ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

聖書のおはなし小部屋コミュの弟子としての証拠 6

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
※キリストへの道p.73〜86

■キリストとの関係を持続する

 『こればかりでなく、キリストは私たちの心までも変えてくださいます。信仰によって、キリストは心の内に住まれます。こうして、信仰と絶えずキリストに自らの意思を従わせることによって、キリストとの関係を持続するのです。このよにするかぎり、キリストはあなたのうちに働いて、み旨に従って志を立て、行うことができるようにしてくださいます。そのときこそ、「私がいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神のみ子を信じる信仰によって、生きているのである」(ガラテヤ2:20)ということができるのです。ですから、キリストも弟子たちに、「語る者は、あなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である」(マタイ10:20)といわれました。こうしてキリストが私たちのうちにお働きになるならば、わたしたちは、キリストと同じ精神をあらわし、同じ業―――正しい行為、つまり服従をするようになるのです。』

●私たちの唯一の希望―キリストの義が被せられる

 『ですから、私たち自身のうちには、何ら誇るところはなく、何の自己を賞揚する根拠もありません。私たちの唯一の希望は、キリストの義が私たちに被せられることで、それはわたしたちのうちに働き、わたしたちを通して働いてくださる聖霊の働きによるほかはないのです。』

■信仰には区別がある

 『わたしたちが信仰について語る時、信仰には区別があることを心にとめておかねばなりません。つまり、本当の信仰とは全く違ったある種の信仰があることです。神の存在とその力またみ言葉が真理であることは、悪魔もその軍勢も心の内では否定できない事実として信じているのです。聖書には、「悪霊どもでさえ、信じておののいてる」(ヤコブ2:19)とありますが、これは信仰ではありません。神のみ言葉を信じるというばかりでなく、神に意思を服従させ、心をささげ、愛情を注いでこそ、信仰があると言えるのであって、そうした信仰は愛によって働き魂を清めるのです。この信仰によって、心は神のみかたちにつくりかえられるのです。人の心というものは、新たに再生されなければ神の律法に従わず、また従う力を持ちません。しかし、聖なるおきてを喜ぶ時に、詩篇作者とともに次のように言うことができます。「いかにわたしはあなたのおきてを愛することでしょう。わたしはひねもすこれを深く思います」(詩篇119:97)。そして、おきての義が「肉に拠らず霊によって歩く」(ローマ8:4)私たちのうちに全うされるのです。』

アーメン!!


次へ続く。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

聖書のおはなし小部屋 更新情報

聖書のおはなし小部屋のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。