ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

DAVE VON RONKコミュの来日の時のDAVE VAN RONK

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ある日仕事の合間に買ってきたばかりのニューミュージックマガジンを手にトイレに入り、ちょこちょこっとページをめくると、
デイブヴァンロンク東京公演の記事、 え、え、え、??
日にちを見ると明日が最終公演日。東京の新宿のXXXホール.
すぐに仕事に帰って、明日の仕事も済ませて、
"ごめん、明日東京行きたいんだけど、、”
周りに頭を下げて、東京へ、、、そして会場へ、、
入り口に着くとギターの音が、、、時間は4時ちょっと前、
"俺時間間違ったのかな?"と思いつつ、音の聞こえるほうへ、、ドアを入り、階段を抜け、なんと会場に、、"おお、まだサウンドチェック"
ステージには憧れの大きなカラダのDAVE VAN RONK
ギルドのギターを抱えてた. サウンドチェックの一部始終を見てしまった. 

コメント(31)

ヴァン・ロンクが来日したなんて…

いったい何人の人が、知ってるんだろう。
もちろん僕にとっては大きすぎる思い出。ライヴを主催させてもらっただけでなく、一緒にステージに立たせてもらったのだから。

思い出やエピソードはいっぱいありますが、それはまたゆっくりと(なんなら連載形式で)。まずはその時の写真から。
主催したんですか!!! 
同じステージ、、、 羨ましい限りです.
写真、どうもありがとうございます.
僕はとるものもとらず東京に行ったので、
写真も何も手元にありません.
ステージが終わって、逢うことが出来て、今日は800キロ離れたところから逢いにきました.逢う機会を20年待ってました。と伝えました.

”連載形式”、、お待ちしています. 
>mrtastyさん

はるばる東京まで見に行かれた話に感激。
すごい行動力ですね。

あまり宣伝も行き届いてなかったし、知らなかった人も多かったみたいです。東京公演はたしか、R's アートコートだったと記憶。

じゃ、お言葉に甘えて、連載書いてみますね。
[クマ親父との日々 -DAVE VAN RONK in Japan]その1

両国フォークロアセンターの国崎さんから手紙をいただいた。「ヴァン・ロンクが日本に来るから、どこか演奏できる場所を知りませんか?」との内容だった。確か、すでに大まかな日程まで決まっていたと思う。

瞬間的に色々なことが頭を過ぎった。答えはもちろん「やります、地元の豊橋でやります」なのだけれど、場所は、会場は、ギャラは?。こんな時は考えるよりも行動。世話になっていた地元のライヴ・ハウスに直行し、すぐに相談をしてみた。ブッキング担のKは、それまで、ヴァン・ロンクのことなんて知らなかったと思うのだけれど、「ディランの先生」の言葉に動かされたのだと思う。

マネージングは小川側が統括する、それと、集客のこともあるので、ジャムポット(僕がやってるジャグバンド)をオープニング・アクトに立てる、といった条件を決めて、会場は確保できた。ありがとうK。
当時、僕も関わっていたミニコミ(タウン誌)の編集長、M本君にも相談、協力を得られる。国崎さんに連絡し、スケジュールを調整。

そして、すべてが決まった。
外国人のアーティストを招くのも初めて、まして、それが、憧れのデイヴ・ヴァン・ロンク。
小地方都市の豊橋で、お客さんが集まるのだろうか。
後から不安がおそってきた。
でも、決めちまったものはしょうがない、やるしかない。
さっそくワープロを使って、ポスターを作り始めたのだった…

(つづく)
っさっそっく!! 連際始まり!!! 
なんか、すごーく嬉しくってたまりません。 
今日は、エイモスの音源があったってことや、
この連載が始まったり、、、絶対なんかの記念日になります.

