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宇宙物理学コミュのアインシュタインの言葉についての質問

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「Physics without religion is lame, religion without physics is blind」

(宗教なしの物理学は方輪であり、物理学なしの宗教は盲目である)

と言うアインシュタインの言葉を皆さんはどの様に解釈されますか?

ご意見をお聞かせ下さい。 宜しく。

コメント(45)

>4 白鬚さん

 アインシュタインの「Physics without religion is lame....」という言葉がどういう状況で語られたのか、については調べておらず、確かにそれによっては意味合いが異なってくるなあと思いました。
(トピ主さん、よろしければ出典ソースをご教授ください)
 なので「イマイチ」と言う訳にはこだわりません。正しい状況がわかればまた考えてみます。


 ただし「ボーアらの量子力学者(物理学は実験して客観的に検証出来る物しか対象として取り扱わないという人達)の態度に対して、批判的に述べたもの」という部分に対しては、何というか違和感があります。

 当時の科学技術(というか今でもそうですが)では、ボーアらの主張を「実験で客観的に検証」できるほど精密な観測機器は開発されておらず、コペンハーゲン解釈で見られるように
「電子の波の状態なんつー誰も見たこともない幽霊のような存在は、これ以上議論してもムダだから”そうなんだろう”と解釈して先に進んだ方がよい」と、実験による検証を放棄しています。
 もちろんこれは、その部分を検証しなくても「” なぜか ” 一応つじつまは合うし、波動関数に基づいて確率的に予言できるから」だったからですが。
 
 一方、アインシュタインにしても「理由はわからないが、なぜか同じ値になる”慣性質量”と”重力質量”」を、「同じもの」として等価原理で扱っているので、このへんはツッコめなかったと思います。
 これまた原理はわからずとも、なぜか同じ数値になる、という実験結果があったからですが、当時は実験装置も現在ほど精密なものではなく、宇宙空間において同じ結果が出るかどうかについての実験もできませんでした。

 本当に「実験して客観的に検証出来る物しか”対象として”取り扱わない」という厳しい制限があったら、量子論も相対論も現在のように発展しなかったでしょう。

 そんなわけで「ボーアらの量子力学者(物理学は実験して客観的に検証出来る物しか対象として取り扱わないという人達)の態度に対して、批判的に述べたもの」という説についてはちょっと違和感があるのです。
「Physics without religion is lame, religion without physics is blind」

常に箱の外でものを考え、自分の世界観だけでは想定できない可能性に寛容であれということなんだと思います。


私が好きなアインシュタインの名言で、

“You can never solve a problem on the level on which it was created”.

問題が発生したレベルで(考えているのでは)、その問題を解決することはできない。


これも上の名言と重ねて、アインシュタインが自分の理解不能な事物に対していかにオープンであったのかとても深く理解できます。これも箱の外でものを考えることの大切さ、自分の考えや発想の限界を認めることで、はじめて解決方法はひらめく。ということを強調しているようです。

天才にしては(ゆえにかもしれませんね)とても謙虚ですが、だからこそ素晴らしい発見もできたのだろうなと思います。



>1 yopisoundさん。イギリスに7年ほどいましたが、lameというスラングは結構使われていますよ。時代の流れでしょうかね。


ダサいという意味のほかにも、不測の事態により(ああ今日、銀行休みだ,lame!みたいな)、がっかりさせられたときに用います。







>7 BLUE PRINCESSさん
>イギリスに7年ほどいましたが、lameというスラングは結構使われていますよ。時代の流れでしょうかね。

 そうですか。教えてくださって、ありがとうございます。

>自分の考えや発想の限界を認めることで、はじめて解決方法はひらめく。ということを強調しているようです。

 これも「Physics without religion is lame」のひとつの解釈、という気がしますね。
"Science without religion is lame, religion without science is blind"

では?

