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紀勢本線コミュの熊野市中心部

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 熊野市駅周辺。
 https://www.google.com/maps/@33.8898844,136.1012839,18z

 現在の熊野市中心部は江戸時代には木本浦(キノモトウラ)と呼ばれ、主に現在の三重県北牟婁郡を管轄した奥熊野代官所が置かれていました。
 天照皇大神(アマテラスオオミカミ)・天児屋根命(アメノコヤネノミコト)・天布刀玉命(アメノフチダマノミコト)・事代主命(コトシロヌシノミコト)を祭る木本神社が東北隅の海岸近くにあります。創始については不詳ですが、鎌倉時代作と推定される木造狛犬〔熊野市指定文化財〕が所蔵されています。現存する棟札〔熊野市指定文化財〕によると慶長13(1608)年12月に火事で社殿が炎上したため木本町字新田から当地に遷座し、天照皇大神を祀った事が記されています。
 安政2(1855)年、紀州藩附家老(ツケガロウ)で新宮領主の水野忠央(ミズノタダナカ)は紀州藩直轄領である木本地方27ヶ村(現;三重県熊野市木本町)と、新宮領飛地である有田地方の5ヶ村の領地替えを企みますが、木本地方の村民が強固な反対をして熊野村替騒動が起こります。安政4(1857)年に村民の説得のために江戸詰勘定組頭の吉田庄太夫正礼が派遣されますが、村民の心情を理解した庄太夫が江戸藩邸にて抗議の自決をする事態となり、最終的に領地替えは撤回されました。このため、木本神社では庄太夫を吉田大明神として祭っています。
 明治時代になると三重県南牟婁(ミナミムロ)郡木本町となりました。
 明治41(1966)年に政府の神社統合策に従い、木本神社境内社の若宮神社二座・大国神社・恵比須神社、及び字新田町鎮座の稲荷神社、字切立鎮座の新田神社を合祀しましたが、昭和26(1951)年になって稲荷神社と菅原神社(新田神社)を飛地境内社として旧鎮座地に分祀しています。
 昭和29(1954)年の市制施行の際に熊野市と改名しました。
 駅前の熊野市観光協会二階の展示室では熊野市大花火大会の資料等が紹介されています。熊野市大花火大会は約10000発が打ち上げられる豪華絢爛たる催しです。
 街の北端を流れる西郷川に架かる笛吹橋は、征夷大将軍坂上田村麻呂(サカノウエノタムラマロ)が鬼ヶ城に拠る鬼を退治した際、勝利を祝って笛を吹き太鼓を叩いて渡ったとされる橋で、松本峠越え熊野古道〔史跡〕〔UNESCO世界文化遺産〕の入口に当たります。

・奥熊野代官所跡
 https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398257&id=97987871

コメント(8)

左・中;熊野市文化交流センター
右;熊野市観光協会
 熊野市観光協会二階展示室の熊野市大花火大会資料です。
左;熊野市駅前特産品館
中・右;奥熊野代官所跡〔熊野市指定史跡〕
木本神社 祭神;天照皇大神・天児屋根命・天布刀玉命・事代主命

左;一の鳥居
中;吉田大明神
右;拝殿
左・中;木本神社の木造狛犬〔熊野市指定文化財〕
右;木本神社の棟札〔熊野市指定文化財〕
 笛吹橋と松本峠越え熊野古道〔史跡〕〔UNESCO世界文化遺産〕入口

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