もしこのこと知ってたら、
東京じゃ無くって、豊橋に見に行ってたなあ. 絶対.
[クマ親父との日々 -DAVE VAN RONK in Japan]その2

クマ親父は、新幹線豊橋駅の改札口に、むっくりと立っていた。
図体は大きいが、その目には、異国の地に売り飛ばされた少女のような不安げな表情が… 無理もないだろ、ニューヨークのヴィレッジから、東京経由で小さな地方都市へ。そのまま阿片窟にでも連れ込まれるのかと思っていたのかもしれない。アロハ・シャツにテンガロン・ハットで立ちすくむ姿は、まるで真夜中のカウボーイ。

少々ギクシャクとした自己紹介を終えて、歩き出そうとしたら、クマ親父の背後から小柄の女性があらわれた。こんなキュートな奥さんを、クマ野郎はどんな言葉で口説き落としたんだろうか。などと考えながら、宿泊先のホテルへ案内。あまり立派なホテルじゃなかったんで、クマ親父には窮屈な思いをさせてしまったかも…

巨漢に似合わない小さな声、おまけに、あのダミ声で、かなり言葉が聞き取りにくい。友人の友人のまた友人ながらも、果敢に通訳をかってでてくれた某君(すいません、名前忘れちゃった)がいなかったら、お互いに大変なことになっていたかも。

といった塩梅で、不安と期待の中、リハを迎える我々であった…

(つづく)
状況が目に浮かび、、、
自分もその時にいたような感じになって来ました.
このコミが楽しみです。  
  小川さんこれからも宜しく、、、 
    (暗にプレッシャーを架ける、、、) 
所で、この全ての権利はコミュニティー立ち上げ者に既存する。

マガジンに売り込もう、、  ふふふふ、、(お前も悪よなあ)
なろほど、小川さんのデイヴとの共演はこういったいきさつだったんですね。
ところでこの日本公演、いつの話ですか???
わたしもチャンスがあったときになぜいかなかったか今になって悔やんでます。
連載止まっててスイマせん。今ちょっと仕事が修羅場バババで。

来日の日時ですが、1989年9月、
  9月 7日 京都・磔磔 共演・友部正人
  9月10日 豊橋・バークレー・イン 共演・ジャムポット
  9月18日 東京・R'sアート・コート 共演・友部正人

これ以外に、東京公演がもう一回あったはずなんだけど、
子細不明。

知ってる方がいたら、ぜひ教えてください。
 
小川さん、皆待ってるよ、、、連載、、
でも時間、関係ないから、、、ユックリで良いですよ、、

俺15日発売だったニューミュージックマガジンを17日に買って見て、18日あさ10時くらいの飛行機で東京に行った事になるなあ、、、R'sアートコート、、なんて、どこか解らず、、
尋ね尋ねして行った、、そして驚いたのは、
会場の局番が、XXXX−XXXXと、4桁になってた事、、
まだ東京の他の場所は3桁の所もあったのに、、、
[クマ親父との日々 -DAVE VAN RONK in Japan]その3

ギター・ケースを片手に、クマ親父は当日の会場、バークレイ・インに現れた。シャワーでも浴びたのか、こざっぱりした表情。さっそくサウンド・チェックに入る。

ギルドのギターをケースから出し、どっかりとステージの中央に座る。やわらチューニング。小さな小袋から小さな音叉を取り出し、カキーンとマイク・スタンドに打ち付ける。その仕草がまるで、機械技師のように厳格で、実にさまになっていた。

もごもごと2,3曲のイントロを弾き、それでリハは終わり。すぐにビールを注文し始めた。会場が気に入ったようで、人は入るのか、いつもライヴをやっているのか、とか聞いてきた。やっと落ち着いてきた様子。やはりライヴの場という、自分の居場所に辿り着いたからだろう。

当日のライヴでは、どうしても歌って欲しい曲があった。その歌に対して、ヴァン・ロンクがどういった気持ちを持っているのか、書かれたものを一度も読んだことがなかった。しかし、この曲は、彼にとって格別のもののはずだ。

断っておくと、ボブ・ディラン関係の曲ではない。他のミュージシャンにカヴァーされた曲でもない。彼自身も、一度だけ吹き込んではいるが、なかばプレイベートなカセット・テープでしかリリースされたことがない曲なのだ。

さて、どうきりだそうか、そんなことを思いながら、彼が座るテーブルへと近づいていったのだった…

(つづく)
御仕事忙しい中、、、
ひさしぶリの [クマ親父との日々 -DAVE VAN RONK in Japan]
さてさて、その続きは、、、、 
皆さま、こんばんは。