アメリカでは宗教的な考えは教養の一部です。ちなみに特定の”宗教団体”に固執する考えとは区別すべきかと思います。

is lame は「未完成である」かな。

これは社交辞令か挨拶みたいなものではないかと思います。
少なくとも物理学の理論に宗教の教義をさしはさもうと言ってるのではないはずです。
トピ先では「いびつ」と訳してますね…

因みにゼロスさんのおっしゃるとおり、トピ先もscienceです。

http://www.google.com/gwt/x?dc=gphotos&q=%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3+%E5%90%8D%E8%A8%80&hl=ja&ei=PHEZT9CILMn_kAW8cQ&ved=0CBAQFjAE&output=xhtml1_0&source=m&rd=1&u=http://becom-net.com/wise/aruba-to.ainsyutain.shtml
科学は世界をデジタル的に記述します

わたしの未熟な主観なんだと思いますが、宗教はアナログ的に真理を追究するというイメージがあります

そういう観点から、いびつ、という翻訳はなるほどと思いました。
引用先より
>宗教抜きの科学はいびつであり、科学抜きの宗教は盲目である。
>Science without religion is lame, religion without science is blind.

ほんとだ。原文からして違ってたんですね。
「物理学」と「科学」ではだいぶニュアンスが違ってきますね。
あとはこの言葉が語られた状況がわかれば、さらにいいんですが。
>11 補足

わたしがデジタル的というのは数値的という意味です。2進数に限って言うものではありません。

実数の連続性はアナログ的と言えますが、わたしは実数という確定数値もデジタル的とみれなくもないと考えますので。
http://meigen.ivory.ne.jp/meiku/einstein.htm

『(アインシュタインは)物理学を研究する一方で、宗教論も表した。
彼は、宗教に3段階あると述べている。

第1は、原始的な「怖れの宗教」。
たたりを与える神を想像し、いけにえを供えて、機嫌をとるたぐいだ。

文化的に多いのが、第2の段階。人格神を説く「倫理的宗教」である。

しかし科学の発達により、病気や遺伝など、種々の因果関係が明らかになるにつれ、神の意志が働く余地は全くないとの確信は深まる一方だ、と彼は言っている。

さらに、天動説や進化論など科学の領域に、独断的な神話を持ち込む人格神の概念が、宗教と科学の抗争を生んできた、と結論付けた。

第3段階の宗教とは、神の概念のない「宇宙的宗教」だと言い、因果律に立脚し、科学とはなんら矛盾しない仏教に多大な関心を寄せている。

かくて、
Science without religion is lame, religion without science is blind.
宗教なき科学は不具であり、科学なき宗教は盲目である。
という名言を残した。』

出典についてはわかりませんでしたが、「宗教に3段階ある」と述べており、ここで述べられてているのは第3段階の「神の概念のない宇宙的宗教」であることはわかりました。
やはりバックグラウンドがわからず、抜き出された一行だけできちんと理解することは不可能ですね。
いろいろ勉強になりました。
まあ、14のリンクだって、その方の解釈なんだと思いますよ。

しかし、抜き出された一行を勝手に解釈することは、伝言ゲームより不安定な行為かもしれませんね。ましてや、単語が一語違ってるってだけでも、意味を誤解する要因としては十分すぎますね。
アインシュタインの手紙では無神論を示唆しているように思います?

http://www.google.com/gwt/x?output=xhtml1_0&source=m&u=http%3A%2F%2Fwww.regway.net/2008/05/einstein-mail.html&wsi=303aace9217986a2&ei=k5EZT_ONG8ndkgW99YneCQ&wsc=tb
アインシュタインの伝言
http://www.kousakusha.co.jp/RVW/einp.html
米国亡命以降、最晩年まで行なわれた四度の対談でアインシュタインは、宇宙的法則にかなう人類の普遍的原理として良心の復興を説き、個人が良心にもとる国家や宗教などの組織原理に服従することをやめ、自らの内面に息づく良心のみを行動規範とする自立した人間になることを繰り返し求めている。

 生命を軽んずる若年層の奇行が増え、いわゆるモラル・ハザードが深刻な問題とされる時代に、「良心の復興」こそ来世紀に向けて価値あるメメッセージではないだろうか。アインシュタインは若者に語る――「聖なる好奇心をもちたまえ。人生を生きる価値のあるものにするために」。
> yopisoundさん、ゼロスさん

