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F1今昔物語集コミュのチームオーダーそしてNo.2ドライバー

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 つい最近モナコGPにおいてマクラーレン・チームにチームオーダ疑惑がかけられた。調査の結果は無罪。
 それに因んで、今回のお題は、
 悲しき定め「チームオーダー」あるいは、
 せつない「No.2ドライバー」とかはどうでしょうか?

●1982年 F1サンマリノGP
 フェラーリ勢がジル・ヴィルヌーヴ、ディディエ・ピローニの順で1-2走行を続けていた。
 チームは無用なバトルを避けて順位を保持するように指示。
 ピローニがこれを無視してヴィルヌーヴを追い抜き、最終的に優勝してしまう。
 これにより両ドライバーの確執は頂点に達し、次戦ベルギーGPでの悲劇の遠因となってしまう。

※チームオーダーを守らなかったが故の悲劇。

●1991年 F1日本GP
 フィニッシュ直前にセナはスローダウン。チームメイトのゲルハルト・ベルガーにトップを譲った。この時セナはあからさまな譲り方をした。
 チーム内で事前にセナのチャンピオンを決定させるべく、オープニングラップの1コーナを制したドライバーを優勝させるという取り決めをしていた。トラブルが発生していたベルガーはセナにパスされる。
 ロン・デニスは何度もセナにポジションを譲るように指示を出したが、セナはこれを無視し続け、ファイナルラップまでトップを走る。
 ゲルハルトは不快感をあらわす。

※優賞に異常に執着するセナが譲ったのが興味深い。ベルガーが親友だったからこそ。アラン・プロスト教授との約束は守らなかった。
 あるいは、日頃むちゃするベルガーのイタズラへの逆襲だったのかも。恥をかかしてやれという、セナのからかい心ではないかという仮説。

●1998年 F1オーストラリアGP
 2位走行していたマクラーレンのミカ・ハッキネンが、ホームストレート上でチームメイトのデビッド・クルサードからトップを譲られた。
 チームメイト同士でオープニングラップでの順位をレース結果で維持するようにレース前に取り決めていたという。
 批判の声が多くあがり、チームオーダーについての議論を喚起するきっかけとなった。

●1999年 F1ドイツGP
 負傷したミハエル・シューマッハの代役としてフェラーリのシートを得たミカ・サロ。レース中盤にキャリア初の首位走行を果たすも、チャンピオン争い中のエディ・アーバインにチームオーダーでその座を譲った。初優勝の夢が消える。

●2002年 F1オーストリアGP
ファイナルラップまでトップを走行していたフェラーリのルーベンス・バリチェロがフィニッシュ直前で、ミハエル・シューマッハにトップを譲った。
 これがあまりにもあからさまであった。多くの批判が寄せられた結果、2003年以降のレギュレーションにおいてチームオーダーが禁止されることとなった。

(以上の事例は、フリー百科事典『ウィキペディア』より抜粋し編集しました)

コメント(24)

91年は、その場に居ましたので、よく憶えてます。
急に譲ったので、ちょっと、びっくりしましたね。
その後は、拍手とエアホーン鳴らしてましたw
2002年は、あからさま過ぎましたね。
 うわぉ! ぐんぐんさんは、歴史の目撃者やなあ。予選も見たんですか。
 <<1分34秒700>>ベルガーが出したこのタイムは10年も破られなかった異例の大記録。
 2001年にシューマッハーがこの記録を更新した時、ぼくはスタンドにおりました。なんか残念な気がしたのを覚えております。あははは。

 セナ、ベルガーのコンビは良かったなあ。ベルガーのアシストは光ってた。スタート直後、セナの後ろにきゅっと入って、後ろをブロックするシーンがよくありました。
 No.2で満足してた訳ではないと思うが、ベルガーは忠実にその役目をこなした。オンナ好きのチロリアンでしたが、仕事はちゃんとしてたみたい。
91年鈴鹿に関しては、アボットさんの言う通り、確かにあのタイミングじゃなくても良かったでしょうね〜。
レース途中、セナもベルガーを抜く事もなかったんじゃないかと??

それにしても、ぐんぐんぐるとさん。
これを生で見てたなんて!!羨ましい。

クルサードはチャンピオン争いしてるハッキネンにぶつかったりしてましたよね。
ナンバー2ってキャラじゃなかったんでしょうか??
アシストしてたイメージがあまり無いです。
キャラじゃないと思われたアーバインがナンバー2こなしたり・・・
不思議ですよね〜。
92年の鈴鹿、最速マシンウィリアムズを駆り、とっくにチャンプを決めていたマンセルと、
この年、まだ未勝利だった?パトレーゼ、

レース序盤から、マン・パトの1−2でレースが進み、しかもマンセル独走、セナファンが帰り支度をするさなか、

マンセルが突然スローダウン、なんだ?
と思ったら、何の事はない、パトレーゼにトップを譲ったのです。

その後、ペースを戻し 再び1−2体制になった途端、
マンセルがエンジンブロー、
わざわざ順位入れ替える必要ありまへんでしたがな・・・、

マンセルファンで、あの時はE1スタンドで観戦してましたが、あれはガックリきましたね、
かなり無意味なチームオーダーでした・・・。

  アボットさん、こんにちわ。
 ことわざ「長生きも芸のうち」を文字通りいってるのが、F1最長老クルサード先生でございます。ここ数年、来年のシートはないだろうと噂されておりますが、どっこい先生は、そうそう簡単に引退される方ではございません。立派、リッパ!
 今年のクルサード先生はやりがいのあるポジションにいますね。レッドブルの浮沈が先生にかかっております。いつのまにか、気になる存在になってました。

