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mixi印象派美術館コミュのエルミタージュ美術館(State Hermitage Museum )

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エルミタージュ美術館(State Hermitage Museum )はロシア、サンクト・ペテルスブルグにあり、5つの建物よりなり、中心は冬宮を用いたものである。
最初に美術品を収集したのはエカテリーナ2世で、この収集場所が隠れ家(エルミタージュ)と呼ばれたのが名前の起源とのこと。
ここには多数の印象派の絵がある。
元来ロシアの富豪シチューキンとモロゾフが近代フランス絵画を収集した作品が、革命によって国家の所有となり、ここにおさめられた。第2次世界大戦でドイツの敗戦により、多数の印象派絵画(74点公開)がエルミタージュ美術館(State Hermitage Museum )に保管され、1995年展覧会で公開された。その後ドイツとの返還協議がなされているようであるがエルミタージュで展示されている。ネットですべての収蔵品は閲覧できる(英文)。

http://www.hermitagemuseum.org/html_En/index.html

このなかで、QUICK SEARCHにmonetとかrenoirとか入れます。印象派画家の名前は
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=17371388&comm_id=2058310

コメント(75)

ピサロ、モンマルトル大通り・午後の陽光、1897
ルノワールは贔屓の国会議員Goujonの子供の絵を描いている。
この時期の少女の顔の描き方は印象派主義の時期を経て、輪郭のはっきりした描きかたになっている。
シスレー、
1882 はシスレー43才、第7回印象派に27点出展。9月フオンテンヌブローのモレ・シエル・ロワンに転居。
シスレー、サン・マメの川岸、1884

ここはモレの近く。シスレーは水と空が好きであった。この絵では砂浜の影に魅せられてこれを描いている。
ゴッホ、アルルの女、1888

この絵はカラフルな点描風の絵ですね。青、赤、オレンジ、緑などの厚いドットで描いています。パラソルの陰の色は真紅です。黄色をきわ出させるため、ブルーで縁取りしています。
上出10「ゴッホ、茅葺小屋、1890」の再掲
ドイツから大戦で没収したルノワールの作品2点。

展示室に入るとすぐの壁に展示されている。暗い色調で、戦争で絵が痛んだのかと思ったら、絵にはかなり厚いニスがかけられ、これが経年劣化しているとのこと、それなら修復可能か。

モデルはルノワールの上顧客であった出版業者のシャルパンテイエ夫妻。シャルパンテイ夫人や子供たちの絵はあちこちの美術館で見られる。(NY/MET,
ブリジストンなど)

パリのグルネル街にあったシャルパンテイエ邸の大階段に飾られていた装飾画。

左:ルノワール、階段の男、1876、167×65
右;ルノワール、階段の女、1876、167×65
ドイツから大戦で没収したルノワールの作品。
ルノワール、ピアノの前の娘たちは数点ある(テーマ別印象派の絵のmixiコミュ参照)。この絵は水彩画のように薄く描かれた油彩である。習作のようにも見えるが署名があるところをみると完成作品。

ルノワール、ピアノの前の娘たち、1892
ドイツから大戦で没収したルノワールの作品。
1890 年代にルノワールは帽子をかぶった若い女の絵を数多く描いている。日本にも国立西洋美術館、ポーラ美術館などにある。

ルノワール、花飾りの帽子をかぶる若い女、1892
ドイツから大戦で没収したルノワールの作品。
同じく帽子をかぶった若い女の絵。
昨年11月に訪ねたフイラデルフイア美術館にも洒落た帽子をかぶった2人の娘の絵を見ました。(当コミュのフイラデルフイア美術館トピ参照)

ルノワール、帽子をかぶる娘、1892



セザンヌ、エクス近くの大きな松、1895−97
構図が大胆。松の木の力強い幹とそれから横に伸びた枝、その先端をバッサリ切り落として。この木はセザンヌの妹夫妻の所有地にあったものといわれる。
色彩もセザンヌの褐色と青、そして緑。

セザンヌ、鳥打帽をかぶった自画像、1873

セザンヌは生涯に27点ほどの自画像を残している。
この作品は1870年代初めにオーヴェール・シューズ・オワーズでピサロとともに制作し、ピサロから印象派主義的画法を学んでいたころのもの。
ゴーギャン、タヒチの牧歌、1892

この絵は1892年に制作された数点のうち、画家自身最良の作と手紙に書いているといわれる。
右端の女が吹いているのはタヒチの竪笛である。
ゴーギャン、降誕、1896

これはタヒチの馬小屋における降誕のずである。左後ろにベッドがあり、タヒチのマドンナが横たわっている。
手前には生まれてまもない子供、そして死んでいる。
ゴーギャンの現地妻は1892年に子供を生むが子供はまもなく死亡。
ゴーギャン、タヒチの生活風景、1897

