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聖書のおはなし小部屋コミュのI-C-2 繰り返されたイスラエル解放の約束 その2 奴隷状態

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※I. エジプト脱出 1:1-15:21           
【C. 十の災いとエジプト脱出 5:1-13:16】
C-1 モーセとパロの第一次会見 5:1-18
C-2 繰り返されたイスラエル解放の約束 5:19-6:12
C-3 ルベン、シメオンとレビの系図 6:13-26
C-4 モーセとパロの第二次会見 6:27-7:13
C-5 第一の災い:水が血に変わる 7:14-25


イスラエルの民は絶望的で、モーセを罵りました。それでモーセも落胆し、彼は主に祈ります。すると
主はモーセの祈りに対して、彼らの父祖たちと交わされた契約を思い起こされ、必ず救い出すという約束を
何度も繰り返され強調されました。

この時のイスラエル人たちはどのような信仰状態にあったのでしょうか。彼らのことが詳しく書かれていました。
少数の主の礼拝を守り続けていた者たちもいるにはいたのですが、異教のエジプトに住み彼らの忌むべき偶像礼拝は彼らの心を痛めていたことは推察することができます。苦しい奴隷状態にあって、神からの何のしるしもなく、心身ともに、苦しみの中にありました。
しかし考えてみればこれは彼らの蒔いた種の結果でもあったわけです。ヤコブの死後彼らはエジプトの影響を受け、彼らの唯一の神の崇拝から離れてしまったからでした。聖霊は求めなければ来る事ができないのです。それは彼らが選んだ道だったのです。

 『イスラエル人の中には、エジプトの奴隷生活中、ずっと主の礼拝を守り続けていた人々が少なからずいた。この人々は、自分らの子供たちが、毎日、異教の憎むべきことをながめ、偽りの神々を礼拝したりさえするようになったのを見て、非常に心を痛めていた。彼らは、大きな苦しみのなかから、エジプト人のくびきからの解放と偶像礼拝の堕落的影響から救われることを、主に叫び求めた。彼らは、自分たちの信仰を隠そうとせず、天地の創造者であられる唯一の真の生きた神が、彼の礼拝の対象であることを、エジプト人に知らせた。彼らは、世界の創造からヤコブの時代にわたってあらわされた神の存在と権力の証拠を列挙した。こうして、エジプト人はヘブル人の宗教を詳しく知る機会に恵まれていた。しかし、彼らは、奴隷から教えられることを屈辱とし、神を礼拝する者たちを買収によって誘惑した。そしてそれがうまくいかないと、今度は脅迫と残酷な行為に及んだ。』(「人類のあけぼの」上巻296〜)

 つまりここで言っている事は、少しの主の礼拝者たちがいて、エジプト人にも伝道をしていたということ、
しかしエジプト人たちは、偶像礼拝するように彼らを買収しようとしたこと、買収がうまくいかないと脅迫と残酷行為をやっていたことがわかります。主はこのように、あらゆる機会に福音は伝道されなければならないということです。

 『イスラエルの長老たちは、父祖に与えられた約束や、エジプトからの解放に関するヨセフの生前の預言を繰り返して、兄弟たちの衰えがちな信仰を保とうとつとめた。それに喜んで耳を傾けて信じる者もあれば、周りの状態を見て希望をいだおうとしない者もあった。エジプト人は、奴隷たちの間に伝わった情報を聞いて、そうした彼らの期待を嘲笑し、彼の神の力をあなどって拒否した。エジプト人は、彼らが奴隷であることを指摘して、「もしあなたの神が正しく、あわれみに富み、エジプトの神々にまさる力を持っているなら、なぜあなたがたを自由な民にしないのですか」とののしって言った。エジプト人は、自分たち自身の状態を考えてみよと彼らに言った。エジプト人は、イスラエル人が偽りの神と呼ぶ神々を礼拝しているにもかかわらず、豊かで、強大な国民である。こうした繁栄を与え、イスラエル人を奴隷として彼らに与えたのも、この神々であると彼らは言うのであった。そして自分たちには、主を礼拝する者を迫害し、滅亡させる能力があると誇った。パロもまた、ヘブル人の神は、その民を彼らの手から解放することは不可能だと誇っていた。』(同上)

 唯一の神とエジプトの神々、イスラエル人とエジプト人、いつの世も同じように感じます。現代であっても、日本、世界は偶像にあふれ、わずかな真の神の礼拝者たちが、伝道をしていますが、多くの偶像礼拝の人々は、神はまだ来られないではないか・・・どうなってるんだ、と言っていますが、それと同じことです。

 『多くのイスラエル人は、こうした言葉を聞いて希望を失った。
万事がエジプト人の言う通りになるような気がした。
彼らは奴隷であった。
監督が情け容赦なく命じるままに、すべて耐えていかねばならなかった。
イスラエル人の子供たちは、狩り出されて殺された。
そして彼ら自身の生活も苦しかった。
それでも彼らは天の神を礼拝していた。
もし、主がすべての神々よりもすぐれたおかたであるなら、彼らを偶像礼拝者の奴隷にしてままほうっておかれない。
神に忠実であった者たちは、彼らが奴隷生活に陥るのを主が許されたのは、イスラエルが神から離れ、異邦人と結婚し、偶像礼拝をしたためであることを知っていた。
彼らは、神が間もなく圧制者のくびきを砕いて下さることを力強く兄弟たちに語った。』(同上)

 私の人生をながめただけでも、神から離れた間の罪の期間は決して幸福がやってきませんでした。少しでも神を求める心が芽生えるなら、しかし、神は喜ばれ、ご存知ですぐにその心に神は応えて下さるように思います。これは私の体験なのでこのように言えますが、イスラエルの民の状態を知るにつけ、そのことに気付いた次第です。

 『ヘブル人は、特別に信仰の試練や、真の苦しみ、困難にあわずに自由を獲得することを期待した。
しかし、彼らにはまだ、救われる準備ができていなかった。
彼らには、神に対する信仰がほとんどなかった。
また神が彼らのために働くのに最適だと思われるときまで、忍んで苦しみに耐える気持ちがなかった。
異国に移住することに付随した困難にあうよりは、奴隷のままでいたほうがよいと思う者が多かった。
またエジプト人の生活になじんでしまった者は、エジプトに定住することを選んだ。
そのため、主はパロの前で最初に力を現されたときに、彼らをお救いにならなかった。
神はいろいろな出来事を支配して、エジプト王の残酷な精神がつのるのを許し、それとともにご自身を民にあらわそうとなさった。
人々は、神の義と力とを見ることによって、エジプトを離れ、神の奉仕に献身するようになるのであった。
もし多くのイスラエル人が、これほどまでに堕落せず、また、エジプトを離れることをきらわなかったならば、モーセの働きは、はるかにやさしかったことであろう。
 主は、モーセに、神の恵みの新しい確証をもって民のところへ行き、救済の約束を繰り返すようお命じになった。
しかし・・・人々は耳を傾けようとはしなかった。』

 以上のような背景があって、イスラエル人はモーセが神の恵みの確証をもって民のところへ行っても彼らはモーセに耳を傾けるどころか、このようになったのは、モーセのせいだと非難する始末でした。

アーメン!!


http://biblestory.jugem.jp/?day=20150610

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