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苦学楽学 [英語一日一習]コミュの「交通事故みたいなもんや」

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人の使うコトバはその人の生まれ育った言語環境で決まる、というのは言わずもがなのことですが、、遠距離移動や遠隔通信がままならなかった一昔前までは、異なる言語環境で自然発生した地方弁が相互乗り入れする機会が少なかったからか、狭い日本の中でも人が使うのは、東北弁、東京弁、関西弁、九州弁というように地方弁ばかりでした。

私は、岐阜の山深い里で生まれ、岐阜弁で育ちました。隣の愛知では名古屋弁が使われておりました。”よそ者”の耳には同じに聞こえる岐阜弁と名古屋弁の間にも微妙な差があります。

ところが、今では、交通手段とマスコミュニケーションのめざましい発達により、遠距離移動も遠隔通信も手軽で、便利で、安価になりました。その分、社会環境や言語環境の相互乗り入れが増えました。地方弁、特に僻地でのそれが消えていくのは、そのためでしょうか。「○○弁保存会」を作って保存しないと絶滅を防げないほどです。

活字媒体はともかく、視力と聴力とさえあれば誰でも使えるテレビというもの大普及によって、僻地でも標準語としての日本語を日常でも使う人が増えました。

以下に挙げたのは、私が物心つくまでに覚えた岐阜コトバのほんの数例ですが、いま郷里に帰ってもそうした岐阜コトバを使う子供たちを見ること少なくなりました。山村や僻地でも、コトバの「ミニ東京化」までもが進行しているようです。

いんね=いいえ、いや
だちかん=だめだ(←埒があかない?)
おぞい=粗末な、下手な
どえらい=大した(←ど偉い)
あんじゃない (心配ない、大丈夫)←案ずることない
あじない    (まずい)←味ない
ういこと=済まんこと(←憂きこと?)
・・・してみえる=・・・しておられる
・・・さっせる=・・・される(例:行かっせる)

ところで、覚えて使っていたコトバの元の意味が時代にそぐわなくなる例は、自分の近辺にいくらでもありますね。たとえば、私が物心ついたとき使っていた「交通事故みたいなもんや」という言い方。

ひどい目に遭ったときに主に使いましたが、その心は、「交通事故のように、ありえない、珍しい」ということでした。幸運なことについて言う「宝くじに当たったようなもの」と同じく、珍しいこと、ありえないことの比喩です。

田舎道を通る交通機関といえば、乗用車はお医者さまのそれしか通らず、たまに通るのはおんぼろトラックと、木炭を焚いてよろよろ走る田舎バスぐらいしかなかった当時の山里では、交通事故死は”雷に打たれて死ぬより”も頻度が少なかったのです。今では、彼の山村にも国道が通り、交通事故は日常茶飯事です。「交通事故みたいなもんや」は使われる場がなくなりました。

コメント(2)

私は、今も
「望んで、あるいは意図して、そうなったんじゃない。降りかかった災難のひとつとして捕らえている」という意味で「交通事故みたいなもの」という表現を使います。
一時的に熱中して、いずれは目がさめるっていうのは「はしかみたいなもんや」って言いますよね。これって、将来 天然痘と同じく「はしか」が過去のものになったら、使えなくなるのかしら。

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