資料ありがとうございます。アインシュタイン博士は無神論派?と記憶をしていましたので、トピックに違和感を感じていました。

ルメートル博士(宗教家で物理学者)の論文をアインシュタイン博士は読み揶揄するコメントをしていたと記憶をしています。

>たかしさん

いえ、1日待ってみたのですが、トピ主さんからの出典の提示がないようなので、自分であれこれ探してみた次第です。

ぼくも「宗教なしの物理学は片輪」という強い言葉にはどうにも違和感があって、「イマイチ」というかなり弱い表現にしてみましたが、それでも「アインシュタインがこんなこと言うかなあ?」という疑問は残りました。

物理学×→科学○ の誤記と、「宗教」に、それ以前の文章でアインシュタインのオリジナルな意味がつけ加えられていることなどから、トピ0から本来のアインシュタインの意図を読み取ることは不可能だったと思います。
以下は19のリンクより追記抜粋です

アインシュタインは「すべての組織された宗教に反対」と言明する。

        それは無神論者であることを意味しない。

彼の目指す「真の宗教人」とは、死も生も恐れず、盲目的な信仰を持たず、自分の良心だけを信じる。そうすれば、周囲の出来事を観察し、判断するための直感、さらに「自分が無限の知恵の海岸の一粒の砂にすぎない」と悟る謙そんを身につけることができる。そこに「宗教と科学は調和する」可能性があると語るのだ。

 貴重な言葉を、どう受けとめればよいだろうか。

「私の死後、さだめし多くのことが捏造されるだろうね。少なくとも私は、いいカモだよ」。
> yopisoundさん

おっしゃるとおりだと思います。今、書店でアインシュタインの名言集が売られています。読んでみないと判りませんが心配になりした。

アインシュタインは良い言葉を残したと感銘を受けることもありますが、
正しくは本人に聞いてみなければ解らない、と思うこともしばしばです。

後世でニュアンスの違う使われ方や、自分の立場・思想に都合よく解釈しているのを見かけると、残念に思うと同時に自分も慎もうと思います。

その点、残された数式は使うに便利、アインシュタインの頭脳の正しい遺産だと思います。
もちろん、伝えられる人物像に想いをよせて物理学はかくあらん。と思うことも多いのですが。
・http://www.dumblittleman.com/2010/03/10-amazing-lessons-albert-einstein.html
・http://matome.naver.jp/odai/2129412052828863801
> ゼロスさん

アインシュタイン博士自身は無神論者だと記憶していますが(うろ覚え)、アインシュタインの手紙では宗教を揶揄している?手紙の原文を確認しないと判りませんが…

私見ですが歴史を遡ると宗教と科学は相性が悪いように感じます。ご存知のように宗教家はビッグバン説(特異点)を容認します。最初の一撃を「神のおこない」とすれば上手くおさまるからのようです。しかし物理学者は特異点を回避し物理学の法則で宇宙論を説明します。アインシュタイン博士も物理学者であり神の一撃を容認はしないと思います。

>たかし☆さん

どういう手紙かにもよるでしょうけど、一般的に手紙は個人的なやりとりであって、公式な表明とは違いますから、そのときの気分でまわりを気にせず乱暴な言い方をすることもあるかと思います。
トイレをのぞかないでくださいと言うのと同じだ、なんていえば言い過ぎかもしれませんけど。

アインシュタインも他の科学者も、特異点の問題は回避すればいい、とだけ考えてはいないでしょうし、定数のゼロと特異点、無限大、時空の連続性、時間の線形性・・などについては、哲学的な考察や宗教的世界観が、そのひと個人の物理的世界観を研ぎ澄ましていくはずです。

アインシュタインは盲目的に確信することを嫌うだけじゃないかなあと思います。

インタビュー記録とされる文章も信頼できるものばかりではないかもしれませんので、実際のとこは本人にしかわからないことで、いまさら聞くことはかなわないことではないでしょうかね。