デイブの阿佐ヶ谷アルスノヴァでのライブの思い出を
ライブの主催をされたという、両国フォークロアセンターの国崎さんが、
御自身のサイトhttp://homepage3.nifty.com/tokyo-folklorecenter/で、
少し書いていらっしゃるのを見つけました。
雑記 (SCRAP BOOK)のページ
http://homepage3.nifty.com/tokyo-folklorecenter/zakki.htmを、
だぁ〜っと辿ってみて下さい。
タイトルは ■デイブバンロンクと友部正人と両国フォークロアセンター です。
>mieさん
ありがとうございます。さすが国崎さん、濃い内容です、しっかり読ませてもらいました。
国崎さんのページにもあったVAN RONKの自伝本(まだ届かない、そろそろかな)に、なぜローレンス・ブロックの名前があるのか?
といったことを含めて、[クマ親父との日々 -DAVE VAN RONK in Japan] が続くはず…

>カィカィさん
ということで「アルスノーパァ」で大正解でした、ありがとうございます。
>mieさん >カィカィさん >小川真一
皆さん、ありがとう、、
[クマ親父との日々 -DAVE VAN RONK in Japan] が続くはず…
期待してます。
>小川さま、[クマ親父との日々 -DAVE VAN RONK in Japan]の続きがとても楽しみです。お時間ができた時に書いていただけたら嬉しいです。

>mrtastyさま
はじめまして。ごあいさつもせず失礼いたしました。
私は友部ファンという事もあり東京公演の事はとても気になっていたものですから、ちょっと検索してみました。
喜んでいただけて嬉しいです。今後ともよろしくお願いいたします。

>カィカィさま
お久しぶりです。
東京公演の事を憶えていらっしゃった知人の方が気になります。もっと他にも御存知なのでは?また何かわかったら教えて下さいね。
DAVE VAN RONKの東京公園、

このトピの扉に書いたとおり、前の日に知って、
慌てて東京に飛んで、見る事が出来ました.

サウンドチェックに迷い込み、その後、
食事をしに街に出たら、韓国の街中見たいになってて、
新宿の変りように、ビックリしながら、開演を待ちました.

共演は、友部正人さん、
僕も大学生の時代に、都城の友人に誘われて、
彼の都城の公園の前座をやった事が在りました.
そして2部、友部さんの持ってたギルドと同じ機種だと思うのですが、ヴィンテージと呼ぶにふさわしいギターを手にステージ中央にドカリと越し掛け、やおらあのダミ声で歌い始めました.
レコードで聴きなじんだ曲ばかりでしたが、何を歌ったのかも忘れてしまいました.最後に友部さんもステージに上がり、同じギターを使ってる事を話していました.  
そして一緒に一曲歌ったと思います.
友部さんは日本語で、、、
幕が降り、お客さんが帰って行く客席で、帰らずに待っていると、
DAVEさんが、舞台横から降りて来て、ステージサイドの小さな部屋に入りました。 
私のすぐ近くに座っていたアメリカ人の女性がスーーット歩いて入って行きましたので、私も吸い込まれるように歩きました。
その女性は、記者のようにメモを取りながら色々と話を聞いていました. そしてある時間過ぎると、私にその場所をゆずってくれました。 
私は、彼に私の小さな右手を差し出すと、
彼はあの人懐っこい顔で微笑み返して、右手を包んでくれました。
“貴方に会いに、800キロ離れた所から今日来ました.
20年会えるのを持ってたんです。貴方のニューポートのレコードを聴いて、セントジェームス病院を歌ってます.“と伝えると、なおいっそう深い笑顔で、ハグしてくれました。
私の後ろにも人が何人も並びましたので、再度握手をしてその部屋を出ました。 
そして出口に向かう僕に、先ほどの女性が、
“20年も待ってたんだったら、もっと一緒にいればいいのに、、、“ と言ってくれましたが、
”いや、沢山の人が、話たくって待ってたので、、、“と言うと、
このバカ正直な日本人は、、、と言うような顔で、笑ってくれました。
勿論、彼にくっついて行きたい衝動は自分の中にありましたし、
その情熱も暖めていますが、
まだ田舎でする事の意義も知ってるし、
自分の廻りを楽しくする事、その1部分を、DAVEに教わったと思います.
だから、彼が亡くなっても、彼の歌は自分の中で響き続けています。
いつか、その響きをニューヨークの町に確かめに行きたいとは思います.
[クマ親父との日々 -DAVE VAN RONK in Japan]その4