 わたくし、RDJ&J応援強化キャンペーンを行っております。
 RDJ&Jは、バルチェロ、クルサード、フィジケラついでにバトンです。お暇な節は、遊びに来て下さい。
 ヌマッチさん、まいどです。
 No.2もいろんなタイプがいますね。シューマッハーにとってのアーバインは、邪魔にならんかったらそんで良し、という感じでした。
 逆にアーバインがチャンピオンをかけた一戦では、皇帝陛下さまはサポートする気なしでした。
  ケン・ヨッシーさん、こんにちわ。
 No.2といえば、パトレーゼ。リカルドと言えばNo.2。鉄人リカルド・パトレーゼはセカンド・ドライバーの代名詞でした。
 古舘氏いわく、二百戦練磨の男。かっこいいイタリアンだったなあ。
92年、ケン・ヨッシーさん鈴鹿行かれてたんですか!!
いいなぁ〜。僕も生マンセル見てみたかったです。。

そう、パトレーゼは未勝利でしたね。
譲るにしてもスマートに行かないのが、マンちゃんの良い所だったんでしょうか???

僕もマンセル好きでした。
鈴鹿で勝って引退してほしいと願っていたんでガッカリでしたよ。。。


カルロスさん、パトレーゼの記録。
バリチェロが近づいてきましたね〜。
 うん、バリチェロどないすんだろな、来年は?
 今年で引退という噂もある。セナ時代の最後のドライバーだから、まだまだがんばってほしい。

 2000年ドイツグランプリでの初優勝が印象に残る。予選18位からのスタートだった。ウェットコンディションになり、タイヤ交換せずに、見事に走り切ったのはすばらしかった。
 アボットさん、記録は破られるためにあると言われてますが、一抹の寂しさ感じます。同感。

 アイルトン・セナのモナコGP5連勝、これは不滅でしょう。
 マシンのアドバンテージがあったのは、最初の2年くらいで、そのあとは運がいいとかより、奇跡と感じますなあ。
 神に愛されたアイルトンは、傍らにおかれる為に、早く召された。とでも思わないと、こちらもつらい。

 ほかには、これはもう破られない記録とか、できごとはないですかねえ?
カルロスさん
なんといってもやっぱりカルロスロイテマンですね
 アロンソが最年少チャンピオンになったから、ミハエルよりもハイペースで勝利していると思いこんでいた。
 26歳のとき、アロンソ15勝。ミハエル18勝。
 うわっ、さすが皇帝陛下さまじゃ。
 ちょっと調べてみた。うわっ、ロイテマンかわいそう。カルロス気の毒じゃ。
 チームメイトが、
1977年:フェラーリ:ニキ・ラウダ
1980年:ウィリアムズ:アラン・ジョーンズ
1981年:ウィリアムズ:アラン・ジョーンズ
 序盤にチームオーダーを無視してジョーンズとの関係が悪化。
1982年:ウィリアムズ:ケケ・ロズベルグ

 せつないなあ。
ついに、ロイテマンでましたか・・・。
ヨッヘン・マスもとりあげてね。
(あ、そうそう雨に強い男初代のビットリオ・ブランビアも。)exclamation & question
 万丈さん、こんにちわ。
 ヨッヘン・マスは、ジル・ヴィルヌーヴの事故死に関わったことで有名。
 82年ベルギーの予選中、スローダウンして道を譲った彼のマーチにジルのフェラーリが追突し、跳ね飛んでしまった。

 また、メルセデスのジュニアチームでミハエル・シューマッハやフィレンツェン、ベンドリンガーらをコーチした。

 とここまでは知ってました。地味で縁の下の力持ちみたいなドライバーと思ってました。でも、実はあなどりがたい実力も持ち合わせていたようです。

 万丈さんのおっしゃるように、マスはF1でもスポーツカーでもベスト・セカンドと呼ばれるほどのドライバーだった。
 特に1975〜77年のマクラーレン時代、エマーソン・フィッティパルディ、ジェイムス・ハントのナンバー2として貢献した。
 76年、ジェイムス・ハントはワールド・チャンピオンとなる。

「ビットリオ・ブランビア」さんについては、今回ギブアップです。
カルロスさんお疲れ様です!!!

V.ブランビッラ=モンツァ・ゴリラの愛称で知られる人ですよね??
僕はそれしか知らなかったので、カルロスさんに代わってちょいと調べてみました。
そしたら面白いエピソードを発見しましたよ!!


GP初優勝は75年オーストリアGP。
ココには注釈があって、レースは雨の為に途中中止とありますから、万丈さんのおっしゃる通り、雨に強かったようですね!!


そしてその前年の74年、ノンタイトル戦のF1/F5000混走レースがシルバーストーンであったそうです。
このレース、マーチのドライバーだったブランビッラが他のレースを優先した(!)ため、マーチは代役のドライバーを探さねばならなかったそうです。


そこでそのマーチにはなんと!!!!!!!


日本人の高原敬武が乗る事になったそうです。
ノンタイトル戦とはいえ、日本人初のF1ドライバーが誕生したきっかけを作った人でもあったんですねぇ〜。

面白いですね〜。
いや、勉強になりました(^^;)

走りはどんなタイプのドライバーだったんでしょうか??
 おお〜、さすがヌマッチ師匠!
 ついでに、別トピの予備予選(KEKE'さんのコメント)についてもたのんます。具体的にどうなんかようわかりませんわ(^ω^;)(;^ω^)
ちょっと調べるのは手間ですが、ベストNo.2ドライバーはチームメイトを一番たくさん優勝させた。またはチャンピオンにさせたかではないでしょうか。

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