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葬式は結構ですからコミュのいたってまじめな提言

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■え!国内最高齢?「119歳」女性も不明
(読売新聞 - 08月06日 03:04)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1300185&media_id=20

最近TV・マスコミを賑わせるこの種の問題・・・。

社会や家族の絆が問われて久しい。

私も大学の教壇に立ちいわゆる知識層と称される身(本人にその自覚はないが)で、旧態依然の葬式のあり方には擬議を呈するところはある。

しかし、ここで書き込まれる安易な葬式否定論を見るにつけ、あくまでも社会学者の立場で危惧するならば、上に引用した社会問題を助長させる恐れがあることもまた事実だ。

身内や親族の身なれば、生前の故人の関係者のお世話に追われるのも当然だろう。それに伴う出費がかさむのも社会の常識である。私も数年前に身内を亡くした時に疑問に思うことも多々あったが、最後には私が勤めなければ故人は浮かばれないという気持ちになったことも確かだ。だからこそ、商業主義のみに奔走する一部の葬式関係者には厳しい目を持ちたい。

ここでの議論は、そういう前向きな提言の一方で、単に「面倒臭い」とか「高額すぎる」といった、自分本位の都合だけで身内の死を考えてはいないか?

今の葬式を100%容認する気はないが、単に自分本位な都合や考え方のみで、日本古来から続いてきた身内を送る慣習、つまり葬式というものを蔑にしてはいけない。

私を含めた全ての人がそうであるとは思わないが、なかにはここでの風潮(葬式は結構ですから)が、上に引用した社会や家族の絆を崩壊させる危険性があることを十二分に認識すべきだ。

そのうえで現代の葬式のどこが問題で、何をなくすべきかについて考えるべきだ。このコミュが単に死体焼却主義の助長に終わらないことをせつに望みたい。

ご無礼な発言があったらお許し願いたい。

コメント(9)

「104歳」遺体 長男が虚偽説明
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1315761&media_id=2

やはり見過せない事件である。
その渦中の人物は「葬儀代が払えなかったから」と言い訳をしているらしい。
しかし、それを言ってしまえば誰だって「葬儀代を払えない」と言い訳することは可能になる。
要は、我々のここでの「葬儀は結構ですから」という主張は、この種の事件を生む言い訳に悪用されてはいけないということだ。
葬儀代が払えなければ払えるなりの葬儀を行えば良い話だ。
確かに一部の葬儀屋や僧侶に問題があることを、ここで冷静に批判していくのがこのコミュニティの社会的役割だと考えている。
しかし、ただ単に「葬式は結構ですから」というお題目を唱えているだけでは、この種の社会問題を起こす温床になりかねないと危機感を覚える。
ましてや単に残された者の務めを果たしたくないという理由だけで「葬式は結構ですから」と唱えるだけなら説得力がまるでないといえよう。
それならば、引用した母親の白骨を砕いた長男の精神構造と何ら変わりがないという批判に反論はできないと言える。
ここは、これらの輩とは違うという主張を展開する必要があるのではないか?
これらの主張を展開できないのであれば、我々のお題目はこの種の問題を助長させる原因にしかなりえない。
私個人はそういう輩と同じ見方をされるのは極めて心外だ。
実は葬式という残された者の務めは社会的に必要だからこそ(これらの事件を防ぐためにも)、今の商業ベースに走りすぎた葬式は結構ですからと言いたいのである。
年金受給者48人、既に死亡=85歳以上の770人抽出調査―厚労省 (時事通信社 - 08月27日 11:03)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1322350&media_id=4