ヴァン・ロンクに歌ってほしかった歌は…

73年にカデットから発売されたアルバム"Songs For Ageing Children"に収められている「Last Call」という曲だ。

なぜこの曲に思い入れが深いのか、まずはこれを読んでいただこうか、

 「デイヴ・ヴァン・ロンク。知ってるかい?」
 「名前も知らない」
 「オランダ系の名前だな。アイルランド人みたいな顔をしてて、
  ブルースなんか歌わせると黒んぼみたいだ。彼はすばらしい
  ギター奏者でもあるんだけれど、この曲じゃ、
  <ラスト・コール>じゃなんいも弾かないで歌っている。」
  
 ーーーローレンス・ブロック『聖なる酒場の挽歌』
                田口俊樹訳 二見文庫より

アル中の探偵、マット・スカダーが活躍するミステリー小説。心に大きな傷をもった彼の彷徨はハードボイルドな感覚に溢れている。ローレンス・ブロックは僕自身も大好きな作家で、何度読み返しただろうか。このヴァン・ロンクのエピソードが出てくるたびに、胸が熱くなってきてしまう。

ヴァン・ロンクの「Last Call」は、上記のように印象的に使われているだけでなく、歌詞の一節はこの小説のタイトル(When The Sacred Ginmill Closes)にもなっていて、エピグラフにも引用されている(写真2)のだ。

彼の座るテーブルに近づき、まずはローレンス・ブロックの名前を口に出してみた…
>mrtastyさん
「貴方に会いに、800キロ離れた所から今日来ました」
この言葉は素晴らしいなぁ。

ヴァン・ロンクの掌のあったかみは、まだmrtastyさんの中に残ってるはず。一緒にNYのヴァン・ロンク・ストリートを歩きたいですね。
>ヴァン・ロンクの掌のあったかみは、まだmrtastyさんの中に残ってるはず。一緒にNYのヴァン・ロンク・ストリートを歩きたいですね。

新しい目標にしましょう。。。メグさんに案内して貰って、、、
>NYのヴァン・ロンク・ストリート・・・。
来年はハワイ止め!NY進出したいな。
嫁に耳打ちせにゃならん。

異質でもDAVE VAN RONK ですよね。
"Songs For Ageing Children"
好きなアルバムだぁ〜〜。
ふぉ〜!

やっぱり体調悪い(−_−::
三丁目、、  ハワイへ行く代金と、ニューヨークへの代金ってそうかわらないんじゃないですか??
[クマ親父との日々 -DAVE VAN RONK in Japan]その5

「ローレンス・ブロックとは知り合いなんですが?」
「ん?」(聞き取れないのか戸惑った様子)
「小説家の、そら『聖なる酒場…』いや、『Sacred Ginmill』の…」
「おお、ラリー・ブロック! 俺の友達だよ」

ここでやっと笑顔を見せてくれた。
見知らぬ日本の、それもワケの分からぬ田舎町で、友人の名前を聞いたのが嬉しかったのか、おもいきりの笑顔だった。

ここから英語でまくしたてられたのだが、こちらの語学力がプアーで、あまり聞き取れなかったんだけど、
「古くからの友達である。よく飲み歩いた。俺の歌を気に入ってくれて。いい奴だよ。日本でも(あいつの小説は)売れてるのか?」

と、話が盛りあがりかけたところで、すでに会場のライヴハウスには、お客さんが入り始めていた…

----------------------------

  And so we've had another night
    Of poetry and poses
 And each man knows he'll be alone
  When the sacred gin mill closes.

     "Last Call" - Dave Van Ronk -

来日の少し前に、ヴァン・ロンクは自主制作のカセットを出していて、その中でこの「Last Call」を再演。現在は、・Going Back to Brooklyn"(Gazell GPCD-2006) として再発CD化されている。
>ここでやっと笑顔を見せてくれた。
見知らぬ日本の、それもワケの分からぬ田舎町で、友人の名前を聞いたのが嬉しかったのか、おもいきりの笑顔だった。

こんな触れ合いがあり、
その日のライブは絶対他と違った物になったんでしょうねえ、、、
その場にいたかったと思う僕でした。
小川真一 様
"Going Back to Brooklyn"
これもいいですね。
再発だったんですか。。。知りませんでした。

mrtasty 様
>三丁目、、  ハワイへ行く代金と、ニューヨークへの代金ってそうかわらないんじゃないですか??

