍の勝利に結び付けたと言われています。

成政以後は前田利家が越中を支配しますが、一向宗を抑えるのには
だいぶ苦労したと思われます。
瑞泉寺は、周囲の石垣がすごいですよね。
あれは火事の類焼を防ぐものだそうですが、越中における浄土真宗の強さを物語りますね。

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