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東淀川ウォーカーコミュの柴島神社

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柴島神社
柴島の地域は昔から淀川の水があふれて、洪水のため苦しめられてきました。
 鎌倉時代の貞永元年(1232)仲秋の大洪水は、30日余りの間、海のような有様だったと伝えています。
 ここにあった仲哀天皇をまつる森は、他より一丈(約3m)ほど高い場所だったので村人達が避難していました。
 そこへ柴の束に乗った小さな祠が着きました。
 貞永元年菊月27日の事です。
 その後、日ごとに水も引き、助かった村人達が産土神としてこの祠をまつったのが柴島神社の起源と伝えられています。
 柴島神社はもと、字白妙(今の淀川河川敷)にあり、木がおいしげる村社でした。 明治時代の淀川大改修工事のため、現在地(旧字調布)へ移転され、仲哀天皇社も境内へ移されました。
 明治34年4月26日の事です。
 境内には宝暦5年6月に正親町三条殿より三十六歌仙額並に灯籠一対が奉納され、年号がわからない午六月園前大納言殿より神号額並に灯籠一対奉納されています。
 社宝には室町時代の作と鑑定され、府の有形文化財の指定(昭和59年5月1日)を受けている御神刀(梨子地衛府太刀拵)があります。(博物館で保管されています)
 昔の柴島神社の夏祭はたいへん賑やかでした。
 古文書によれば、淀川での神輿洗いに始まり、鎧武者や力士太鼓がでて幟、旗、提灯がたくさん立ち、遠くの参拝者、近くの参拝者で境内に溢れていたといいます。
 柴島神社の起源は「柴島」の名前の起こりと言われています。
 故事に因んだ柴神輿は昔は毎年でていましたが、現在では式年奉祝祭の時だけ繰り出されています。
 境内にある説明板によると、摂社として柴島神社が創られる前から仲哀天皇社があり、御祭神は仲哀天皇で、この地は「仲哀天皇の森」と呼ばれています。
 仲哀天皇社は仲哀天皇が熊襲追討のため長門国の穴門(あなと 山口県豊浦郡)へ船旅する途中、この地に逗留して日和待をされましたが、村人たちが新鮮な野菜を差し上げたところ、大変喜ばれ、自らの木造を刻み、残されたのが起源と伝えられます。
 また、末社に住吉神社があり、御祭神は住吉大神、稲荷大神、水波能売神の三神です。
 創建年代がはわかりませんが、明治の頃、末社「水神社」を合祀しました。
 特に昔から合祀されている「お稲荷さん」は、人々に親しまれています。
 拝殿前には岡崎式の狛犬があります。
 境内の隅の摂社へ行くと、住吉神社前に大きく長い口と富士山型の立派な鼻、三角形の眼をした狛犬一対があります。
 文化11年(1814)9月柴島の氏子の寄進したものです。
 また、隣の仲哀天皇社前には三日月型に盛り上がった眉とぎょろ目、鬣の頭部が禿げている狛犬が一対あります。
 台座には柴島村住の弥三郎が延享2年(1745)9月に奉納と刻まれています。

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