アインシュタインが「Religion and Science」について残した文章が以下のURLにまとまっています。

Albert Einstein: Religion and Science
http://www.sacred-texts.com/aor/einstein/einsci.htm
なるほど。1930年11月9日にニューヨークタイムズ・マガジンに掲載されたものが初出のようですね。「宗教」というものについてのアインシュタインの意見が述べられているようですが、アインシュタインの考える「宗教」とは、神の概念のない「宇宙的宗教」であるとはっきり書かれていますね。この文章がなければ
Science without religion is lame, religion without science is blind.
の意味を正しく読み解くことはできないと思います。

kazuさん、ありがとうございました。
埼玉県立久喜図書館での質疑応答
http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000035182

質 問
(Question)

アインシュタインの著書
「思想と意見」Ideas and Opinions(Sonja Bargmann.New York:Crown、1954)
「アインシュタインのヒューマニズム論」Einstein on Humanism(New York:Carol Publishing、1993)
「生きている哲学」(Leach、Henry J、ed.Living Pbilosopbies(ママ):A Series of Intimate Credos.New York:Simon and Schuster 1931)
は翻訳されているか。出版社・出版年・ISBNも知りたい。

回 答
(Answer)

アインシュタインの各論文は翻訳されていないと思われる
アインシュタインは理論物理学の天才ですが、神ではないですし、彼の思想や哲学を特別視する理由なんてないと思います。

将棋の名人は、チェスや囲碁も強いですけど、ちょっとルールが変わっただけで強さの度合いが急変します。

アインシュタインやホーキングの思想や哲学についてまで過大評価する根拠なんてないと思いますけど。
否定的なことを書くと怒られそうなので静観しておりましたが、
アインシュタインの残した言葉の解釈にも、
それぞれ個人の思想が投影されているようで面白いですね。

偉大な功績を残された方は、プライベートで使う言葉にまで
意味があると解釈されてしまいがちですが、
状況により言葉の意味も重みもかわってくるという。。。

報道により編集されたワンセンテンスで非難されてしまう芸能人のように
本人の意図した事は何処へ行ってしまったのやらという捉え方をされてしまう。。。
>アインシュタインやホーキングの思想や哲学についてまで過大評価する根拠なんてないと思いますけど。


このトピの主旨は

>「Physics without religion is lame, religion without physics is blind」
>と言うアインシュタインの言葉を皆さんはどの様に解釈されますか?

であって、求められているのは「各自の個人的な評価」だから、過大評価するのも自由だと思うんですが、見たところ、特に過大評価している人などいないような気がするんですが...。
戯言ですが、理論物理学者の思考は書籍で現れていますがとても興味深いです。著者の言葉の使い方や思考が理解できます。私はこの辺りの好奇心と面白さが書籍を読む理由になり、物理学に興味を抱くきっかけになりましたね…

アインシュタイン名言集が売られていますが、これをきっかけに科学に興味を抱く方が増えればと思ったりします。

アインシュタインの言葉にどうしてホーキングまで関わってくるの?
他人が過大評価というより、自分が無関係な事を関連付けてイチャモン付けているだけでしょ。
そうですね、みなさん、論理的で偏りのないコメントで真摯に議論されていると思います。

わたしも誰かが過大評価していると言いたいのではありません。
過大評価うんぬんというのはありがちなことかとわたしが勝手に思ったので、そうすべきでないと事前に申し上げた次第です。

