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京阪電車コミュの京阪トリビア

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京阪に関するトリビアを皆さんお持ちじゃないですか?ちょっとした話でも、知っていればいつもの電車が違って見えるかも。
自分が知っているのは、「7200系は阪神大震災の影響で、一旦メーカーから泉大津港へ海を渡り、そこから陸路で輸送された車両もある」です。

コメント(191)

幌吊装置について

幌吊装置の支持方式に新旧あることに数年前に気がつきました。

昭和35年製造あたりを境に変更された様で、1900系の新旧、2600系は旧2000系車体の新旧で形状が違います。

旧600系も車体製造時期で異なるかもしれません。

> S☆O+のぶさん
ありますよ。昔本線と宇治線を結ぶ急行がありました。宇治線内は全駅停車だったはずです。
伏見桃山駅はホームの両端を道路に挟まれていて、その長さは7両編成の列車とほぼ一緒!!
従って、列車亭車中は踏切から連結器がさわれます(^^;)
枚方市と並び立つ乗降客数の多い寝屋川市駅ですが、急行停車駅になったのは意外と新しく、
1970年に昼間時間帯のみ停車、1980年にようやく終日停車となっています。
枚方公園の昼間時間帯急行停車は1961年からですので、それよりも遅い。
香里園は戦前から急行停車でしたから、1980年までずっと格下だったわけです。
それでもようやく枚方市と同格になったと思ったら、枚方市が特急停車駅となって、
また差をつけられてしまいました。不遇な駅。

寝屋川市急行通過時代は、朝通勤時に香里園から乗ると、準急より急行の方が若干すいていて乗りやすかったですね。
トリビアと言いますか、京阪電車は、京阪線、大津線ともにボルスタレス台車を採用していません。これは「カーブ式会社」と言われてるように曲線が非常に多いからです。もちろん日本の鉄道で一番と言っていいくらい、台車にはとてつもないコダワリがある会社だからなのかもしれません。ちょっとマニアにしか分からないかもしれませんが…。

そんな「台車大好き鉄道」の京阪がボルスタレス台車を試用したことがあると言うのをネットで見たのですが、そのことについてあまり詳しい情報を未だ見つけられずにいます。ちなみに試用した結果、いい結果が得られずよって採用していないそうなのですが…。多分新種の台車を技術者側がダメもとで、そして興味本位で履いてみたかったんかなぁと、個人的に思っていますが。。。一連のことをご存知の方はおられますでしょうか。
>157
急行の寝屋川市通過は懐かしいですね!!
夕ラッシュ以降は京橋を出ると香里園までノンストップでしたから♪

その当時から香里園は緩急接続で重要な駅でした。
当時の日中下り急行のアナウンスで
『次は香里園、香里園(中略)なお土居から野江までの各駅にお越しの方も次の香里園で各駅停車にお乗換え下さい』

コレは寝屋川市通過の名残やったのかもしれませんね。
京阪も戦時中阪急と合併してから戦後分離するまでの僅かな間、プロ野球の球団を持っていた。
どちらも急行線を逆送してるんですかね?
> ぎんがてつどうさん
このシーン、ネットで探してたのですがあまり出てなかったので感激です!
もう十数年も前、不発弾処理に伴う逆線運転を見に行きましたが生憎カメラは持ち合わせてませんでしたので。
平日朝9時ごろ深草駅4番線東となりの線路にて回送のエレガントサルーンが見れます。
>>14
豊野駅のホーム跡が下り線(淀屋橋方面)の閉そく信号機の所に石垣だけ残っています。
球場跡の団地の所です。

>>30
おとぎ電車ですね…
その線路跡は駅前の駿河屋と通園の間の細い道路となっています。
>>176
鉄道法と軌道法とで橋梁を掛ける際の法律が変わってきます。
京阪電車が開業時は軌道法(路面電車)として申請されているので、大きな河川は出来るだけ直角に架橋させなくてはいけないという制約があったので、直角になっただけで架橋技術が劣っていたわけではありません。
この制約は現在でも生きています。
因みに、京都方面では東福寺まで軌道法が生きています。
それより北は言うまでもなく地下線ですよね…
鉄道法で建設されています。

余談ですが、初代の宇治川・木津川橋梁は架け替え時に枚方市の国道170号線の橋梁に使用されたそうです。
>>175
京阪は名古屋まで伸ばす野望をいろんなルートで模索していた中での、当時では有力候補だった宇治線。
鉄道では既存線の上に造るというのが約束事。
京阪本線より後から出来た大阪環状線が何故下に有るのか?
京阪が高架するので後から作るという図式で上になっています。
旧線は今では商店街です。

その約束事を破ってまでも既に奈良鉄道として敷設されていた築堤の下を通させてくれということでかなりのお金を払ったと聞いた事が有ります。
その下を通っていた時代の宇治駅を知っています。
特急のシンボルマークが鳩なのは、沿線にある石清水八幡宮の守り神とされている鳥だから。このことは、石清水八幡宮駅の横から出ているケーブルカーの車内でも説明されている。
石清水八幡宮駅を上り(出町柳方面)に出て一つ目の閉そく信号機ですが、電球式の信号機のレンズが京阪線で唯一になってしまったの勾配曲線用のレンズになっています。
一般のレンズは丸模様になっていますが、これは縦になっています。

以前は京橋駅の下り(淀屋橋方面)A線の手前にも在りましたがLED化されてしまいました。
いつかは、ここもLED式になると思うので貴重だと思います。
>>[155]>

そうです、通過駅があったのは本線内のみで、宇治線内は各駅に停車していました。
ちなみに宇治線直通の急行は、平日夕方に三条発宇治行きのみの片道運転でした。
>>153
六地蔵駅を宇治方面に出て山科川の隣の小さな川ですが、進行方向左側に旧線跡の橋台が在ります。
山科川の築堤をかさ上げするときに今の駅舎と線路になりました。

旧駅舎はバスロータリーの場所です。
>>138
モケットの丸椅子ですが、運転士指導員用の椅子に使っていましたが、破れなども有り処分されていると思います。
今はレザーのタイプと折り畳み椅子を使用しているようです。
>>108
OBの方からも聞いたことは無いですね…

保線用の線路が南側に入ってきていて、資材の搬入搬出を行ってい当た場所です。
当時は今の4番線は無く、資材積み込み用のホームが南側に在り、今でも4番線の宇治寄りに行けば係員用通路にそのホームの1角が残っています。

因みに、現3番線が当時の4番線。下りホームに在る麺座の下が2両ほどが入れる2番線でした。
>>63
>2200系にくっついてる2600系3連は、2000系からの改造の段階当初から2200系にくっつける目的だったので、機器類は2200系に準じていて、逆に他の2600系とは併結出来ない.

というのは間違った情報です。
混結されていた2600系の機器類は2600系と同じ物でした。
お陰で、制動時に回生ブレーキが切れる速度がお互いに違うのでショックが多きかったです。
今は2200系の2210が発電ブレーキ車と回生ブレーキ車の混成ですかね。
まだマシですが同じ2200系よりかはショックは結構有ります。
京阪の特急の停車駅は、京橋〜七条までノンストップ運転だったと思いました。

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