う〜〜ん・・・。普通はかなり違いますね。
乗ってる時間も倍だし、距離は倍以上ですから。
その前にリゾート好きの嫁はどう言うか?
その上、ニューヨークはいい思い出が無いので・・・。
ラガーデイアでロストバッゲッジしてしまい・・・。
アホな空港職員にJAP扱いされた上、キーウエストから夏着のまま4日間も真冬のニューヨークに滞在 わはは!
Songs For Ageing Childrenは、私が持っているDaveのアルバムの中で一番好きなアルバムです。まさかlast Callがローレンス・ブロックの小説に登場していたなんて!「聖なる酒場の挽歌」とても読みたくなってしまい、今日買ってきました♪

DAVEの来日公演にはとても行きたかったのですが、当時子育て真っ最中で泣く泣く行くのを諦めた思い出があります。
こちらで皆さんのお話が聞けてとても嬉しいです。

「Going Back to Brooklyn」のアルバムジャケットは奥様のアンドレアが描いたものでしたよね。久しぶりに聴きたくなりました。
ご隠居、そのような苦い体験が、、、

皆さんの熱い想いが伝わって来ます.
僕も今夜 DAVE VAN RONK 漬けになりそうです。
[クマ親父との日々 -DAVE VAN RONK in Japan]その6

アルバム"Songs For Ageing Children"の解説で、ローレンス・ブロックは、こんな風に書いている。

------------------------------------------
Oh, I do like that phrase.
Not only because it captures the collective echo of the album's song's but also because it provides something of an excuse for me to be writing these lines. For while I know precious little about music in general, or these songs in particular, I do know the singer. I know him well and I have known him long.

We met in the summer of 1956. We were ageing children then and we are ageing children now. Most things don't change. There have been a few changes, of course. In those days the draft ale at the Old Landmine was a dime a glass. Richard Nixon was a retrospectively reassuring heartbeat away from the Presidency. ("Race you up the stairs, Ike!") No one admitted to liking any popular songs. Everybody had an elaborate scheme for avoiding the draft; we never realized that the Peacetime Army emphatically did not want us in the first place.

There was singing every Sunday afternoon at Washington Square. For all I know there still is; the greatest measure of change lies in the fact that I do not know one way or the other. I do know the park didn't have a fence around it then. I don't know if the world was better or worse, although, at the time, I hardly suspected we were then living throuqh our Good Old Days.

I don't think our personal lives were a hell of a lot different. We make more money now, but don't hang onto it any longer. We drink a better grade of whiskey, and it takes a little more to get us off than it used to, but we do our drinking in the same sort of bars.

We have gotten married and unmarried. We have lived a few lines into our faces. The years have made us a little wiser or a little more foolish, and I am not at all certain which. It seems to me that we have fewer answers then we once had, but that may be balanced out by our having forgotten some of the questions.

I find it rather more difficult, albeit more pertinent, to write about Van Rank as a musician. Since the first time I heard him sing I have been so unabashedly a fan of his that it is embarrassing. I have never been in a mood that I did not want to listen to him. There is an enormous temptation for any artist in any medium to give a little less than his best. There is considerable security in so doing; when you fail, you can succor yourself with the knowledge that your talent is greater than your imperfect display of it. Most people never even realize they're doing it. I'm thus very much partial to those artists who always give you the very best they've got, who always put the throttle on the floor.

There is an unmistakable quality in their performances, to the point where one could list a few who are not enormously talented to begin with, but whose commitment transcends their lack of talent, When they are also talened, and knowledgable, and aware, and sensitive, they really make it all work.

Seventeen years. We've been to a few of the same schools since then, for whatever good they did us. We have seen one another in every imaginable condition, occasionally even including sobriety. I trust it will properly embarrass David to read that I deem him a gentleman and a scholar in every sense of both words.
------------------------------------------

※翻訳を試みましたが挫折。すいませぬ。
 どなたか大意でもいいので訳してくだされ。
あっ、これは裏ジャケに載っている文章ですね。
私も気になっておりました。
私もどなたかに訳していただきたいところです。

メグさ〜ん!出番ですよー!っと呼んでみる。。。
(すみませんメグさん。勝手に呼んでしまいました。。。)

ログインすると、残り2件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

DAVE VON RONK 更新情報

DAVE VON RONKのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。