失礼いたしました。

せっかくいろんなコミュがあるんですから、コミュの特色や趣旨に見合った範囲で自由にしたらどうでしょうか?
科学を好きな方が、アインシュタインの残された功績について素直に素晴らしいと思うのに何が悪いのかわかりません。。。
横からすみません。
religionという言葉は再び結ばれるということですから、
多くの場合は神様とある人の約束という意味でとらえるのが適切かと。
「なんじゃ?」、「何を言っておるのじゃ?」と言われそうですのですが、
ちょっと考えれば、「信仰をもたない新発見など存在しない」、
と言われるとおかしなことだとお気づきでしょうけれど、
「恐れの気持ちや信仰を持つ新発見はより有意義である」と言い換えれば
なるほどなと思うものです。
アインシュタイン博士が小学校の時には算数もできなかったということを
持ち出すのは馬鹿げたことで、特殊相対性理論発表時には
「今の時点で理解できるのは数人だろう」も忘れることはできません。
また、ユダヤの人々は勉学に力を割く(単なる又聞きです)という
素地も大切でしょう。
氏(達)が戦後原子力兵器の撲滅運動の大きな支えになったからと言って
湯川博士も同じですし、戦前にその関与の大小があれど推進の立場が
あったことに変わりがありません。
まことにもって勝手な解釈なのですけれど、このトピックのタイトルどおり
「この言葉についてのそれぞれの解釈」ということであれば
アインシュタイン博士をもって神格化することは逆に不毛なことであり、
その言葉を掘り下げれば、何事に対しても畏怖の念を払いつつ
慎重にも慎重を重ねよ、と勝手に解釈をしております。
37の発言も、広島、長崎の方々からしたら、一家言あるのかもしれません。
私も原爆被害者を前にして、同じ言葉を悪びれもせず発するほど馬鹿ではありません。

しかし、言葉は時と場所を選ぶと言うように、故人の残された言葉を純粋な意味で読み解くのなら、発せられた状況と相手を想定した物でなければならないと思います。
イチローと被りますね。凡人には真似ができない偉業を達成すると言葉まで書籍になります。特別というよりは、どういう人物なのかと興味の対象になるんだと思います。天才と呼ばれる人物像を知りたいという単純な思いから、彼らの言葉が注目されるような気がします。

>40 たかし☆さん
イチローの言葉で一番面白かったのが、
>犬の名前を聞かれて「彼(犬)に承諾を得ないと教えられない」
でした。ウィットといい、切り返しの鋭さといい、流石と思いましたw

人物像もさることながら、そういった部分での評価も高いのではないかと思いました。
> suckさん

おっしゃるとおりだと思います。イチローさんらしいユーモアセンスに富んだ言葉だと思います。

ものすごく飛躍なのでしょうけれど、もう生命を次の世代に残せないと決定づけられて
その上での発明発見が無意味か?とという問いはナンセンスでしょう。
主の為と言ってなされた発明発見と自分の地位の為に成した発明発見も
科学の下で忖度する事柄ではない様考えています。
このような問題はよくあるらしくって、ファインマン博士の
"Surely You're Joking, Mr. Feynman!"にもいくつかのエピソードが紹介されています。
人文系でも先生のことを悪く言うようなことはありませんけれど、
博士の言葉は科学の視点からのものであって、その他の事柄は
確かに人徳とも言えましょうけれど、それこそ” You're Joking?”と
言われてしまいそうです。
誠実さが信仰による物なのか、人柄による物なのかはよくわかりませんけれど
ニュートンもハイゼンベルクもシュレーディンガーも教えてくれる境界は
分っていることと、まだ説明ができないという誠実さで、
アインシュタイン博士を持って神格化されるようなことは
憶断に過ぎませんけれど、迷惑なことなのではないかと思うのです。
もしくは、付録のような物で、氏の業績とは直接関係が無いように考えています。
(そのような振る舞いが博士を矮小化する物ではなく、小さな事柄や発見も大切にすることが新たな発見を導き、先人達もそのような事柄を望んでいる、という文脈でのことです。何かで留まることよりもそれを超える事柄を望んでいるように私には思えます)
>アインシュタイン博士を持って
博士がどう思っていたかは墓場の中まで...ではないでしょうか?
件の言葉はジョブスのスタンフォードスピーチでもあるまいし、
状況として、若人へのエールを想定して書かれたものと言えるでしょうか?

「神はサイコロを振らない」といって、量子力学を否定していたように
思っているほど融通のきく性格では無かったと思いますよ。
もし若き科学者にそんな感情をいだいていたら大いに奨励したでしょう。

それこそ神格化した像を彼に求めていることになっているんじゃないでしょうか?
religionは「こんな宇宙だったらいいな」というような夢・理想のことではないでしょうか。
それで、論理的・科学的でない理想は妄想であると

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