収穫に行こうとするタヒチの人々。手を伸ばしている女はギリシャのパルテノン神殿の装飾からの借用といわれる。
サダトシさん、(遅くなりましたが)お帰りなさい。
1月のロシアは毛皮の帽子がいるくらい寒いのですか?
解説がとても参考になります。
ピアノを弾く、、、は完成作品だったのですね!
今回の掲載ではルノワールの【庭にて】が1番好きです。
奥様がモデルとのことですが、友人は別の絵画を観て
「奥様への愛情を感じるわぁ」と言っていました。
この絵には、この言葉がピッタリだなと思います。
「ピアノの前の娘たち」明るい色調で華やかですが、確かに同じ年に描かれた他の2枚と感じが違いますね。こういう雰囲気の絵もルノワールにはあるんですね。
書き込みを間違えました。
ピアノを弾く、、ではなくて「ピアノの前の娘たち」ですね。
失礼いたしました。

ルノワールの本を見ていて、彼の言葉を見つけました。
 「芸術作品は説明のつかないものだ、、、(中略)
  芸術家は作品によって情熱を伝える
  その作品とは電流のようなものであり
  電流を放出することで鑑賞者を
  自らの情熱の中に引き込むのである」と、、、
好きな作品は自分に訴えてくるものを感じます。

作風が違っても、それはそのときのルノワールの情熱があふれたもの、ということですね。そしてそれが伝わる人の、足を止めさせじっと視線を捕らえる。そんな、なんとも言えない瞬間確かにあります。
わーい(嬉しい顔)マカロン さん
モスクワの1月の温度はマイナス20℃はざらということで、スキー用のインナー(下着)やスキー帽子、ダウンの長いコートなど持って行きましたが、今回はマイナス5℃くらいで北海道のスキー場の寒さに比べれば大したことはありませんでした。
でも寒い日もあるのでしょう。
ルノワールは人によってどの時期の作品が好きか違いがあるようですが、小生は1870年代の印象主義の絵が好きですね。
でもルノワールはこの時期を乗り越えて?1880年代には古典主義的な手法へ。そして晩年のあのヌードへ!
昨年11月にフイラデルフイア美術館でルノワールの風景画の特別展を見ましたが、晩年にも素晴らしい風景画を沢山描いていて感激しました。
テーマ別印象派の絵でいずれご紹介する心算です。
1883年ルノワールはノルマンデイのイポール町長の招きで彼の子供の絵を描くためにイポールを訪れている。子供の絵はバーンズコレクションのコミュにあるが、ここで風景だけの絵も残している。
海の色とそれに対比する岩の色も素晴らしい。

ドイツからの絵。

ルノワール、イポールの引き潮、1883
わーい(嬉しい顔)ノエル さん、
ルノワールのピアノと女性たちの絵は何枚か「テーマ別印象派の絵」のコミュのトピにあります。ご興味があればどうぞ、
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=19384333&comm_id=2058310
ご紹介ありがとうございます。それでは見に行ってみます。
ドイツからの絵。

この絵を見たとき、色や筆使いは印象主義ですがいろいろな描き込まれて雑然とした感じを受けました。でも印象に残る絵でした。

1874年は第1回印象派展の年であり、モネは短期間ル・アーヴルに滞在、4点の作品を制作したといわれる。マルモッタン美術館にある印象・日の出は1882年に制作され第1回には出展されたがこの絵は出展されず、第3回に出展されている。
それは、第1回に出展したのでは絵はまだ一般に理解されないだろうと思ったからとのことであるが、印象・日の出より、こちらの方が具象的で一般受けするのではないかと思われる。しかしモネはそのように考えた。

モネ、ル・アーヴルの大埠頭、1874
モネは1871年にアルジャントウイーユに庭付きの家を借り、妻のカミーユとと息子のジャンと住んだ。
アルジャントウイーユはぱりの近くで、セーヌ川がながれ、ぶどう園などがあり、自然がまだ壊されないであり、印象派の画家たちのお気に入りの場所であったといわれる。
1970年代にはここでボートやヨットレースなどもあり賑わった。


アルジャントウイーユの家の庭でカミーユやジャンらを描いた絵は多くある。

左、モネ、庭の女、1876
中央、同上、拡大
右、モネ、春(読書するカミーユ)、1872、ボルチモア・ウオルターズ・アート・ギャラリー
ドイツからの絵。

ルノワールはベルヌヴァルに1879年に滞在し、バーンズ・コレクションにあるベルヌヴァルのムール貝採りを描いたが、1898年再びこの地を家族とともに訪れた。
このときベルト・モリゾの娘ジュリー・マネも一緒であった。
この絵には左にジュリー・マネ、中央に後に映画監督になるジャン、立っているのは長男のピエール、右端はジュリー・マネの従姉妹。
ベルヌヴァルの田園でのピクニック風景です。

ルノワール、ベルヌヴァルの田舎での集い、1898

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