だんだんとこの種の社会問題の実態が判明してきた。
ここまでくると、もはや社会問題というより確信犯的な年金搾取詐欺事件の様相である。
私が注意を喚起したいのは、我々の「葬式は結構ですから」という主張が、この種の確信犯的な詐欺事件の温床となりかねないということである。
ややもすると、ここでの主張がこの種の詐欺事件に安易に悪用され兼ねないということだ。
我々はもう少しまじめに「葬式は結構ですから」という主張の意味を精査しなければならないのではなかろうか。
この種の主張ばかりが独り歩きしてしまうと、それが社会の慣習になってしまった場合、間違いなくこの種の詐欺事件は今以上に増発する。
なぜなら、社会に家族葬や自然葬(散骨など)が無制限に蔓延り、死亡届を提出すべき義務感が今以上に低くなるからだ。(今思えば、散骨ブームの流れは非常に恐い現象だった)。
葬式とは身内が亡くなった際に、その身内が社会的な別れを告げる告知機能を果たす役割もあるのだ。だからその意味でも絶対に必要な儀礼でもあるのだ。
だとしたら、問われるのはその葬式のあり方だろう。
今一度我々の主張が、詐欺事件の相棒を担ぐものではなく、「(商業主義ベースの)葬式は結構ですから」というスタンスに立つことを再確認しなければならない。
やはり身内の者が社会とのけじめの別れを告げる機会として、お葬式という別れの儀式は必要なのである。
単に高額な費用がかかるからという理由や、親戚の相手をするのが面倒臭いからといった自分勝手な理由で、この種の主張を乱発する人と私個人は一緒にされたくない。
そんな不道徳な輩の主張と同列に語られては正直困るし迷惑だ。それこそ、そういう方たちの主張は、逆の意味で商業ベースでしか葬式をとらえられていない証拠だ。
やはり育ててもらった親に対する恩を仇で返すような理由をここで述べてもらいたくないのである。私はそういう人間と一緒に見られたくないからこそ、きちんとした批判をここで展開すべきだと考えている。
あくまでも、このコミュニティーのことを思った健全な批判をして受け止めてもらいたい。皆さまの知の良識に期待する。
補足

年金詐取「111歳」家族逮捕へ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1320851&media_id=2

きちんと葬式をあげて家族を見送っていけば、この種の事件は未然に防げたはずです(ご近所、親族は全く知らなかったという。一体家族の絆は何処へ・・・)。

私はややもするとここでの主張(葬式は結構ですから!)が、最初から年金搾取を意図した犯罪に悪用されかねない、もしくはそういう輩に歓迎されかねないという構図を指摘しているだけなのです!そのへんを冷静に見ていきましょう!
「手続き面倒」妻の遺体をベランダに3か月 (読売新聞 - 09月19日 21:45)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1347683&media_id=20

こうなると、葬儀屋や宗教界ではなく社会の方に実は問題がありそうな気がしてきた。日本人はどうしてここまで心の荒廃を放置してきてしまったのか。きちんとした葬儀のあり方を再検討し、面倒臭いの一言で身内の死を処理してはならない。このコミュがその扇動を果たしてはならないのである。私が専攻する人文科学(社会学)の分野においても、もう一度この社会の末期症状について冷静に分析すべき時がきたと懸念する。
冠婚葬祭全てにおいて日本人らしさを大切にしたいと考えている。葬儀は日本だけならず、どこの国でもしきたりは違えど必ず存在するものである。お金をかけるかけないではなく、日本人の本来あるべき姿から、かけ離れていく現代の希薄な社会に対して、残念な思いでいる。面倒臭いとか、生活費とかいう理由をニュースで聞くのも慣れてきたが、もっと大切なことがあるのではないでしょうか。また、政府、行政も、何らかの手立てをしていくべきではないでしょうか。
私にはどうしても身内の死を無機質な「死体の処理」として臨めない。死体は処理するものではなく供養するものだと思うからだ。だから葬儀に頼る。だから葬儀が葬儀たりえなければならないと危惧するのである。葬儀でない葬儀などいらない。また、葬儀無用論の名を借りた死体の処理もあってはならないと考えている。
 糞坊主のみが偉そうにする葬式ほど見苦しいものはありません。
>糞坊主のみが偉そうにする葬式ほど見苦しいものはありません。

そういう葬式もあるのは事実。でもそれは別に葬儀の世界にだけに限ったことではない。
それを言うなら糞政治家、糞教師、糞警察・・・何とでも言えるのではないか。
まじめな僧侶もいれば糞坊主もいる。一部の糞坊主のみを指して全体の問題をぼやかしてはいけないと思う。
第一、糞○○という表現をすること自体が糞坊主と同じレベルの話ではないか?
もっとまじめに議論すべきだと考えるがいかがなものか?

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